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085 出来っだろう?
しおりを挟む「てめぇ、俺の村で舐めた真似しやがって! 何が目的だ」
湖の中程に舟を走らせた男に、領主の俺は声を張り上げた。
「へっ! その顔が拝みたかったんだよ。どうだ? 可愛い息子が苦しむ顔は? 最高にいい気分だろう?」
ニヤリと笑った男の手はコウタをぎゅっと締めあげて宙吊りにする。顔を歪めるコウタに胸が張り裂けそうだが、奴の手に落ちる訳にはいかない。奥歯を噛み締めて平静を装う。コウタの足がぶらりと揺れるたびに舟が大きく傾いてどきりとする。ーーが、男は平気な顔だ。海軍の経験があるかもしれねぇ。
上空にはソラが油断なくことの成り行きを見守っている。話に乗ってくりゃ隙が出来る。そこを狙うか?
「おう、最高の気分だぜ! てめぇ、何がしたい? 湖に出たって村ん中だ。逃げ切れっこねぇのは承知だろう?」
「鼻っから逃げようなんて思ってねぇ。分かってんだろう? 要求は二つだ」
ソラの知らせを聞きつけて、大急ぎで子供達をかき集めた俺達は、コウタ以外、全員の無事を確認している。遠くに流されたのは囮だろう。あの馬鹿、一人で何とかしようとしやがって! だからこの様だ。苦しいだろうが、ちっとは堪えろ。
コウタを拘束した奴はナンブルタル領の兵士だ。ついさっき、行商のウルを護衛してきた奴らの一人。大方ブルジャーノかマリアを追ってきたのだろう。それともフリオサにそそのかされたか?
間もなくナンブルタル領とその陸軍に監査が入ることになっている。そこで癒着が暴露され、国の衛兵に連行される手筈だ。フリオサと兵士長は既に軟禁状態だと聞いているが、まだ逃げる余地があると踏んでいるのか?
癒着も軍費の横流しも、四つ足の襲撃で顕になった訳だが、調査にうち(エンデアベルト)が入ったことで恨みをかったのだろうか? 完全に逆恨みだが……。俺は暴君で名を馳せているらしいから、仕方ないっちゃ仕方ないが。なんでコウタを巻き込むのかね……。うちの猛犬が吠えるだろうに……。
「てめぇ、何考えてやがる? そいつはガキだ! 恥ずかしくねぇのか?」
興奮して剣を抜こうとするのはアイファ。取り引きできねぇ奴だな。直球馬鹿が熱くなるなって! 猛犬の出番はもう少し先だ。大人しくしてろや!
「コウタ様、今お側に参ります」
「ひどいわ! コウちゃんの代わりに私を人質にして!」
あぁ、あぁ、あぁ、あぁ。うるさい! 取り引きしようって時に取り乱しやがって。混乱する身内らはセガとクライスに収めさせ、俺は周囲を伺いながら話をする。
「要求は何だ? 言ってみろ! 人質をとった奴が有利なんだろう? ほぼ、ほぼ、聞いてやるぞ」
「はぁ? 何だ、その上から目線は? てめぇ、立場が分かってんのか?コイツがどうなってもいいのか?」
男はコウタを前に突き出して、威嚇する。ふむ。舟に一人、岸に一人。村の道沿いに二人か。計画的だが、ずさんだな。
「ーーで? 要求を言え。 料理が冷めちまう。早く祭りに戻りてぇんだが……」
ふざけた俺のセリフに、おっと、アイファの強烈な威圧だ。落ち着けって。
作戦通り、奴らは顔を真っ赤にして怒り始めた。ここは慎重に……。奴らが交渉材料のコウタを湖に落とすはずがねえが……。
「マ、マリアさんの解放だ。俺たちのマリアさんをどこに隠した! 彼女は罪人じゃねぇ。なぜ連れて行った?」
我慢できずに男が叫ぶ。やはりマリアか。俺はシラを切ることにした。せっかく落ち着いて新しい生活に馴染んできたんだ。あんなところに帰す訳にはいかない。
「ああ? 知らねぇな。村にはそんな奴はいねぇ」
「く……、くそぅ! やっぱりか。俺たちのマリアさんはもう……。よくもよくも……」
男たちに動揺の色が走る。さぁ次の要求は何だ?
