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2章 生贄たちの事情
18、発露
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その眼差しはとても真剣だった。
眩しいものを見るように幻神は目を細めた。
よく分からない娘。
幻神が近づけば逃げるのに、消えようとすれば、引き止めようとする我儘な娘。理解できない行動に眉をひそめる。
(──……千冬の偽物をそばにおいて置きたいから?)
いや、ちがう。
明里は幻神と千冬は別人であると今さっき否定した。大体明里は最初から、外側だけ同じ幻神を拒み続けていた。
(……災厄を起こされたくないから?)
それもちがう。
明里は幻神が災厄を起こす気がないとちゃんと、気がついていた。
考えても、考えても、考えても。明里の言葉は言葉通りの意味にしか取れず、幻神は愕然とした。長い時間をかけて、ようやく気づく。
幻神が“千冬”のガワをかぶらなくなったら、この娘は逃げなくなったのだ。
(本当に、俺に自我があると、そう思っているのか)
それはたぶん、気がついてはいけないことだ。そんな予感だけはした。
人のために望む姿になる幻神の在り方を真っ向から否定する言葉。明里の言霊のせいで、もはや輪郭を保つのも難しく、少し動けば指先から崩れ落ちていきそうだった。
それなのに、怒りは湧いてこなかった。あれだけ写し身を否定されて、幻神の在り方に致命的にヒビまで入れられて、湧き上がる感情に幻神自身が困惑していた。
「知りたい、とは。“俺”を?」
こくり、と明里は頷く。
心臓が、跳ねた。
明里の行動はいちいち、胸の真ん中を苦しいくらい締めつけた。
わざわざ会いに来ることも、一緒に食事をとることも、礼を言うことも、なにも必要ないはずなのに。明里の行動は不合理で、理解に苦しむものばかりだった。
「‥‥俺が消えたほうが、おまえは幸せになれるのではないのか」
「それは、そうかも、しれませんが」
苦し紛れに、尋ねた質問の答えに。
「あなたがこのまま消えてしまったら、また私は目を背けて生きていきそうで。もう目をそらすのは嫌なんです。千冬からも、あなたからも」
水面にいくつも石が投げ込まれたように、また、気持ちが波立つ。
本当に、数百年間の儀式でこんなことは初めてで。明里だって、最初は千冬の偽物だと己を忌避していたのに、なにが彼女を変えたのかすら、幻神には分からない。どうしてこんなにも、偽物のはずの心臓が逸るのかすらも、分からなかった。
「では、名を──」
思わず言いかけた方法に、本能が警告を鳴らす。それだけはいけない。名前を持つことだけは。確かに“名前”を持てば、実体を確かなものにできる。でも、あまりにも危険な行為。
名前というのは、それだけ重い縛り。
魔性や神霊が畏れられるのは、神秘だからだ。得体が知れないからこそ、解明できないからこそ、怖がられ、傅かれる。名前を知られたり、正体を見られることを嫌うあやかしや魔性は多い。
名前を持つということは特定されるということ。正体を知られるということは対策をこうじられるということ。対策がある怪異など、解明された神秘などそんなものは、もはやただの自然現象と変わりない。
まして、今幻神はこの娘に名前を委ねようとした。それは、この娘に神性を投げ渡すに等しい。名前は重要だ。神霊をも懐柔することもできる。もし、相手を使役したいのであれば、犬や馬のような人間に付き従う生き物の名前をつければいいし、力を矮小化したいなら、塵芥のような無価値な名前をつければいい。
矜持を守るというのなら、今この場で神として泡と消えたほうがはるかにマシだ。
それなのに、その激しい誘惑に、幻神は抗えなかった。
“知りたい”という、まっすぐな言葉が、あんまりにも嬉しかったから。
神の位を、地に落とす行為だと分かっていても。
「──俺に、名前をくれないか」
神様はつい、その言葉に縋ってしまった。
「なまえ?」
