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第一章 移住編

47. アニエスの受難 ◇

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 冬休み直前のある日。
 私とディアーヌ様は、放課後の勉強会へ参加していた。
 
 学年の終わり、春になる前には成果発表会がある。
 精霊術を発表会の題材に選んだ生徒同士で、一緒に勉強しようということになったのだ。
 参加メンバーにはクロード様や、ディアーヌ様と仲の良いご令嬢の一人、コンスタンス様もいる。ディアーヌ様には他にも仲良しの方が二人いらっしゃるけれど、誘いを断られたそうだ。

「やる気のない人に参加されたら、効率が下がりますから。却って良かったのですわ」

 なんてディアーヌ様は仰っていた。
 そういえば以前はいつも四人で一緒だったのに、最近はコンスタンス様しか側にいない。どうしたんだろう?

 勉強会で、私はいろいろ質問を受けた。答えられそうなものは答えたけれど、分からないものは私が持ち帰ってお師匠様へ聞くことになった。
 
「シャンタル先生は授業のある時しか学園にいないから、アニエスさんがいてくれて助かるよ」
「そうですわね。あら、もうこんな時間。そろそろお開きにしましょうか」
 
 その一声で勉強会は終いになった。
 外を見ると、すでに陽が沈み始めている。
 ディアーヌ様が馬車で送ってくださる事になり、私はひとり玄関で待っていた。

「ディアーヌ様、まだかなあ」

 そう呟いた時。バシャッという音と共に、水が降ってきた。
 何が起こったか分からず、悲鳴を上げる。
 濡れ鼠になった私が顔を上げると、そこにはディアーヌ様と仲の良い、あの二人の令嬢がいた。
 
 二人は手桶を持っている。
 手桶の水を掛けられたのだと気づいた。

「まあ、無様ですこと」
「精霊士見習いだかなんだか知りませんが、平民の癖に。フェリクス殿下に飽きたらずディアーヌ様にまですり寄る恥知らずには、お似合いの姿ですわ」

 呆然とする私の耳に、彼女たちの嘲笑が届く。

 平民の癖に。

 どこかで聞いた言葉。
 ああ、そうだ。あの婚約破棄された日だ。

「あなたたち、何をなさっているの!」

 ディアーヌ様の叫び声が聞こえ、二人は私の前から逃げ出した。

「びしょ濡れじゃない。すぐに着替えを持ってこさせますわ」
「大丈夫です、精霊術で乾かせますから。そんなことより、皆さんの質問メモが濡れてしまって」
「そんなこと、じゃないわよ。少しはご自分の身も気遣いなさいな」

 家に帰ると、すぐにセリアさんがお風呂へ入れてくれた。湯船に浸かって身体は暖まったけれど、心は冷える一方だ。

 あの日の情景が目の前に蘇る。
 私を見下して笑うマティアス殿下とナディーヌ侯爵令嬢。それを眺めてヒソヒソと面白そうに笑っていた貴族たち。
 二人の令嬢の笑う声が、ぐるぐると頭の中に響く。
 吐きそうだ。
 


「アニエス!」
「フェリクス殿下……」
「あらフェリクス殿下、ごきげんよう」

 翌朝。廊下を歩いていたら、呼び止められた。フェリクス殿下が息を走らせてこちらへ走ってくる。

「ディアーヌから連絡を貰ったんだ。アニエス、大丈夫か」
「はい、問題ありません」

 努めて明るく答えるようにした。
 ちゃんと笑えてるかな、私。

「そうか。しかし、その女生徒二人は許せない。同級生に嫌がらせなど……。今日は学園に来ていないのか?厳重に注意せねば」
「当分、来られないと思いますわよ。私からしておきましたから」
 
 殿下が察した顔になった。

「ああ……。君が動いたのなら、俺の出る幕は無さそうだな。あまりやり過ぎるなよ」
「ほほほ、分かっておりますわ」

 フェリクス殿下とディアーヌ様は、多くを語らずとも通じているようだった。
 幼なじみで侯爵家のご令嬢。フェリクス殿下に本当にふさわしいのは、ディアーヌ様のような方だ。

「さて、私は次の授業の準備をしなくては」とディアーヌ様が去っていく。
 二人きりになると、殿下は私の方を向いて優しく笑いかけた。

「アニエス。来週末あたり、休みが取れそうなんだ。待たせてすまなかったが、約束通り出かけよう。博物館はどうだ?なかなか興味深い展示物があるんだ。きっと君も興味を」
「もういいです、殿下」
「え?」
「気を使って下さらなくても結構です。私は行きません。どうか、殿下に相応しいご令嬢をお誘い下さい」

 彼が何を言われたか分からないという顔をする。
 私は「失礼します」と呟いて、背を向けた。

「アニエス!待ってくれ」と呼びかけられるが、無視して走り去った。
 涙がぽろぽろと零れ落ちる。
 走りながら鼻をすすり、袖で顔をぬぐった。
 
 こんな思いをするのなら。
 殿下と出会わなければ良かったのに。
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