「じゃぁ、コイツは帰せねぇな。次の要求だ」
「帰せねぇのに要求するのか? まぁいい。早く言え」
男は悪い顔で笑いながら叫んだ。
「テメェの命だよ。分かってるだろう? ははははは! このガキのために死ねるんだ! 幸せだよなぁ?」
ワハハと高笑いするやつに俺は即座に返答する。
「いいぞ! 持ってけ! 安いもんだ」
「「「 ?????」」」
何だ? アイツら。変な顔をしてやがる。命如きに俺がごねるとでも思ったのか? あーぁ、コウタよ。そんな顔をするんじゃねぇ。こっからがエンデアベルト劇場だっつーに。
「ーーで? どうやって俺を殺ってくれるんだ?」
ニヤリと笑った俺に男がたじろぐ。コウタを締め上げる手が緩み、悲しげな漆黒が俺を捉えた。
「湖に入るんだよ。この湖に。今ここでだ……」
奴はやけっぱちになって叫ぶ。俺は少し考えたフリをして意味ありげに答える。
「それはいいが……、俺、泳げちまうからな……。うっかりそこまで行っちまうかもな……?」
少し威圧をかけてやれば、奴の足が震え出した。だろうな……。俺がそこに行っちまったら怖いだろうよ。
「く、くそ。人外か……。分かった。おい、剣だ。剣をもってこい! 誰かに斬らせろ」
「おう、いい考えだ。 誰か、俺を殺ってくれっか? だが俺は元Aランクの冒険者だったからな。 条件反射は止められねぇ。そうならねぇように頼むぜ?」
ごくりと唾を飲む道沿いの男たちに向けて腰の剣を放り投げたが、奴らはビクリと飛び上がり、目を泳がせる。
「ま、魔法ならどうだ? おい、誰かそいつに魔法をぶっ放せ!」
よくもまぁ次々と恥ずかしげもなく策を変えやがる。セガが喜んで片手を挙げた。
「確認ですが、本当に魔法をぶっ放してもよろしいのですか? いえいえ、思い切り魔法を使えるなんて久しぶりですから。こんな領主の範ちゅうで収められるか甚だ不安でございますが……。では遠慮なく……」
嬉々として笑みを浮かべるセガに、村人の近くで潜んでいた仲間が制止する。
「ま、待て! 駄目だ、魔法は! 間違えたなんていって、どこに発動するか分かったもんじゃねぇ!」
ほうほう、そこにもいやがったか。何だ情けない奴らめ。交渉もそろそろ潮時だ。
「おう、コウタ! 聞こえるか? コイツらお前を帰さねぇって言ってるが、どうする? しかも俺を殺ることもできねぇみたいだ。こう着状態ってやつだよ。お前、退屈だろう? 戻ってこい。 出来っだろう?」
「「「「 はぁ? 」」」」
緊張していた村人も、優位に立っていた筈の男たちも一斉に目を見合わせる。俺とセガだけがニヤニヤと含み笑いだ。目を点にしたコウタもフゴフゴと正気を取り戻す。そうだよ。いつものお前になりゃ、こんなことは造作も無い。さぁ、エンデアベルトらしくやらかせよ?
動揺する男と目を合わせたコウタは、暫く思案し何かを思いついたような顔をする。ふむ、転移か? その手でくるか? ニヤと笑おうとした瞬間にセガが腕で大きなバツを出す。チッ、早く決着がつくと思ったのに……。まぁあれをやられては誤魔化すのに無理が出るからな。
俺たちの挙動に男はドカンとコウタを舟に叩きつけた。アイファの足にグッと力が入る。ソラがコウタの間近を旋回し、ジロウが桟橋で唸り声を上げる。だが、遠くの舟にちらりと目をやったコウタは、ソラもジロウも制したように見えた。
ーーーー遠くの舟の人影が動く。
????
誰だ? 村の奴は全員確認したはずだ。
「おーい! 誰かー? 助けてくれー!舟が、舟が流されてるんだよー。 なんで俺、舟に乗ってるんだ?」
眠らせれていたのか、かろうじて聞こえるその声は商人のウル。不味いな。折角再開された行商だ。ここで商人を失ったら再び行商を頼むことはできなくなる。そうなると村の奴らも、いや、下手したらランドの暮らしも脅かされるだろう。
ウルの声を聞き、舟の上の兵士は落ち着きを取り戻した。コウタはウルと俺と兵士を繰り返し見つめると、じわりと金の魔力を放出し始める。いいぞ! 風魔法か? 漕ぎ手を失っている舟がずんずんと岸に向かって走り始めた。 アイツは無詠唱だしな。これならいくらでも誤魔化せる。
「わっ! 何だ? 風か? いや、違うがどうなってやがる?」
慌てた兵士はかいを漕ぎ出すが、舟底に渦巻いた金の魔力は効率的に舟の力となっていく。ついでに沖の舟までこちらの岸に向かって走り、男が夢中になって漕いでも、漕いでも漕いでも……その力には贖えない。
よし、今だ!
絶妙のタイミングで岸に潜んでいた兵と村人に紛れていた兵をニコルとキールが拘束する。ーーーーどうする?あとはお前一人!!
俺を中心に並び立つ村の連中に向かって進む舟。必死に漕いでも岸に向かって運ばれる男は、戦意を喪失しつつある。よし!! 来い! コウタ!!
ーーーードドドドド
ジャバジャバジャバーーーーーー
一瞬の出来事だった。
俺たちの前に大きな水柱が立ち上り、真っ白な水煙が視界を奪った。ザブンザブンと浮き立つ波が舟を木っ端微塵に砕き、俺たちの体に木屑と水柱を叩きつける。
ーーーーコウタ?!
蛇のような長い身体。鋭い爪を持った手足は大きな身体に似つかわしくないほどに小さく、年老いた老人のような白き髪から金の瞳が覗いていた。ワニのような牙を持つ大きな口は紛れもなくそこらの魔獣と一線を画している。湖に住むという白龍。俺たちの前に現れた奴は、金の魔力を喰らうと湖に還っていったのだ。
チャプチャプといつまでも止まない波音。方々に散らばる木切れ。
ウルと兵は遥か牧場の上に飛ばされて気を失っている。水をかぶった俺達は、ただ茫然と薙いでいく水面と転がった青い小さなブーツを見つめるのだった。
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