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森の迷子

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「やっぱり私たち、道に迷ったのかしら……」



 薄暗い森の中で、ふんわりと長く美しい白金の髪を揺らしながら歩いていた娘は歩みを止め、溜息混じりに呟いた。



「もーっ、ルファってば。やっぱりじゃなくて、確実にだよ! あたい達迷子になっちゃったんだよっ。ま・い・ご、に!」


 足下で声がしたかと思うと、焦げ茶色の小さなネコがひょいっと娘──ルファの肩に乗って言った。


「だからあたいが言ったじゃないか。月星の隠された夜が続いたら、たとえ昼間でも気を付けないと〈彷徨さまよいの森〉に引き込まれるって」


「じゃあここはもう彷徨いの森の中ってこと?」


「だろうね。だってあたい達、さっきからなんだかずっと同じ道を歩いてるわ」


「うん、そうよね。ココアもそう思ってたのか」


 ルファの肩の上、ココアと呼ばれたネコは翡翠色の眼を細めながら何度も頷いた。


 少し前までルファは公道を歩いていた。

 街で買い物を終え世話になっている宿館へ戻る途中、脇道から林の暗がりへ駆け込む小さな人影をルファは目にした。

 子供、だと思った。

 まだ幼い女の子に見えた。

 その子は何やら慌てた様子で、たった一人暗い木立の奥へ走って行った。

 そんな様子が気になり、ルファはついフラフラと後を追いかけて道から森へ踏み込んでしまったのだが。

 結局、その幼子を見失い自分も迷子になってしまったらしい。


「そっかぁ、ここが彷徨いの森なんだぁ」


 立ち止まったまま感慨深げに、ルファはキョロキョロと辺りを見回した。


「ルファってば! 呑気に感心してる場合じゃないだろッ」


 耳元で響く金切り声にルファは思わず顔を顰めた。


「でもココア、丁度いいじゃない。彷徨いの森は私たちにとって調査対象なわけだから。探す手間が省けたって考えれば幸運よ」


「もーッ! この状況を幸運だなんてっ。あんたって子は警戒心の欠片も無いわけ⁉」

 ルファの肩の上でココアはプンスカ怒る。


「だってココア、心配でしょ、あの子。まだ小さな子供だったのよ。ここが彷徨いの森ならあの女の子もきっと迷ってるはずよ、それもひとりぼっちで。早く見つけてあげないと可哀想よ」


「ふんっ。迷子が迷子を探してどうすんのさ。それにその子供、本当に迷子か怪しいもんだわ」


「え、怪しい?」


「そうよ」

 ココアは可愛らしい鼻と髭をピクピク震わせながら言った。


「なんかイヤな感じがする。ここに長居は禁物だよ。得体の知れない子供より早く出口を探して外界に戻った方がいい」


 ザワザワと、冬の名残りの冷たい風が足下の枯葉を舞い上がらせながら頬を撫でてゆく。


「そりゃあ、ココアの感は当たるほうだけど……」


 見上げると空は白く太陽の光は厚い雲に隠されていた。


 あの雲はこの数日間、夜空を覆い月星つきほしを隠し続けていたものと同じ雲だろうか。


 そして夜になると雲だけでなく天から地上へ煙のような霧が降りる現象が、ここ東方の地『ルキオン』で起きていた。

 その霧はまるで魔法のように不思議な森を出現させる。

【彷徨いの森】と呼ばれる場所を。


 迷路のようなその森へ知らずに踏み込んでしまうと、抜け出すことはとても困難だと言われている。


 けれどそれは朝になるまでの話だった。

 太陽の光で霧は消滅し、彷徨いの森も夜明けと共に消えていく。

 迷った者もいつしか眠りの中に身を委ねていて「目覚めると朝だった」という体験談の報告は多い。


 ただ、思い出せないが何やら恐ろしい体験もしたようだ、という恐怖心をしばらくは心に残す者もいて、彷徨いの森の出現は人々にとってあまり歓迎されるものではなかった。


「でもさ、逢魔が刻っていうの? ほら、夕方から夜半にかけてだったら確かに怪しいけど、まだ昼間なのよ。あ、でも昼間から森が現れた話は聞いたことないから、真昼に彷徨っちゃったのって、私たちが初めてかしら」


 こう言ってルファは薄暗い森の中を再び歩き出した。


「ええっ⁉ まだ行く気? ば、ばかルファっ。夜だけじゃなくて昼間に森が現れること自体怪しいだろっ。このまま朝まで彷徨い続ける気? そんで朝んなっても今日みたいにお日様出てなくて、森も消えなかったらッ、あたい達一生ここから出られなくて、死ぬまで彷徨うかもだぞ!」


 早口にまくし立てたココアだったが、


「まさか。大丈夫よ、ココア」


 ルファは平然とのんびりと応えるだけで歩みをやめることはなかった。


「も、戻ろうよぉ。ルファぁ~」


 ココアは半泣きになりながらルファの肩をカリカリと叩いた。


「戻るって言っても、もう迷ってるのだから戻っても外界に出られるとは限らないじゃない。だったら後戻りより前に進んだ方が結果が出そうじゃない。少し暗いけどココアはネコみたいに夜目が利くから、私は頼りにしてるのよ」


 ルファはココアに笑顔を向けた。


「そっ、そりゃね、あたいの眼は暗いとこでもよく見えるけど。でもあたいはネコじゃない! 似てるってよく言われるケド、あんなのと一緒にしないでほしいわっ」


(どう見ても仔猫にしか見えないけど)


 肩越しに喚くココアに苦笑を向けながらルファは続けた。


「私ね、彷徨いの森はそんなに恐ろしいところじゃないと思うの。大昔からときどき確認されてきた自然現象だという記述があるのだし、怖い噂もほとんどが後から付け加えられたものよ」


 穏やかに笑みすら浮かべて言いきるルファに、ココアは溜息をついて言った。


「鈍感なのか肝が据わってんのかわかんない子だね、あんたは。あたい、あいつが不機嫌になる理由が少し判った気がする」


「え、何か言った?」


 台詞の終わり、ココアの小さな呟きはルファには聞こえてなかったようだ。


「ねぇ、ルファ。〈魔法力〉を使ってあいつに知らせた方がいいんじゃない?  ルファが力を使えば、あいつは気付くんだろ。あたい達を探してくれるかも」


「でも、魔法力を使ったからって居場所が判るとは限らないと思うの」


「そっか。彷徨いの森の中だもんね」


 ココアは残念そうに言った。


「あいつ、心配とかしてるかな」


「さあ……。でもきっと怒ってはいるわね」


 一体、何処からが彷徨いの森になるのか。


 それが判らなければ、きっと探すことも困難に違いない。


「それに、探してほしいなんて理由で〈魔法力〉を使ったり出来ないわ。多分、迷子になんかなって、また彼を不機嫌にさせてしまうだろうけど仕方ないわよ。今はあの子供のことが心配だもの。それに彷徨いの森を調査できるチャンスでもあるし。前へ進むしかないわ」


「はいはい。仕事熱心ですこと」



 ココアはこれ以上何を言っても無理だと悟り、首を竦めた。


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