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其の十八 毒舌王子の隠れ家(7)
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「君に潔癖かと訊いた僕自身、わりにそういう性分を持っていてね。よほどの場合を除き、他人に触れるのも触れられるのもあまり好きではないんだ」
「え……」
瞬きもせず僕を見ながら、冬月は皿の残りを口に入れた。鋭角的な顎が均一な咀嚼を繰り返すのを呆けたように見詰め返していると、冬月はまた一皿、無言で僕の前から皿を取り、無造作に食べ始めた。
完璧に作られた彫像のような冬月の手に握られた箸が僕の残した食べ物を口へと運ぶたび、頭の片隅にはムズムズとしたくすぐったい感覚が生じて大きくなり、著しく酔いが回る気配を感じた。僕はモゾモゾと身じろぎし、俄かに浮き足立ち始めた気持ちを落ち着けようと眼鏡を押し上げた。気を紛らわせる為、食事を続ける冬月に遠慮をしつつ聲を掛けた。
「……な、なぁ冬月……」
「何だい」
「その……、此処の女将──志乃さんとは、随分親しいようだったが……。その、古くからの知り合いなのか……」
あまり私的な事を訊ねるのは気が引けたが、浮ついた気分が酔いによって増大していた僕は、思い切って質問を繰り出した。冬月は箸を止めないまま、
「そうだね、志乃さんは僕の乳母だったからね」
「えっ!? う……乳母……!?」
軽い調子で返事を寄越した冬月に思わず上ずった聲を出した。冬月は不意にきらりと瞬く目を上げて、
「──と言う名の僕の父の二号さんだよ」
「え……っ!?」
衝撃的な発言に身を強張らせた。とんでもない事を聞いてしまったかもしれないと、質問した事を後悔し始めた矢先、興味深そうな目つきになった冬月が、凍り付いた僕をつくづくと見回しながら、
「君は僕が思っている以上に世慣れない男なんだな。しかしそんな風に人の言う事を何でも鵜呑みにするのは感心しないよ。それじゃ騙されても文句も言えないぞ」
「え……っ!? だま……。──って、ま……まさか、う、嘘を吐いたのか……っ!?」
「嘘というほどじゃない、軽い揶揄だよ」
冬月は嘲弄する具合でニッと唇を斜めに吊り上げた。
「……!!」
またしてもどっと力が抜け、僕はぐったりと顔を伏せた。
「う……嘘……。僕はてっきり……」
「志乃さんが僕の乳母だったというのは本当だよ」
「……そ、そうなのか……」
「ああ」
何喰わぬ顔で再び僕の前の皿を取って食べ始めた冬月を見詰め、これ以上話していては神経が持ちそうにないと口を噤みかけ、ふと、ごく当たり前の調子で志乃さんに帽子を預けた冬月の様子を思い出した。
「──そうか……。だから帽子を志乃さんに……」
一人合点がいった気分になって呟き、置いていた猪口を持ち上げ口に近づけようとして、今度は恭しく頭を下げる作務衣の男性の影が過った。
「……ん? と言う事は、あの筒鳥という人も君の……」
言いながら何気なく顔を上げると、磨かれた琥珀のような瞳がじっと僕を見ていた。
「──え……っ」
思いがけず真面目な顔つきをした冬月とまともに見交わした事に動揺する僕をよそに、冬月は手酌で注いだ酒で喉を潤すと、栗飯の茶碗を取って米粒を箸で寄せ集めるようにしながら、
「筒鳥はうちの元庭師で、別当頭を兼任していたんだよ」
「別当頭? 君のところでは馬を飼っているのか。頭というからには馬丁が何人も居るという事だろ。そんなに沢山の馬を飼っているのか」
驚いて訊ねると、冬月はつやつやと蜜の色に照り返る栗と一緒に咀嚼していた飯を飲み込んで、
「まぁ便宜上別当という言い方をしているが、うちにはいろいろな種類の生き物が居るものでね。その世話や調教を任せる者が、それなりには必要なんだよ」
「へぇぇぇ……。そういえば、ホテルでも調教係がどうのと言っていたよな。冗談みたいな脅しかと思っていたが、本当だったんだな」
人間が生きていくのもやっとの世の中で、数種類に及ぶ生き物を飼っている──しかもその管理を受け持つ別当を何人も抱えるほど──というのは、その家の財力の潤沢を明朗に物語っているも同然だった。僕は巷に囁かれている冬月家にまつわる様々な噂や評判を思い出さずには居られなかった。その真偽は兎も角としても、今の話からは、冬月家が相当の資産を有しているという事実が充分に窺えた。
