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4. 失くしたものは
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「ルイーゼ!」
廊下で呼び止められたルイーゼが振り向くと、そこにはひどく蒼褪めたマルティンがいた。
「婚約解消って聞いたけど……何かの間違いだろ?」
「いいえ、合っています。既に私たちの婚約は解消されておりますわ」
「そんなバカな!俺たちの婚約は王命だ。そんな簡単に解消できるはずが」
「護り手の仕事を成し遂げた褒美として、陛下は私たちの婚約の解消を聞き届けて下さいました」
「どうしてそんなことを。俺と結婚できなくていいのか?君は俺を慕ってくれていたのだろう」
「お話したでしょう?護り手となる者は、持てる愛の全てをソヴユ神へ捧げるのです。親愛も、恵愛も……恋愛も。今はもう、私の中に貴方を慕う気持ちが存在しないのです」
マルティンは必死の形相でルイーゼに縋りついた。婚約が無ければ彼は卒業後に行く当てがないのだから、焦っているのだろう。
だけど婚約を解消した今となっては、彼女には何の関係もないことだ。
「そんな……。今さら婚約が無くなったら、俺はどうすればいいんだ?君だって、今から結婚相手を探すのは難しいだろう。それに直轄領のことだって」
「直轄領のことは別の方を探すので心配しなくても良いと陛下は仰せでした。私は卒業後、修道女となり一生神へ仕えるつもりです」
「修道院なんてまともな貴族の行くところじゃない。令嬢として当たり前の幸せを手放すことになるんだぞ!」
ルイーゼは不思議そうに首を傾げ、「私が護り手になることを、貴方も望まれていたんでしょう?」と答えた。
「こんな大事になると知っていたら賛同しなかった!ただ祈りを捧げればいいのかと」
「国ひとつを護るほどの結界ですよ。そんなに軽いわけがないでしょう」
小国とはいえ、結界はこのロッズェ国全土に張り巡らされている。その原理は現在の魔法技術でも未だ解明できていない。ただ神のみぞ知る御業だ。
その見返りに多量の命を捧げろと言われたっておかしくはない。一人の人生を犠牲にして済むのなら、むしろ安いものだろう。
「過去現在未来、全ての愛を私は失ったのです。例え誰かと結婚して子供が産まれたとしても、私はその子を愛せません。それは私にとっても、夫や子供にとっても不幸なことでしょう。だから、これでいいのです」
過去の護り手には結婚した女性もいる。だが彼女たちが幸福だったとは、ルイーゼには思えなかった。
「……嫌だ!」
目に涙をためてマルティンが叫んだ。
「嫌だ。ルイーゼがいなくなるなんて嫌だ!君が好きなんだ。愛が消えたというのなら、今から新たに愛を育もう。君が不快ならもう他の女の子と遊んだりしないから……。何だって君の言うとおりにする。だから俺の傍にいてくれ、ルイーゼ!」
あれほど見栄にこだわっていた彼が。他の女性を優先にしルイーゼの言葉を聞こうともとしなかった彼が。
プライドをかなぐり捨て、駄々っ子のように泣きながら自分へ懇願している。
ルイーゼはその様子を感情の籠らない目で見つめた。
陽だまりのようなその笑顔が好きだった。湯たんぽみたいに温かな手が好きだった。だけどその気持ちが、今は思い出せない。
「……マルティン様。失ってしまったものは戻りませんわ」
その後ルイーゼは王家に縁のある修道院に入り、生涯をそこで過ごした。
行く当てのなくなったマルティンは慌てて婿入り先を探したものの、受け入れてくれる令嬢はいなかった。彼の浮気癖は貴族たちへ知れ渡っていたのだ。マルティンは両親や兄に自業自得だと怒られ、卒業次第家から出て行くよう言い渡された。
王宮の文官試験を受けたものの、今まで勉学に身を入れてこなかった彼が合格できるはずもない。何度も受験してようやく下級文官の職を得た。安い給料では妻を娶ることも出来ず、今も文官の宿舎で生活している。
そして時折ため息を付いては、ルイーゼの名を呟いているらしい。
修道院へ訪れた友人からそれを伝え聞いたものの、ルイーゼには何の興味も沸かなかった。
彼に対して思い出はあっても、想いはないのだから。
長年修道女を勤め上げたルイーゼはその功績を認められ、修道院長となった。その後も貧しい者のための教育機関や医療施設など民のために尽力。貴族平民問わず優しく接する彼女は『慈悲深き護り手』と呼ばれ、尊敬を集めている。
ある時、ルイーゼに憧れる若い修道女が彼女へ問い掛けた。
「ルイーゼ様。どうすれば貴方のように誰にでも等しく、慈悲深くなれるのでしょうか」
「そうねえ……誰も愛さないことかしら」
「えっ?」
思いもよらない答えに固まってしまった相手へ、ルイーゼは穏やかに微笑みながら続ける。
「誰かを愛してしまったら、どうしてもその人を他者より優遇し、独占したくなるでしょう?私は誰も愛していないの。だから、全ての人へ平等に接することが出来るのよ」
廊下で呼び止められたルイーゼが振り向くと、そこにはひどく蒼褪めたマルティンがいた。
