古の巫女の物語

葛葉

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第一章

5話

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 翌日、光留は唯との待ち合わせ場所であるカフェに行くと、既に唯が来ていた。
 テラス席の木陰でゆったりと本を読んでいる。
 艶やかな赤い髪と、伏し目がちな目は何処か色っぽくて、不覚にも光留はドキリとする。
 こうしてみると、やはり唯は非の打ち所がない美少女だ。
 夢に出てくる二人のように、恋人同士になれたら……と、思ってしまう。
(……まぁ、無理だろうけどな)
 光留自身、まだ唯に対する感情が定まらない。
 昨日は「嫌い」だなんていってしまったが、あれは売り言葉に買い言葉というやつで、そもそも本心じゃない。
 遠目に見る唯は、普通に可愛いと思うし、できるなら仲良くしたいと思う。恋人同士は無理でも、無難に友達くらいには。
 今までならそれが出来ないと諦めていたが、今日こそはちゃんと話したいと思う。
 幸い、今日は土曜日で学校もないから、話す時間はたっぷりある。
 光留は、緊張をほぐすように深呼吸すると、唯のいるテラス席に向かった。
「よう」
「……おはよう」
 唯は本から目を離すことなく、そっけなく挨拶する。
 昨日、光留の前で泣いていたのが嘘のようだ。
 カチン、と頭にきたが、それで今までの態度と同じ対応をしてしまえば話は進展しない。
(ここは俺が大人な対応を……)
 光留はわざとらしく笑みをつくる。
「待たせたみたいで悪かったな」
「別に。ここなら本がゆっくり読めると思っただけよ」
 冷たい態度に心がくじけそうになる。
 だが、唯はそっけない態度をしながらも、ちゃんと来てくれた。彼女も光留と少しは向き合ってくれるということだ。
「あっそ。……なんか飲む?」
「いらない。さっきアイスティー買ったから」
 唯の前には確かにアイスティーの入ったカップが置かれているが、ほとんど飲み干してしまったのだろう。
 あまり残ってはいなかった。
「ここ、他より涼しいけど暑いだろ。一杯ぐらい奢るよ」
「……いつも望月君に奢らせているのに?」
 さすがに女の子に奢ってもらおうとかは思ってないし、甲斐性なしだと思われるのも心外だ。
「アレはギブアンドテイクだよ。ジュース奢ってもらう代わりに、裕也の雑用を俺がやってんの」
「望月君、人気者だものね」
「まぁ、あいつスポーツ推薦組だからな。運動神経いいし、顔も悪くないから女子受けもいいし。何、鳳凰も裕也狙い?」
「違うわよ。ただ、仲がいいんだな、って思っただけよ」
 唯はほんの少し顔を赤らめて否定する。
 何が恥ずかしかったのか光留にはわからない。女心って難しいな、と変な感想を抱く。
「で、アイスティーでいいの?」
「いらないわよ」
「熱中症で倒れても困るんだよ」
「……別に、倒れても死なないから平気よ」
 ほんのわずかの間に光留は違和感を抱きつつも、頑なな唯に呆れたようにため息をつく。
「お前、熱中症舐めすぎ」
「舐めてないわ。ただ、私には関係ないから」
「だとしても俺が気になるんだよ。はい、じゃあアイスティーで決定な」
「ちょっと」
 強引にメニューを決めて、光留はレジに向かう。
 昼前の暑さで少し時間がかかったが、唯のアイスティーと自分のコーヒーを持って席に戻る。
「ほら」
「……ありがと」
 そっけないけれど、今日はいつもより少し素直な唯。気恥ずかしいのか、嫌いな相手と一緒だからなのか、目を逸らしながらアイスティーを飲む姿は、どこか小動物っぽくてやっぱり可愛いと思う。
 嫌われている相手に、そんな感情を抱いている自分に呆れる光留は、思わず憂いのため息をつく。
「何?」
「いや、お前、素直だとほんと可愛いなって」
 唯の前の席に座りながらそういうと、唯が息を吞んだ。
「っ! 嫌味? あなた、私に嫌われている自覚あるの? それともそういう趣味かしら?」
