上 下
8 / 15

第八話〈西山へ〉

しおりを挟む

 翌朝。

 朝食中にアクバルトさんが言った。


「ナウラ、昨夜ゆうべのことなんだが。覚えているよな?」


「遅くまで起きてたことですか?」


 頷いたアクバルトさんに私は謝った。


「ごめんなさい……」


「いや、謝らなくてもいいんだよ。ほら、色のこととか」


「はい、覚えてます。アクバルトさんは翠が好きなんですよね?」


 好きな色が一緒だったことが嬉しくて。

 頭は半分寝ていたが、それだけはしっかりと覚えていた。


「……ああ、まぁそうなんだが。そのほかにもさ」


「ほかに?」


「ほら、嫁が先に寝てしまうのはどうとかって言ってたろ?」


「ああ、はい」


「あれは気にしなくていいから」


「でも」


「ナウラが暮らしてたところじゃそうだったのかもしれないが、ここではそれは無し。俺の仕事があっても君は先に寝てくれ。でないと気になって集中できないから」


 気になる………?


「仕事に集中できないということですか?」


「うん、まぁ、とにかく。ナウラにはしっかり休んでほしいからさ。あ、そうだ。食事の片付けが済んだら今日は一緒に出かけよう」


「え、出かけるんですか?どこへ?」


「西山の方へ」


「何をしにですか?」


 尋ねるとアクバルトさんは私から視線を外し、何か考えている様子だったが、再び口を開いた。


「ナウラはルリノミを知ってるか?」


「るりのみ? 知らないです。なんですか?」


 私の返事にアクバルトさんはなぜか嬉しそうな顔で言った。


「驚かせたいから着くまで内緒だ。昼過ぎまでかかると思うから、パンや干し肉とか、何か軽い昼食を二人分用意してくれ」


「お弁当持参ですか」


「ああ。ルリノミは今が丁度いい時期だと思うからな。俺は弟のところから馬を借りてくるから、支度をして待っていてくれ」


 ♢♢♢


 ルリノミ?

 驚かせたいから内緒?

 いったいなんだろう。

 でも、二人で何処かへ出かけるなんて初めてだった。

 昨夜ゆうべ、好きな色を聞こうと思ってドキドキしながら待っていたあの感覚が甦る。

 緊張するけど、なぜかワクワクしてる。

 心地良くも思うその気持ちを不思議に思いながら。

 私は急いで支度にとりかかった。

 ♢♢♢


「ナウラ、おまえその格好で行くのか?」

 馬を借りて戻ったアクバルトさんは、私を見て少し驚いたように尋ねた。

「ぇと……。変、ですか?」

「いや、変というか………。それ暑くないか?」

 どうやらアクバルトさんは、私が頭から被り口元や首回りまでしっかり覆っている薄布ストールのことを言っているらしい。


「私が暮らしていたあの地方では、こんなふうに布を巻くのが普通で。本当はご近所へ行くだけでもこうやって巻いてたりしてたので」

 ここへ嫁いでからはさすがに、ご近所へこの格好で行くことはなくなったが、遠出となると……。


「なんだかつい、習慣で」

 やっぱり、変なのだろうか。

「そうか。でもこっちじゃそういう風習みたいなものはないからなぁ。顔まですっぽりは逆に目立つぞ」


「そ、そうですか……」


 目立つのは嫌だなァと私は思った。


「そうですよね、やっぱり取ります。 スミマセン、まだ慣れなくて。巻いていないと、なんだか不安というか……」


「んー、じゃぁ、ちょっと貸してみな」

 アクバルトさんは、私からストールを外した。

「こんなにぐるぐる巻かなくても、ほら、このくらいに……」

 薄布がふわりと、私の頭から肩へ流れ、首元を優しく覆った。

「こうやって日除け程度に頭に被るくらいにしておけ」


 私の顔のすぐ近くで、アクバルトさんが笑った。


「ちっとも変じゃない。その色、よく似合ってるよ」


 その柔らかな眼差しに、私の鼓動がとても速まる。


「淡くて柔らかな黄色だな。 紗織りで刺繍は少ないが 染めが濃いところと薄いところと。それがとても自然で目に馴染む。高価なものなんじゃないのか? 山歩きに付けて行くにはもったいないような気がするが」


