灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

文字の大きさ
上 下
33 / 47

むかしとは違う

しおりを挟む
 課長の頼みで参加した取引相手のホームパーティー。楽しく過ごしていたご主人様だったけど、遅れてやってきた人間を見た途端顔から血の気が引いていった。
「矢尾?矢尾なのか?」
「お、お久しぶりです…依田きぬた部長」
 必死に笑顔を作ろうとしているけど、依田って人の顔を真っすぐ見れずに俯き加減だし声が震えている。
「矢尾?」
 課長もご主人様の異変に気づいたみたいだ。怪訝けげんそうに様子をうかがっている。
 一方で、依田部長はパッと顔を明るくして何だと声を上げた。
「三年、いや四年ぶりか?元気そうじゃないか」
「は、はい。お陰様で…」
「依田部長、彼女とは?」
 高橋社長に聞かれて、依田部長はいやあと頭を掻きながら答える。
「本部にいた頃の部下ですよ。新卒で入ってきた彼女に仕事のやり方を教えていたんです。まあ、辞めてしまったんですが」
 意味ありげな目で見られたご主人様が、グラスを持っていた手に力を込める。ご主人様の前の上司。おいらはそれを聞いて、真っ先に確信した。こいつだ。こいつがご主人様をいじめて追い詰めたんだ。一気に怒りが込み上げてくるのがわかる。
 ダルマみたいな体に思いっきり噛みついてやりたいところだけど、ここは我慢だ。おいらが暴れたら、その責任はご主人様が取らなきゃいけない。課長と高橋社長の関係も壊れちゃう。我慢するんだ、おいら。
「そうだったのか。いやはや世間は狭いというか、こんな事もあるんだねぇ」
 高橋社長が笑いながら、他のお客さんに紹介するために依田部長を連れていく。
「…大丈夫か?」
「へっ?」
 課長に声をかけられたご主人様が、パッと顔を上げる。
「いや…顔色悪いぞ」
「あ、えへへ、酔っちゃいましたかね?ちょっとお水頂いてきます」
 適当に理由をつけて離れていこうとするご主人様の手を課長が掴む。
「か、課長?」
「…いや。気分が悪くなったら言えよ」
 何か言いたそうだったけど、課長はそれだけ言ってご主人様の手を離すとそのまま高橋社長の方へ行ってしまった。
 おいらは心配だからご主人様の後を追いかける。ピッチャーからグラスに入れたお水を一気に飲み干すご主人様の足を引っ掻いて甘えてみる。
「クゥーン」
「アハハ、とむにも心配させちゃったかな?大丈夫だよ。大丈夫…」
 そんな言葉とは正反対に、おいらを抱きしめる力はすごく強かった。



