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5.Distance ①
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「ただいま~、いやあ、今週も疲れたなあ。」
飯島の部屋に合鍵で入ってきたのは松木だ。
付き合い始めて1年、週末は大体どちらかの部屋で過ごすようになっていた。
「タダイマじゃねぇよ。お邪魔します、だろ。ここは俺の家だ。」
「え~、もうちょっと温かく迎えてくれたっていいじゃないですか。だいたい、飯島さんだって俺の家に来たってそんな挨拶しないじゃないですか。」
「最近は行ってない。」
「…そうですね。すみません。」
松木が小さくなる。
先に仕事を終えたほうが、食事を準備して部屋で待つ。
そう提案したのは松木のほうだった。
当初、松木は何かと手料理を作って飯島を迎えてくれたものだ。
野菜炒めやらカレーといった単純な料理が中心で、手抜きの時はインスタントラーメンで済まされることもあったが、それでも一生懸命自分に振舞う松木の心遣いが飯島はうれしかった。
それがここしばらくは松木の残業続きのため、逢瀬は飯島の部屋ばかりだ。
「ほら、まずメシ食えよ。」
「あ、うまそー。」
テーブルに並んでいるのは、オードブルにサラダ、アルミの容器に入ったシチュー。
飯島が作ったのではない。
飯島は料理をしない、デパチカは御用達だ。
「あ、これタンシチューだ。うまいなあ。冷えててもうまい。」
「レンジがなくて悪かったな。」
「あ、そういう意味じゃないっすよ。でも電子レンジ、あると便利だと思いますけどね。安いの売ってるじゃないですか。」
「ジャマじゃん。どうせそのうち引っ越すし。」
飯島の言葉に、食事にがっついていた松木がガバリと身を起こす。
「え、聞いてないよ!いつ?どこに?!」
「いや、別に、そのうちって言ったじゃん。」
松木の勢いにたじろぎながら、飯島は口ごもる。
「あ、そうっすね。すみません。」
黙り込んで再びガツガツと料理を平らげる松木を、飯島は見つめていた。
(本当は今すぐ引っ越して一緒に暮らしたい。)
そう言ったら、松木はどんな反応をするだろう。
人の良さそうな顔立ちが当惑して曇るのを思い浮かべ、飯島は慌てて妄想を振り払った。
風呂から上がった松木の顔は、やはり疲労の色が濃い。
「すみません、飯島さん、今夜俺ダメかも…。」
「いいって。俺だって別にいつもそればっか考えてるわけじゃないし。」
「明日挽回しますから。何でもします。して欲しいこと何でも言って。マムシドリンク準備して頑張るから。」
「馬鹿、いいから黙って寝ろよ。まー、明日も同じことにならないように、ゆっくり体を休めるこったな。」
飯島は松木に布団をかぶせ、自分も隣に潜り込むと、プイッと松木に背を向けて丸くなった。
ちょっとした腹いせに、布団の中で冷え切った足の裏を松木の身体に押し付ける。
不意に飯島の身体は背後からぎゅっと抱きしめられた。
「飯島さん、手足冷たいね。温めてあげる。」
冷たい指先を、大きな手のひらで包まれる。
うなじにかかる息がくすぐったい。
飯島は少し泣きたい気分になる。
疲れた松木を慮ってやることさえできない我が儘な自分に、なぜこんなにも優しくするのだろう。
「ねえ、飯島さん、遠距離恋愛ってどう思いますか?」
そのまま寝入るのかと思ったところで、松木が口を開いた。
「なんだ、いきなり?」
「いや、さっき引越しの話なんかするからさ。」
「お前だって、一生あのアパートで暮らすわけじゃないだろ。」
「まあ、そうだけど……いやさ、俺の友達の友達にそういう奴がいて、この前話してたんすよ。参考意見として、さ。」
「俺は無理。気短いし。テレフォンセックスの趣味もないしな。」
「そうですか…そうですよね、やっぱ。」
そうだとも、無理に決まってる、と飯島は思った。
松木から離れられるわけがない。
そばにいてさえ、何かと不安に駆られてしまうのだ。
一時でも離れれば、松木は自分の許には戻っては来ないだろう。
男と付き合うなんて、松木にしてみれば一時の気の迷い、麻疹のようなものだ。
周りの女だって松木を放っておくわけがない。
松木と自分の関係なんて、夜が明ければ消えてしまう淡雪のようなものだ。
だからこそ飢えた野良犬のように松木の肉体を求め、何も考えられなくなるまで求め続けてしまうのに。
一緒に暮らしたら、この不安は消えるのだろうか、もし一緒に暮らせるなら。
「なあ、松木、たとえばの話だけど、もし…」
松木は返事をしない。
飯島を抱きしめたまま、寝息を立てている。
「明日の朝、腕が痺れるぞ。」
これでは疲れも取れないだろうに。
飯島は身を捩り、松木の鼻先にそっとキスをした。
『失敗したり傷ついたりするのを怖がってたら、何もできないよ。』
付き合い始めて間もない頃、松木が飯島に向かっていった言葉を思い出す。
そうだ、と飯島は自分に言い聞かせる。
自分だって決断して前に進まなきゃいけない。