「これはここへ嫁ぐ前に私が染めたものです」


「えッ、凄いじゃないか、ナウラ」


 アクバルトさんはとても驚いた様子で、ストールを見つめながら言った。


「こっちじゃ染めをやる奴はいないから。向こうではあたり前なのか?」


「いいえ。養母が草木染めが得意で、村の女性たちからもよく頼まれて布や糸を染めてたんです。私もその手伝いをしていたから自然と覚えることができて」


「そうか、驚いたな。街の市場でも、こんなに美しい染物はなかなかお目にかかれないからな」


 布と私を交互に見つめながら感心した様子でいるアクバルトさんの視線の近さに、さっきからずっと、心が落ち着かない。


「でも、私の染めはまだまだだって、いつも養母に言われてて」


 そんなことないよ、と言いながらアクバルトさんは目を細めた。


 ……なんだか胸が熱くなる。


 私は不思議な感覚を味わった。

 布染めで褒められたことなどなかったから。

 でもすごく嬉しい。


「あの、山へ行くならついでに染めができる野草があったら摘んでもいいですか? 時間に余裕ができたらまた染物をやりたいなぁって、思ってたんです」


「ああ、いいよ」


 アクバルトさんは頷きながら微笑んだ。


「それなら籠か布袋を余計に持って行こう。それから弓矢も用意しないとな」


「弓矢も?」


「何か獣が仕留められそうなとき用に、無いよりあった方がいい」


「アクバルトさん、ルリノミっていったいなんですか?」


「着いてからのお楽しみだ」


 アクバルトさんはチラリと私を見てから笑って、弓矢を取りに納屋へと向かった。



 アクバルトさんが納屋から戻るまで、私は馬を前に緊張していた。

 乗馬が苦手という理由もあるが、アクバルトさんが借りてきた馬が一頭だけ、という理由もあった。

 一頭だけということは、この馬に二人で相乗り⁉

 嫁ぐために山を越えて来たときも、アクバルトさんの乗る馬に一緒に乗せられて来たことを思い出した。

 あのときも慣れなくて、とっても緊張したっけ……。

 私が前で、アクバルトさんが後ろで。

 今日もまたそうなのかな。

 固まるような気持ちで待っていた私に、納屋から出てきたアクバルトさんが言った。


「よし、これで準備もできたことだし、行くとするか。ナウラは前に乗れよ」


「は、はぃ……」


 返事はしたものの、躊躇する私の前で焦げ茶色の馬が早く乗れとばかりに、ブルルッと鼻を鳴らして驚かせた。


「────おいで、ナウラ」


 不意にアクバルトさんの腕が伸び、私の腰を支えたかと思うと、


「アッ……わ⁉」

 ふわりと身体を持ち上げられ次の瞬間にはもう、私は馬の背に座っていた。


「走らせるから横座りは無しな」

「はい……」

「しっかり跨いで手綱も握るんだぞ」

 私は頷きながら馬の背を跨いだ。その直後、腰から下が揺れて、私の後ろにアクバルトさんが馬に跨るのが判った。

 そして後ろから私の両腕に沿うように、アクバルトさんの逞しい腕が伸びた。

 私の背中に……たぶん、アクバルトさんのお腹とか胸とか……当たっている部分が、じんわりと温かくなる。

 それだけなのに、どうしてこんなに落ち着かない気持ちになるんだろ。

 身体が強張って固まったようになるのに、鼓動だけは早く打ってて。

 なんだかとても逃げたしたい気持ちになる。


「ナウラは馬が苦手なんだな」


 後ろから私の耳元へアクバルトさんの優しい声が届いて。

 とても近いその声に、私の心臓は飛び跳ねた。

「はッ、はぃ……」

「もう少し肩の力を抜いて、背を丸めずに姿勢をよくな。緊張感は馬にも伝わるぞ」


 私は頷くのが精一杯だった。


「力を抜いて馬の揺れに合わせるように。少し走らせるから、気をつけないと落ちるぞ」


「えッ⁉」


 アクバルトさんが馬の腹を軽く蹴った。

 途端に馬は軽やかに走り出し、私は慌てた。

 おまけに「少し走らせる」という言葉から私が想像していた馬の駆ける速さにはかなりの違いがあって。

 ────はっ、速すぎてッ………こ、怖い!

