117 / 260
106 セントの夜
しおりを挟む「ほら、いい加減起きなよ。夜に寝れなくなっちゃうよ」
「おやめください、クライス様。流石に痛いですって」
乱暴に引き延ばされた頬に顔を歪めて目を覚ます。サンのお日様みたいな瞳が心配気で不機嫌になった顔を慌てて直す。そうだ、馬車だったと思い直してぷいと外を見れば色とりどりの灯りが飛び込んできた。
「す、すごい」
渓谷の隙間の川に沿うように作られた街並みは街道から幾らか下った先にあり、家々の明かりが赤や黄色、オレンジ、白と色彩豊かに灯されている。
夕暮れに差し掛かる茜色の空と渓谷に落ちた薄暗い闇のコントラストに明かりが映え、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「渓谷の街、セントよ。一番いい時間につけたけど、審査が混むのよねぇ。でも街に入ってしまえばニコルが宿の手配を済ませてくれているはずだからすぐに夕食よ」
サーシャ様の言葉にこくんこくんと大きく頷きつつ、窓にぶら下がって外を眺める。魔獣の素材でできた透明な窓は少しだけ景色を歪める。オレ達の顔も反射してしまうので開けようとしたらディック様に止められてしまった。
「お前……、絶対落ちる。こんなところでやらかされたら堪らん。大人しくしとけ」
落ちるつもりなんて全くないけど、ジロちゃん印のおんぶ紐を見せられたら大人しくするしかない。
ガラガラと細くなっていく道を下って門まで来れば、チャプチャプと川のせせらぎに不思議な匂い。サースポートでは貴族の馬車は優先的に審査されたけど、ここは道が狭いので来た順番に入るしかない。
近づけば近づくほどに闇が降りてきて小さかった明かりが紙に包まれたランプの光だと知る。渓谷の上には薄雲の光と小さな星屑が輝き始め、その美しさにほうと見惚れる。
事前に先触れを出しておいたお陰で今日は宿が貸切だ。私兵さん達が一階でオレ達が2階。ここは貴族の常宿でそれぞれの階に食堂と風呂がついている。アイファ兄さん達が先に宿に着いていた為に、既に温かな食事が用意されていてオレ達はすぐに食べることができた。
街明かりをイメージした食事は肉も野菜も小さく盛り付けられ色取り取りで美しい。オレの口にもピッタリだ。
…………と思っていたら大きなブルとスースの塊肉のローストが出てきた。ディック様とアイファ兄さんがおおと拍手をしたと思えば、給仕の人がナイフを取り出す前にそれぞれが当然のように塊肉に齧り付いた。涙目で厨房に戻った給仕さん。
本当はその肉、スライスしてソースをかけて出すんだよね。ごめんね。村では二人を冷ややかに操縦する人がいるけれど解き放たれた野獣はそうはいかない。
暫くして同じ塊肉をいくつか持ってきたけれど、その一つには薄らと取り分けようとした跡があった。想像するに……兵士さん達用だ。給仕途中だったのに取り急ぎこちらに回してくれたのだろう。オレとクライス兄さんはお気の毒にと混乱しているだろう厨房に同情する。
ニコルとキールさんはそんな二人を気にするでもなくマイペースで品よく食べるが、さすがアイファ兄さんのパーティ。食べるペースはちっとも落ちない。給仕の人が一人増え二人増え。ここではお客のサンですら、すっかり宿の一員のように給仕に勤しんでいる始末。
ディック様は肉と見れば際限なく食べる。何なら獲ってきたブルをそのまま焼きつつ齧り付く程に。アイファ兄さんだって同様だ。野生児というか野生的というか。食事に関してはまさに暴君の食事だろう。何なら生肉だっていけるんじゃなかろうか。うん、人間版ジロウっていう感じ。
ちなみにジロウは自分の食いぶちは自分で獲って食べているらしい。オオカミの最上位種フェンリルが変異したグランだからね。
たまにフラと居なくなる。ただジロウは神獣の次代でその血が濃いため、何も食べなくてもいい。オレの魔力を隣で吸っていれば満足できるそうだから不思議だ。
肉が足りなきゃさっき獲った肉を出すぞとか、何なら今から狩りに出るぞと好き勝手。ふと見れば転がったエールの樽が二つ三つ。オレはサーシャ様とクライス兄さんと顔を見合わせて、早々に食事を終えて部屋に戻った。
食堂にサンがかかり切りなのでオレ達は自分で風呂の準備をした。街に入った時に感じた匂いは温泉の匂いなんだって。領主館では魔法使いや魔道具でお風呂に湯を張るんだけれど、ここは自然にお湯が湧き上がるらしい。疲れがとれて肌がすべすべになるのよとサーシャ様がオレを抱き上げる。
「ちょっとちょっと母上。コウタは男湯ですよ」
「いいじゃない。貸切なんだから一緒に入っても」
……嫌だ。
街の一番奥、少し高台に建てられた宿だからか、街に向かって浴室が作られていた。脱ぎ散らかしたクライス兄さんの服を畳んで籠に入れ、自分の服も脱ぎながら畳む。備え付けられていたタオルを兄さんを真似て腰に巻くとピョンピョンと飛び込んできたプルちゃんを抱き上げた。
スライムってお湯に入れても大丈夫?