「婚約解消って聞いたけど……何かの間違いだろ?」
「いいえ、合っています。既に私たちの婚約は解消されておりますわ」
「そんなバカな!俺たちの婚約は王命だ。そんな簡単に解消できるはずが」
「護り手の仕事を成し遂げた褒美として、陛下は私たちの婚約の解消を聞き届けて下さいました」
「どうしてそんなことを。俺と結婚できなくていいのか?君は俺を慕ってくれていたのだろう」
「お話したでしょう?護り手となる者は、持てる愛の全てをソヴユ神へ捧げるのです。親愛も、恵愛も……恋愛も。今はもう、私の中に貴方を慕う気持ちが存在しないのです」
マルティンは必死の形相でルイーゼに縋りついた。婚約が無ければ彼は卒業後に行く当てがないのだから、焦っているのだろう。
だけど婚約を解消した今となっては、彼女には何の関係もないことだ。
「そんな……。今さら婚約が無くなったら、俺はどうすればいいんだ?君だって、今から結婚相手を探すのは難しいだろう。それに直轄領のことだって」
「直轄領のことは別の方を探すので心配しなくても良いと陛下は仰せでした。私は卒業後、修道女となり一生神へ仕えるつもりです」
「修道院なんてまともな貴族の行くところじゃない。令嬢として当たり前の幸せを手放すことになるんだぞ!」
ルイーゼは不思議そうに首を傾げ、「私が護り手になることを、貴方も望まれていたんでしょう?」と答えた。
「こんな大事になると知っていたら賛同しなかった!ただ祈りを捧げればいいのかと」
「国ひとつを護るほどの結界ですよ。そんなに軽いわけがないでしょう」
小国とはいえ、結界はこのロッズェ国全土に張り巡らされている。その原理は現在の魔法技術でも未だ解明できていない。ただ神のみぞ知る御業だ。
その見返りに多量の命を捧げろと言われたっておかしくはない。一人の人生を犠牲にして済むのなら、むしろ安いものだろう。
「過去現在未来、全ての愛を私は失ったのです。例え誰かと結婚して子供が産まれたとしても、私はその子を愛せません。それは私にとっても、夫や子供にとっても不幸なことでしょう。だから、これでいいのです」
過去の護り手には結婚した女性もいる。だが彼女たちが幸福だったとは、ルイーゼには思えなかった。
「……嫌だ!」
目に涙をためてマルティンが叫んだ。
「嫌だ。ルイーゼがいなくなるなんて嫌だ!君が好きなんだ。愛が消えたというのなら、今から新たに愛を育もう。君が不快ならもう他の女の子と遊んだりしないから……。何だって君の言うとおりにする。だから俺の傍にいてくれ、ルイーゼ!」
あれほど見栄にこだわっていた彼が。他の女性を優先にしルイーゼの言葉を聞こうともとしなかった彼が。
プライドをかなぐり捨て、駄々っ子のように泣きながら自分へ懇願している。
ルイーゼはその様子を感情の籠らない目で見つめた。
陽だまりのようなその笑顔が好きだった。湯たんぽみたいに温かな手が好きだった。だけどその気持ちが、今は思い出せない。
「……マルティン様。失ってしまったものは戻りませんわ」
その後ルイーゼは王家に縁のある修道院に入り、生涯をそこで過ごした。
行く当てのなくなったマルティンは慌てて婿入り先を探したものの、受け入れてくれる令嬢はいなかった。彼の浮気癖は貴族たちへ知れ渡っていたのだ。マルティンは両親や兄に自業自得だと怒られ、卒業次第家から出て行くよう言い渡された。
王宮の文官試験を受けたものの、今まで勉学に身を入れてこなかった彼が合格できるはずもない。何度も受験してようやく下級文官の職を得た。安い給料では妻を娶ることも出来ず、今も文官の宿舎で生活している。
そして時折ため息を付いては、ルイーゼの名を呟いているらしい。
修道院へ訪れた友人からそれを伝え聞いたものの、ルイーゼには何の興味も沸かなかった。
彼に対して思い出はあっても、想いはないのだから。
長年修道女を勤め上げたルイーゼはその功績を認められ、修道院長となった。その後も貧しい者のための教育機関や医療施設など民のために尽力。貴族平民問わず優しく接する彼女は『慈悲深き護り手』と呼ばれ、尊敬を集めている。
ある時、ルイーゼに憧れる若い修道女が彼女へ問い掛けた。
「ルイーゼ様。どうすれば貴方のように誰にでも等しく、慈悲深くなれるのでしょうか」
「そうねえ……誰も愛さないことかしら」
「えっ?」
思いもよらない答えに固まってしまった相手へ、ルイーゼは穏やかに微笑みながら続ける。
「誰かを愛してしまったら、どうしてもその人を他者より優遇し、独占したくなるでしょう?私は誰も愛していないの。だから、全ての人へ平等に接することが出来るのよ」
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ご感想ありがとうございます!
令嬢が恋心を手放す話は時折見かけますが、特定の恋愛感情だけ抜くって難しいよね?というアイデアから思いついた話でした。
仰る通りルイーゼにとっては愛のない結婚生活を続けるより、多くの人々に慕われる一生は幸せだったかもしれませんね。