 唯がこれでもかというほど嫌味ったらしく言ってくれるが、照れ隠しなのだろう。
 光留にはちっとも響かなかった。
「嫌われてる自覚はあるさ。だからこうして話しようって言ったわけだし。でも、可愛いと思うかどうかはそれとは関係ないだろ。俺だって人並みに、女の子と付き合いたいとかそういうった欲望はあるからな」
「それ、女の子の前で堂々と言うのもどうかと思うわ」
「鳳凰は俺の事嫌いなんだろ? なら別に問題ない」
「最低」
「お前にとっては今さらだろ」
 開き直る光留に、唯は心底冷めた視線を返す。
 光留は素知らぬ顔でコーヒーを啜る。
「まぁ、あなたの趣味なんてどうでもいいわ。それで? 何から聞きたいのかしら」
 唯はさっさとこの茶番を終わらせようと、読んでいた本を閉じて、単刀直入に切り込んでくる。
「聞きたいこと、ねえ……」
 聞きたいことなんて山のようにある。けれど、いきなり本題に入るにはもう少し心の準備が必要かもしれない。
「んじゃ、一個目。あの黒い影みたいな化け物って何?」
「そうね。妖怪、あやかし、モンスター……いろいろな呼び名があるけれど、アレは、もともとは神様だったモノ。私は落神おちがみと呼んでいるわ」
「落神……」
 ゾッとするような響きを持った言葉だと思った。
 言霊、なんて迷信があるが、あながち嘘じゃないのかもしれない。
「落神は何らかの理由があって、神様から転落したなれの果て。人に害をなすけれど、普通の人は視えないから直接狙うというより、人を故意に死に向かわせるの。例えば急に自殺する人間とかは、落神に憑かれていることが多いわ」
「へえ。じゃあ視える人間には直接害をなすのか?」
「そう。昨日のあなたのように」
「ふーん。……俺さ、両親がいわゆる視える人なんだけど、俺自身なんも視えなくて信じてなかったんだよな。本当にいるんだなああいう化け物……」
 唯はじっと光留を見つめる。嫌悪とは違う鋭い視線。
 どちらかというと、母――朱鷺子が何かを視ているときにしている視線に似ていて、光留はぞわりと悪寒を感じた。
「”槻夜”は、お母様の苗字?」
「いや、うちの両親もとは親戚だからどっちも同じ苗字なんだよ。だから両親ともに新姓も旧姓も”槻夜”だよ」
 唯は唇にひと指し指を添えて、何かを考えるように「そう」とだけ言う。
「なんだよ、苗字がなんかあるのか?」
「あなた自身は、ご両親から視えないことで何か言われたことある?」
 意図の掴めない唯の質問に、光留は怪訝に思いながらも答える。
「いや。高校に上がるときに進路関係で親戚に、お袋の実家の神社の宮司にならないか、とは言われたけど、お袋がもう少し考えろって言うから保留にしてるところ」
「お母様のご実家、神社なの?」
「そう。なんか、結構昔からある神社で、由緒正しきなんとかかんとか言ってたけど。今はまぁ、知る人ぞ知るパワースポットみたいな扱いだな」
 唯はふと顔を上げる。
「それって、凰鳴こうめい神社のこと?」
 光留は驚いて目を瞬かせる。
「よく知ってるな。てか、あれだけの情報でよく割り出せたな」
「この辺りで凰鳴神社は有名な方だと思うけど……」
「いや、クラスの誰も知らないって。鳳凰が変なんだよ」
「……そう、かもしれないわね」
 唯は自嘲気味に笑う。その表情が切なくて、胸を締め付けられる。
 それを振り払うかのように、光留は腕を組んで唯を見る。
「で、それ知ってどうするんだよ」
「いえ。でも、そうね……お母様が鳳鳴神社の出身で、巫女、だったのかしら? それで何も言わないなら私が言うべきことではないわ」
 光留は唯の回答に納得がいかず、思わず睨んでしまう。
「なんでだよ」
「私も、あなたのご両親と同じ視える側よ。だから言わないほうがいいこともあるし、私から言えばあなたはきっと苦しむことになる」
「どういう、意味だ? 俺が苦しむから、お前、ずっと俺の事避けてたのか?」
 唯はビクリと肩を震わせる。顔には「しまった」と焦りの色が見えた。
「言葉のあやよ。私だって、嫌いでもクラスメイトが変な死に方したりするのは寝覚めが悪いもの」
