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117 兄さんの学校

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「コウタ、送ってくれる?」

 制服に着替えた兄さんは、いつもよりもずっと好青年。金の髪を耳にかけて優しくささやいた。
「えぇ? 行っていいの?」

 オレはうれしくって大興奮。行くに決まってる! おでかけは大好きだ。

 クライス兄さんの学校は王宮下の西側にある。主に貴族の子が通う学校だ。
 王宮と貴族街の一番端、城門に面している一角で広大な敷地を誇るそこは幾つかの学校が集まっている。

 6歳から学ぶ基礎学校は富裕層の平民や教会で保護された優秀な子ども達も通い、幅広い知識を身につけさる。
 剣や魔法、統治、商業など将来の仕事を見据えて学ぶのは12歳から通える中級学校。
 そして騎士や文官、研究者など将来を期待されたり、王宮付きの仕事に携わる人が通うのが栄誉学校。クライス兄さんが15歳から通う学校だ。

 アイファ兄さんは基礎学校を出て冒険者になった。だから領の統治の勉強をするためにクライス兄さんは学校に上がったんだって。そこで趣味の古代学にハマってしまって、もっと学生を続けるために栄誉学校に行ったんだって。

 だけど、秋の終わりで卒業を迎えるんだ。王宮付きの研究者になるのかな?


 学校までは馬車で通うから、門までオレも付き添うことができる。

「では、私がお供いたしますわ」
 ミルカが大きなリュックを背負って、一緒に乗り込んだ。
『僕は馬車の外を歩いて行っていい?』
 ジロウが嬉しそうに尻尾を振る。

 モルケル村では自由にお散歩をしていたけど、王都では大きな城壁と門がある。ジロウなら問題なく乗り越えられそうだけど、今のところは我慢しているんだ。

「ははは、犬の大きさで頼むよ」
 少し困った顔をした兄さんは、ジロウの頭を撫でて優しく笑った。ジロウもヒュンと身体を小さくしてクウと鳴いた。

 ガラガラと馬車が出発すれば、なだらかな下り坂だ。ジロウが嬉しそうにふさふさとした尾を振り馬車の横を歩く。時々ぴょんと馬車を飛び越えるのはご愛嬌。御者さんがビクビクしながら馬を操るけど、大丈夫、ジロウはぶつかったりしないよ。

 オレはミルカが持ってきた大きなカバンが気になって仕方がない。
「ねぇ、それ、何が入ってるの?」
「これですか? これはコウタ様グッズです」
「ええ? オレの?」

 びっくりして目を丸くする。小さなモスグリーンの瞳にオレがくっきりと映し出された。

「はい。 馬車の中で退屈されないように、いろいろとお持ちしました」
 そう言って袋をゴソゴソと弄って出てきたものは・・・。

 小さな車のついた馬型の木の人形。くしゅくしゅと音が鳴る小さな紙の束。くるくると丸められた毛糸にリボン。光で模様を作る円筒のおもちゃ。ソラちゃん印のおんぶ紐にジロちゃん印のよだれかけ。

 これって、これって、どう見ても赤ちゃんグッズだ。 クライス兄さんが吹き出すのを堪えて震えている。

「おやつもありますが、それは秘密です。時間になったらいただきましょうね」
 悪びれないミルカ。馬の木人形を手渡されて戸惑うオレに、兄さんがコホンと咳ばらいをして一冊の本を渡してくれた。

『遺跡品の用途についての考察』

「コウタ、それ、僕の先生が書いた本。興味あるだろう?」
 いたずらなキャラメル色の瞳にこくんとうなずき、早速、本を開く。それは遺跡品がイラスト付きで紹介され、何に使うか考えを述べたものだ。難しい古代語や専門用語は分からないけれど、図鑑のようにわかる部分も多く、とても興味深い。

「えっ? それ、どう見ても専門書ですが。 えぇ? お分かりになるのですか?」

 あっけにとられているミルカをよそにオレはどんどんとページをめくる。コンロや電灯、星見の望遠鏡など山で使っていたものとよく似たものがいくつもあった。
 ふふふ、これってカメラだ。だけど鏡って書いてある。こっちはピーラーだ。オレや母様でも安全に野菜の皮を剥けるようにって作ってもらったやつ。ふふふ、髪飾りだって! 変なの!