「それにしても、まさかこんな所で矢尾に会うとはなぁ」
 お酒が入ったからなのか、それとも高橋社長が契約をしてくれると言った事に喜んでなのか、依田部長は赤くなった顔でご主人様と課長に近づいてきた。
「和生さん、でしたかな?お若いのに課長職とは、よっぽど優秀なんですな」
「そんな事はありませんよ。私一人の力でここまで来たとは思っていません。部下に恵まれただけの事です」
「部下、ですか」
 依田部長はチラッとご主人様を見て鼻を鳴らす。
「何か?」
「ああ、いや、失礼。矢尾はそちらではご迷惑をおかけしていませんかな?」
「というのは?」
「いやあ、覚えが悪くて大変でしょう。私が上司だった頃は、本当に手を焼きましてね。同期がどんどん独り立ちしていくというのに、書類一つまともに作れないは電話もろくに取れないは、毎日何かしらの尻拭いをさせられていたものですよ」
「そうでしたか。確かに矢尾は、すぐに焦ってはトラブルを起こしがちではありますね」
「っ、ハハ…本当に、課長にはいつもご迷惑をおかけしてます」
 引き攣った笑いでこの場をやり過ごそうとしているご主人様が痛々しい。
「《おい、大丈夫かおたくの飼い主》」
「《大丈夫じゃないよ。でも、おいらが今できる事なんてないんだ》」
 ルークまでご主人様の心配をしてくれてる。悔しい。お前なんかがご主人様をわかったような事を言うな。お前がご主人様の何を知ってるって言うんだ。
「挙句の果てには体調を崩して休みがちになりましてね。社会人にもなって体調管理すらできないのかと叱ったら、簡単に辞めると言い出す始末で。お陰で私は責任を取って支店に異動させられたんですよ。全く近頃の若者はこらえ性がないというか、目を見て謝る事もできないなんて社会人として失格。そうは思いませんか?」
「ええ、そうですね。どうやら私は、あなたに感謝しなければならないようです」
 笑みを浮かべてそう言った課長に、おいらはガンと頭を殴られたような気持ちになる。課長もご主人様の事いじめるの?こいつの味方をするの?
「感謝だなんてとんでもない。私はただ、上司として部下を一人前に育てようと力を尽くしたまでで…」
「あなたが矢尾を退職に追い込んでくれたお陰で、彼女は今私の元で私の力になろうと懸命に働いてくれている事がわかりましたから」
「はい?」
 思ってもみない言葉に、依田部長だけでなくおいらもキョトンとする。
「部下の覚えが悪いのは上司の教えが悪いという事です。矢尾はトラブルメーカーではありますが、任された仕事に手を抜いた事は一度もありません。少しでも多くの事を学ぼうとする向上心も持っている。それでもミスをしたというのなら、それはしっかりとフォローできなかった上司である私の責任です。ましてや、部下の失態だけを取り上げて責め立て、会社を離れてなおおとしめようとするような人間が、必死に努力する者をどうこう言う資格はない」
「な…っ」
「か、課長…?」
 依田部長の顔がさらに赤くなる。酔っ払ってるからじゃない。自分を悪く言われて怒ってるからだ。
「し、失礼な!それではまるで、私が無能であるような言い方じゃないか!」
「そう聞こえなかったのなら、私はさらに言葉を尽くさなければいけませんね」
「不愉快だ!これだから最近の若者は礼儀がなっていなくて困る!」
「楽しい時間を過ごす場で誰かを侮辱するのが礼儀なら、私は喜んで無作法者ぶさほうものを名乗ります」
「何を…」
「あらあら、大変」
 緊迫した空気をやわらげるような、のんびりとした声が会話を遮る。
「矢尾さん、髪飾りが曲がってしまっているわ。直してあげるから、後ろを向いてもらえるかしら?」
「え…」
 自然だけど不思議な強制力のある雰囲気で、高橋社長の奥さんがご主人様を後ろに向かせる。課長や他の人達からは見えなかっただろうけど、奥さんがご主人様にそっとハンカチを渡すのがおいらには見えた。
 そのまま奥さんは、ご主人様の髪飾りを直す振りをしてご主人様がハンカチを目に当てる時間を稼いだ。そして少ししてから、まあ!と驚いたような声を出した。
「矢尾さん、よく見たら顔色があんまり良くないわ。ご気分がすぐれないのかしら」
 奥さんに目配せをされた課長が、高橋社長に頭を下げる。
「申し訳ありません、社長。矢尾を連れて帰りますので、今日はここでおいとまさせて頂きます」
「いやいや、こちらこそ無理を言ってしまったからね。どうやら、慣れない場に誘ってだいぶ緊張させたようだ。また機会があれば、とむ君の話でも聞かせてくれるかな?」
「は、はい、ぜひ」
 高橋社長と奥さんの連携プレーがすごい。依田部長が声を荒げて何事だとこっちを見ていた他のお客さんも、納得した様子でいる。
 ご主人様の肩を抱いた課長は、とても爽やかな笑顔を依田部長に向けて言った。
「では依田部長。もうお会いする事はないと思いますが、どうぞお元気で。部下が大変お世話になりました」

むかしとは違う、だって一人じゃないから。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

おしごとおおごとゴロのこと

皐月 翠珠
キャラ文芸
家族を養うため、そして憧れの存在に会うために田舎から上京してきた一匹のクマのぬいぐるみ。 奉公先は華やかな世界に生きる都会のぬいぐるみの家。 夢や希望をみんなに届ける存在の現実、知る覚悟はありますか? 原案:皐月翠珠 てぃる 作:皐月翠珠 イラスト:てぃる