 とってつけたような言い訳に、光留もようやく本題に入る決心がついた。
「そりゃわかるけどさ。……結局、鳳凰はなんで俺のこと嫌いなんだよ」
「嫌いな相手から嫌いな理由を聞くなんて、変な人ね。やっぱりそういう趣味の人?」
「んなわけないだろ。俺は、別に鳳凰のこと嫌いじゃねえし」
 しらっとした視線を向けられたが、光留が唯を嫌っていないのは本当だ。
 何度も嫌いになれたら、と思ったけれど、夢の影響もあってか、割り切ることは出来なかった。
 それはそれとして、この問答をいつまでもやるつもりはなく、光留は話を戻す。
「で、ちゃんと説明してくれるんだろ?」
 唯は目論見が外れ、小さく息を吐き出す。
 手が震えていることに気付いたが、光留は敢えて指摘することはしない。
 きっと、嫌いな相手に向き合うのは、相当勇気のいることだから。
「……私には、兄がいたの」
 ポツリと呟かれた言葉は、光留の質問の回答になっていない。
 けれど、光留は黙って聞くことにした。
「優しくて、温かくて、村でも評判の美男で、自慢の兄だった」
 光留は夢で見た光景を思い出す。
 確かに、夢の中の光留(仮)は、村の女性によくモテた。
 誰にでも分け隔てなく優しく、困っている人を放っておけないお人よしと呼べるような性格でもあった。
「私達は、幼い頃に両親を亡くしてしまったから、兄が私にとっての親代わりでもあったの。兄は村の次期おさで、いろんな人から頼りにされた。私には、勿体ないくらい素敵な兄で、大好きな人」
 兄を語る唯は、幸せそうで、懐かしむというより、愛おしんでいる。艶のある表情に、光留はドキッとするが、顔に出すことはしない。
 「……好き、だったのか?」
 思わず、唯に聞いてしまった。光留自身、何故そんなことを聞いてしまったのかよくわかっていない。けれど答えを知っていて聞いている自分も、何となく気に入らない。
 唯はふっと笑う。
「……ええ。好き、よ。今でも、愛してる」
 その言葉は切実な響きを持っていた。
 まだ、彼を忘れていないのだと、声や、表情から伝わってくる。
 胸が、締め付けられる。
「実の兄妹でって思うでしょう? 頭おかしいって」
 自嘲する唯に、光留は首を横に振る。
「別に。好きになるって、自分じゃどうしようもないことってあるだろ。それがたまたま兄妹ってだけで。他の奴がどう思うか知らねえけど、俺は否定する気はないよ」
 唯はクスリと笑う。
「優しいのね」
「そりゃ、そんな顔されちゃあな」
 不思議そうに首を傾げる彼女は、自覚がないのだろう。好きな人を思う唯は、綺麗で、尊い。
 チラリと視線を周りに向けて見ると、唯に見惚れている男は何人かいた。
 (まあ、そうだよな。美少女のあどけない顔なんて、隙だらけだし……)
 そんな彼女に嫌われている自分に、釈然としないながらも、唯には事実だけ伝える。
「多分、今クラスの誰かに鳳凰と一緒にいるの見られたら、間違いなく俺殺される。それくらい色っぽい顔してた」
 唯は恥ずかしそうに俯く。
「無意識ってことはそれだけその、兄? を好きだったんだろ。で、ずっと過去形で語ってるんだけど、聞いていいのか?」
 唯は一変して泣きそうな顔になる。
「……お察しの通り、兄は死んだわ。村の人にね、見つかっちゃったの。それで、リンチの挙句に殺された」
「リンチって……、いくら近親相姦が認められないっつっても、そんなデカい事件あれば、普通新聞とかテレビで話題になったろ」
「いいえ。閉鎖的な村だったから……」
 唯はぼかしているが、恐らく事件が起きたのは1000年以上前。当然、テレビどころか新聞すら存在しない時代だから、伝わるはずもない。
(まだ、何か隠してるな……)
 いや、全部を暴きたいわけじゃない。ただ、光留は知りたいだけだ。
 唯が自分を嫌う理由を。これ以上踏み込むのは、さすがに憚られる。
「私は村にいられなくなって、こっちに来たの」
「で、それと俺とどういう関係があるんだよ」
 唯は小さく唇を噛んで、何度か深呼吸する。
「……あなたが、兄そっくりだからよ」
