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第二話〈アクバルト①〉
しおりを挟む「あら、留守なの?」
歳の離れた実姉、パミナが母屋とは別になっている俺の仕事場に顔を出し、とても残念そうに言った。
「ナウラなら今日は午後から兄貴の家だ。義姉さんに手仕事を習いに行ってるが、何か用事か?」
「家に使わない布がたくさんあるから刺繍の練習にあげようと思ってね。なんだ、残念。顔見たかったのに」
「行ってみたらいいじゃないか、兄貴のところへ」
「今日は急ぐのよ。帰るのが遅くなると困るわ。また日を改めて来るけど、布はここへ置いてくわよ」
パミナは部屋の隅に荷物を置いた。
「へぇ、たくさんあるんだな、ありがとう。きっと喜ぶよ、ナウラ」
「その顔が見たかったのになぁ」
「また来ればいいだろ」
「そうね。でもこの前、長老さまのとこであの子の笑った顔、初めて見たわ。笑うっていっても、はにかむ感じの笑顔だけどね」
「そうか、へぇ……」
「何よその意外そうな顔。毎日見てるんでしょ?」
「ああ……いや、家でもはにかむ程度かな、まだあまり笑わないな」
「そうなの?まだ慣れないのかしらねぇ。違うわね、あなたが面白くないのよ、きっと」
「なのかね」
「そうでしょ、冗談の一つも言えないんだから、あなた昔から」
姉はいつも言葉に容赦がない。
東にある大きな街へ嫁いでもう長いが、仕事の依頼を兼ねてときどき顔を出す。
だが最近は仕事の話より俺の妻と話すために顔を出すことが多くなったような気がする。
ナウラを気に入ってくれるのはありがたいが。
「上手くいってるの? もっと笑顔になるようにしてあげなさいよ。あんたは昔から言葉が足りないとこあるんだから」
「……わかってるよ」
実の姉とはいえ、余計な詮索。
そして世話焼きは勘弁してほしい。
俺は心の中で呟き、そっと息を吐いた。
「まぁ、再婚する気になってくれたのはとても嬉しかったから、いいんだけど。でも随分急に決まった縁談だったから、驚いたのは本当よ。……それにしても婚礼にも顔を出さないなんて、ひどい養父母ね。いくら遠いからって、普通は一緒に来て婚儀を見届けてから帰るって常識でしょ。それを何よ、迎えに来させて自分たちは見送っておしまいだったそうじゃないの。ナウラちゃんが可哀想とか思わないのかしら。なのにあの子ったら……健気でいじらしくて。一生懸命こっちの風習とか覚えようとして。本当に素直で可愛い子ね」
───ほんとに。
ペラペラと相変わらずよく喋るなぁ。と、内心思いながらも俺は頷いた。
「……ああ、そうだな」
「ねぇ、うちへ遊びに来させてよ。街を案内したいし、お買い物もさせたいわ」
結局ソレかよ。
「そのうちな」
「も~! あんたのそのうちはあてにならないわ。再婚だってそうやっていつも拒んでたくせに。それが何よ、いったいどういう心境の変化?」
「どうだっていいだろ。もう再婚したんだから、何しに来たんだよ、まったく」
「何しにって、ナウラちゃんに会いに来たんじゃない。それなのにいないんだもん。あんたに当たるしかないじゃない」
「あたるなよ。夕方まで帰らないんだ、仕方ないだろ」
「はいはいはい。もう帰るわよ。でもね、一つだけ、今日は言っておくわ。わたし本当はずっと聞きたかったのよ。……ねぇ、アクバルト、あなたは本当にこれで良かったの? 本当に心から再婚を望んでいたの? 気を悪くしたら謝るけど……。でもナウラちゃんの境遇とかがさ、あの子と同じだから。リーミアも親を亡くして養父母に育てられた子だったでしょ」
リーミアは亡くなった妻の名だ。
「だから気になったのよ。似たような境遇だったから。あなたがナウラちゃんとリーミアを混同してなければいいって」
「混同なんてしてないよ。相手を想う気持ちが少しもなければ俺だって再婚なんかしないさ。そろそろ一人じゃなくてもいいかなと思っていたのは本当で……。だから決めたんだ」
