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一
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合間山の骸峠には山蛭様がおわします。
旅人は近隣の集落で必ず忠告される。骸峠にだけは行くなと。その峠を通ると血を抜かれるという言い伝えがある。シカやイノシシ、忠告を聞かなかった旅の行商人がたびたびそういう目にあって、すっかり誰も近寄らなくなった。
これ幸いと、今日も鰍はごんごろと亡骸を並べて、ぜえぜえと息をつく。どうして死んだ人間はこうも重いのか。
三日前の骸は半分ほど吸血されていた。身体の右半分が枯れ木のように骨と皮だけになっている。狼や熊が死体を食い散らかした場合はこうはならない。だから、やっぱり山蛭様はいるのだと思う。どうでもいいことだけれど。血抜きされた亡骸は腐敗臭がしない。獣に荒らされると、ただ土に返すのも難しくなる。いちいち埋める体力などない鰍には願ってもないこと。
今日の亡骸は年若い娘。自分と同じ年の頃だったが、痩せっぽちの鰍と違ってふくよかな娘だった。生きていれば羨ましい肉付きだが、死んでしまえばただの肉。重くて適わない。峠にある大木のイチョウの下に並べて、ほっと息をつく。どん、と幹を蹴っ飛ばし、落ちてきた枯れ葉で亡骸を隠す。早く早く、消えてなくなりますように。祈るような気持ちだった。
「あのう、申し……」
いきなり声がして、振り向いた。黄昏時の中、ぼんやり光る人影がいた。鰍は胸元から錆びた短刀を握りしめた。落ち延びた野武士か行商人か、どちらにしろ面倒だ。
けれど、すぐにその異様さに手を止めた。
つやつやとした貴族のような長い黒髪、立派な着物、まあるい瞳。薄い唇。日焼けを知らない肌。男か女か分からない中性的な顔は、一見すれば、どこぞの姫様か貴公子様か、見惚れるばかりの風体だった。
……その口元が真っ赤な鮮血で濡れていなければ。その細い手が三日前のちぎれた男の腕を大事に抱えていなければ。
怯えのあまり、声が出ない。山蛭様。山蛭様。頭の中で、言い伝えの異形の名が響く。腰を抜かした鰍に、その異形は近づいた。足元がぬるり、と妙な液体に濡れている。
真っ赤な口元は緩やかに開かれて、
「すみません。もうおなかがいっぱいなのですが」
信じられないくらい、情けない声を出した。
旅人は近隣の集落で必ず忠告される。骸峠にだけは行くなと。その峠を通ると血を抜かれるという言い伝えがある。シカやイノシシ、忠告を聞かなかった旅の行商人がたびたびそういう目にあって、すっかり誰も近寄らなくなった。
これ幸いと、今日も鰍はごんごろと亡骸を並べて、ぜえぜえと息をつく。どうして死んだ人間はこうも重いのか。
三日前の骸は半分ほど吸血されていた。身体の右半分が枯れ木のように骨と皮だけになっている。狼や熊が死体を食い散らかした場合はこうはならない。だから、やっぱり山蛭様はいるのだと思う。どうでもいいことだけれど。血抜きされた亡骸は腐敗臭がしない。獣に荒らされると、ただ土に返すのも難しくなる。いちいち埋める体力などない鰍には願ってもないこと。
今日の亡骸は年若い娘。自分と同じ年の頃だったが、痩せっぽちの鰍と違ってふくよかな娘だった。生きていれば羨ましい肉付きだが、死んでしまえばただの肉。重くて適わない。峠にある大木のイチョウの下に並べて、ほっと息をつく。どん、と幹を蹴っ飛ばし、落ちてきた枯れ葉で亡骸を隠す。早く早く、消えてなくなりますように。祈るような気持ちだった。
「あのう、申し……」
いきなり声がして、振り向いた。黄昏時の中、ぼんやり光る人影がいた。鰍は胸元から錆びた短刀を握りしめた。落ち延びた野武士か行商人か、どちらにしろ面倒だ。
けれど、すぐにその異様さに手を止めた。
つやつやとした貴族のような長い黒髪、立派な着物、まあるい瞳。薄い唇。日焼けを知らない肌。男か女か分からない中性的な顔は、一見すれば、どこぞの姫様か貴公子様か、見惚れるばかりの風体だった。
……その口元が真っ赤な鮮血で濡れていなければ。その細い手が三日前のちぎれた男の腕を大事に抱えていなければ。
怯えのあまり、声が出ない。山蛭様。山蛭様。頭の中で、言い伝えの異形の名が響く。腰を抜かした鰍に、その異形は近づいた。足元がぬるり、と妙な液体に濡れている。
真っ赤な口元は緩やかに開かれて、
「すみません。もうおなかがいっぱいなのですが」
信じられないくらい、情けない声を出した。
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