 緊張はやがて情けないことに恐怖感へと変わろうとしていて、身体が強張る。

 駆ける馬から伝わる振動は骨まで響き、身体は不安定に揺れ続けて。

 慣れてない者には苦痛で、目眩さえ感じるほどだ。

「────っ⁉」

 ぐらりと身体が傾きかけ、ぎゅっと目を閉じてしまった瞬間、手綱を握る私の両手に温かな何かが触れた。

 アクバルトさんの大きな手が私の手に添えられていた。

 そしてその腕は、私の両腕ごと包むように抱き寄せた。

 もう片方の手はしっかりと手綱を握ったまま。

 私は彼の腕の中へ すっぽりと収まったようになった。

 かなり密着しているせいか馬上の揺れがそれほど気にならなくなり、恐怖感は解けていった。


「もっと寄りかかっていいから、怖かったら俺の腕に掴まってな」


 頭のすぐ上の声と背中から感じる温かさに、私は少しずつ身体がほぐれていくのを感じた。


「……はい」


 頷きながらアクバルトさんの腕の方が手綱よりずっと安定感があるなぁと思った。

 そして結局、馬が駆けている間中、私は彼の腕にしがみついていた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 第22回書き出し祭り参加作品

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

その日がくるまでは

キムラましゅろう
恋愛
好き……大好き。 私は彼の事が好き。 今だけでいい。 彼がこの町にいる間だけは力いっぱい好きでいたい。 この想いを余す事なく伝えたい。 いずれは赦されて王都へ帰る彼と別れるその日がくるまで。 わたしは、彼に想いを伝え続ける。 故あって王都を追われたルークスに、凍える雪の日に拾われたひつじ。 ひつじの事を“メェ”と呼ぶルークスと共に暮らすうちに彼の事が好きになったひつじは素直にその想いを伝え続ける。 確実に訪れる、別れのその日がくるまで。 完全ご都合、ノーリアリティです。 誤字脱字、お許しくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

初めから離婚ありきの結婚ですよ

ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。 嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。 ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ! ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います

ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には 好きな人がいた。 彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが 令嬢はそれで恋に落ちてしまった。 だけど彼は私を利用するだけで 振り向いてはくれない。 ある日、薬の過剰摂取をして 彼から離れようとした令嬢の話。 * 完結保証付き * 3万文字未満 * 暇つぶしにご利用下さい

【完結】冷徹な旦那様に溺愛されるまで

アリエール
恋愛
冷徹な旦那・アルベルトに仕えるエリザは、彼の冷たい態度に苦しみながらも、次第に彼への想いを深めていく。そんな彼女に、優しく温かいユリウスが現れ、心が揺れ動く日々が続く。エリザは、二人の間で揺れながらも選択を迫られ、ついにアルベルトとの関係を選ぶことを決意する。冷徹な旦那が少しずつデレていき、エリザとの絆が深まる中、二人の未来はどう変わるのか。愛と信頼の中で織り成す、切なくも温かい物語。

大好きな旦那様が愛人を連れて帰還したので離縁を願い出ました

昼から山猫
恋愛
戦地に赴いていた侯爵令息の夫・ロウエルが、討伐成功の凱旋と共に“恩人の娘”を実質的な愛人として連れて帰ってきた。彼女の手当てが大事だからと、わたしの存在など空気同然。だが、見て見ぬふりをするのももう終わり。愛していたからこそ尽くしたけれど、報われないのなら仕方ない。では早速、離縁手続きをお願いしましょうか。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...