明里はきょとんとして幻神を見た。危険な橋を渡っている神様のことなんかまったく気づかずに、首を傾げる。
「なんで、名前なんですか?」
幻神は脱力する。
それはそうだ。
明里はただの村娘。霊験あらたかな陰陽師でもなければ、霊力のある巫女でもない。ただの人間。
幻神が災厄を起こす気がないと分かっていて、名前まで委ねられていて、脅迫することも、使役することもできる立場にありながら、そんな発想どこにもなかった。幻神はその呑気さに、思わずため息をついてしまった。
「本来の“俺”に名はない。幻神というのはただの神名で、言うなれば役職名のようなものだ。現世にカタチを留めるには、器がいる。“千冬”の器が壊れるなら、新しい器を用意するしかないからな。だから、俺自身を元にした新しい器が欲しい。俺もやったことはないから、上手くいくかは分からないが」
なるほど、と明里はなんの疑問も持たず、納得した。
「そんなことでいいのですか? 名前をつけるだけで、大丈夫なんですか?」
そんなことか。幻神はほとほと呆れてしまった。人ならざるモノが名前を嫌う以前に、名前を持つことは、幻神の性質と最悪に相性が悪い。だって、自己を認めてしまったら、自分だけの名前を持ってしまったら、誰かに成り代わるなんて不可能だ。この場で消失を免れたとて、次回の儀式で現界できるかも分からない。幻神からしたら、それくらい、ぎりぎりの選択なのだが。
「名を持つということは、そこに“在る”と存在を決定するということだ。けれど、もともと実体のない俺が一から新たな器を作るのは難しい。千冬を土台にして構わないから、できるだけお前の持つ、俺の自己とやらの印象を思い描いて。名前をくれればそれでいい」
なんの色眼鏡もない、この娘に映る己がどんなものか、本気で興味が湧いた。
***
さあ、と促されて、明里は慌てて身を正した。
(名前、幻神さまの印象……)
困った。
確かに千冬とは全然似ていないと宣言したのは明里ではあるが。この神様のことをあまり多く知っているわけではない。だいたい、今までまともに顔すら見てこなかったのだから当然だ。
明里はひとつ、深呼吸した。
だから、とりあえず、できることと言ったら。
ただ、じっと目の前の神様を観察することだけだった。
「──……」
最初に、目が合った。
目。
そうだ。瞳の色はよく見ると違う。
何度も目に入っていたはずなのに、情報として頭が処理できていなかったことに気づく。千冬はごく一般的な黒目であったが、幻神の瞳は水底のように深い青。怒気を孕んだ金色の瞳はできれば二度と見たくない恐ろしさだったが、普段の深い青色はとても綺麗で澄んでいる。
顔は、確かに千冬と生き写しであるが、表情の機微はやっぱり乏しい。明るい笑顔が印象的だった千冬の顔が無表情なのは違和感があるが、取り繕った笑顔よりはこのほうがいい。
よく見れば、肌も日焼けしていた千冬より少しばかり白い。最初に会ったときはそこまで違いはなかったので、村にいるうちに日焼けは失せていたのか。もしかして神様は日焼けとかしないのだろうか。そういえば、千冬は農作業で手のひらも皮膚が固く、豆だらけだった。神様にはそういった傷や化膿も見受けられない。水嵩を増した川に飛び込んでもかすり傷ひとつつかないのだから、自然に治癒してしまうのかもしれない。長く綺麗な指先は、女性的ですらある。
それでも、身長は明里より頭一つ分は高かった。着物は棚機の祭事のときに身に着けていた浄衣ではなく、いつもの露草色の水干と指貫姿に戻っていた。それなのに、翡翠の耳飾りだけはそのままになっている。翡翠の丸玉の下に揺れる桔梗色の房は妙に浮世離れした雰囲気と相まってよく似合っていた。
千冬は装飾品を身につけることはなかったから、神様の好みかもしれない。
好みといえば酒もそうだ。
千冬も付き合い程度には嗜んではいたが、この神様のような蟒蛇ではなかった。いくら神饌といえど、偏食といっていい部類だと思う。毎回あんなに飲まれてしまったら、村の酒蔵も底をつく。