 光留はやっぱりな、と納得する。
「そんなに似てる?」
「ええ。顔も、声も、優しいけど、ちょっと意地悪なところも」
 唯は眩しそうに目を細め光留を見て、心の中で呟く。
(魂は、あの人そのもの――。きっと彼は……)
 唯が視えているものは恐らく朱鷺子と同じものだ。
 光留を守るかのように、魂に分厚い壁がある。唯だから辛うじて、その魂の持つ使命が視えるが、光留にそれを伝える気はなかった。
「あなたには、申し訳ないと思うわ。でも、あなたを見ていると辛いの。あの時の私たちの時間は、もう戻ってこない。それを突き付けられるようで、苦しいの」
 涙声の唯からは、本当に辛そうで、光留はどう言葉をかけていいかわからなかった。
「それでも、あなたを見ないことには出来ない。あなたに、幸せになってほしいと思っているの」
「……それで、俺を遠ざけるために「嫌い」、なんて言ってたのか」
「そうよ。軽蔑した? あなたに他の男を重ねて、自分勝手に遠ざけているの。嫌な女でしょう」
 唯は自分を卑下するように言うが、光留はその兄の想いを知っている。
 二人が幸せだった時間を、知っている。それだけ誰かに深く思われている彼が、羨ましいとすら思う。
「……そういうのは、嫌な女とは言わねえよ」
 不器用な慰めに、唯はポロリと涙を零す。
「ほんと、変な人」
 しばらく二人の間に沈黙が落ちる。
 強めの風が吹いて、唯の長い髪を巻き上げる。
 赤い髪が風に揺れると、炎の揺らめきを連想して、思わず見惚れた。
「……ねえ、夢を見ているのよね?」
「あぁ」
「あなたがどこまで視ているのかはわからないけど、私のせいね、きっと」
「だろうな。俺が夢を見始めたのは、鳳凰が最初に俺を助けてくれた時だし」
 唯は「やっぱり……」と小さく呟く。
「なら、あなたはこれ以上私と関わらないほうがいい。きっと辛い思いをするわ」
 光留は唯の真意を確かめようと、表情を伺ってみるがわかるはずもない。
「それで、夢を見なくなる可能性はあるのか?」
「……可能性はあるわ。でも、落神が視えているなら意味がないかもしれない」
「どうして?」
 唯は少し考えてから口を開く。
「お母様からは何も聞いてないのでしょう?」
「何をだよ」
「落神はもちろん、幽霊とか、妖怪とか、そういったものが今まで視えなかったことについて」
「……聞いた事ないな」
 唯は光留をじっと見つめて、やがて諦めたようにため息をつく。
「多分、あなたのお母様と私は同じものが視えているはず。だけど、口にしたらもう止められないかもしれない。あなたに、それを受け止めるだけの覚悟はある?」
 真っ直ぐに見つめてくる唯の視線は、鋭く何かを見極めるかのようだ。
 それでいて口調は厳かで、逆らいがたい圧を感じる。
「覚悟?」
「そう。私との関りを止めても、今までの生活に戻れない可能性もあるわ。それでもいい?」
「今までの生活って……。その、視えるようになるだけだろ?」
「それだけであればいいのだけど、この先は、私にもわからない」
 唯の言っていることは非科学的なことだ。
 けれど二度も落神と出会っている。それを考えれば否定することも出来ないし、対処する方法があるのなら知りたい。
「どうせ視えるようになるなら、対処の仕方くらいは教えてくれるんだろ?」
「私の知ってるやり方は、少し古いし、特殊すぎるから難しいわ。聞くなら、お父様か、お母様のご兄弟や親戚の男の人に聞いたほうが早いと思う」
 光留は意味が分からない、と思いながらふと夢の内容を思い出す。
「……なぁ、もしかして、守り人って人じゃないとわからないのか?」
 唯は驚いたように目を見開く。
「どうして、それを……。いえ、愚問ね。夢で見たのね。……そうね、守り人と呼ばれる人に聞くのが確実ね。ただ、今の私にはそれがわからない。会えばわかるかもしれないけど、出来れば関わりたくないの」
「兄を思い出すから?」
「そう。勝手なこと言って申し訳ないけど、それがあなたの為でもある」
 光留は、いままでの話からもしかして、と思う。
(俺は、守り人、なのか……?)