2LDKの物件でも探してみようか。
不安と期待を行き来しながら、飯島もまた眠りに落ちていった。
飯島の部屋に合鍵で入ってきたのは松木だ。
付き合い始めて1年、週末は大体どちらかの部屋で過ごすようになっていた。
「タダイマじゃねぇよ。お邪魔します、だろ。ここは俺の家だ。」
「え~、もうちょっと温かく迎えてくれたっていいじゃないですか。だいたい、飯島さんだって俺の家に来たってそんな挨拶しないじゃないですか。」
「最近は行ってない。」
「…そうですね。すみません。」
松木が小さくなる。
先に仕事を終えたほうが、食事を準備して部屋で待つ。
そう提案したのは松木のほうだった。
当初、松木は何かと手料理を作って飯島を迎えてくれたものだ。
野菜炒めやらカレーといった単純な料理が中心で、手抜きの時はインスタントラーメンで済まされることもあったが、それでも一生懸命自分に振舞う松木の心遣いが飯島はうれしかった。
それがここしばらくは松木の残業続きのため、逢瀬は飯島の部屋ばかりだ。
「ほら、まずメシ食えよ。」
「あ、うまそー。」
テーブルに並んでいるのは、オードブルにサラダ、アルミの容器に入ったシチュー。
飯島が作ったのではない。
飯島は料理をしない、デパチカは御用達だ。
「あ、これタンシチューだ。うまいなあ。冷えててもうまい。」
「レンジがなくて悪かったな。」
「あ、そういう意味じゃないっすよ。でも電子レンジ、あると便利だと思いますけどね。安いの売ってるじゃないですか。」
「ジャマじゃん。どうせそのうち引っ越すし。」
飯島の言葉に、食事にがっついていた松木がガバリと身を起こす。
「え、聞いてないよ!いつ?どこに?!」
「いや、別に、そのうちって言ったじゃん。」
松木の勢いにたじろぎながら、飯島は口ごもる。
「あ、そうっすね。すみません。」
黙り込んで再びガツガツと料理を平らげる松木を、飯島は見つめていた。
(本当は今すぐ引っ越して一緒に暮らしたい。)
そう言ったら、松木はどんな反応をするだろう。
人の良さそうな顔立ちが当惑して曇るのを思い浮かべ、飯島は慌てて妄想を振り払った。
風呂から上がった松木の顔は、やはり疲労の色が濃い。
「すみません、飯島さん、今夜俺ダメかも…。」
「いいって。俺だって別にいつもそればっか考えてるわけじゃないし。」
「明日挽回しますから。何でもします。して欲しいこと何でも言って。マムシドリンク準備して頑張るから。」
「馬鹿、いいから黙って寝ろよ。まー、明日も同じことにならないように、ゆっくり体を休めるこったな。」
飯島は松木に布団をかぶせ、自分も隣に潜り込むと、プイッと松木に背を向けて丸くなった。
ちょっとした腹いせに、布団の中で冷え切った足の裏を松木の身体に押し付ける。
不意に飯島の身体は背後からぎゅっと抱きしめられた。
「飯島さん、手足冷たいね。温めてあげる。」
冷たい指先を、大きな手のひらで包まれる。
うなじにかかる息がくすぐったい。
飯島は少し泣きたい気分になる。
疲れた松木を慮ってやることさえできない我が儘な自分に、なぜこんなにも優しくするのだろう。
「ねえ、飯島さん、遠距離恋愛ってどう思いますか?」
そのまま寝入るのかと思ったところで、松木が口を開いた。
「なんだ、いきなり?」
「いや、さっき引越しの話なんかするからさ。」
「お前だって、一生あのアパートで暮らすわけじゃないだろ。」
「まあ、そうだけど……いやさ、俺の友達の友達にそういう奴がいて、この前話してたんすよ。参考意見として、さ。」
「俺は無理。気短いし。テレフォンセックスの趣味もないしな。」
「そうですか…そうですよね、やっぱ。」
そうだとも、無理に決まってる、と飯島は思った。
松木から離れられるわけがない。
そばにいてさえ、何かと不安に駆られてしまうのだ。
一時でも離れれば、松木は自分の許には戻っては来ないだろう。
男と付き合うなんて、松木にしてみれば一時の気の迷い、麻疹のようなものだ。
周りの女だって松木を放っておくわけがない。
松木と自分の関係なんて、夜が明ければ消えてしまう淡雪のようなものだ。
だからこそ飢えた野良犬のように松木の肉体を求め、何も考えられなくなるまで求め続けてしまうのに。
一緒に暮らしたら、この不安は消えるのだろうか、もし一緒に暮らせるなら。
「なあ、松木、たとえばの話だけど、もし…」
松木は返事をしない。
飯島を抱きしめたまま、寝息を立てている。
「明日の朝、腕が痺れるぞ。」
これでは疲れも取れないだろうに。
飯島は身を捩り、松木の鼻先にそっとキスをした。
『失敗したり傷ついたりするのを怖がってたら、何もできないよ。』
付き合い始めて間もない頃、松木が飯島に向かっていった言葉を思い出す。
そうだ、と飯島は自分に言い聞かせる。
自分だって決断して前に進まなきゃいけない。
2LDKの物件でも探してみようか。
不安と期待を行き来しながら、飯島もまた眠りに落ちていった。
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