少々遠慮というものも、覚えてくれないか。神様には無理な相談かもしれないけれど。遠慮を知らないとか。やっぱり彼とは正反対。よくよく見れば、分かりやすいくらいに違いがわかる。
(なんだ、やっぱり、全然似ていない)
千冬を模しているようで、まったく存在を隠せていない。実体はなくとも、見ればすぐにそこにいると分かる。夏の日差しに色濃く映る、影みたいなヒト。
──ぞわり、と。
その探る目つきに晒されて、幻神は総毛立っていた。
目を見て、手を見て、顔を見て。
写し身の中から、幻神を探す。明里は千冬ではない“誰か”を必死に探り当てようとしていた。チカチカと、なにかが警告を鳴らす。
見られてはいけない。バレてはいけない。隠さなければならない。
──否。
見つけてくれている。見つけてほしい。探してほしい。
心が、矛盾した。自分の中で、なにかが、激しく乖離をしていく。
自分の核を逆撫でされているようで、胸が苦しい。逃げ出したいのに、ずっと見ていてほしかった。
「…………ち、かげ」
相反する感情に飲まれかかったとき、ぽつり、と明里が呟いた。
その言葉がなんなのか理解するより早く、身体のほうが先に反応する。一度粟立つように輪郭が弾けたかと思えば。再び強く結び直される。
この土地に。
この土地から生まれた贄に。
強い縁が結ばれる。
清流の水面がきらきらと輝き、木々がざわりと風に揺られた。つむじ風が、幻神の身体を取り巻いた。瑞々しい青葉が舞い、目を閉じる。腹の底から深く、声が出る。
「カタチを得た」
しっかりとした重量。地に足がつく感覚。明里がつくった新たなカタチ。
「──名前を、得た」
視界は鮮明に。感触は敏感に。
身体の中心に芯が埋められたようにしっかり草を踏む。
幻神はゆっくり瞬いて、自身の贄を見つめ返した。いつも顔を伏せて、怯えてばかりの瞳は今は目の前の光景に目を奪われていた。
そうやって顔を上げているほうが、ずっといい。
「ちかげ。──千影か」
噛みしめるように、自身の名前を口に出す。
「なるほどよい名だ。確かに明里、俺はお前の影に違いない」
真似事の笑顔ではなく、本当に微かに幻神──『千影』は笑った。
眩しいものを見るように幻神は目を細めた。
よく分からない娘。
幻神が近づけば逃げるのに、消えようとすれば、引き止めようとする我儘な娘。理解できない行動に眉をひそめる。
(──……千冬の偽物をそばにおいて置きたいから?)
いや、ちがう。
明里は幻神と千冬は別人であると今さっき否定した。大体明里は最初から、外側だけ同じ幻神を拒み続けていた。
(……災厄を起こされたくないから?)
それもちがう。
明里は幻神が災厄を起こす気がないとちゃんと、気がついていた。
考えても、考えても、考えても。明里の言葉は言葉通りの意味にしか取れず、幻神は愕然とした。長い時間をかけて、ようやく気づく。
幻神が“千冬”のガワをかぶらなくなったら、この娘は逃げなくなったのだ。
(本当に、俺に自我があると、そう思っているのか)
それはたぶん、気がついてはいけないことだ。そんな予感だけはした。
人のために望む姿になる幻神の在り方を真っ向から否定する言葉。明里の言霊のせいで、もはや輪郭を保つのも難しく、少し動けば指先から崩れ落ちていきそうだった。
それなのに、怒りは湧いてこなかった。あれだけ写し身を否定されて、幻神の在り方に致命的にヒビまで入れられて、湧き上がる感情に幻神自身が困惑していた。
「知りたい、とは。“俺”を?」
こくり、と明里は頷く。
心臓が、跳ねた。
明里の行動はいちいち、胸の真ん中を苦しいくらい締めつけた。
わざわざ会いに来ることも、一緒に食事をとることも、礼を言うことも、なにも必要ないはずなのに。明里の行動は不合理で、理解に苦しむものばかりだった。
「‥‥俺が消えたほうが、おまえは幸せになれるのではないのか」
「それは、そうかも、しれませんが」
苦し紛れに、尋ねた質問の答えに。
「あなたがこのまま消えてしまったら、また私は目を背けて生きていきそうで。もう目をそらすのは嫌なんです。千冬からも、あなたからも」
