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098 教会
しおりを挟む昼を過ぎ、ただ一人教会の前で佇むメイド服の女。穏やかな微笑みを称えつつも隙なく周囲に視線を送り、美貌目当てに近寄ってきた男どもを一睨みで追い払う。
ほぅ、とため息をつくと恨みがましくギルドの方向にに目を向けた。わっと沸いた歓声とドンと響く地響き、雷撃のような閃光とシールドが照らされた気配に、なぜ自分はそこに居られないのかと計画性という言葉を知らない暴君に苛立ちを募らせる。
昼を一時ほど過ぎた時刻。約束の時間には暫くあるが、主人の対面を保つため先に出向いて待っている。今日の目的は村の子の魔力測定。そのためにわざわざランドの教会まで足を運んだのだが、主人らは未だギルドから出てこない。
「だから言いましたのに。先に教会に行きましょうと。懸念した通り、約束の時間に間に合わないではないですか」
表情を崩さず、思わず呟いた言葉に拳をぎゅっと握り直し、おそらくギルドの話題を一身にさらったであろう小さき主人に思いを馳せる。
心細げに漆黒の瞳を開いたあの日、あまりの美しさに言葉が出なかったのは今でも鮮明に覚えている。大きな瞳から幾つもの涙を流したあの時。小さな御身に耐え難い悲しみを秘めているのに、柔らかな手で私の手を握り返してくれた。ぱぁと天使のような笑顔、私の名を呼んでくれた小鳥のような声。
アイファとクライスの幼少期も耐え難いほどに美しく可愛らしかったのだが、漆黒の坊やの愛らしさはまた別格。メイドはふうと大きな溜息を繰り返し、胸ポケットに潜ませた幼子から渡された淡い桃色の石を握った。
「申し訳ありません。遅くなりまして……」
息を弾ませて近寄る親子に、いつも通りの笑顔を浮かべ、メイドの仕事へと戻る。
「いえ、大丈夫ですよ。約束のお時間よりずっと早いです。もう用事は済みましたか?」
ポスンとエプロンに飛び込んできた子らを優しく受け止め、婦人らの様子を伺う。貴族様をお待たせしてはいけないとの配慮で急ぎ済ませてきたであろうことは見てとれたが、個々に浮かべる満足気な笑みに時間は充分だっただろうと察する。
そもそも、普通の貴族ならば村人と共に馬車に乗って出かけようなど、ましてや村人の用事の為に待ち合わせをしようなどという発想はない。民と共に歩んできた、そして貴族らしさのかけらも滲ませないディックだからこそ。だがしかし、それ故にエンデアベルトの護りは屈強であることも知っている。
メリルはドンクとミュウの頭をふわりと撫でつつ、まだギルドから戻らぬ主人に苛立ちを募らせ、表に出さぬように舌打ちをした。
ーーふいに扉の向こうに白い光を感じたが、何事もないようかに微笑む。
(扉を開ける時は注意しなくては)
たったそう思うほどにメイドはあらゆる事態に対応できるプロ中のプロであった。
メリルは年のころ二十代後半であろう姿だが、実年齢はずっと上である。薄らとだがエルフの血を引いていて、姿への遺伝は消えたものの体質は残っているのか品のある若さを保っている。
不法に商いをする奴隷商人が捕まった時、行き場をなくした商品(子供達)の何人かは教育を施す約束で王都の貴族達に引き取られた。彼女もその一人。たまたまサーシャの祖父が引き取り、メイドとして育て上げたのだ。優秀であったこととエルフの血だろう衰えない容姿に幼きサーシャの養育係となり、輿入れと共にエンデアベルト家にやってきた。
初めはディックの破天荒さに腹を立てていたが、この地の朴訥な穏やかさに居心地の良さを感じ、荒れ果てているとはいえ自然と共に過ごす田舎暮らしが性に合っていたことでエンデアベルト領の発展に貢献するようになった。やる気のない領主に代わって執事と共に政務すらこなし、統治に関しては領主不在でも何の問題なく取り仕切れるほどだ。
「ディック様はギルドの用事が長引いているようです。帰宅が遅くなってはいけませんし、先に見ていただきましょう」
メリルは扉の中を確認するために子供達を母親の元に押し返した。そして慎重に扉の内を確認する。
ーーパタン。
一度開いた扉をそっと締め、大きな瞳を幾許か瞬かせてから深呼吸をする。大丈夫。想定の範囲だろう。こちらは何とでもできる。では……あちらは?
