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序章

ぼくは、おかしくなったのか

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「……! ぼ、ぼく……は……。」

立ち竦んだまま、ぼくは動けない。


それは恐怖だ、と。

頭の何処かで別な僕が、ぼくを他人事のように分析する。

顔面偏差値の無い人を初めて見た事で、未知の存在に怯えているんだ。
恐ろしさの余りに、対象から目を離す事が出来ないんだ。

ぼくの視線はまるで、縫い付けられたかのようにエイベル兄さんの客へと向けられ、その姿を……顔も、身体も、視界一杯に映していた。


兄と似たような金髪系統だが、透明感のある輝きを持った兄と違い、色は濃くて蜂蜜色に近い。
そんな前髪や横髪で隠すようにしていても、クッキリとした目元、高い鼻、引き結ばれた大きめの唇……それぞれのパーツが存在を主張し過ぎている。
せめて、目尻が僅かにでも垂れていれば……『エロエロしい』の偏差値が。
あの高い鼻が、横にも大きければ……『いかつい』の偏差値が。
少しは、あっただろうに。

決してぼくの目が、正確な顔面偏差値を測れるわけではないけれど。
彼には、どのタイプの顔面偏差値も無さそうだ。

こんな人は、初めて見る……。



「……ぁー…。」

挨拶の冒頭から言葉が詰まってしまったぼくの様子を見て、客人は口元を歪め、視線をぼくから逸らす。

そんな客人に気を遣った兄の、理想的な唇から「……すまない。」という呟きが零れ落ちるのと。
ぼくの口から、意味不明な音が漏れ出るのは、ほぼ同時だった。


「……キ、タぁー……っ。」


「……え?」
「えぇっ?」

目を見開いて……それでも、繊細な横長の瞳が縦方向には殆ど開かない『麗しい』の兄がすぐそばに居るのに。
ぼくは自分が発した言葉に驚いていて、それどころじゃなかった。


い、今のは、ぼくの声……だよね?
きた、って何が?
しかも、何故かは知らないが……その言葉を出した時、ぼくの心は少し浮付いていなかったか?
こっ、この状況でどうして?


「あ……アドル? どう、し…」

心が分裂してしまいそうになっているぼくを案じて、兄が声を掛けようとした時。
その兄を制して、客人が首を小さく振った。
彼の蜂蜜色の髪が揺れて、その瞬間だけ頬や目元が露わになる。

顔面偏差値の無い人の肌を、余計に目にする事になったのに。


――― キタあぁーっ! リアル・アンソニー! 凄い! そっくり!


急にぼくの気持ちが沸き立つ。

こんな状態は初めてなのに、知っている。
これは。この気持ちは。


――― テンション、爆上げえぇ~っ!



「あー、アドル……。彼は、友人のアルフォンソだ。」

ぼくからの挨拶は無理だろうと判断した兄が、客人を紹介しようとしている。
兄が一人で二人分の紹介を済ませて、出来るだけ早く、この不幸な邂逅を終わらせる為に。

だが今のぼくには、その声はとても遠い。

客人の容姿がとても恐ろしいと感じているのに。
それと同じくらい、彼を見て色めき立っている自分がいるんだ。


――― うわ、アルフォンソだってさ! 違った! アンソニーじゃなかった~っ! いや~、こんなん、アンソニーに間違えるだろ! 似過ぎだってば、アンソニー……じゃなくて、アルフォンソ!


「アルフォンソ。……弟の、アドルだ。弟は少々、人見知りな所があって……その。」
「いや……いいんだ。」

全然違う感情同士なのに、どちらも今のぼくが感じている心。
その滅茶苦茶加減にすっかり気を取られて、兄達の会話がちゃんと頭に入って来ない。

ぼくは、今の自分が兄達からどんな風に見えるか、それを気に掛ける事も出来なかった。



さっきから、アンソニー、アンソニー、とうるさいな。
そもそも、アンソニーって……。

「誰、だよ……?」
「えっ? アド、ル……?」


ぼくの呟きを聞いた兄が、凄い速さで振り返る。
戸惑った表情でぼくを見る兄は、こんな状況でもやはり『麗しい』に翳りが無い。

……あ、あれ? う、るわ…しい?


「どうした? さっきから、様子が……。」


――― 麗しい、かなぁ、これ? ……あ、里村に似てるなぁ。

だから、さっきから誰かの名前を心の中に言っているが。
サトムラ、って……


「誰……なん…」
「……! アドルっ!」


悲鳴のような叫び声を上げたのは、確か……『麗しい』高ランクな兄だ。




ぼくは、ぼくの頭は、どうなってしまったんだ?

何故こんな事に……?

来客中の兄の部屋を覗いたりなんかしたから、か……?
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