着いてきたならいいのかと思って引き戸を開ける。ふわりと蒸せる湯気に早々にじわりと汗を染み渡らせて兄さんを探す。
相変わらずきちんと泡だてもぜずスカスカと石鹸を滑らせてジャバリとお湯をかぶるいい加減な身体の洗い方だ。見慣れぬスポンジを手に取り、石鹸を泡立てれば極上のふわふわ感。湯桶をひっくり返してその上に立ち、細くて案外に筋肉のついた背中をゴシゴシ擦る。首の後ろも耳の下も、顎だってちゃんと擦ってあげる。
「コウタ、それ、死んだスライムだって知ってる?」
「プギー」 チャポン!
慌てて飛び退いたプルちゃんを追いかけて膝に乗せてよしよしと慰める。酷い言い方だ!
「ごめん、ごめん。はあ、僕も浮かれてるなぁ。コウタと温泉が嬉しくて」
ひょいと膝に乗せられて目を合わせるクライス兄さん。オレもつられてにっぱり笑った。
あのスポンジはマシュマロスライム。温泉の近くで育つスライムで、小さな泡をシュワシュワ出して強い酸で攻撃する。普通、スライムは倒されると小さな核の魔石になるけれど、マシュマロスライムは気泡でできた身体をそのまま残す。
魔獣の皮のようによく洗って特別な処置を施せば、極上のスポンジになるんだそうだ。この街の工芸品としても有名なんだって。ちゃんと加工したならいいね。ああびっくりした。
ちゃぽんと外に作られた湯船に入れば見渡す限りに丸い明かり。お風呂の湯気でゆらめいて、空の星々と同化して、夢のように美しい。そう、教会で見た星の夜のように。
一瞬見開いた漆黒の瞳を見逃さなかったのか、そっと肩に手を置いた兄さんはオレの耳元で優しく囁く。
「ん? 泣きたくなった? 大丈夫。君はちゃんとコウタだよ。忘れても忘れなくても。新しいことを詰め込んでも詰め込まなくても。 僕の天使、僕の弟。違う?」
図星な思考に恥ずかしくなって両手で兄さんを押し退けた。
「天使……、違う」
俯いて振り絞った言葉に真ん丸くなった紅茶色の瞳。薄いけどキラリと潤んだその瞳がパチパチと瞬きをした。
「ぶっ、くくくく、コウタ、顔、真っ赤」
盛大に笑い声を上げた兄さんにオレとプルちゃんでお湯の総攻撃。もう、知らない! クライス兄さん、ふざけ過ぎ!
「ちょっと、コウタ。駄目だって、ここ宿だから」
逃げ惑う兄さんを執拗に追いかけて湯を浴びせかける。思い切り笑ったから心を翳らせた雲がすっきりと晴れていた。だけど二人と1匹はのぼせてしまい、上がるのが遅いと心配して見にきたサーシャ様に救出され、セントの夜は更けていった。
4
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説
もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」
授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。
途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。
ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。
駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。
しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。
毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。
翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。
使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった!
一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。
その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。
この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。
次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。
悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。
ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった!