 ぷぷっ。思わず吹き出すと、二人が本を覗き込んだ。

「どうしたんだい? 吹き出すところなんてあったっけ?」
 覗き込んだ兄さんに、オレが身振り手振りで説明する。すると兄さんはオレから本を取るあげるとぶつぶつと呟きながらページをめくり、何やら難しい顔をしている。

 10分ほどで学校に到着だ。ジロウを中に招き入れ、大きな門をくぐる。お城の方に進路をとった馬車は、どんどんと奥に行く。途中、幾つもの建物の近くを通るけれど、とても静かだ。窓に向かってきょろきょろ見回すオレを見て、兄さんが涼しい顔で言った。
 
「ああ、人がいないのは授業がとうに始まっているからだよ」
 それって、遅刻じゃなかろうか? 大丈夫?
 不安げなオレに気付いてふふふと笑う。
「いいんだよ。普通に来たって遅刻になるんだから」
 どういうこと? と首を傾げるオレに、ずずっと顔を近づけて真面目な顔で話し始めた。

「いいかい、コウタ。魔法はダメだよ。それから、この後ちょっと付き合ってもらうことにしたから、ジロウとプルちゃんをちゃんと制御するんだぞ」

 随分奥の外壁に近い塔の入り口に馬車を停め、御者さんにことづけたオレ達は、兄さんに案内されて教室に入っていく。さすが研究者を育成する専門の教室だけあって、本や研究物が雑多に積み重ねられていて埃っぽく、かつ静かだ。
 幾つかの階段を上り、古くて重厚な赤茶の扉をノックした兄さん。返事を待たずに扉を開けてさっとオレ達を中に押し込めた。

 正面に座っていたのは小柄でしわくちゃなお爺ちゃん。分厚い本を開いて、手には不思議な欠片を持って、押し込められたこちらをキョトンとした眼差しで見つめた。薄暗い部屋を頭部の光で補填するかのような見事さに、失礼ながらオレはぷぷと吹き出しそうになった。

「おおっ?! まさか、そ奴はGグランか? さすがクライスじゃ、手土産にひねりがある。これ、レイナ! 早速カツラを作るぞい」
「はぁい! 只今!」

 ピラピラのフリルハートが付いたエプロンを身に着けたミニスカートのお姉さんがハサミを手に走ってきた。ピンクの縦ロールの髪はツインテール。モルケル村には絶対にいないタイプ。
 トンとジロウに腰かけようと迫ってきたので、オレはジロウに飛び乗って、両手を広げて慌てて止めた。

「だ、駄目~! ジロウの毛、切っちゃ駄目」
 ぎゅっとジロウの首を抱きしめたオレの上でプルちゃんがプルルプルルと怒ってくれた。


「教授、悪ふざけが過ぎます。 コウタ、大丈夫だからご挨拶だ。ミルカも。飛び切りの手土産は今から話すから、レイナ、お茶を淹れて」
 こんなに狼狽えたオレ達をささとスルーした兄さんは、珍しく真剣な顔でちょっと怖い。うん、あの悪魔みたいな奴と対峙した時みたい。

 レイナさんはハサミを持ったままにっこり笑うとオレ達を一つ奥の部屋にいざなった。そこは小さい食堂のような場所だけど、壁の飾りはどれもひびが入ったり欠けたりしていて、遺跡からの出土品だとすぐに分かる代物ばかり。