「あっ、あのぅ。メリル様?」
ミュウの母に不思議な顔で問われ、我に返ったメリルはにっこりと笑い、子供達と目を合わせると人差し指を一本口元に当てがった。
「ふふふ。お静かに、ですよ。どうぞ」
ギギギ。重い扉がゆっくり開かれると扉に押されてわわわと小さな声がする。クスリと笑って声の主の前でしゃがみ、ひょいと抱き寄せればふくふくと柔らかな頬が擦れ合う。
「コウタ様、教会の中にジロウは入れちゃダメですよ。お外で待っていて貰いましょう」
抱き上げたコウタを何事もなかったかのように子供達と合流させ、入れ違いにジロウを外に出し、周囲を伺う。やはりサーシャの姿はない。ほんの数秒、考えられる事態を想定し、まぁ最愛のコウタが無事でここにいるのだからと自身に問題がないことに小さく頷き、教会の中に入る。
「あっ、コウタ! 先に来てたんだ」
「え? あっ、う、うん。 えへへへ」
やや挙動不審なコウタに、おそらくスライムが勝手に転移して来てしまったのだろうと推察する。あちらは大慌てかもしれないが、連絡が来れば知らせれば良いと本来の業務に戻る。
石造りの教会は古びてはいるものの丁寧に手入れされ、聖堂には歴史を感じさせる四人がけの木椅子が左右に四脚ずつ。中央には両手を広げた女神の像。上部のステンドグラスは小さめで、だが日光を効率よく取り入れるため、明るく虹色の光が広間いっぱいに差し込められていた。幻想的な雰囲気に互いにおもわず手を繋ぐ子らをふふと見つめる。
「魔力測定は奥の部屋です。シスターはすでに準備されていますよ」
コウタの手を引いて先頭をゆったり歩き出す。親子らはキョロキョロと周囲を見回しながらついてくる。
聖堂の奥の古びた扉を開け、狭い廊下を歩けば女神像のちょうど後ろに当たる部屋に彫刻が施された扉があった。メリルは柔らかなノックを響かせ、小さな返事を聞くと一人中に入った。
暫くして、どうぞと開け放てられた扉の向こうには灰色のシスター帽に身を包んだ品の良い老婆が座っていた。
「測定は1組ずつです。私達は聖堂で待ちましょう。十分なご寄付は村から出してございますからね。どうぞしっかり測定していただいてください」
笑顔を絶やさず、だが時折強められる語彙に眉を歪める老婆はドンク親子を手招いた。
「そうそう、シスター。領主夫妻はまだギルドですが、ご子息のコウタ様はギルドで測定を済ませてしまったそうで……。申し訳ありません。では、未来ある御子の測定、よろしくお願いいたします。」
にっこりと笑ったメイドに釘を刺され、ギリと奥歯をしならせた老婆は母親に扉を閉めるように促した。
シスターは王都の教会から派遣されていた。低級の回復魔法と簡単な解呪ができるのみの取り立てた個性のないシスターである。唯一、信仰という点においては大変真面目であったため、一領の教会の長としてこの地に派遣された。それは自由奔放に振る舞う領主の監視も兼ねている。
別にディック本人は王宮や教会と対立している訳ではない。ただ先代から残る遺恨とつい十数年前に隣国から兵が差し向けられた時、ゆうに二万を超える兵だと聞くも援軍を待たずにあっという間に壊滅させた戦力がここにあるのであれば、王宮も野放しにはできないだろう。
シスターは苦々しく測定を始めた。領主夫妻と懇意にしていることやこれ以上の寄付は不要だと、あえて口に出されたことでこの親子達からこれ以上の金を搾り取るのは無理だと察したからだ。せっかくの金蔓が……と、煮えたぎる腹を隠す。ならば片付け仕事として適当にとも思うが、気に入らなければ如何様にも調べ直すことができるのだとも言われたのだ。何しろ一番大事だろう子息の測定を国や教会と中立の立場となるギルドに頼んだのだから。
高い陽の光が創り出す虹色の聖堂は、ただそこにいるだけで荘厳な気持ちになる。椅子に腰掛けてほうとスレンドグラスを見上げて間もなく、エプロンの裾を握りしめる柔い手に気がついた。
コトリ。
いつの間にかメリルにもたれて規則的な呼吸音が聞こえる。疲れたのであろうか。薔薇色の頬がゆるゆる上下し、艶めいた唇がむにゃむにゃと動いている。椅子から転げ落ちないように膝に抱き上げれば、首筋に手を伸ばしふにゃふにゃとしがみついてくる。柔らかな漆黒がサラと触れ、肩に埋められて見られない表情に残念と小さく呟く。
「か……、かあさ……ま……」
ここが聖堂でなければ、街の喧騒に確実にかき消されてしまう呟きに、そっと抱え直して顔を覗き込む。穏やかな寝顔があることに安堵し、小さな胸を優しくトントンと叩く。
「お母様は女神様とご一緒なのかしら? お会いできていたらいいですわね」
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