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十話 英雄。
しおりを挟む馬車に乗ってから五時間、言葉の勉強を始めて四時間ほどが過ぎた。
『ふぅ……このくらいでしょうか?』
『えっと、それが……ブツブツ』
俺は手を顔に置いて俯く。
そして、覚えたての言葉をブツブツと唱える。
今日のところは簡単な文法と日常的な単語をいくつかを教えてもらっただけだが、もう頭の中が破裂しそうである。
せめて、紙に書き取りでもできれば覚えるのにいいのだけど……。
揺れる馬車の中、そして慣れない猫の前足では文字が書けぬ。
『ふふ。そろそろ、今日宿泊する街に着きますよ』
『あぁ、そうか……』
『見ますか?』
『頼む』
俺はアリアに体を持ち上げられて、馬車の窓から外を覗かせてくれた。
窓の外には、牛や羊が木の柵で囲われた広大な草原でのんびり草をむしゃむしゃと食べていた。何とも、牧歌的な風景が広がっていた。
遠くには古き良きヨーロッパ風の建物が並び小規模ながら街が見えた。
うわ……綺麗だ。
俺は思わず見惚れてしまっていた。
日本には日本の良さがあると思っているのだが、見慣れない装飾、色使い、建築様式を見ているだけで心が躍る。
……先ほどまで、言葉を覚えるのでいっぱいだった頭がすっと軽くなった気がした。
まぁ、言葉を一回で覚える必要はないよな。
こういうのは繰り返し学習が重要にだと昔聞いたことがある。うんうん。
地道に。地道に。
すぐに覚えなくちゃいけない訳ではないからいいか。今はあの街を楽しむのが先決である。
『今日宿泊する街は何て名前なんだ?』
『えっと、ブルックベンの街ですね』
『ブルックベンの街はどんな街なんだ?』
『ブルックベンは英雄が生まれた街として有名です』
『! 英雄?』
『と言っても八百年も昔に居た英雄なのですが』
『どんなことをやったんだ?』
『えっと、十三の悪魔を封印したと言われています』
『悪魔!? そんな、危ない奴がいたんだな……』
『はい。その悪魔達はこの地上を支配していたそうです。詳しくは教会に保管されている【聖書】に記載されていますが。八百年前に英雄、エルフ族、精霊、聖獣……そして、天使が力を合わせて四十四年にも及ぶ『リベルドの聖戦』を経て、悪魔達の支配を退けて、封印したと』
『て、天使? ……悪魔がいるんだから、いてもおかしくないのか? ぬぬ、前世の常識を持ったままだと、疑いたくなるな』
『天使については、【聖書】で知りましたが、私も実際に見たことも見たという人も知らないので実在するかは半信半疑ですね。リナリーは聞いたことがありましたか?』
アリアがリナリーに話を振ると、リナリーは口元に指先を当てて視線を下げ、考えるしぐさを見せた。
少しの間の後にリナリーの声が聞こえてきた。
『いえ。精霊、聖獣は冒険者をやっていた時に見たことありますが……天使は見たことはありませんね。【聖書】に関しては一度読んだことがありますが、正直私は作り話ではないかと思っています』
まぁ……歴史は往々にして為政者の手によって、すり替えられるものだからな。
前世でも、聖徳太子やジャンヌダルクが実在していないかもしれないとテレビでやっていたのを見たしな。
その【聖書】とやらも、教会が信者を集める、もしくは信者の考えを誘導するために書き換えた可能性もあるだろう。
俺がそんなことを考えていると、アリアから声が聞こえてきた。
『ごめんなさい。も、もういいですか?』
『あ。ごめん。重たかったよな』
アリアは腕をプルプルと振るわせながら、俺を支えて外を見せてくれていた。
持ち上げてもらって三分くらいしか経ってないと思ったが……。
そんなに俺は重たかっただろうか?
アリアの様子を見て心の中で小さな疑問を感じながら、俺は一度謝るとアリアの隣に降りて座った。
『ふぅ……疲れました』
『大丈夫か? なんかの病気か?』
『いえ、私はあまり体力がないので』
腕を揉みながらアリアは首を横に振った。すると、そのアリアの様子を見ていたリナリーが小さく笑った。
『ふふ、そうですね。今まで、なんども体を鍛えようとして諦めていますからね』
『うう……最低限動けていますし、それに一日寝込んでしまっては晩学に遅れが出てしまう……。だから諦めてしまうのですよね』
アリアは俯いてあからさまに気を落とし様子で、アリアの体には大きい馬車の座席で浮いた足をパタパタと前後に動かした。
『寝込むって……アリアは、そんなに体が弱いのか?』
『はい、アリア様の体が弱いのは筋金入りですから』
俺の疑問に、リナリーが答えてくれた。
ただ、その答えに俺はさらに疑問が湧いてくる。
『それはリナリーがスパルタ過ぎたからではないのか?』
『ち、違いますよ。それはありません。……いいでしょう。アリア様がどれだけ体弱いか教えてあげましょう。腕立て伏せを三十回やったら、次の日両腕が上がらなくなりました。腹筋を三十回やったら、次の日起き上がれなくなってしまいます。十五分以上休憩なしで歩いたら、寝込んで倒れてしまうんです』
『それは本当か?』
俺はリナリーから聞いたことが本当か確認するようにアリアに視線を向ける。
すると、アリアは俺から顔をサッと逸らした。
アリアの様子から察するにどうやら本当のようだ。
俺が納得してうなずくと、リナリーは首を傾げて視線を向けてきた。
『どうですか? アリア様は大事なお方なのでさすがの私も無理はさせられませんよ』
『あぁ……疑ってすまなかった。しかし、それでよく俺の住んでいた洞窟にまでよく行けたな。結構深い森の中だったろ?』
『もちろん、私が背負っての移動ですよ』
『そうか。んーそこまで体が弱いとなると……少しは体を鍛えないと、いつか困ることになると思うぞ』
『そうですよね。しかし、アリア様も言った通り、寝込んでしまって勉学がおろそかになるのは』
『じゃ、例えば毎日寝込む寸前まで体動かして限界値を上げていくのがいいかな?』
『あ……それいいですね』
『とりあえず、腹と足の筋肉を鍛えて』
『なるほど、活動に必要なところからという訳ですね』
『それか、体を鍛えてすぐに倒れたりする訳ではないのだから……』
俺とリナリーがアリアの今後の筋トレメニューを話していると、アリアは話を変えるように身を乗り出して馬車の窓の外を指さした。
『あ、も、もうブルックベンの街に着くみたいですよ!』
アリアが言った通り、馬車がブルックベンの街に近づいて街の様子が大きく見えるようになっていた。
『あ、ほんとだ。まぁ……やっぱりアリアは体力を付けた方がいいと思うぞ?』
『うう……そうですね』
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