水面にいくつも石が投げ込まれたように、また、気持ちが波立つ。
本当に、数百年間の儀式でこんなことは初めてで。明里だって、最初は千冬の偽物だと己を忌避していたのに、なにが彼女を変えたのかすら、幻神には分からない。どうしてこんなにも、偽物のはずの心臓が逸るのかすらも、分からなかった。
「では、名を──」
思わず言いかけた方法に、本能が警告を鳴らす。それだけはいけない。名前を持つことだけは。確かに“名前”を持てば、実体を確かなものにできる。でも、あまりにも危険な行為。
名前というのは、それだけ重い縛り。
魔性や神霊が畏れられるのは、神秘だからだ。得体が知れないからこそ、解明できないからこそ、怖がられ、傅かれる。名前を知られたり、正体を見られることを嫌うあやかしや魔性は多い。
名前を持つということは特定されるということ。正体を知られるということは対策をこうじられるということ。対策がある怪異など、解明された神秘などそんなものは、もはやただの自然現象と変わりない。
まして、今幻神はこの娘に名前を委ねようとした。それは、この娘に神性を投げ渡すに等しい。名前は重要だ。神霊をも懐柔することもできる。もし、相手を使役したいのであれば、犬や馬のような人間に付き従う生き物の名前をつければいいし、力を矮小化したいなら、塵芥のような無価値な名前をつければいい。
矜持を守るというのなら、今この場で神として泡と消えたほうがはるかにマシだ。
それなのに、その激しい誘惑に、幻神は抗えなかった。
“知りたい”という、まっすぐな言葉が、あんまりにも嬉しかったから。
神の位を、地に落とす行為だと分かっていても。
「──俺に、名前をくれないか」
神様はつい、その言葉に縋ってしまった。
「なまえ?」
明里はきょとんとして幻神を見た。危険な橋を渡っている神様のことなんかまったく気づかずに、首を傾げる。
「なんで、名前なんですか?」
幻神は脱力する。
それはそうだ。
明里はただの村娘。霊験あらたかな陰陽師でもなければ、霊力のある巫女でもない。ただの人間。
幻神が災厄を起こす気がないと分かっていて、名前まで委ねられていて、脅迫することも、使役することもできる立場にありながら、そんな発想どこにもなかった。幻神はその呑気さに、思わずため息をついてしまった。
「本来の“俺”に名はない。幻神というのはただの神名で、言うなれば役職名のようなものだ。現世にカタチを留めるには、器がいる。“千冬”の器が壊れるなら、新しい器を用意するしかないからな。だから、俺自身を元にした新しい器が欲しい。俺もやったことはないから、上手くいくかは分からないが」
なるほど、と明里はなんの疑問も持たず、納得した。
「そんなことでいいのですか? 名前をつけるだけで、大丈夫なんですか?」
そんなことか。幻神はほとほと呆れてしまった。人ならざるモノが名前を嫌う以前に、名前を持つことは、幻神の性質と最悪に相性が悪い。だって、自己を認めてしまったら、自分だけの名前を持ってしまったら、誰かに成り代わるなんて不可能だ。この場で消失を免れたとて、次回の儀式で現界できるかも分からない。幻神からしたら、それくらい、ぎりぎりの選択なのだが。
「名を持つということは、そこに“在る”と存在を決定するということだ。けれど、もともと実体のない俺が一から新たな器を作るのは難しい。千冬を土台にして構わないから、できるだけお前の持つ、俺の自己とやらの印象を思い描いて。名前をくれればそれでいい」
なんの色眼鏡もない、この娘に映る己がどんなものか、本気で興味が湧いた。
***
さあ、と促されて、明里は慌てて身を正した。
(名前、幻神さまの印象……)
困った。
確かに千冬とは全然似ていないと宣言したのは明里ではあるが。この神様のことをあまり多く知っているわけではない。だいたい、今までまともに顔すら見てこなかったのだから当然だ。
明里はひとつ、深呼吸した。
だから、とりあえず、できることと言ったら。
ただ、じっと目の前の神様を観察することだけだった。
