上 下
1 / 15

第一話〈ナウラ〉

しおりを挟む
 


 その日、あっという間に決まった私の縁談話は、どうやら養い親にとっては願ってもない話だったようで。


 婚儀の日が決まった晩、私の前で養父は言った。


「六年分の恩返しにしては上等だ、ナウラ」


 ♢♢♢


 縁談相手のその人は、知人の隊商キャラバンへ加わってから約三ヶ月ぶりに故郷へ帰る途中で、私が暮らすこの土地から馬で二日はかかる山向こうで暮らす人だった。


 ちょうど嫁探しをしていたそうで。


 どこから何を聞いたのか知らないが、我が家を訪ねて私に縁談を申し込んだ。


 二日はこの地に泊まるから、良い返事を聞かせてほしいと。


 返事をする権利など私にあるはずがなく、全ては養父に委ねられた。


 きっと無理に違いない。


 私はそう思っていた。


 なぜなら私には養父が水面下で推していた縁談があったから。


 あまり快く思っていない相手だけれど、仕方ない。


 そう思っていたのだが……。


 彼の訪問から二日。


 私の結婚相手は金持ちだがあまり評判の良くなかった街の者ではなく、行商帰りで遠くの山向こうに暮らすアクバルト、という名前のその人になぜか決まっていた。


 そして二十日後の月初めにはこの地を離れて嫁ぐのだと言われ、婚儀の日取りまでも決まっていた。


 その間、アクバルトさんは遠い山向こうから、わざわざ二度もこの地へ足を運んでいたらしいが。


 養父母が私に会わせてくれることはなかった。


 申し込みから一ヶ月も経たない間に、養い親と嫁ぎ先とで、どんな話し合いがされたのかはわからない。


 養父母は幼い頃に亡くなった父方の遠い親戚だ。私は十歳のときに母を病で亡くしてから、子供のいなかった親戚夫婦に引き取られ、六年間養ってもらった身の上だったので、縁談話に口など出せるわけもなく……。


 養父母にとって、私はどうやら「役に立てた子供」なのだと、そのときの私にはそう思うことで納得する他はなく、この縁談を受け入れたのだった。


 ♢♢♢

 養母は言った。


『いいかい、ナウラ。結婚ってのはね、契約みたいなもんなのさ。
 一族が絶えないために男は女を欲しがる。女は子を産んで一生を捧げるかわりに、身分を約束してもらう。
 たとえ何番目でも〈妻〉という身分は大事だからね。
 まあ、相手によっては使用人付きのお屋敷と豊かで安定した暮らしも手に入るが。
 そんなのは一握り。
 でもあんたは幸運だよ、ナウラ。
 二番目の妻になるけど、前妻はもう亡くなってるというし、子供もいないしね。
 使用人を抱えるほどのお屋敷じゃないけれど、家持ちでヤギや馬や家畜、兄弟親戚も彼には多いと聞いてる。
 堅い絆のある一族は良縁だ、きっとおまえを大事にしてくれるよ。
 ナウラ、あんたはホントに幸運な子だよ』