 オレ達が円形のテーブルの席に着くと、レイナさんが四角い箱のようなものにケトルを置いてスイッチを入れる。下から吹き出す青白い炎。

「まぁ!」
「わぁ、懐かしい! ここにもコンロがあったんだね」

 ミルカは驚いていたけれど、あれは山で使っていたコンロ。オレは嬉しくてテーブルの上に乗り出してしまった。

 三角の細かな編み目の容器にふわりと柔らかい布をかぶせたレイナさん。真っ黒な粉をスプーンに山に掬って容器に落とし込むとそれを大きなガラスポットの上に置く。ちょろりちょろりと細く湯を垂らせば、紅茶ともスパイスとも違う苦そうなでも香ばしい香りが辺りに立ち込めた。

「これ、これ、こ、コーヒー? ねぇ、そうでしょう? 苦くて甘くて、ミルクに合うやつ」
 兄さんが机の上で手の平を組みながらニヤニヤ笑っている。ミルカは、一体この子は何を言っているかしらと考えているかのように、ことりと首を傾げているし、お爺ちゃんは蓄えた口ひげをさわさわと指で伸ばしている。ふふふ、まるで龍爺みたい。

 ポトリと琥珀色のしずくが下に落ち、真っ黒な液体に染まっていく。出されたコーヒーに顔を引き攣らせたミルカは同じく真っ黒な小さな丸い塊を勧められ、みんなの顔を伺っている。
 オレはポチャン、ポチャン、ポチャンと兄さんの瞳のようなお砂糖を3つも入れてスプーンでかき混ぜた。あとはミルクが欲しいんだけどな。

「あのぅ、ミルクはありませんか?」
 おずおずと聞いてみた。コーヒーはあんまり得意じゃない。お砂糖だけで飲めなくもないけれど、久しぶりだもの、美味しく飲みたい。それには絶対にミルクは外せない。
 なのにレイナさんもお爺ちゃんも瞳を大きく開いて、不思議そうな目でオレを見た。

「僕ぅ、ミルクなんてどうするの? まさか、これに入れるっていうの?」
「えっ、はい。だって、コーヒーでしょう?」

 今度はオレが不思議そうな顔をする。お爺ちゃんがニコニコして顎で指示をすると、レイナさんはミルクを取りに部屋を出て行ってしまった。

「坊主、これはコーヒーでよいのか?」
「うん。 そうでしょう? 違うの?」
「作り方はどうじゃ? お前さんの知っとるのと同じかい?」
「うん。 あっ、でも、父様も王様もアックスさんもお砂糖やミルクは入れなかったけどね」
「そうか、そうか。 かひぇ-ではないんじゃな?」
「ぷぷぷぷ。 お爺ちゃん、面白いね! オレ達はコーヒーって言ってたけど、そうやって言う人もいるのかな?」

 出されたチョコにすすと手を伸ばし、ぱくりと頬張る。あれれ? に、苦い! 渋い! な、何? これ?

 飛び上がって涙目で兄さんの方を見る。兄さんとミルカが慌てたようにオレの口に布(よだれかけ)を押し込み、べーと舌にまとわりついたチョコを拭い取った。ああ、駄目だ。それでもまずい!
 オレはたまらず空間収納に手を伸ばし、こっそりとっておいたキャラメルを口に押し込んだ。
「あっ、コウタ! 駄目だって言ったのに!」

 クライス兄さんは、さっとオレの前に手をかざしてお爺ちゃんからの視線を外そうとしたけれど、後の祭り。ディック様やアイファ兄さんと同じように悪い目をしたお爺ちゃんがニヤと笑った。

「坊主、わしゃ目が悪いでな。安心せい。空間収納が使えるなんて気付かんかったからな。さて、お前さん、その菓子を何だと思って手を伸ばした? どんな味だと思ったんじゃ?」
 ほっとしたオレとは対照的に、両手で顔を覆った兄さんはふうと深いため息をつく。大きな皿にミルクをもらったジロウは喜びの風をふわりと纏わせ、プルちゃんと仲良くペロペロと飲み始めるのだった。
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