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第31話 銃口
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そろそろ宴もたけなわといった感じで時刻を確認すると、腕時計の針は21時16分を指している。こういう宴席の場では、誰かが帰ることを促さないと時間は延々と無駄に過ぎて行くことになるので、今回は俺がその役を自発的に担うことにしてアゼレア達女性陣へと声を掛ける。
「さてと。 結構イイ時間だし、そろそろ列車に戻ろうか? アゼレア」
「そうね。 戻りましょうか」
「あらぁ? もうこんな時間ですのね。
やっぱり会話が弾むと、時間が経つのも早いですわ」
「では、私は会計を済ませて来ますので、失礼します」
「あ、食事代は自分が出しますよ」
おもむろに立ち上がって会計を済ませて来ようとするカルロッタに対して、俺は彼女の行動を制するように自分の財布を示しつつ、今回の食事の費用はこちらで支払う旨を伝えると案の定、彼女は俺の申し出を断る素振りを見せた。
「それはなりません。
お二人を食事に誘ったのは我々ですので、ここはこちらでお支払いします故」
「いやいや、ベアトリーチェさんとカルロッタさんはこれからもずっと大陸を巡って旅を続けるんでしょう?
ならば、余計な出費は慎んだほうが良いですって。
ここは俺が払いますから」
「いえ、そういうわけには……」
「いやいや、俺が払いますって」
堂々巡りというのはこういうことを言うのだろう。
互いに夕食代を支払うとして、一歩も譲らない俺とカルロッタのやり取りを遮るようにして2人の笑い声が聞こえて来た。
「ふふふ」
「あはは」
「如何されました? ベアトリーチェ様?」
「え、何? どうしたの? アゼレア?」
「いえ、二人が互いにお財布持って押し問答しているのが面白くて、思わず笑ってしまいましたわ」
「孝司らしいわね。 そういう気遣いと譲らない頑固なところは。
カルロッタ、孝司が払うと言っているのだから、ここは彼に甘えさせて貰いなさいな。
私も孝司に何から何まで面倒見てもらっている身だからアレだけれど、確かにお金は大事よ?」
「はっ。 では、お言葉に甘えて。
タカシ殿、ご馳走になります」
「いえ、そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ。
ではちょっと、失礼します」
口に手を当てた状態で笑顔で話すベアトリーチェ。
そしてワインが入っているグラスをユラユラと揺らしつつ、ニヤッとした表情を浮かべているアゼレアからの提案にカルロッタは自分の上官のように感じながら敬礼をしつつ、素直に応じる。
俺はというとカルロッタの真面目な様子に内心クスリと笑いつつも、財布を持って個室を出るべく彼女達に背を向けて扉を開ける。直感ではあるが、種族が違うとはいえ「アゼレアとベアトリーチェの2人は案外中が良いのかもしれない」と思いつつも個室から出て行った。
◇
「いやあ、にしても結構時間が経ったと思うんですが、街はまだ賑わっていますねー」
時間は既に21時半に差し掛かろうとしているのに、ここカティン市中心部の広場は日本の屋外ビアガーデンのような賑わい振りを見せていた。電気が通っていないとはいえ、代わりに照明関係の魔道具が発達しているお陰なのか、広場は淡い光で満たされており、所々に置かれた長椅子に座ってチビチビと酒を飲んでいる者や、机を囲んで賑やかに談笑しつつ食事をしている飲兵衛達が目に入る。
地球で言えば、ハンガリーの古い街並みを連想させるこの城壁内側に存在する街は非常に景観が良い。綺麗に整備された石畳やレトロな街灯は、この街の財政状況が豊かであることを示していた。
「ここカティン市は比較的帝都に近いこともありますが、この場所からメンデルがある大帝国西部と南部のブリテンに向かう街道との分岐点でもありますから、帝都ほどの規模でないにしても交通の要衝としてヒト・モノ・カネの往来が結構活発なんですよ」
「なるほど」
「そういうことね」
カルロッタの簡単な説明を受けて何も知らない俺とアゼレアは納得して頷く。
「アゼレアとタカシさん達はこのまま列車に戻りますの?」
「ええ。 戻って明日の準備をしてから寝ようと思います」
「あら、そうですの? 実はこの近くに美味しいお酒が飲める立ち飲み屋があると、先程に食事をした向日葵亭の主人から聞いていますのに……」
「え? ベアトリーチェさん、まだ飲む気なんですか?
体、大丈夫ですか?」
何とベアトリーチェはまだ飲む気満々らしい。
先程、夕飯を食べていた向日葵亭でもベアトリーチェはワインが満たされていたデキャンタを何回も空にしていたというのにケロッとした様子で、酔っている様子が微塵も感じられなかった。
「ベアトリーチェ様は、こう見えて実はかなりの酒豪でいらっしゃいます。
教会内では『底無し樽の酒道女』という呼び名を付けられていたりするのです」
「ええぇ…………」
カルロッタの言葉を聞いて俺は酒樽から直接酒を飲んでいるデフォルメされたベアトリーチェの姿を連想していたが、当の本人を見ているとあながち間違っていると言い切れないところが恐ろしい。
「イヤだわ、カルロッタったら。 その呼び名を言わないで下さいまし」
「それは凄いわね。 要するにどんな量の酒を飲んでも酔わないということでしょう?」
「いや、アゼレア? 君、何他人ごとみたいな感じで言ってるのよ?
アゼレアだって、澄ました顔で結構な量の酒を飲んでもケロッとしてるじゃない」
そうなのだ。
他人事のように話しているアゼレアだが、彼女もかなり酒に強い。
斎藤さんことゾロトン議員に充てがわれた彼が経営する旅館に潜伏すること数日、ストレス解消にと夕食時に酒を持って来てもらうように従業員に頼んだのだが、アゼレアは次々に持って来られた酒を飲み干し、付き合っていた俺は自分の飲むペースを破壊されて撃沈される。
イーシアさんに弄られたこの体は毒物や劇物を飲んだり、皮膚に暴露しても大丈夫らしいのだが、何故か今回は酔っ払ってしまい、翌日は酷い二日酔いに苛まされる結果になり、その日は1日中トイレが友達になった。
「そうだったかしら?」
「そうだよ!
ゾロトン議員の旅館で、君に付き合って飲んでいた俺が巻き込まれて潰されたのは、ついこの前のことじゃないか!」
「良いじゃないの。 これから鍛えて行けば大丈……」
「ん? どうしたの? アゼレア?」
抗議する俺の顔を少し意地の悪い笑みで見ていたアゼレアの表情が変わる。笑みから次第に真顔へと変化しつつ、こちらを見ていた彼女の目が僅かに逸れて、俺ではなくその後ろにいる何かに向けられ、それと同時に言葉が途切れる。
「久し振りだな。 タカシエノモトさんよぉ~?
