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狼は赤薔薇と切り結ぶ1
しおりを挟む「ろ、ロー」
震える手が俺の身体を撫でる。覗きこむと不安げな目が俺を見上げていた。安心させようと微笑むと、温かい水のような瞳に涙が揺れた。鼻の頭が赤くなって、ぐすっと鼻をすすりあげる。
華奢な身体を抱き上げると、ざわつく観衆の中を人気のない控え室に向かう。
「メリー?」
尋ねると、腕の中のメリーがぐすぐすと鼻を鳴らしながら囁く。
「不安だ。王はとても怒っていただろう?」
「そうですね」
「い、今からでも逃げよう……」
「それはダメだ」
メリーの言葉を遮って、その水色の目をじっと見る。
「あなたを勝ち得る機会を俺から奪わないで欲しいんです。こうしてあなたを腕に抱き、愛する権利が欲しい。あなたの父に息子として、あなたの兄に義弟とし認めて欲しいんです。この国の王に、この国の人々にメリーは俺のものだと知らせたい」
ふうとため息をついて腕に力を入れて抱き寄せる。しなやかな身体がぴったりと寄り添ってそれが愛しくてたまらない。
「権利があろうとなかろうと、俺はもうあなたを愛してしまったわけですけど」
「わたしをローに与えるのは父上でも兄上でもなく、このわたし自身であるべきだろう?」
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控え室に滑り込むと、メリーを立たせて壁に押し付ける。
「さあ、俺に祝福を与えてください」
涙に濡れた美しい顔に微笑みかける。
「俺が必要とする祝福は観衆の前では目の毒だろうから」
ぐすっとすすりあげたメリーが唇を合わせてくる。
薔薇の匂い。華奢ですんなりと伸びた若い枝のような身体。身体の線を手でなぞると、細い身体がふるりと震えた。桃色の唇が快楽の吐息を吐いた。
キスの合間に掠れた涙声が囁く。
「愛しているよ、ロー」
「俺もです。愛している……さあ、もっと祝福を」
開かれた唇に舌をねじこんで甘い舌を味わった。
「ローはわたしを信じることが出来る?」
決意を秘めた目が俺を見上げる。
「信じます」
「ローが信じられないと思うような時でも、わたしを信じて欲しい」
「それが二人のためならば。
俺が生きるためにあなたを犠牲にするのではなく、二人が共に生きる為だというならば、俺はあなたを信じます」
「…………約束するよ。わたしたちの為だ」
「何をするつもりか、教えてはもらえないのですか?」
「考えてないからね。きっとその時に思いつくと思うんだ」
「メリーは賢いですから」
「本気になったわたしはちょっと悪どいからね。負けたくない勝負には負けたことがないし」
雨に濡れた白い薔薇のようなメリーがゆっくりと笑顔になる。はっとするような美しい顔にうっとりと微笑みかけた。
「どんなことをしたんですか?」
「それは、ローが無事に帰って来たら教えてあげるよ」
メリーの手を握って観客席に急ぐ。
メリーを席に座らせると、するりと首に手が回ってきて、しっかりと唇が重なった。回りからどよめきが聞こえてきて、メリーのささやく声が重なる。
「愛しているよ。わたしの黒い狼」
離れた唇をもう一度貪ると、闘技場から俺を呼ぶ声が聞こえる。
王を待たせる訳にはいかないだろう。
「愛しています。俺の白い薔薇」
官能に潤む瞳に微笑んで、頭を昂然と上げた。
恐れるべきなのだろう。でも俺は軽やかに階段を駆け降りながら、自分が心から微笑んでいるのに気づいていた。高揚感が体の中から沸いてくる。軽く柵を飛び越えて、羽織っていたマントを放り投げた。
恐れるものは何もないとはこういうことか。
ルーカス王は強敵だ。そして俺は今、自分の為ではなく、愛する人の為にここに立っている。
生まれて初めて、自分の力を好ましく思っていた。
なぜなら、その力こそがメリーを魅了し、俺の手元に運んで来たのだ。その間に俺がいかに寂しく、その力に怯えていたのだとしても、メリーの愛によってすべての苦しみは購われた。
ぴったりとした黒の服に胸の辺りを覆うだけの黒と赤に彩られた鎧の王が悠然と闘技場に現れた。軽い足取りだというのに、放つ闘気が触れる度に地面を微かに振動させる。