「──……」
最初に、目が合った。
目。
そうだ。瞳の色はよく見ると違う。
何度も目に入っていたはずなのに、情報として頭が処理できていなかったことに気づく。千冬はごく一般的な黒目であったが、幻神の瞳は水底のように深い青。怒気を孕んだ金色の瞳はできれば二度と見たくない恐ろしさだったが、普段の深い青色はとても綺麗で澄んでいる。
顔は、確かに千冬と生き写しであるが、表情の機微はやっぱり乏しい。明るい笑顔が印象的だった千冬の顔が無表情なのは違和感があるが、取り繕った笑顔よりはこのほうがいい。
よく見れば、肌も日焼けしていた千冬より少しばかり白い。最初に会ったときはそこまで違いはなかったので、村にいるうちに日焼けは失せていたのか。もしかして神様は日焼けとかしないのだろうか。そういえば、千冬は農作業で手のひらも皮膚が固く、豆だらけだった。神様にはそういった傷や化膿も見受けられない。水嵩を増した川に飛び込んでもかすり傷ひとつつかないのだから、自然に治癒してしまうのかもしれない。長く綺麗な指先は、女性的ですらある。
それでも、身長は明里より頭一つ分は高かった。着物は棚機の祭事のときに身に着けていた浄衣ではなく、いつもの露草色の水干と指貫姿に戻っていた。それなのに、翡翠の耳飾りだけはそのままになっている。翡翠の丸玉の下に揺れる桔梗色の房は妙に浮世離れした雰囲気と相まってよく似合っていた。
千冬は装飾品を身につけることはなかったから、神様の好みかもしれない。
好みといえば酒もそうだ。
千冬も付き合い程度には嗜んではいたが、この神様のような蟒蛇ではなかった。いくら神饌といえど、偏食といっていい部類だと思う。毎回あんなに飲まれてしまったら、村の酒蔵も底をつく。
少々遠慮というものも、覚えてくれないか。神様には無理な相談かもしれないけれど。遠慮を知らないとか。やっぱり彼とは正反対。よくよく見れば、分かりやすいくらいに違いがわかる。
(なんだ、やっぱり、全然似ていない)
千冬を模しているようで、まったく存在を隠せていない。実体はなくとも、見ればすぐにそこにいると分かる。夏の日差しに色濃く映る、影みたいなヒト。
──ぞわり、と。
その探る目つきに晒されて、幻神は総毛立っていた。
目を見て、手を見て、顔を見て。
写し身の中から、幻神を探す。明里は千冬ではない“誰か”を必死に探り当てようとしていた。チカチカと、なにかが警告を鳴らす。
見られてはいけない。バレてはいけない。隠さなければならない。
──否。
見つけてくれている。見つけてほしい。探してほしい。
心が、矛盾した。自分の中で、なにかが、激しく乖離をしていく。
自分の核を逆撫でされているようで、胸が苦しい。逃げ出したいのに、ずっと見ていてほしかった。
「…………ち、かげ」
相反する感情に飲まれかかったとき、ぽつり、と明里が呟いた。
その言葉がなんなのか理解するより早く、身体のほうが先に反応する。一度粟立つように輪郭が弾けたかと思えば。再び強く結び直される。
この土地に。
この土地から生まれた贄に。
強い縁が結ばれる。
清流の水面がきらきらと輝き、木々がざわりと風に揺られた。つむじ風が、幻神の身体を取り巻いた。瑞々しい青葉が舞い、目を閉じる。腹の底から深く、声が出る。
「カタチを得た」
しっかりとした重量。地に足がつく感覚。明里がつくった新たなカタチ。
「──名前を、得た」
視界は鮮明に。感触は敏感に。
身体の中心に芯が埋められたようにしっかり草を踏む。
幻神はゆっくり瞬いて、自身の贄を見つめ返した。いつも顔を伏せて、怯えてばかりの瞳は今は目の前の光景に目を奪われていた。
そうやって顔を上げているほうが、ずっといい。
「ちかげ。──千影か」
噛みしめるように、自身の名前を口に出す。
「なるほどよい名だ。確かに明里、俺はお前の影に違いない」
真似事の笑顔ではなく、本当に微かに幻神──『千影』は笑った。
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