まさか、こんなところでオマエさんに会えるとは思ってもみなかったぜ?」
何が起きたのかとアゼレアに尋ねた直後に、何処かで聞き覚えのある男の野太い声が耳に届いたと思った瞬間、金属が擦れる音が響くと同時に自分の右肩へと何かが添えられる感触が伝わる。
直感的に嫌な予感がして目だけを動かすと、視界の端に剣の切っ先が映る。
そのことを理解した俺は姿勢をそのままに声が聞こえて来た方向へと首だけを動かして後ろを見ると、そこにいたのは『猟犬』と『暴風』というそれぞれの二つ名で犯罪者達に恐れられている警保軍の保安官がこちらを睨みつけながら立っていた。
◇
「あ、あなたは確か帝都の宿で俺を捕まえに来た……」
「ほお? 覚えていてくれてたようだな。
俺はガーランド。 内務省警保軍の独立保安官だ」
「ガーランド独立保安官? まさか斎……いや、ゾロトン議員が言っていた『暴風のガーランド』?」
「その御本人様だ。 お前さんとは一度会ってきちんと話しておきたかったことがあるんだ。
悪いが付き合って貰うぜ?」
やはり俺の記憶は正しかった。
こちらの背中越しに殺気をぶつけてきているのはゾロトン議員が話していた『暴風のガーランド』こと内務省警保軍のガーランド独立保安官本人である。
あの時、俺の着ている服の襟を引っ掴んで引き摺りながら部屋から脱出するために窓を目指すアゼレアと、逃亡を企てる俺達を逃すまいと容赦無く拳銃を発砲するガーランド独立保安官の姿。彼の持つ拳銃の銃口から発砲炎が発生する度に、引き摺られている俺がついさっきまでいたその場所に銃弾が突き刺さって穿たれる穴。
まるで映画のワンシーンのように、床へ銃弾が着弾する度に複数の穴が空いていく様子を至近距離から見せ付けられる羽目になった俺は本能的な恐怖を覚えた。そしてその恐怖を作り出してくれた張本人が俺に用があるのだという。
絶対に碌なことにならないだろうことはよく分かったが、今の俺には拒否権はない。
何せ、こうして首筋に剣を当てられているのだから当然である。
しかしながら、俺はこのとき自分が剣を向けられているという状況に対して驚き、ある事をすっかり失念していた。ガーランド独立保安官以上に物騒な二つ名を幾つも与えられた人物がすぐ傍にいることを…………
「へぇ? 何故、孝司があなたに連れて行かなければならないのかしら?」
「ア、アゼレア!?」
“ガチリ”と、夜の街中に轟く喧騒の中にあって、やけに大きく耳へと響く独特の金属音と、感じずにはいられないほどに強烈過ぎる程の殺気。
そして、それ自体に「これだけで充分人を殺せるのでは?」と錯覚させるほどの冷徹な殺意が込められている聴き慣れた美しい声に反応した俺は、現在進行形で首筋に剣を当てられている状況にも拘らず、声が聞こえた方向へと首を巡らす。
すると、そこにはチェコ製の自動式拳銃をホルスターから抜いたアゼレアが立っており、その銃口は真っ直ぐにガーランド独立保安官の左側頭部に狙いを定めていた。
今にも銃の引き金を引いてしまいそうな雰囲気のアゼレアに対して、ガーランド独立保安官は余裕の態度で自分に対して銃を向けているこの女魔族のことを何処かで見た覚えがあると思い、記憶を辿っていた。
そしてガーランドは彼女が着ている濃い灰色の制服を見て直ぐに思い出したのだ。
この女魔族は自分が今、魔剣を突き付けているタカシエノモトと一緒に行動していた魔族軍人であると。
「テメエは確か……あのとき、こいつと一緒にいた女魔族だな?」
「ええ、そうよ。 直ちにその魔剣を下ろしなさい。
でないと、あなたの頭が吹き飛ぶことになるわ」
「言うじゃねえか。 だがな、頭を吹き飛ばされるのはテメエのほうだぜ?」
「う、動かないで下さい!」
「そういうことだ」
警告の声と共に女魔族へと向けられる散弾銃の銃口。
騒ぎを聞きつけて俺達の周囲に集まり始めていた野次馬達の中から一歩進み出て、アゼレアへ向けて銃口を突き付けたのはガーランドより遥かに若い男性の保安官だった。
彼もまたアゼレアと同じように彼女の左側頭部に向けて散弾銃の狙いを定めた状態で射撃の態勢を整えているが、他人に銃を向けることに対して慣れていないのか、それともただ単に緊張しているのかは分からないが、戦闘の素人同然である俺の目から見ても今の彼の状態は相当に危なっかしい。
水平二連銃身型散弾銃の撃鉄は2つとも起こされている上に、指が引き金に触れるかどうかの位置にある。このままでは仮にこの若い保安官に銃を撃つ意思がなくても、何かのきっかけでいつ引き金を引いてしまうのか分からない状態だ。
もし彼が銃を撃ってしまったとしても、アゼレアが自動的に展開させた己の魔法防護障壁によって撃ち出された散弾は一瞬で蒸発してしまい、彼女に擦り傷一つ負わせることはできないだろう。だが、自己に対する攻撃を受けたと認識したアゼレアは、正当防衛として自分が撃たれた直後にガーランド独立保安官を射殺し、返す刀でこの若い保安官の顔面に銃弾を撃ち込んでしまうことは容易に想像できる。
そしてそうなれば、俺とアゼレアはこの国では完全にお尋ね者になってしまう。衆人環視の中、保安官2人を射殺したとあっては、もう取り返しがつかない。
周囲をよく見ると冒険者風の格好をしている男女や背広を着込んだ男などが見えるが、もしアゼレアが保安官達を殺ったことがギルドや国際通信社の耳に入れば、ゾロトン議員に泣き付いたとしても事態を揉み消すことは不可能だ。
SNSやインターネットが普及していないこの世界では、この状況そのものが世界中へと瞬時に実況されない分だけ遥かにマシではあるが、人の口に戸は立てられないので、この後の結果如何によっては情報は他人の口伝えを経て尾鰭が付いた状態で悪い方向へと向かいながら、徐々に周囲へと拡散して行くことだろう。
そしてアゼレアの性格から考えると、秘密を守る為にこの街そのものを消してしまいかねないことは、彼女と一緒に行動している俺がよく理解している。軍から発行される使い捨ての発動術式という安全装置を介さずに戦術級・戦略級軍用攻撃魔法を行使できるようになったアゼレアは本当に躊躇なく、この街を一瞬の内に消滅させるに違いない。
だが、それでは彼女は本当に悪役のラスボスたる『本物の魔王』になってしまう。
よくある異世界ファンタジー物語の勇者冒険譚に出て来る魔王などと違って、彼女はこの世界の神様がバックについている上に、彼女自身が自ら戦略レベルで軍事作戦を立案できる能力を持つ魔族の将軍なのだ。
しかも、数多の実戦を肌で経験してきた歴戦の野戦将校出身という、力でゴリ押しするけど軍事面では部下に任せっきりである素人同然の魔王などとは全然別の存在である。仮にアゼレアが人類の敵に回った場合、俺が持つ武器以外では彼女に対抗する術は殆ど無いと言っても過言ではないだろう。
(どうすれば良いんだ? どうすれば……)
だがその時、ある意味で世界の危機が訪れるきっかけになるかもしれない最悪な状況下に、救いの神が舞い降りる。だが、それは別の意味で劇薬であると、俺は身を持って体験することになった。
「あらあら、これはいけませんわね」
「銃を下していただこうか?」
この状況下において落ち着いているとも言える、2人の女性の声が耳に響く。
それと同時に再び“ガチリ”という独特の金属音が2つも聞こえ、アゼレアに散弾銃の銃口を向けていた若い男性保安官は背後から2つの銃口を向けられることとなった。
「ああん? 何でこんなところに教会の司祭や教皇領の衛士がいるんだ?」
「そんなことはどうでもよい事でしょう?