「メリドウェン王子に説得されて、逃げ出すと思っていたんだがな」
王の緑の目が俺を威圧しようとする。
「俺はどこにいても誰の前でも白薔薇に触れていたい。
その権利を得るためならばなんでもするつもりです」
王がちらりと観客席を見る。
メリーの隣には防御の術を施し終わったパトリック先輩が座っていた。パトリック先輩はなんの表情も浮かべていない。
メリーの心配そうな顔に駆け寄って抱きしめたくなるが、俺はそれをじっと我慢した。
「ネズミのようにもて遊ばれることになるぞ?」
王が血のしたたるような凄絶な微笑みを浮かべた。
「今日の私は機嫌が悪い」
「残念ながら俺はネズミではないし、真に愛する人を見つけた狼は、簡単に弄ばれたりはしないものです」
「それならば……少しは楽しめそうだ」
構えの合図に王が剣を引き抜く。
短めの真っ黒な刀身は引き抜いた途端に何かをゆらりと放った。
頭の上で手首を交差して、胸を開きながら腕を脇につける。
息を吸って体中に気を巡らせた。
昨日の特訓のせいで、充分に開いた気穴から気流がゆるやかに身体を巡る。
軽やかに赤い髪が踊って切りかかってくる。体勢を低くしてやりすごそうとすると、何かが気に触れた。
ターゲットされた。
音の高低が聞こえて指がなる。
至近距離から放たれた火弾をぎりぎりで避けた。髪の焦げる匂いがする。
「避けるか」
王が楽しそうに笑う。軽く振られた剣を避けて後ろに飛んだ。
ちりっと触れるもの、音の高低、鳴る指。
これは避けられない。
飛んでくる火球を手で叩き落として直撃を避ける。そのまま上に跳んで、弓のように身体をたわませると、王に殴りかかった。当然のように軽い身体がそれを避ける。避けた身体をぐるりと回した足で蹴りつける。身体の感触を足が拾う。
でも、手ごたえは感じない。
とっさに同じ方向に飛んで勢いを殺されたに違いない。
ちりっと触れるのを感じて思い切り跳躍した。
地面に火球が跳んで弾けた。
「これは……」
王の声。ひゅんと目の前を剣が掠める。ぎりぎりで避けると、懐に王が飛び込んで来た。目の前に王の美しい顔が現れる。
「すばらしい。避けれるのか」
楽しげな声。鮮やかな緑の瞳がきらきらと輝く。またひゅんと剣が音を立てる。それをかわすと、また声が聞こえた。
「ターゲットを壊せるのか?」
ちりっと触れたものを避けて後ろに下がる。火球が地面を焦がした。
「魔法が飛ぶなら壊されてはいない。ターゲットを避けているのだな」
なんという戦闘センス。
一撃ごとに何が起きているのか核心に触れている。それは王がいかに戦闘を重ねているかの経験に他ならない。実戦の多種多様な状況から真実を見抜く目を持っているんだ。
────弄ばれるネズミか。案外そうなのかもしれない。
ふうと息を吐き、また吸い込む。満ちる気が身体を循環した。
だが、簡単に弄んで貰っては困る。
王の集中を奪う為に攻撃を仕掛ける。使う魔法が大きくなれば、より集中は大きくなる。
メリーの魔法を見ていて感じたことだ。攻撃のラッシュの中では集中をすることは難しくなるし、それはつまり致命的な魔法を打つことが難しくなるということだ。
細かく動きの早い攻撃を繰り出す。
王の太刀筋は確かに早く鋭いが、見切れないというほどではない。
打ち込んできた腕を足で跳ね除けてわき腹に突きを入れる。間一髪でかわされた。離れた所にターゲットされる。これは弾けるだろう。
火球を手で弾く。一瞬でも触れるその威力は大したものだ。弾きながらも距離を詰める。
「すべて外せるわけではないのか?それともわざと受けているのか?」
笑い声が聞こえて、緑の目が煌いた。地面に大きな魔方陣が展開する。
音の高低。鳴る指。
思い切り外側に飛んだが間に合わない。
地面から大きな炎の柱が上がった。包み込む炎を気の力で跳ね除ける。
辛うじて魔方陣の外に逃れて、後ろを振り返る。
ゆらゆらと揺らめく炎の中心に王の姿があった。
巻き込まれたのか?思った瞬間に触れる何か。逃げた空中から自分の立っていた場所に火球が飛ぶのが見えた。
炎に包まれた王が手を振る。瞬時に消えた炎の柱の中に嫣然と微笑む王がいた。髪の毛一筋たりとも燃えている気配はない。
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