 しかし、守り人が実際どんなものなのか、光留は知らない。
 夢の内容は目の前の少女との蜜月期間ばかりだし、この間の胸糞悪い夢も、あれ以来見ていない。
 唯の話も明確ではないし、本当にそうなのか判断しかねているのかもしれない。
「で、鳳凰は俺が”守り人”だと思ってるってこと?」
「……その質問をするってことは、覚悟があるってことでいい?」
 光留は何がそんなに気になるのかわからないが、頷く。
「聞きたいって言ったのは俺だし、お袋が何と言ったとしても、まぁ、何とかなるだろ」
 唯は若干心配そうにしながらも、光留が納得するなら、と意を決する。
「正直なところ、あなたが守り人になれる可能性は高いわ。でも、それを阻害するかのように魂に壁が出来ているの。視えないのも、その壁のせいね」
「壁……」
「そう。それが剥がれるか、壊れるかしたときに、あなたがどうなるのか、今の段階ではわからない。ただ、そのきっかけを作ることになるのは、多分私ね。だから、私があなたから離れれば、それ以上壁がなくなることはないはず」
 光留は自分でもわからないものを言われて困惑するが、唯が言うのならそうなのだろう、と納得もする。
「ちなみにそれで死ぬことはあり得るのか?」
「そういう類のものではないから、無くなったからといって死ぬことはないわ」
 それを聞いて少しだけ安心した。
「ただ、死にそうな目には遭うかもしれないけど」
「それは、今さらだな」
「そうかもしれないわね。でも、防げるならその方がいい」
 光留はコーヒーを啜りながら内心で、確かにな、と思う。
 けれど、それは唯との別れを示すことになる。
 それでいいのか、と聞かれれば、あまり良いとは言えない気がした。
 確かに、唯には嫌われているのだろう。けれど、話を聞く限り、唯は本心から光留を嫌っているわけではない。
 かといって、唯を苦しめたいわけじゃない。
 唯の言う通り、物理的にも離れてしまう方が、お互いの為だと頭では理解できている。
「……結局のところ、視えるようになるのは時間の問題だったってことだろ?」
「いいえ。その壁の罅は私が近くにいたからというのは確実よ。本当なら、あなたはこの先も視ることなく普通に暮らせたはずよ」
「なんで断定できるんだよ」
「……それは、言えないわ。言ってしまえば、あなたは本当に守り人の役目から逃げられなくなる」
 線を引かれた。それが少しもどかしい。
「あのさ、守り人って結局なんなんだよ。そんなに危険な役目なのか?」
「今は以前よりも、出現する落神や、霊や妖怪の類は減ってきているから、一概に危険とは言えない。ただ、そうね。一言で言うなら、守り人は巫女の守護者なの」
「守護者?」
「そう。巫女の剣であり盾であり、身代わりでもある。巫女の代わりに落神の呪いを受けて死んだ例もある。だから、やらなくて済むならその方がいい。守り人の大半は望んでなるわけじゃなくて、能力が高いものから順に力の強い巫女にあてがわれるか、巫女の指名でなるものだから」
「巫女も?」
「どうかしら。巫女は、その時に能力が高いものが自動で選ばれる仕組み。それは守り人と一緒だけど、守り人と違って、巫女は選ばれれば名誉と言われるし、生活は保障され家族も安泰に暮らせる。代わりに修行は厳しいし、場合によっては命を落とすこともあるから危険なのは変わりないのかも」
 どちらも危険に変わりはないのに、巫女の方が優位なのは少し気になった。
 今でこそ男女平等が謡われるが、昔は男尊女卑が当たり前だったはずであることを踏まえると、巫女は優遇されすぎやしないだろうか。
「なんだろうな、巫女って特権階級なんだな」
「そうね。神様に選ばれた巫女は特に手厚い待遇を受けるわ。それだけ、神様が特別で、神事は重要だった」
「神事がなくなるとどうなるんだ?」
「疫病が流行ったり、日照りが続いたり、不作になったりするわ。実際に巫女が不在で神事が出来なかった年は、旱魃と不作が数年続いたって記録もある」
 化け物がいるなら神様もいるのは道理ではある。
 天災と神様を結びつけるのはいささか強引な気もするが、人の手に及ばないものは神頼みするしかないというのもわかる。
「なるほどね……。まぁ、大体の事情はわかった」
 光留は残っていたコーヒーを飲み干す。
「俺が聞きたいことはあらかた聞けたけど、最後の質問」
 唯も、ここまで喋ったからと腹をくくる。
「鳳凰は、巫女なのか?」
 唯は少し間をおいて答える。
「……いいえ。今は違う」
「今は?」
 光留の鋭い質問に、唯は切なげに目を伏せる。
「ええ。私は、かつて巫女だった女のなれの果てよ」
 自嘲気味に笑うと、スッと席を立つ。
「話はこれでおしまいでいい? さすがに混んできたし、私も帰りたいから」
 唯の言う通り、昼を過ぎたせいか少し人が増えた気がする。
 あまり長居するのも邪魔だろうと、光留も席を立つ。
「近くまで送る」
「別にいいのに」
「お前気付いてないの? さっきからいろんな男にちらちら見られてんの」
 唯はきょとんとする。
(隙だらけだな。まぁ、こんな無防備じゃ兄も心配になるよな……)
 光留は内心頭を抱えた。
「それ、意識してやってんなら性質悪いぞ」
「そう、なの? 視線は感じていたけれど、別に害があるものじゃなかったし、平気よ」
 唯は何でもないように言うが、世の男は皆紳士ではないのだ。
 光留とて例外ではない。
 最も、嫌いと言ってくる相手を襲って喜ぶ趣味もないが。
「お前が平気でも周りが平気じゃねえんだよ。とにかく、近くまで送る」
「そう、ありがとう」
 光留は二人分のカップを持って、ゴミ箱に捨てると、唯と一緒に店を出た。
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