ガーランド保安官、取り敢えずタカシさんから剣を下ろして、部下の方に銃を仕舞うように言ってくださいませんこと?
周囲には騒ぎを聞きつけて来た野次馬だらけですわ。
ここで互いに銃を発砲したりすると、無関係の一般市民に被害が出ないとも限りませんことよ?」
若い男性保安官に銃を向けていたのは何とベアトリーチェとカルロッタだった。彼女達はそれぞれ自分達の左脇や右腰のホルスターに吊っていた拳銃を抜いて彼の頭部に狙いを定めている。
これに驚いたのはガーランド独立保安官ではなく、むしろ俺の方だった。軍服を着込んでいるカルロッタは初めて会った当初から右腰に拳銃が入っているホルスターを吊り、反対側にサーベルを帯剣していることはこの目で確認して知っていたが、まさか司祭である筈のベアトリーチェまでもが銃を携帯しているとは思ってもみなかったのだ。
両者共にアメリカはスミス&ウェッソン社製の中折れ式リボルバーである『No.3』そっくりな拳銃を持ち、若い保安官に狙いを定めているが、よく目を凝らして見てみると、カルロッタの拳銃は実用一点張りの軍用リボルバー然としているのに対して、ベアトリーチェの持つ拳銃は彼女と同じ型式ではあるものの、若干銃身が長く、照星と照門双方共に大型化されており、銃全体に植物の葉っぱや蔦と思われる彫刻が施されている。
しかも、銃口や回転弾倉の大きさを見るに、2丁の拳銃の口径は確実に40口径を超えている大口径のリボルバーだ。どちらも真っ黒なボディを持つリボルバーではあるが、普段から使い込まれることでよく磨き抜かれていると思しきガンブルー処理の銃の表面は街灯や魔道具の光を浴びて妖しい輝きを見せ、完全に彼女達の手に馴染んでいることが分かる。
「どけどけ! 貴様ら全員動くな!!」
だがベアトリーチェ達の銃をじっくりと観察する暇もなく、別の第三者達がやって来る。もはやこの国ではすっかり見馴れた存在である司法機関――――治安警察軍の部隊であった。
小隊規模と思われる彼らは、中年の部隊長を先頭にしてまさに押っ取り刀という様子で野次馬達を掻き分けてこちらにやって来ると、警保軍の独立保安官とその部下が女性達に銃を向けられているという状況に驚きつつも、直ぐに自分達が捕縛すべき存在を判別し、ガーランドが彼らに向けて何かを言う前に各々が持つ拳銃や小銃、槍などといった武器をアゼレア達に向けた。
「あらあら、治安警察軍の方達までやって来ましたわね」
「どうするの? 剣を下ろすのかしら?
それとも……?
もし、孝司に擦り傷一つでも負わせようものなら、このカティンの街が死に絶えることになるわよ?」
「テメエ、何だその気味の悪い魔法陣は!?」
まさかベアトリーチェとカルロッタが参戦するとは思っていなかったのか、予想外の応援に気を良くしたアゼレアは畳み掛けんばかりに拳銃を構えていないほうの左手を軽く上に向ける。すると、掌の上に赤い光の粒子が収束し始めて次第に小さな魔法陣を形作るが、俺にはその魔法陣に見覚えがあった。
俺の記憶が正しければ、アレは…………
「反魂魔法。 知ってるでしょう?
この街の外れに墓地が存在していることは把握しているわ。
剣を下ろさないのならば、この魔法陣を墓地まで飛ばして術式を即時発動させるだけよ。
それとも…………?」
アゼレアが脅すように見せた小さな魔法陣の正体は反転魂魄魔法――――通称『反魂魔法』の術式魔法陣だった。直径約20センチ程の円形の魔法陣の中に描かれた六芒星と、その各所に存在する不気味な髑髏の存在はガーランド独立保安官でなくても、見る者を不安にさせる。
デフォルメされた可愛い髑髏模様ではなく、毒・劇物表示マークに描かれるような不気味な髑髏が幾つも添えられている血のように赤い六芒星の魔法陣はアゼレアの掌の上で反時計回りにゆっくり回転していたが、彼女が指をパチンと鳴らした瞬間に魔法陣は再び光の粒子となって消滅していく。
しかし、それは代わりに別の変化が訪れる前触れに過ぎず、アゼレアの問い掛けと同時に何の前触れもなく地面が光り始め、周囲にいる野次馬達を下から赤く照らし出す。
「うわ!? 何だこれ!?」
「いやあぁぁぁーーーー!!」
「この魔法陣追い掛けて来るぞぉ!!」
「ここにいる私達以外の全員を、街ごと直ちに皆殺しにした方が言うことを聞いてくれるのかしらぁ?」
(やばい! アゼレアのあの声、本気でこの街の住民全員を殺す気だ……!)