「そうか、そうよね。もうあれから五年も経つものね。あなたがいつまでも一人で居たらあの子も心配で安らかに眠ってもいられないだろうし。たとえ同情からの縁談でも一緒に暮らせば情も移るしね」
「おい、なんだよそれ。ナウラを拾った犬猫みたいに言うなよな」
「いいじゃないの、それでも可愛いんでしょ」
「俺は同情とかそんなつもりでナウラを嫁にしたわけじゃない」
「あ、じゃやっぱり一目惚れだったの?」
「一目惚れも何も。向こうの風習だかなんだか知らんが、婚礼の日取りが決まってこっちに連れてくることが決まって……。迎えに行った日まで会わせてももらえなかったよ。おまけにあそこらの女子はやたらと男子に顔を見せてはならないとかで、みんな布で顔を覆ったりもしていたからな」
こちらにそんな風習はないので、ナウラが頭から覆っていた布の下の素顔を俺の前に晒したときはかなり驚いた。
ナウラはこの地方ではとても珍しい栗色の髪をしていた。
そして俺を見上げた大きな瞳は一見黒に近いのだが。
あれは黒より藍色だろうか。
そして明るい光の下では瑠璃色になり、とても美しかった。
「あらまあ、そうだったの。じゃあ尚更、扱いが大変そうね」
クスクスとパミナは笑った。
「どういう意味だよそれ。早く帰れ」
「はいはいはい、帰りますぅ。でも約束忘れないでよ」
「約束?」
「もう! 言ったでしょ、近いうちにナウラちゃん連れて遊びに来ること。いいわね!」
「……わかったよ」
まったく。
パミナと話した後は、いつもとひどく疲れが残る。
俺は大きく息を吐きながら思った。
ナウラ、ナウラって、どいつもこいつも。
まあ、可愛がってもらえるのは嬉しいが。
実際可愛いし。
もっと笑えばいいんだが。
いやいや、あれ以上可愛くなったら心配だし。
───って、アホか俺は。
軽く頭を振りながら、注文を受けていた装身具に施す彫金作業に、俺は再び取り掛かろうとしたのだが。
───同情。
姉の言葉が胸の片隅に残っていた。
そりゃ、全く無かったとは言えないが。
だがそれがすべてでもない。
……あの日は。
あの日は……。
妻、リーミアの命日だった。
♢♢♢
三ヶ月間の隊商生活もそろそろ終わりに近付いた初夏の頃。
思っていた以上に儲けることができた今回の行商に、一人ささやかな祝杯でもあげようかと、二日間滞在予定だった町の酒場で飲み始めたときのことだった。
「あの夫婦はな、育てた娘を売り飛ばす気でいるんだぜ。あんなに優しくていい娘を。ひでぇ話だ」
すぐ近くで、数人と飲みながら話していた老人の声が、否応なしに俺の耳へ入ってきたのだ。
その内容は、とある夫婦が養女にした娘を資産家だが評判の悪い男の元へ嫁がせようとしている、という話だった。
その男には妻がいるが子供が出来ず、その妻の扱いも使用人とあまり変わらない有様で。
過去に二人、妻を亡くしているが、男の暴力が原因だという噂があった。
養父母は六年間養ったというその娘を、男の二番目の妻として嫁がせたいらしい。
いくら金持ちでも、そんな者のところへ娘を嫁がせるなんて。
身勝手な養い親の話を耳にした途端、俺は何故だか無性に腹が立った。
自分とはなんの関係もない家の娘の話なのだが。
養父母に育てられた娘、という境遇が亡き妻と同じだったせいか、とても気になったのだ。
亡き妻の養い親は娘をとても愛していたし、そんな非道な連中とは似ても似つかぬが。
だから余計に話の中に出てきたその娘が哀れでならなかった。
聞けば遠縁ではあっても、養父にとっては血のつながりのある娘だという話で。
なのにそんな悪評のある男の所へ嫁がせようとしているなんて。
気付けば俺は席を立ち、その話をしていた老人に尋ねていた。
その養父に自分を紹介してもらえないかと。
そして、その日のうちに俺はその娘の家に縁談を申し込んでいた。
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