こずえと梢

気奇一星
キャラ文芸
時は1900年代後期。まだ、全国をレディースたちが駆けていた頃。 いつもと同じ時間に起き、同じ時間に学校に行き、同じ時間に帰宅して、同じ時間に寝る。そんな日々を退屈に感じていた、高校生のこずえ。 『大阪 龍斬院』に所属して、喧嘩に明け暮れている、レディースで17歳の梢。 ある日、オートバイに乗っていた梢がこずえに衝突して、事故を起こしてしまう。 幸いにも軽傷で済んだ二人は、病院で目を覚ます。だが、妙なことに、お互いの中身が入れ替わっていた。 ※レディース・・・女性の暴走族 ※この物語はフィクションです。

笛智荘の仲間たち

ジャン・幸田
キャラ文芸
 田舎から都会に出てきた美優が不動産屋に紹介されてやってきたのは、通称「日本の九竜城」と呼ばれる怪しい雰囲気が漂うアパート笛智荘(ふえちそう)だった。そんな変なアパートに住む住民もまた不思議な人たちばかりだった。おかしな住民による非日常的な日常が今始まる!

超能力者一家の日常

ウララ
キャラ文芸
『暗闇の何でも屋』 それはとあるサイトの名前 そこには「対価を払えばどんな依頼も引き受ける」と書かれていた。 だがそのサイトの知名度は無いに等しいほどだった。 それもそのはず、何故なら従業員は皆本来あるはずの無い能力者の一家なのだから。 これはそんな能力者一家のお話である。

喫茶店オルゴールの不可思議レシピ

一花カナウ
キャラ文芸
喫茶店オルゴールを舞台にしたちょっぴり不思議なお話をお届けいたします。

時守家の秘密

景綱
キャラ文芸
時守家には代々伝わる秘密があるらしい。 その秘密を知ることができるのは後継者ただひとり。 必ずしも親から子へ引き継がれるわけではない。能力ある者に引き継がれていく。 その引き継がれていく秘密とは、いったいなんなのか。 『時歪(ときひずみ)の時計』というものにどうやら時守家の秘密が隠されているらしいが……。 そこには物の怪の影もあるとかないとか。 謎多き時守家の行く末はいかに。 引き継ぐ者の名は、時守彰俊。霊感の強い者。 毒舌付喪神と二重人格の座敷童子猫も。 *エブリスタで書いたいくつかの短編を改稿して連作短編としたものです。 (座敷童子猫が登場するのですが、このキャラをエブリスタで投稿した時と変えています。基本的な内容は変わりありませんが結構加筆修正していますのでよろしくお願いします) お楽しみください。

バッドエンド

黒蝶
キャラ文芸
外の世界と隔絶された小さな村には、祝福の子と災いの子が生まれる。 祝福の子は神子と呼ばれ愛されるが、災いの子は御子と呼ばれ迫害される。 祝福の子はまじないの力が強く、災いの子は呪いの力が強い。 祝福の子は伝承について殆ど知らないが、災いの子は全てを知っている。 もしもそんなふたりが出会ってしまったらどうなるか。 入ることは禁忌とされている山に巣食う祟りを倒すため、御子は16になるとそこへ向かうよう命じられた。 入ってはいけないと言われてずっと気になっていた神子は、その地に足を踏み入れてしまう。 ──これは、ふたりの『みこ』の話。

あやかしの茶会は月下の庭で

Blauregen
キャラ文芸
「欠けた月をそう長く見つめるのは飽きないかい?」 部活で帰宅が遅くなった日、ミステリアスなクラスメート、香山景にそう話しかけられた柚月。それ以来、なぜか彼女の目には人ならざるものが見えるようになってしまう。 それまで平穏な日々を過ごしていたが、次第に非現実的な世界へと巻き込まれていく柚月。彼女には、本人さえ覚えていない、悲しい秘密があった。 十年前に兄を亡くした柚月と、妖の先祖返り景が紡ぐ、消えない絆の物語。 ※某コンテスト応募中のため、一時的に非公開にしています。

処理中です...