 ♢♢♢

 たしかに、家畜が多い家は裕福な証拠だ。

 結納の品として家畜を交わす場合も多い。


 私は家畜何頭と取り引きされたんだろう。


 それともお金かな。


 養父母は貨幣が好きな夫婦だから。

 家に家畜が増えた様子はなかった。

 動物は受け取らなかったようだ。

 養い親の元を離れるとき、私はそんなことを考えていた。


 六年間、義務的で深い愛情を感じることのなかった養父母たちとの暮らしに別れを告げることは然して苦にはならなかったが。


 結婚生活という新しい暮らしについては、不安ばかりが残っていた。


 私が暮らしていた場所では、花嫁は嫁ぎ先の地で婚礼を行うのが風習だった。


 山向こうからお義兄さんと親戚数人を連れて、私を迎えに来てくれたアクバルトさんの顔を、故郷を立つその日、私は初めて見た。


 柔らかそうな真っ黒の髪。


 瞳は茶色にほんの少し赤土色が混ざったような不思議な色をしていた。


 二十八歳。かなり年上だ。


 私の身近にいる男性といえば、小柄な養父以外に見慣れていないせいもあり、背の高いアクバルトさんはとても大きな人に思えた。


 だから少し怖いな、とも思った。


 でも遠い道のりを馬の背に揺られながら、常に私を気遣い、優しい言葉をかけてくれるアクバルトさんに、初対面で感じた怖いという印象は少しずつ払拭された。───けれど。

 それまでまったく面識のなかった男性と、いきなり二人きりの生活を送ることに、正直なところとても不安だった。


『最初の夜さえ越えちゃえば平気だよ』


 先に嫁いだ何人かの友人は皆、そんなことを言っていたけれど。


 心構えや知識だけは養母に教えてもらってもいたけれど……。



 ───『最初だけ、我慢だよ』


 そんなふうにも言われてたけれど。


 ───けれど、婚礼の晩は何もなかった。


 少し動揺したが、内心はホッとしていた。


 山を越え、二日かけて嫁ぎ先へ着き、疲れを残し慣れないまま、翌日には婚礼で。


 朝から重い婚礼衣装を長時間着せられ、食事も思うように摂る時間もなく過ごしていたせいで、婚礼が終わった宵の頃には、かなりの疲労が蓄積されていた。


 ───その夜、


「疲れただろう。おやすみ」


 夫となったアクバルトさんのこの言葉にホッとして、その晩の私は、あっという間に眠りに落ちた。


 でも、それから毎日、一緒の寝所で布団を並べて眠っているけれど。


 次の日も、その次の日も………次の日もずっと。


 アクバルトさんが私に触れることはなかった。


 眠る前には必ず「疲れただろう」とか、「よく休みなさい」などと言ってから最後に微笑んで。


「おやすみ」で、締めくくる。


 そんな毎日だった。


 そして───、

 嫁いでからそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。


 このままでいいのだろうか。


  ときどきそう思うときもあったが。


『夜の行為は夫に任せておけばいい』


 養母もこう言っていたのだ。


 私では何もわからないもの。


 アクバルトさんが触れてこないなら、それでいいのかな。


 何か理由があるのかもしれないし。


 そしてそれは、きっと私がまだ知らなくてもいいことなのかもしれないから。

 そんなふうに思いながら、私は然して気にすることもなく日々を過ごした。

 そしてあっという間の一ヶ月。

 嫁いでみると、それまで当たり前だと思っていたことも、微妙に違っていることがあったりと、ここでの暮らしは覚え直すことも多かった。

 そして覚えたいと思うこともまた多くあり、隣家の女性たちや、アクバルトさんの兄嫁、弟嫁方に教わることもたくさんあった。

 同じ嫁仲間として親しくもなった。

 それまであまり馴染みのなかった調理方法。発酵させる食材や燻製など保存食の作り方まで。

 織や刺繍の手仕事も、彼女たちの指導はときに厳しさもあったが養母から基礎的な教えしか受けていなかったこともあり、幅広い知識が得られることに私は喜びを感じた。

 慣れない土地での新婚生活は大変でもあったが、私は毎日がとても新鮮だった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 第22回書き出し祭り参加作品

みんながまるくおさまった

しゃーりん
恋愛
カレンは侯爵家の次女でもうすぐ婚約が結ばれるはずだった。 婚約者となるネイドを姉ナタリーに会わせなければ。 姉は侯爵家の跡継ぎで婚約者のアーサーもいる。 それなのに、姉はネイドに一目惚れをしてしまった。そしてネイドも。 もう好きにして。投げやりな気持ちで父が正しい判断をしてくれるのを期待した。 カレン、ナタリー、アーサー、ネイドがみんな満足する結果となったお話です。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

その日がくるまでは

キムラましゅろう
恋愛
好き……大好き。 私は彼の事が好き。 今だけでいい。 彼がこの町にいる間だけは力いっぱい好きでいたい。 この想いを余す事なく伝えたい。 いずれは赦されて王都へ帰る彼と別れるその日がくるまで。 わたしは、彼に想いを伝え続ける。 故あって王都を追われたルークスに、凍える雪の日に拾われたひつじ。 ひつじの事を“メェ”と呼ぶルークスと共に暮らすうちに彼の事が好きになったひつじは素直にその想いを伝え続ける。 確実に訪れる、別れのその日がくるまで。 完全ご都合、ノーリアリティです。 誤字脱字、お許しくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います

ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には 好きな人がいた。 彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが 令嬢はそれで恋に落ちてしまった。 だけど彼は私を利用するだけで 振り向いてはくれない。 ある日、薬の過剰摂取をして 彼から離れようとした令嬢の話。 * 完結保証付き * 3万文字未満 * 暇つぶしにご利用下さい

【完結】冷徹な旦那様に溺愛されるまで

アリエール
恋愛
冷徹な旦那・アルベルトに仕えるエリザは、彼の冷たい態度に苦しみながらも、次第に彼への想いを深めていく。そんな彼女に、優しく温かいユリウスが現れ、心が揺れ動く日々が続く。エリザは、二人の間で揺れながらも選択を迫られ、ついにアルベルトとの関係を選ぶことを決意する。冷徹な旦那が少しずつデレていき、エリザとの絆が深まる中、二人の未来はどう変わるのか。愛と信頼の中で織り成す、切なくも温かい物語。

大好きな旦那様が愛人を連れて帰還したので離縁を願い出ました

昼から山猫
恋愛
戦地に赴いていた侯爵令息の夫・ロウエルが、討伐成功の凱旋と共に“恩人の娘”を実質的な愛人として連れて帰ってきた。彼女の手当てが大事だからと、わたしの存在など空気同然。だが、見て見ぬふりをするのももう終わり。愛していたからこそ尽くしたけれど、報われないのなら仕方ない。では早速、離縁手続きをお願いしましょうか。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...