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第一章 移住編

54. 元婚約者との邂逅 ◇

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「それでは私は、馬車の始末をして参ります」
「そうか。ご苦労」

 話し声で目を覚ました。
 どこかで、聞き覚えのある声。

「ここは……?」

 知らない場所だった。
 私は後ろ手を縛られて、転がされていた。

「目が覚めたようだな」
「貴方は……!」

 一瞬、我が目を疑う。
 そこにいたのはマティアス殿下だった。
 無精ひげが生え髪もボサボサで、最初は誰だか分からなかったけど。

 ここはハラデュールなのだろうか。気絶している間に連れて来られた?
 今頃、お師匠様は心配しているだろう。
 何とかして私の居場所を伝えないと……。

 私はこっそりと光精霊を呼び出そうとした。
 だが、いくら精霊に問いかけても反応がない。

「おっと、精霊を呼び出そうとしても無駄だぞ。精霊封じの腕輪を付けさせたからな」

 腕に鉄の腕輪が填められている。精霊封じと言った?何故そんな物を、彼が持っているの……?

 右耳の痛みで、イヤリングが無いことに気づく。
 耳たぶから血が出ている。引きちぎられたのだ。

 婚約したばかりの頃、マティアス殿下に「何だ、そのセンスの悪い耳飾りは。みっともない、外せ」と言われた。俺の隣に立つのならば、もう少し見栄えに気をつけろと。
 外せないと答えると理由をしつこく聞かれ、精霊石のことを話してしまったのだ。お師匠様には、誰にも話すなと言われていたのに。

「なぜ、こんな事をするのですか」
「お前たちへの仕返しに決まってるだろう?魔石を買うのに、有り金をほとんど使ってしまったが。大金をはたいた甲斐はあったようだな」

 マティアス殿下がにんまりと笑う。

 この流行病の原因は、魔石が魔霊を呼び寄せたからだとお師匠様が仰っていた。
 まさか、殿下の仕業だったの?
 私たちに仕返するために……?
 そのせいで何十人もの人々が亡くなったことを、彼は知っているのだろうか。

「何て酷いことを……」
「酷いだと?」

 殿下がつかつかと歩み寄り、私の髪を掴んだ。

「お前たちがした事は酷くないとでもいうのか!?おかげで俺は笑い物だ。王族からも除籍された。全部全部全部全部全部全部、シャンタルとお前が悪いんだよ!」

 目は血走り、狂気をはらんだ顔。
 元婚約者の初めて見る狂気に、私は怯える。

「お前を人質に取れば、シャンタルも手は出せまい。精霊封じの腕輪さえ付ければ、大精霊士アルカナ・マスターとてただの女だ。弟子おまえの前で、あの傲慢な女を犯してやろう。その後は精霊士排除派のアジトにでも放り出すか。奴らに、嬲り殺しにされるかもなあ~?」

 ひゃははははは、と高笑いする殿下。
 まともな状態ではない。

「元婚約者のよしみだ。従順にしているなら、お前だけは助けてやってもいいぞ。俺の愛人にしてやろう。光栄だろう?」

 そう言いながら、彼は空いた方の手を私へ伸ばした。
 その手が私の胸へ触れそうになり、ゾッとする。

「触らないで、気持ち悪い!」

 思わず叫んでしまった。
 
 瞼に、フェリクス殿下の優しく笑う顔が浮かぶ。
 私に触れて欲しいのは。
 私が触れたいのは。
 貴方だけ……!

「誰が、貴方の愛人なんかになるものですか!」

 それを聞いたマティアス殿下が、みるみる怒りの形相になった。
 髪を掴んだ手を下ろし、私を蹴り上げる。

「うぅっ……」
「気持ち悪いだと!?平民の分際でこの俺を侮辱するか、このクソ女!」

 彼は痛みにうめく私の上へ馬乗りになり、さらに殴り続けた。
 痛みと恐怖で気が遠くなる。
 誰か……助けて……

「何をしている!」
「なんだお前たちは……ぐあっ」

 どたどたという足音と誰かの叫び声と共に、暴力が止んだ。
 そして、誰かが私を抱き起こした。
 この腕の暖かさを、私は知っている。

「アニエス!やっと見つけた……!」

 そこには、泣きそうな顔で私を抱きしめるフェリクス殿下がいた。
 
「遅くなってごめん。怖かっただろう」
「殿下……フェリクス殿下……」

 私は彼の名前を呼びながら、その胸にすがりついた。
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