野次馬を含むこの街の住民全員、更には現場に到着した治安警察軍の兵士達の足元には真っ赤な魔法陣が出現していた。六芒星と幾何学的な文字が描かれている直径約60センチ程の魔法陣は確実に彼ら彼女らの存在を捉えており、歩こうが走ろうが、跳躍しようが逃すことなく追尾して離れない。
しかも、よく見ると地面に立っている者達だけではなく、馬や荷馬車などの乗り物に乗っている者は己の頭上に同型の魔法陣が展開し、建物の窓からも赤い光が漏れているところを見ると、屋内外や老若男女の関係なく無差別に魔法陣が展開されているようで、俺とアゼレア、ベアトリーチェにカルロッタとガーランド以外は全員が不気味な赤い魔法陣に補足され続けている。
「どうするのぉ?」
軽く首を傾げて尋ねてくるアゼレアの目は完全に笑っていない。
しかも、彼女の語尾が若干間伸びているときは本気モードであることの証拠だ。
アゼレアと行動を共にするようになって分かったことだが、彼女はキレたり本気になったりすると語尾が若干間伸びする癖があるらしく、こうなると彼女と敵対した者は何かしらの横槍が入らない限り殲滅される未来しか残っていない。
仮に殺し合いでなくとも、ベッドの上でも同じような状況に陥ることがあり、こうなると俺はただ一方的に搾りに搾られる立場に追い込まれて足腰が勃たなくなってしまうのだ。
そして、そんな危険な状況下でも神(間違ってもあのエロ神様ではない)は俺達を見放さなかったらしい。本当の意味での救いの手が差し伸べられたのだ。
「おい、そこにいるのはガーランドじゃねえのか?」
「あん? 誰だテメエは……って、お前スミスか!?」
「久しぶりだなガーランド。 もう会わなくなってかれこれ二年ぶりになるのか?
っていうか……お前さん達、こんな所で一体全体何やってるんだ?
あとこの魔法陣は何なんだよ? 歩いても歩いてもずっと付いてくるんだぜ?」
この強烈な緊張感の中、臆することなく割って入って来たのは冒険者風の格好をした男だった。軍人のような雰囲気さえも漂わせるその男は筋骨隆々の逞しい体つきながら身のこなしはスマートで、ガーランド独立保安官のような厳つさは全くない。
そして驚いたことにこの『スミス』と呼ばれた男性はどうやらガーランド独立保安官と顔見知りらしく、この一歩間違えれば虐殺に即様変わりしそうな雰囲気に対して、一切怖気付かずに世間話を始めたのだ。
「……ッチ! 止めだ! 止め! 興が削がれちまった。
おい、行くぞ!」
「は、はい! 保安官殿!」
「テメエらもいつまで見てやがるんだ! 散れっ!!」
果たして神の救いか、悪魔の悪戯か、ガーランド独立保安官はマイペースなスミスの態度に呆れた表情を浮かべつつ、大きな声で事態の終息を図るように叫びながら俺に突き付けていた剣を鞘に戻し、己に向けられていたアゼレアの拳銃を面倒臭そうに片手で払う。
そしてそのまま、自分の部下である若い保安官に撤収を呼び掛けて野次馬を追い払い始め、その直後にアゼレアが展開していた魔法陣が全て消え去る。
アゼレアは「訳が分からない」とでも言いたげに呆れた表情のまま肩をすくめ、その様子を見た俺はため息を吐きつつ体の力を抜く。
「ふう……」
「お前は俺達と一緒に来るんだ!!」
「はあ? って、ええええ!? ちょっとぉ、痛たたたたっ!
襟っ! 襟を引っ張らないでぇ!!」
デジャヴとでも言えば良いのだろうか?
何時ぞやのように服の襟を掴まれた俺は、そのままガーランド独立保安官によって石畳の上を引き摺られて行く。
だが、そうは問屋が卸す筈もなく、野次馬を掻き分けて離脱を図るガーランド独立保安官達の前へと一瞬の内に立ちはだかったアゼレアは、ホルスターから抜いたままだった自動式拳銃を先頭に立っているガーランド独立保安官へと向ける。
「誰が孝司を連れて行って良いと言ったのよ?」
「うるせえ! こいつには色々と話しておきたいことがあるんだ。
ちょっと付き合ってもらうぜ!」
「私も行くわ。 孝司に何かしたら……分かってるでしょうねぇ?」
「…………チッ! ああ、分かった。 何もしねえよ!
だから、ちょっと付き合え」
「分かりましたよ……」
アゼレアの念を押すような警告の声に観念したように面倒臭そうに応じるガーランド独立保安官の姿。どこか縋るような雰囲気を感じさせる彼の目を見て、俺は渋々彼の言うことに従うことにした。
「ズラック、ロレンゾ。 俺達も行くぞ」
「ええっ?」
「何で我々が付いて行く必要があるのだ?」
「何か面白そうだろう? ほら、行くぞ!」
そして俺達に続くように冒険者風の格好をした屈強な男性2人と、魔導師の男性を合わせた計3人が俺達の後を付いて来ていると思えば……
「カルロッタ、私達も付いて行きますわよ」
「はっ! 了解しました」
エルフィス教皇領の特別高等監察官と上級衛士も彼らの後に続くようだ。
それに乗じて治安警察軍の小隊長も職務上の好奇心から付いて来ようとするとしていた矢先、彼の肩にガーランド独立保安官の手が置かれる。
「そういう訳だから。 治安警察軍さんには申し訳ないが、後始末は頼むぜ」
「は? はあ……!?
ガーランド保安官! 貴官は一体、何の権限で我々に…………なっ!?」
自分達と所属が異なるガーランド独立上級正保安官からこの騒ぎの後始末を押し付けられ、抗議しようと口を開きかけた治安警察軍カティン市駐留大隊第一小隊長はあることに気付く。
猟犬の背後に立っていたあの恐るべき女性の魔族軍人が赤金色の瞳を妖しく輝かせながら小隊長の目を真っ直ぐに見つめ、先程目撃する羽目になった反魂魔法の不気味な術式魔法陣を再び浮かび上がらせる様を見せつけられ、自分には反論の声を上げることは一切許されていないのだということを知ると、彼は即座に白旗を上げてガーランド独立上級正保安官の指示に従うことを決めた。
「……了解しました。 猟犬殿」
「すまねえな。 じゃあ、よろしく頼むぜ」
「はっ……」
自分達、治安警察軍の面子とここカティン市に住む自分自身の家族も含めた住民全員の生命と財産。これらを天秤に掛けた場合、どちらを優先すべきかは問うまでもない。
「さあ! いつまで見ているんだ! とっとと家に帰りなさい!」
小隊長とその部下達は己の中に生じた葛藤と疑念を無理矢理解消したいがために八つ当たりのように野次馬達を解散させていくが、彼らはまだ気付いていないだけで本当の意味で幸せ者だったのである。
もし、仮に小隊長が己の持つ小っぽけな沽券に拘って反抗していた場合、この街は文字通り本当の地獄へと即座に変貌して地図から消滅していたのだから…………
「さてと。 結構イイ時間だし、そろそろ列車に戻ろうか? アゼレア」
「そうね。 戻りましょうか」
「あらぁ? もうこんな時間ですのね。
やっぱり会話が弾むと、時間が経つのも早いですわ」
「では、私は会計を済ませて来ますので、失礼します」
「あ、食事代は自分が出しますよ」
おもむろに立ち上がって会計を済ませて来ようとするカルロッタに対して、俺は彼女の行動を制するように自分の財布を示しつつ、今回の食事の費用はこちらで支払う旨を伝えると案の定、彼女は俺の申し出を断る素振りを見せた。
「それはなりません。
お二人を食事に誘ったのは我々ですので、ここはこちらでお支払いします故」
「いやいや、ベアトリーチェさんとカルロッタさんはこれからもずっと大陸を巡って旅を続けるんでしょう?