<第一部:疫病編>
一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24
二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29
三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31
四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4
五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8
六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11
七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18
【完結】帝国から追放された最強のチーム、リミッター外して無双する
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】
スペイゴール大陸最強の帝国、ユハ帝国。
帝国に仕え、最強の戦力を誇っていたチーム、『デイブレイク』は、突然議会から追放を言い渡される。
しかし帝国は気づいていなかった。彼らの力が帝国を拡大し、恐るべき戦力を誇示していたことに。
自由になった『デイブレイク』のメンバー、エルフのクリス、バランス型のアキラ、強大な魔力を宿すジャック、杖さばきの達人ランラン、絶世の美女シエナは、今まで抑えていた実力を完全開放し、ゼロからユハ帝国を超える国を建国していく。
※この世界では、杖と魔法を使って戦闘を行います。しかし、あの稲妻型の傷を持つメガネの少年のように戦うわけではありません。どうやって戦うのかは、本文を読んでのお楽しみです。杖で戦う戦士のことを、本文では杖士(ブレイカー)と描写しています。
※舞台の雰囲気は中世ヨーロッパ〜近世ヨーロッパに近いです。
〜『デイブレイク』のメンバー紹介〜
・クリス(男・エルフ・570歳)
チームのリーダー。もともとはエルフの貴族の家系だったため、上品で高潔。白く透明感のある肌に、整った顔立ちである。エルフ特有のとがった耳も特徴的。メンバーからも信頼されているが……
・アキラ(男・人間・29歳)
杖術、身体能力、頭脳、魔力など、あらゆる面のバランスが取れたチームの主力。独特なユーモアのセンスがあり、ムードメーカーでもある。唯一の弱点が……
・ジャック(男・人間・34歳)
怪物級の魔力を持つ杖士。その魔力が強大すぎるがゆえに、普段はその魔力を抑え込んでいるため、感情をあまり出さない。チームで唯一の黒人で、ドレッドヘアが特徴的。戦闘で右腕を失って以来義手を装着しているが……
・ランラン(女・人間・25歳)
優れた杖の腕前を持ち、チームを支える杖士。陽気でチャレンジャーな一面もあり、可愛さも武器である。性格の共通点から、アキラと親しく、親友である。しかし実は……
・シエナ(女・人間・28歳)
絶世の美女。とはいっても杖士としての実力も高く、アキラと同じくバランス型である。誰もが羨む美貌をもっているが、本人はあまり自信がないらしく、相手の反応を確認しながら静かに話す。あるメンバーのことが……

帰って来た勇者、現代の世界を引っ掻きまわす
黄昏人
ファンタジー
ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。
4年前に書いたものをリライトして載せてみます。

はずれスキル『本日一粒万倍日』で金も魔法も作物もなんでも一万倍 ~はぐれサラリーマンのスキル頼みな異世界満喫日記~
緋色優希
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて異世界へやってきたサラリーマン麦野一穂(むぎのかずほ)。得たスキルは屑(ランクレス)スキルの『本日一粒万倍日』。あまりの内容に爆笑され、同じように召喚に巻き込まれてきた連中にも馬鹿にされ、一人だけ何一つ持たされず荒城にそのまま置き去りにされた。ある物と言えば、水の樽といくらかの焼き締めパン。どうする事もできずに途方に暮れたが、スキルを唱えたら水樽が一万個に増えてしまった。また城で見つけた、たった一枚の銀貨も、なんと銀貨一万枚になった。どうやら、あれこれと一万倍にしてくれる不思議なスキルらしい。こんな世界で王様の助けもなく、たった一人どうやって生きたらいいのか。だが開き直った彼は『住めば都』とばかりに、スキル頼みでこの異世界での生活を思いっきり楽しむ事に決めたのだった。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。

【完結】魔術師なのはヒミツで薬師になりました
すみ 小桜(sumitan)
ファンタジー
ティモシーは、魔術師の少年だった。人には知られてはいけないヒミツを隠し、薬師(くすし)の国と名高いエクランド国で薬師になる試験を受けるも、それは年に一度の王宮専属薬師になる試験だった。本当は普通の試験でよかったのだが、見事に合格を果たす。見た目が美少女のティモシーは、トラブルに合うもまだ平穏な方だった。魔術師の組織の影がちらつき、彼は次第に大きな運命に飲み込まれていく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる