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065 犬じゃねぇ

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 とうとう本格的に雪の季節に入ったようだ。

 朝から垂れ込めた鉛色の空から、大きな白い雪が降り積もってきた。昼にはあいつらが戻って来る予定だったが、既に時刻は大きく過ぎている。先程から少しずつ積もり始めた雪にヤキモキする。

 チッ、奴も同じか。

 館の階段で執事とすれ違うのは何度目だろう。

 互いに素知らぬ顔をしているが、考えていることは同じだ。何しろ普通じゃねぇ奴らだから。これほど遅れるのは珍しい。無事ならいいが……。

「お館様、サーシャ様達がお帰りになられました。ですが……」
 言い淀む使用人。

 ざわめきの中にメイド達の小さな悲鳴が混ざる。やはり何かあったのか。嫌な予感がするのを隠して冷静を装って外に出た。

 先行するアイファが酷く疲れた様子で馬から降りる。

 全身、血塗れだ。

 俺と目を合わすと誇らしげに腕を上げて無事を知らせた。後に続く馬車と荷車を確認してホッと胸を撫で下ろした。

「お帰りなさいませ。お疲れ様でございました」
 一瞬たじろいだ執事が声を絞り出して出迎える。尋常じゃない様子に兵や村人も駆けつけてきた。

「父上。ただいま戻りました。報告は色々ありますが……、とりあえず湯に入らせてください。つ、疲れた~」

「ただいま戻りました。皆、無事です。はぁ……私も先に湯をいただきます。食事も部屋に運んでちょうだい」

 サーシャがこれほど疲労するとは。

 誰も彼も生臭い血糊で汚れ、疲れきっている。自分よりタフだと思っていた妻の疲弊ぶりに狼狽えていると、開いたドアからそっと顔を出す可愛い奴がにこりと笑った。

「た、ただいまです。ディック様」

 伸ばされた小さな手を掴んで抱き上げると、柔らかい感触ときゃきゃと笑う甲高い声が心地よい。こいつは汚れていないな。良かった。

「お帰りだ。色々あったようだが怖くなかったか? ふふ、お前はご機嫌だな?」
「うん。色々あったけど楽しかったよ。行かせてくれてありがとう」

 伸びた髭に頬擦りをして、痛いと笑った白い顔はふくふくと温かくて柔らかい。

 あぁ、この温もりだ。周りを溶かす優しい気配。この手に取り戻した感触を確かめて喜びに浸る。

 ーーーーひやり。
 背後に殺気だった冷たい空気。ビクリとする。奴に代わらねば。

「執事さんもありがとう。大好き!」
 奴の首にぶら下がったコウタは、執事にぎゅっと抱擁をすると上目遣いに俺達を見つめてエヘヘと笑った。


「えぇっと……、お願いがあります」

 馬車の前で立ち止まったコウタは俺と執事に両手を合わせて、大きな漆黒の瞳を向けた。

「おっ、珍しいな。何だ、言ってみろ」
 
 俺はコウタの前にしゃがみ込んで美しい瞳を独り占めする。

「えっと、犬を飼いたいです。うんとね、オレのお供なの。ジロウって言います」
「ワオン!」

 馬車から飛び出してきたのは俺ほどの大きさがある漆黒の四つ足。

ーーーーウルフか?
    まさか、グラン?

 ゴクリ。

 反射的に腰の剣に手を伸ばした俺と、杖を取り出した執事に背を向けたコウタは、両手を広げて止めに入る。

「もう、おっきくなり過ぎだよ。さっきの大きさに戻って」

 慌てたコウタの指示に合わせて、みるみる縮んでいく獣。
 奴はコウタほどの大きさになるとニコリと笑って尻尾を振った。

「えへへ、今のは無しね。のジロウです」

 俺と執事は目を大きく見開き言葉を失った。

 気配に気付いたメリルが館の中に招き入れ大きな扉をバタンと閉めた。


「えっと……、? 今のは?」

 精一杯の笑みを浮かべて状況を把握しようとする。

 畜生、ちっとも頭が回らなねぇ!
 アイファ達は普通じゃないほどの返り血を浴びていた。サーシャさえあんな様子だ。この見事な漆黒と先ほどの一瞬の気配、こいつのせいなのか?

「えっと、犬なの。犬ってことにするから、一緒にいてもいいでしょう?」

「犬ってことにするとは? やはり犬ではないのですね?」
 執事が確認する。


「犬なの! 犬なら一緒にいられるでしょう? グランがお供って言ったから、オレ、ジロウと一緒にいたいの。お願い」

つまり……、

「「 グランなんだな? 」」

 俺と執事が問い詰めると、コウタは両手で口を押さえて慌てている。

 コノヤロウ! やはりグランか?

「違うの! 犬なの」
「違わねぇ。グランだ」
「グランだけど、……じゃなくて、犬なの」
「犬じゃねぇ」
「犬ってことにするから」
「い、犬じゃねぇ……」

 俺も執事も頭を抱えている。
 泣きたい気分だ。 なんでこうなる?

 混乱した頭でグランを見る。

 小さくはなったが見事なまでの漆黒の長毛。艶々と光を反射し、太い足は白い靴を履いていて鋭い爪が確かに隠されている。しなやかに鍛え上げられた肢体。人懐こく金の瞳をうるうるとさせ、ふわふわの大きな尻尾をバタタと振って愛想を振りまいてはいるが……。

『 僕、犬でいいよ。ほら、可愛いでしょ? いい子だよ。コウタと一緒にいたいの。お願い! 』

「こ、こいつも念話を使うのか? やっぱりグランじゃねぇか。くそっ、どうなってやがる。神狼だろう? こんなほいほい、チビにくっついてくるんじゃねぇよ」

 俺達の足元でゴロンゴロンと転がって腹を見せるグラン。

 グランをぎゅっと抱きしめる漆黒と金の丸い瞳が俺達を射落とすように艶めいて潤む。

 くっそ! か、可愛い……。


 俺達はガックリと肩を落とした。
 完敗だ……。


▪️▪️▪️▪️


 遅い昼なのか早い夕食なのか。

 コウタが寝てしまう前にと食事の席を設けた。アイファ以外の奴らは自室に戻り爆睡中だとメイド達から報告が上がる。
 特にキールは魔力切れでぐたりとしている様だ。今頃セガが魔力回復薬を飲ませていることだろう。

 分厚いステーキに喰らいつくアイファも相当疲れているようで口数が少ない。

「……で? 何があった?」

 珍しく食欲旺盛なコウタを横目にアイファに話しかける。奴はむしゃむしゃと肉にがっつく手を止めない。

「四つ足だよ。 急に気配が強くなって、あっという間に集まって来やがった。結界石なんか意味がなかったぜ」

「そうか……やはり……」

「ああ。グランのせいだ。アイツの気配に四つ足が群がって来たんだとよ。なかなかスリリングだったぜ。まぁ、もう大丈夫だと思う」

「……で、ジロウか?」

「いや……。うーん、面倒くせぇからクラに聞けよ。とりあえずジロウはコウタと従魔契約をしちまったから、どうにも出来ねえぜ。諦めろ」

 自分の話題が及んだことに気付いたコウタは呑気にニコニコとフォークを加えている。

 駄目だ。
 こいつを見ていると思考が停止する。

 目の前の肉をたらふく腹に収めたアイファはコウタの耳元で小さく呟くと、やはり休んでくると自室に戻って行った。




▪️▪️▪️▪️


 ザバン。

 くしゅくしゅと泡立てたシャボンの泡を集め、ふわりと宙に放ってきゃあと逃げるコウタをガシと掴む。

 食事で膨れた腹に脇、首の後ろを擦るとくすぐったいと体を捩った。きゃははと笑うままに湯をぶっかければコンコンと咳き込む。

 全く、賢いくせにこんなところは学習しねぇな。

 すべすべとした薔薇色の頬が艶を帯び、ほうとため息をつく頃には湯の中でだらりと肢体を伸ばす。久々のこの感触に互いにうっとりする。


「……で? なんでジロウなんだ?」
 俺の質問にキョトンと首を傾げ、目を泳がせるが、すぐにあぁと頷いた。

「よく分かんないけど、神獣だから? えっと、ジロウは神獣じゃないけど、多分お母さん?は神獣なの」

「なっ、なに?! アイツの親は神獣なのか?」
「うん、そう言ってた。神獣のグランはタロウって言うんだって。そしてその子はジロウって名乗るの」
 
 神獣。

 世界が造られる時に女神に協力した獣達。長き生命を与えられ、女神と共に世界の行末を見守る存在だ。なぜそんな奴が子を寄越す? しかも名を持つ魔獣。こいつを取り込もうってのか?

「えっと、オレと一緒に見聞を広めろって。オレのお供だって言ってた。オレの魔力が心地いいんだって」

「そうか……。まぁ神獣ならお前を守ってくれそうだな」

「うん。…………でも……」

 俯いて言葉を詰まらせた。

 悪い癖だ。

 すぐに一人で抱えようとする。何か思うところがあるのだろうが、こいつはガキなんだ。悩む前に話しやがれ。

ーーーーボシュッ!

 頭まで湯に突っ込んでから引き揚げてやる。
 くくく。
 ほらほら真っ赤になって頬を膨らませている。それでいいんだ。

「もう! 急に沈めたらびっくりするでしょ?」
 鼻を押さえて咳き込む姿が堪らねぇ。

「く……、ひひひ。……で? 何が “でも”  何だ?」

 怒った顔から急に目を見開き、唇の下まで湯に浸かって小さな声でボソボソと話す。

「オレばっかり。いつもいつも守って貰ってる。オレだって戦えるようになりたい」

「お前だって十分強いぞ? 何しろソラがついてる。まだ強くなりてぇのか?」

「ソラはソラだよ。オレじゃないもん。あのね、オレ、自分の剣で守れるようになりたいの。兄さん達やディック様みたいに頼れる男になるの」

「そうか? ならもっと食わねぇとな。お前、ちょっと痩せたんじゃねえか? もっと食えるようにならねぇと鍛えてやれねぇぞ。それに強いってのは剣や拳、魔法が使えるってことじゃねぇ。あんまり早く鍛えちまったら、一番肝心なところがあやふやになっちまう。」

「一番肝心なところ?」

 俺を見上げて小さく呟く。

 本当にこいつは油断ならねぇ。三歳のガキが確信に喰らいつくんじゃねぇと腹立たしくなる。

「そうだ。肝心なところだ。戦うってのは力だけじゃねぇってこと。きちんと身体を作って、基礎から鍛えて経験を積むんだ。正しくやってりゃ一本の筋が見えてくる。だが、力に溺れりゃ破滅に向かう」
「……筋が見える?……破滅?」

 コイツは……。ほらまた考え込む。

 仕方ねえな。俺はコウタを持ち上げ放り投げる。

ザバッ! ドボン!
       ーーーーブハッ

「ジロウは犬か? 犬じゃねぇだろう? 肝心なことは黙ってろよ」
「ひ、酷いよ! 急に湯に落とすなんて」

 ゴフゴフとむせながらもいつもの顔が戻ってきた。

「ん? ジロウは犬か?」
「もう! 犬じゃないけど、犬ってことにするの」

 俺達は顔を見合わせてとっておきの顔で笑い合った。




 
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