ならば、余計な出費は慎んだほうが良いですって。
ここは俺が払いますから」
「いえ、そういうわけには……」
「いやいや、俺が払いますって」
堂々巡りというのはこういうことを言うのだろう。
互いに夕食代を支払うとして、一歩も譲らない俺とカルロッタのやり取りを遮るようにして2人の笑い声が聞こえて来た。
「ふふふ」
「あはは」
「如何されました? ベアトリーチェ様?」
「え、何? どうしたの? アゼレア?」
「いえ、二人が互いにお財布持って押し問答しているのが面白くて、思わず笑ってしまいましたわ」
「孝司らしいわね。 そういう気遣いと譲らない頑固なところは。
カルロッタ、孝司が払うと言っているのだから、ここは彼に甘えさせて貰いなさいな。
私も孝司に何から何まで面倒見てもらっている身だからアレだけれど、確かにお金は大事よ?」
「はっ。 では、お言葉に甘えて。
タカシ殿、ご馳走になります」
「いえ、そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ。
ではちょっと、失礼します」
口に手を当てた状態で笑顔で話すベアトリーチェ。
そしてワインが入っているグラスをユラユラと揺らしつつ、ニヤッとした表情を浮かべているアゼレアからの提案にカルロッタは自分の上官のように感じながら敬礼をしつつ、素直に応じる。
俺はというとカルロッタの真面目な様子に内心クスリと笑いつつも、財布を持って個室を出るべく彼女達に背を向けて扉を開ける。直感ではあるが、種族が違うとはいえ「アゼレアとベアトリーチェの2人は案外中が良いのかもしれない」と思いつつも個室から出て行った。
◇
「いやあ、にしても結構時間が経ったと思うんですが、街はまだ賑わっていますねー」
時間は既に21時半に差し掛かろうとしているのに、ここカティン市中心部の広場は日本の屋外ビアガーデンのような賑わい振りを見せていた。電気が通っていないとはいえ、代わりに照明関係の魔道具が発達しているお陰なのか、広場は淡い光で満たされており、所々に置かれた長椅子に座ってチビチビと酒を飲んでいる者や、机を囲んで賑やかに談笑しつつ食事をしている飲兵衛達が目に入る。
地球で言えば、ハンガリーの古い街並みを連想させるこの城壁内側に存在する街は非常に景観が良い。綺麗に整備された石畳やレトロな街灯は、この街の財政状況が豊かであることを示していた。
「ここカティン市は比較的帝都に近いこともありますが、この場所からメンデルがある大帝国西部と南部のブリテンに向かう街道との分岐点でもありますから、帝都ほどの規模でないにしても交通の要衝としてヒト・モノ・カネの往来が結構活発なんですよ」
「なるほど」
「そういうことね」
カルロッタの簡単な説明を受けて何も知らない俺とアゼレアは納得して頷く。
「アゼレアとタカシさん達はこのまま列車に戻りますの?」
「ええ。 戻って明日の準備をしてから寝ようと思います」
「あら、そうですの? 実はこの近くに美味しいお酒が飲める立ち飲み屋があると、先程に食事をした向日葵亭の主人から聞いていますのに……」
「え? ベアトリーチェさん、まだ飲む気なんですか?
体、大丈夫ですか?」
何とベアトリーチェはまだ飲む気満々らしい。
先程、夕飯を食べていた向日葵亭でもベアトリーチェはワインが満たされていたデキャンタを何回も空にしていたというのにケロッとした様子で、酔っている様子が微塵も感じられなかった。
「ベアトリーチェ様は、こう見えて実はかなりの酒豪でいらっしゃいます。
教会内では『底無し樽の酒道女』という呼び名を付けられていたりするのです」
「ええぇ…………」
カルロッタの言葉を聞いて俺は酒樽から直接酒を飲んでいるデフォルメされたベアトリーチェの姿を連想していたが、当の本人を見ているとあながち間違っていると言い切れないところが恐ろしい。
「イヤだわ、カルロッタったら。 その呼び名を言わないで下さいまし」
「それは凄いわね。 要するにどんな量の酒を飲んでも酔わないということでしょう?」
「いや、アゼレア? 君、何他人ごとみたいな感じで言ってるのよ?
アゼレアだって、澄ました顔で結構な量の酒を飲んでもケロッとしてるじゃない」
そうなのだ。
他人事のように話しているアゼレアだが、彼女もかなり酒に強い。
斎藤さんことゾロトン議員に充てがわれた彼が経営する旅館に潜伏すること数日、ストレス解消にと夕食時に酒を持って来てもらうように従業員に頼んだのだが、アゼレアは次々に持って来られた酒を飲み干し、付き合っていた俺は自分の飲むペースを破壊されて撃沈される。
イーシアさんに弄られたこの体は毒物や劇物を飲んだり、皮膚に暴露しても大丈夫らしいのだが、何故か今回は酔っ払ってしまい、翌日は酷い二日酔いに苛まされる結果になり、その日は1日中トイレが友達になった。
「そうだったかしら?」
「そうだよ!
ゾロトン議員の旅館で、君に付き合って飲んでいた俺が巻き込まれて潰されたのは、ついこの前のことじゃないか!」
「良いじゃないの。 これから鍛えて行けば大丈……」
「ん? どうしたの? アゼレア?」
抗議する俺の顔を少し意地の悪い笑みで見ていたアゼレアの表情が変わる。笑みから次第に真顔へと変化しつつ、こちらを見ていた彼女の目が僅かに逸れて、俺ではなくその後ろにいる何かに向けられ、それと同時に言葉が途切れる。
「久し振りだな。 タカシエノモトさんよぉ~?
