上 下
7 / 91

狼は白薔薇を運ぶ

しおりを挟む
 温かい枕が隣にある。
 ゆっくりと目を開けると、目の前に美しい白い顔があった。窓からの朝の光が銀色の髪に当たって、きらきらと光を反射する川のように見える。息のかかる様な距離。銀色のまつげに彩られた瞳は閉じられている。
 陶器のような滑らかな肌には一切色がない。
 それに怯んで、もぞりと動くと下が硬いと気がついた。何故、床に寝てるんだ? それに、ここは台所だ。天井を見てそう思う。
 警戒心が働いて、反射的に鼻が動いた。空気の匂いに異常を感じる。くんと深く匂いを吸いこんで、その香りに慄然とする。
 ──血の臭いだ。
 しかも、自分のものではない。
 上半身を起こして、メリドウェン先輩を見る。顔の下辺りに血溜まりと、紫色に腫れ上がった両手がある。

『ローはね……呪われているんだ。それで死にたくなっているんだよ。大丈夫だ、ロー。愛しているよ。必ずメリーが君を助ける』

 苦痛に歪むメリドウェン先輩の顔。
 肉を噛む感触。
 口の中に広がる血の味。
 醜く腫れ上がったメリドウェン先輩の両手を見る。
 お前がやった──。息が苦しい。狂ったように心臓が動く。

『思いついたよ、ロー』

 蕩けるような笑み。
 甘くて柔らかい舌が血だらけの口にねじこまれた。噛んでしまうと押し戻そうとしたができなかった。強引な舌が強烈な死への衝動を打ち消して、俺を子供のように無力にしたのだ。
 絡んでくる舌はとても甘くて、舐めているうちに、最後にはそれを味わうことしか考えられなくなった。
 そして、味わううちに、意識がなくなった。

 あの後、何が起こったのだろう。

「せ、先輩」

 肩に手を置いて軽くゆさぶる。
 ぴくりと銀色のまつげが揺れて、ゆっくりと瞬きをする。水色の瞳が開いてぼんやりと俺を見た。ぱっと嬉しそうに輝いたかと思うと、痛みで顔をしかめる。
 ころりと仰向けになったメリドウェン先輩は、手を持ち上げて盛大にうめいた。

「……これは酷いな。嫌な予感がする」
「大丈夫ですか?」

 うーんと唸りながら、メリドウェン先輩は眉を顰めて両手をいろんな角度から見ている。血はもう既に止まっているようだが、ぱんぱんに腫れ上がった手は酷い有様だ。

「大丈夫じゃない気がするな。学園の病院に連れて行ってくれないか?」
「もちろんです」

 俺はメリドウェン先輩を横抱きに抱きあげた。そんな状況なのに、先輩が嬉しそうに微笑む。

「重くはないかい? 背負っても構わないよ?」
「あなたは軽い」

 外に出ると、様子を見に来たパトリック先輩がメリドウェン先輩の手を見て、顔色を変えた。

「どういうことだ!」
「怒鳴るなパトリック」
「昨日の傷ではそうはならんだろうが!」
「あの小犬がただの犬ではなかったんだ。犬なのかも怪しいな。ローに呪いをかけて殺そうとしたんだ。
 呪いを返したから、その辺で動けなくなっていると思うから、捜して捕まえてくれないか? もし生きているなら事情を聞きたい」

 もし……生きているなら。
 アーシュは死んだのかもしれない。鈍い心の痛みを感じる。何故アーシュは俺に直接死ねと言わなかったのだろう。何故こんなに回りくどい真似をしたんだろう。俺は簡単にアーシュの言葉に従った。抗うわけがなかった。
 そのせいで、メリドウェン先輩はしなくてもいい怪我をした。

「ロー……それはね。
 アーシュが最低で最悪の悪党だったからだよ?」

 メリドウェン先輩がにこやかに微笑む。

「呪いは成就すれば跡が残らないんだ。誰がかけたかわからなくなる。でもね。ローがただ死ぬと、呪いの跡は残ったままだ。 ローのような将来有望な若者が自殺なんかしたら、当然調査されるだろうね。というか、君を愛するこのわたしが調べていただろう。
 だから、アーシュはローを呪いで自殺させる必要があったんだよ。保身の為に、わたし達の前でね」

 パトリック先輩が悪態をついた。

「おれたちが調査していたのに気づいていたのか?」
「たぶんね」
「調査って?」
「アーシュは素行が悪かった。災いの種というのかな。あちこちで諍いを起こして、しかも、それを楽しんでいた」
「陛下の臣下となるべき騎士の卵達を堕落させていた。許される行為ではない。風紀委員が動いていた」

 パトリック先輩が険しい表情で言う。

「まあ、つまり、全部わたしのせいということだよ」

 溜息まじりにメリドウェン先輩が言う。

「アーシュを調べていて、アーシュに気取られてしまった。アーシュは逃げようとしたが、呪いをかけていたローが邪魔になり、殺そうとした。
 わたしはそれを助けた。
 元々は気取られたわたしのせいなのだから、気に病む必要はない」
「それは推測にすぎないだろう」
「黙れ。パトリック」

 メリドウェン先輩は優しい。俺が自分を責めないように気を使ってくれているのだろう。
 でも。
 やっぱり、俺がダメな人間だからこんなことになってしまったとしか思えない。アーシュが悪いことをしていることも、先輩達がそれを調べていることも知らなかった。
 考えるのが面倒だから、アーシュに従って、命令を聞いていた。アーシュの為という言い訳で、目を閉じ、何も考えなかった。
 その結果がこれだ。
 メリドウェン先輩の腫れ上がった両手を見て、激しく心が痛んだ。
 物凄く痛いはずなのに、弱音も吐かず、俺を責めもせずに、淡々と自分のせいだと言い放つ。先輩は強い。

『ロー、愛している』

 とてもその愛に自分が相応しい人間とは思えない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

次男は愛される

那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男 佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。 素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡ 無断転載は厳禁です。 【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】

魔王なんですか?とりあえずお外に出たいんですけど!

ミクリ21
BL
気がつけば、知らない部屋にいた。 生活に不便はない知らない部屋で、自称魔王に監禁されています。 魔王が主人公を監禁する理由………それは、魔王の一目惚れが原因だった!

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

処理中です...