「え……」
瞬きもせず僕を見ながら、冬月は皿の残りを口に入れた。鋭角的な顎が均一な咀嚼を繰り返すのを呆けたように見詰め返していると、冬月はまた一皿、無言で僕の前から皿を取り、無造作に食べ始めた。
完璧に作られた彫像のような冬月の手に握られた箸が僕の残した食べ物を口へと運ぶたび、頭の片隅にはムズムズとしたくすぐったい感覚が生じて大きくなり、著しく酔いが回る気配を感じた。僕はモゾモゾと身じろぎし、俄かに浮き足立ち始めた気持ちを落ち着けようと眼鏡を押し上げた。気を紛らわせる為、食事を続ける冬月に遠慮をしつつ聲を掛けた。
「……な、なぁ冬月……」
「何だい」
「その……、此処の女将──志乃さんとは、随分親しいようだったが……。その、古くからの知り合いなのか……」
あまり私的な事を訊ねるのは気が引けたが、浮ついた気分が酔いによって増大していた僕は、思い切って質問を繰り出した。冬月は箸を止めないまま、
「そうだね、志乃さんは僕の乳母だったからね」
「えっ!? う……乳母……!?」
軽い調子で返事を寄越した冬月に思わず上ずった聲を出した。冬月は不意にきらりと瞬く目を上げて、
「──と言う名の僕の父の二号さんだよ」
「え……っ!?」
衝撃的な発言に身を強張らせた。とんでもない事を聞いてしまったかもしれないと、質問した事を後悔し始めた矢先、興味深そうな目つきになった冬月が、凍り付いた僕をつくづくと見回しながら、
「君は僕が思っている以上に世慣れない男なんだな。しかしそんな風に人の言う事を何でも鵜呑みにするのは感心しないよ。それじゃ騙されても文句も言えないぞ」
「え……っ!? だま……。──って、ま……まさか、う、嘘を吐いたのか……っ!?」
「嘘というほどじゃない、軽い揶揄だよ」
冬月は嘲弄する具合でニッと唇を斜めに吊り上げた。
「……!!」
またしてもどっと力が抜け、僕はぐったりと顔を伏せた。
「う……嘘……。僕はてっきり……」
「志乃さんが僕の乳母だったというのは本当だよ」
「……そ、そうなのか……」
「ああ」
何喰わぬ顔で再び僕の前の皿を取って食べ始めた冬月を見詰め、これ以上話していては神経が持ちそうにないと口を噤みかけ、ふと、ごく当たり前の調子で志乃さんに帽子を預けた冬月の様子を思い出した。
「──そうか……。だから帽子を志乃さんに……」
一人合点がいった気分になって呟き、置いていた猪口を持ち上げ口に近づけようとして、今度は恭しく頭を下げる作務衣の男性の影が過った。
「……ん? と言う事は、あの筒鳥という人も君の……」
言いながら何気なく顔を上げると、磨かれた琥珀のような瞳がじっと僕を見ていた。
「──え……っ」
思いがけず真面目な顔つきをした冬月とまともに見交わした事に動揺する僕をよそに、冬月は手酌で注いだ酒で喉を潤すと、栗飯の茶碗を取って米粒を箸で寄せ集めるようにしながら、
「筒鳥はうちの元庭師で、別当頭を兼任していたんだよ」
「別当頭? 君のところでは馬を飼っているのか。頭というからには馬丁が何人も居るという事だろ。そんなに沢山の馬を飼っているのか」
驚いて訊ねると、冬月はつやつやと蜜の色に照り返る栗と一緒に咀嚼していた飯を飲み込んで、
「まぁ便宜上別当という言い方をしているが、うちにはいろいろな種類の生き物が居るものでね。その世話や調教を任せる者が、それなりには必要なんだよ」
「へぇぇぇ……。そういえば、ホテルでも調教係がどうのと言っていたよな。冗談みたいな脅しかと思っていたが、本当だったんだな」
人間が生きていくのもやっとの世の中で、数種類に及ぶ生き物を飼っている──しかもその管理を受け持つ別当を何人も抱えるほど──というのは、その家の財力の潤沢を明朗に物語っているも同然だった。僕は巷に囁かれている冬月家にまつわる様々な噂や評判を思い出さずには居られなかった。その真偽は兎も角としても、今の話からは、冬月家が相当の資産を有しているという事実が充分に窺えた。
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