まさか、こんなところでオマエさんに会えるとは思ってもみなかったぜ?」
何が起きたのかとアゼレアに尋ねた直後に、何処かで聞き覚えのある男の野太い声が耳に届いたと思った瞬間、金属が擦れる音が響くと同時に自分の右肩へと何かが添えられる感触が伝わる。
直感的に嫌な予感がして目だけを動かすと、視界の端に剣の切っ先が映る。
そのことを理解した俺は姿勢をそのままに声が聞こえて来た方向へと首だけを動かして後ろを見ると、そこにいたのは『猟犬』と『暴風』というそれぞれの二つ名で犯罪者達に恐れられている警保軍の保安官がこちらを睨みつけながら立っていた。
◇
「あ、あなたは確か帝都の宿で俺を捕まえに来た……」
「ほお? 覚えていてくれてたようだな。
俺はガーランド。 内務省警保軍の独立保安官だ」
「ガーランド独立保安官? まさか斎……いや、ゾロトン議員が言っていた『暴風のガーランド』?」
「その御本人様だ。 お前さんとは一度会ってきちんと話しておきたかったことがあるんだ。
悪いが付き合って貰うぜ?」
やはり俺の記憶は正しかった。
こちらの背中越しに殺気をぶつけてきているのはゾロトン議員が話していた『暴風のガーランド』こと内務省警保軍のガーランド独立保安官本人である。
あの時、俺の着ている服の襟を引っ掴んで引き摺りながら部屋から脱出するために窓を目指すアゼレアと、逃亡を企てる俺達を逃すまいと容赦無く拳銃を発砲するガーランド独立保安官の姿。彼の持つ拳銃の銃口から発砲炎が発生する度に、引き摺られている俺がついさっきまでいたその場所に銃弾が突き刺さって穿たれる穴。
まるで映画のワンシーンのように、床へ銃弾が着弾する度に複数の穴が空いていく様子を至近距離から見せ付けられる羽目になった俺は本能的な恐怖を覚えた。そしてその恐怖を作り出してくれた張本人が俺に用があるのだという。
絶対に碌なことにならないだろうことはよく分かったが、今の俺には拒否権はない。
何せ、こうして首筋に剣を当てられているのだから当然である。
しかしながら、俺はこのとき自分が剣を向けられているという状況に対して驚き、ある事をすっかり失念していた。ガーランド独立保安官以上に物騒な二つ名を幾つも与えられた人物がすぐ傍にいることを…………
「へぇ? 何故、孝司があなたに連れて行かなければならないのかしら?」
「ア、アゼレア!?」
“ガチリ”と、夜の街中に轟く喧騒の中にあって、やけに大きく耳へと響く独特の金属音と、感じずにはいられないほどに強烈過ぎる程の殺気。
そして、それ自体に「これだけで充分人を殺せるのでは?」と錯覚させるほどの冷徹な殺意が込められている聴き慣れた美しい声に反応した俺は、現在進行形で首筋に剣を当てられている状況にも拘らず、声が聞こえた方向へと首を巡らす。
すると、そこにはチェコ製の自動式拳銃をホルスターから抜いたアゼレアが立っており、その銃口は真っ直ぐにガーランド独立保安官の左側頭部に狙いを定めていた。
今にも銃の引き金を引いてしまいそうな雰囲気のアゼレアに対して、ガーランド独立保安官は余裕の態度で自分に対して銃を向けているこの女魔族のことを何処かで見た覚えがあると思い、記憶を辿っていた。
そしてガーランドは彼女が着ている濃い灰色の制服を見て直ぐに思い出したのだ。
この女魔族は自分が今、魔剣を突き付けているタカシエノモトと一緒に行動していた魔族軍人であると。
「テメエは確か……あのとき、こいつと一緒にいた女魔族だな?」
「ええ、そうよ。 直ちにその魔剣を下ろしなさい。
でないと、あなたの頭が吹き飛ぶことになるわ」
「言うじゃねえか。 だがな、頭を吹き飛ばされるのはテメエのほうだぜ?」
「う、動かないで下さい!」
「そういうことだ」
警告の声と共に女魔族へと向けられる散弾銃の銃口。
騒ぎを聞きつけて俺達の周囲に集まり始めていた野次馬達の中から一歩進み出て、アゼレアへ向けて銃口を突き付けたのはガーランドより遥かに若い男性の保安官だった。
彼もまたアゼレアと同じように彼女の左側頭部に向けて散弾銃の狙いを定めた状態で射撃の態勢を整えているが、他人に銃を向けることに対して慣れていないのか、それともただ単に緊張しているのかは分からないが、戦闘の素人同然である俺の目から見ても今の彼の状態は相当に危なっかしい。
水平二連銃身型散弾銃の撃鉄は2つとも起こされている上に、指が引き金に触れるかどうかの位置にある。このままでは仮にこの若い保安官に銃を撃つ意思がなくても、何かのきっかけでいつ引き金を引いてしまうのか分からない状態だ。
もし彼が銃を撃ってしまったとしても、アゼレアが自動的に展開させた己の魔法防護障壁によって撃ち出された散弾は一瞬で蒸発してしまい、彼女に擦り傷一つ負わせることはできないだろう。だが、自己に対する攻撃を受けたと認識したアゼレアは、正当防衛として自分が撃たれた直後にガーランド独立保安官を射殺し、返す刀でこの若い保安官の顔面に銃弾を撃ち込んでしまうことは容易に想像できる。
そしてそうなれば、俺とアゼレアはこの国では完全にお尋ね者になってしまう。衆人環視の中、保安官2人を射殺したとあっては、もう取り返しがつかない。
周囲をよく見ると冒険者風の格好をしている男女や背広を着込んだ男などが見えるが、もしアゼレアが保安官達を殺ったことがギルドや国際通信社の耳に入れば、ゾロトン議員に泣き付いたとしても事態を揉み消すことは不可能だ。
SNSやインターネットが普及していないこの世界では、この状況そのものが世界中へと瞬時に実況されない分だけ遥かにマシではあるが、人の口に戸は立てられないので、この後の結果如何によっては情報は他人の口伝えを経て尾鰭が付いた状態で悪い方向へと向かいながら、徐々に周囲へと拡散して行くことだろう。
そしてアゼレアの性格から考えると、秘密を守る為にこの街そのものを消してしまいかねないことは、彼女と一緒に行動している俺がよく理解している。軍から発行される使い捨ての発動術式という安全装置を介さずに戦術級・戦略級軍用攻撃魔法を行使できるようになったアゼレアは本当に躊躇なく、この街を一瞬の内に消滅させるに違いない。
だが、それでは彼女は本当に悪役のラスボスたる『本物の魔王』になってしまう。
よくある異世界ファンタジー物語の勇者冒険譚に出て来る魔王などと違って、彼女はこの世界の神様がバックについている上に、彼女自身が自ら戦略レベルで軍事作戦を立案できる能力を持つ魔族の将軍なのだ。
しかも、数多の実戦を肌で経験してきた歴戦の野戦将校出身という、力でゴリ押しするけど軍事面では部下に任せっきりである素人同然の魔王などとは全然別の存在である。仮にアゼレアが人類の敵に回った場合、俺が持つ武器以外では彼女に対抗する術は殆ど無いと言っても過言ではないだろう。
(どうすれば良いんだ? どうすれば……)
だがその時、ある意味で世界の危機が訪れるきっかけになるかもしれない最悪な状況下に、救いの神が舞い降りる。だが、それは別の意味で劇薬であると、俺は身を持って体験することになった。
「あらあら、これはいけませんわね」
「銃を下していただこうか?」
この状況下において落ち着いているとも言える、2人の女性の声が耳に響く。
それと同時に再び“ガチリ”という独特の金属音が2つも聞こえ、アゼレアに散弾銃の銃口を向けていた若い男性保安官は背後から2つの銃口を向けられることとなった。
「ああん? 何でこんなところに教会の司祭や教皇領の衛士がいるんだ?」
「そんなことはどうでもよい事でしょう?
ガーランド保安官、取り敢えずタカシさんから剣を下ろして、部下の方に銃を仕舞うように言ってくださいませんこと?
周囲には騒ぎを聞きつけて来た野次馬だらけですわ。
ここで互いに銃を発砲したりすると、無関係の一般市民に被害が出ないとも限りませんことよ?」
若い男性保安官に銃を向けていたのは何とベアトリーチェとカルロッタだった。彼女達はそれぞれ自分達の左脇や右腰のホルスターに吊っていた拳銃を抜いて彼の頭部に狙いを定めている。
これに驚いたのはガーランド独立保安官ではなく、むしろ俺の方だった。軍服を着込んでいるカルロッタは初めて会った当初から右腰に拳銃が入っているホルスターを吊り、反対側にサーベルを帯剣していることはこの目で確認して知っていたが、まさか司祭である筈のベアトリーチェまでもが銃を携帯しているとは思ってもみなかったのだ。
両者共にアメリカはスミス&ウェッソン社製の中折れ式リボルバーである『No.3』そっくりな拳銃を持ち、若い保安官に狙いを定めているが、よく目を凝らして見てみると、カルロッタの拳銃は実用一点張りの軍用リボルバー然としているのに対して、ベアトリーチェの持つ拳銃は彼女と同じ型式ではあるものの、若干銃身が長く、照星と照門双方共に大型化されており、銃全体に植物の葉っぱや蔦と思われる彫刻が施されている。
しかも、銃口や回転弾倉の大きさを見るに、2丁の拳銃の口径は確実に40口径を超えている大口径のリボルバーだ。どちらも真っ黒なボディを持つリボルバーではあるが、普段から使い込まれることでよく磨き抜かれていると思しきガンブルー処理の銃の表面は街灯や魔道具の光を浴びて妖しい輝きを見せ、完全に彼女達の手に馴染んでいることが分かる。
「どけどけ! 貴様ら全員動くな!!」
だがベアトリーチェ達の銃をじっくりと観察する暇もなく、別の第三者達がやって来る。もはやこの国ではすっかり見馴れた存在である司法機関――――治安警察軍の部隊であった。
小隊規模と思われる彼らは、中年の部隊長を先頭にしてまさに押っ取り刀という様子で野次馬達を掻き分けてこちらにやって来ると、警保軍の独立保安官とその部下が女性達に銃を向けられているという状況に驚きつつも、直ぐに自分達が捕縛すべき存在を判別し、ガーランドが彼らに向けて何かを言う前に各々が持つ拳銃や小銃、槍などといった武器をアゼレア達に向けた。
「あらあら、治安警察軍の方達までやって来ましたわね」
「どうするの? 剣を下ろすのかしら?
それとも……?
もし、孝司に擦り傷一つでも負わせようものなら、このカティンの街が死に絶えることになるわよ?」
「テメエ、何だその気味の悪い魔法陣は!?」
まさかベアトリーチェとカルロッタが参戦するとは思っていなかったのか、予想外の応援に気を良くしたアゼレアは畳み掛けんばかりに拳銃を構えていないほうの左手を軽く上に向ける。すると、掌の上に赤い光の粒子が収束し始めて次第に小さな魔法陣を形作るが、俺にはその魔法陣に見覚えがあった。
俺の記憶が正しければ、アレは…………
「反魂魔法。 知ってるでしょう?
この街の外れに墓地が存在していることは把握しているわ。
剣を下ろさないのならば、この魔法陣を墓地まで飛ばして術式を即時発動させるだけよ。
それとも…………?」
アゼレアが脅すように見せた小さな魔法陣の正体は反転魂魄魔法――――通称『反魂魔法』の術式魔法陣だった。直径約20センチ程の円形の魔法陣の中に描かれた六芒星と、その各所に存在する不気味な髑髏の存在はガーランド独立保安官でなくても、見る者を不安にさせる。
デフォルメされた可愛い髑髏模様ではなく、毒・劇物表示マークに描かれるような不気味な髑髏が幾つも添えられている血のように赤い六芒星の魔法陣はアゼレアの掌の上で反時計回りにゆっくり回転していたが、彼女が指をパチンと鳴らした瞬間に魔法陣は再び光の粒子となって消滅していく。
しかし、それは代わりに別の変化が訪れる前触れに過ぎず、アゼレアの問い掛けと同時に何の前触れもなく地面が光り始め、周囲にいる野次馬達を下から赤く照らし出す。
「うわ!? 何だこれ!?」
「いやあぁぁぁーーーー!!」
「この魔法陣追い掛けて来るぞぉ!!」
「ここにいる私達以外の全員を、街ごと直ちに皆殺しにした方が言うことを聞いてくれるのかしらぁ?」
(やばい! アゼレアのあの声、本気でこの街の住民全員を殺す気だ……!)
野次馬を含むこの街の住民全員、更には現場に到着した治安警察軍の兵士達の足元には真っ赤な魔法陣が出現していた。六芒星と幾何学的な文字が描かれている直径約60センチ程の魔法陣は確実に彼ら彼女らの存在を捉えており、歩こうが走ろうが、跳躍しようが逃すことなく追尾して離れない。
しかも、よく見ると地面に立っている者達だけではなく、馬や荷馬車などの乗り物に乗っている者は己の頭上に同型の魔法陣が展開し、建物の窓からも赤い光が漏れているところを見ると、屋内外や老若男女の関係なく無差別に魔法陣が展開されているようで、俺とアゼレア、ベアトリーチェにカルロッタとガーランド以外は全員が不気味な赤い魔法陣に補足され続けている。
「どうするのぉ?」
軽く首を傾げて尋ねてくるアゼレアの目は完全に笑っていない。
しかも、彼女の語尾が若干間伸びているときは本気モードであることの証拠だ。
アゼレアと行動を共にするようになって分かったことだが、彼女はキレたり本気になったりすると語尾が若干間伸びする癖があるらしく、こうなると彼女と敵対した者は何かしらの横槍が入らない限り殲滅される未来しか残っていない。
仮に殺し合いでなくとも、ベッドの上でも同じような状況に陥ることがあり、こうなると俺はただ一方的に搾りに搾られる立場に追い込まれて足腰が勃たなくなってしまうのだ。
そして、そんな危険な状況下でも神(間違ってもあのエロ神様ではない)は俺達を見放さなかったらしい。本当の意味での救いの手が差し伸べられたのだ。
「おい、そこにいるのはガーランドじゃねえのか?」
「あん? 誰だテメエは……って、お前スミスか!?」
「久しぶりだなガーランド。 もう会わなくなってかれこれ二年ぶりになるのか?
っていうか……お前さん達、こんな所で一体全体何やってるんだ?
あとこの魔法陣は何なんだよ? 歩いても歩いてもずっと付いてくるんだぜ?」
この強烈な緊張感の中、臆することなく割って入って来たのは冒険者風の格好をした男だった。軍人のような雰囲気さえも漂わせるその男は筋骨隆々の逞しい体つきながら身のこなしはスマートで、ガーランド独立保安官のような厳つさは全くない。
そして驚いたことにこの『スミス』と呼ばれた男性はどうやらガーランド独立保安官と顔見知りらしく、この一歩間違えれば虐殺に即様変わりしそうな雰囲気に対して、一切怖気付かずに世間話を始めたのだ。
「……ッチ! 止めだ! 止め! 興が削がれちまった。
おい、行くぞ!」
「は、はい! 保安官殿!」
「テメエらもいつまで見てやがるんだ! 散れっ!!」
果たして神の救いか、悪魔の悪戯か、ガーランド独立保安官はマイペースなスミスの態度に呆れた表情を浮かべつつ、大きな声で事態の終息を図るように叫びながら俺に突き付けていた剣を鞘に戻し、己に向けられていたアゼレアの拳銃を面倒臭そうに片手で払う。
そしてそのまま、自分の部下である若い保安官に撤収を呼び掛けて野次馬を追い払い始め、その直後にアゼレアが展開していた魔法陣が全て消え去る。
アゼレアは「訳が分からない」とでも言いたげに呆れた表情のまま肩をすくめ、その様子を見た俺はため息を吐きつつ体の力を抜く。
「ふう……」
「お前は俺達と一緒に来るんだ!!」
「はあ? って、ええええ!? ちょっとぉ、痛たたたたっ!
襟っ! 襟を引っ張らないでぇ!!」
デジャヴとでも言えば良いのだろうか?
何時ぞやのように服の襟を掴まれた俺は、そのままガーランド独立保安官によって石畳の上を引き摺られて行く。
だが、そうは問屋が卸す筈もなく、野次馬を掻き分けて離脱を図るガーランド独立保安官達の前へと一瞬の内に立ちはだかったアゼレアは、ホルスターから抜いたままだった自動式拳銃を先頭に立っているガーランド独立保安官へと向ける。
「誰が孝司を連れて行って良いと言ったのよ?」
「うるせえ! こいつには色々と話しておきたいことがあるんだ。
ちょっと付き合ってもらうぜ!」
「私も行くわ。 孝司に何かしたら……分かってるでしょうねぇ?」
「…………チッ! ああ、分かった。 何もしねえよ!
だから、ちょっと付き合え」
「分かりましたよ……」
アゼレアの念を押すような警告の声に観念したように面倒臭そうに応じるガーランド独立保安官の姿。どこか縋るような雰囲気を感じさせる彼の目を見て、俺は渋々彼の言うことに従うことにした。
「ズラック、ロレンゾ。 俺達も行くぞ」
「ええっ?」
「何で我々が付いて行く必要があるのだ?」
「何か面白そうだろう? ほら、行くぞ!」
そして俺達に続くように冒険者風の格好をした屈強な男性2人と、魔導師の男性を合わせた計3人が俺達の後を付いて来ていると思えば……
「カルロッタ、私達も付いて行きますわよ」
「はっ! 了解しました」
エルフィス教皇領の特別高等監察官と上級衛士も彼らの後に続くようだ。
それに乗じて治安警察軍の小隊長も職務上の好奇心から付いて来ようとするとしていた矢先、彼の肩にガーランド独立保安官の手が置かれる。
「そういう訳だから。 治安警察軍さんには申し訳ないが、後始末は頼むぜ」
「は? はあ……!?
ガーランド保安官! 貴官は一体、何の権限で我々に…………なっ!?」
自分達と所属が異なるガーランド独立上級正保安官からこの騒ぎの後始末を押し付けられ、抗議しようと口を開きかけた治安警察軍カティン市駐留大隊第一小隊長はあることに気付く。
猟犬の背後に立っていたあの恐るべき女性の魔族軍人が赤金色の瞳を妖しく輝かせながら小隊長の目を真っ直ぐに見つめ、先程目撃する羽目になった反魂魔法の不気味な術式魔法陣を再び浮かび上がらせる様を見せつけられ、自分には反論の声を上げることは一切許されていないのだということを知ると、彼は即座に白旗を上げてガーランド独立上級正保安官の指示に従うことを決めた。
「……了解しました。 猟犬殿」
「すまねえな。 じゃあ、よろしく頼むぜ」
「はっ……」
自分達、治安警察軍の面子とここカティン市に住む自分自身の家族も含めた住民全員の生命と財産。これらを天秤に掛けた場合、どちらを優先すべきかは問うまでもない。
「さあ! いつまで見ているんだ! とっとと家に帰りなさい!」
小隊長とその部下達は己の中に生じた葛藤と疑念を無理矢理解消したいがために八つ当たりのように野次馬達を解散させていくが、彼らはまだ気付いていないだけで本当の意味で幸せ者だったのである。
もし、仮に小隊長が己の持つ小っぽけな沽券に拘って反抗していた場合、この街は文字通り本当の地獄へと即座に変貌して地図から消滅していたのだから…………
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