灰色の犬は愚痴だらけ

皐月 翠珠

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にっこり笑顔で

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 六時を知らせるチャイムが聞こえる。いつもならもうこんな時間か、なんて思いながら伸びをする頃だ。でも、今日はやっとかっていう気持ちの方が強い。
─とむ!今日の夜は楽しみにしててね!
 今朝、ご主人様はいつもの出勤の時とは真逆の超絶ウキウキした顔でそう言って出かけていった。とてもいい笑顔だった。よくわからないけど、やたら嬉しそうだった。そんな顔を見せられたら、気になってしょうがないじゃないか。おいら、今日は一日中ご主人様の顔が頭から離れなかったよ。お昼寝だってしてないんだぞ。
 ご主人様は残業がなければあと一時間もすれば帰ってくる筈だけど、さてさて今日はどれくらいの事をやらかしているんだろう。おいら以上に浮き足立っていたから、終電コースか早々に課長から戦力外通告を受けて定時で帰らされるかのどちらかだとおいらは踏んでいる。
 あー、時間が経つのが遅いなぁ。ベッドやクッションに顔をこすりつけたり、玄関から窓までを往復ダッシュして自己最速記録を作ろうとしてみたり、もう何度昼間から同じ事をくり返してるかわからない。ご主人様、まだかなぁ。出窓から見える家のイルミネーションがきれいだから、ご主人様と一緒に見たいなぁ。そう思っていたおいらは、ふとある事を思い出した。あれ?今日って…
 その時、おいらの耳がエレベーターのドアが開く音をキャッチした。小走りでこっちに向かってくる足音を聞いて、おいらは玄関に突っ走る。
「キャンキャン!キャン!キャンキャン!」
 尻尾をぶん回して足音の主を待つ。鍵が開く音の後に、ドアが勢いよく開いた。
「間に合ったぁ!とむ、ただいま!」
 帰ってきたご主人様に飛びかかる。遅いよ、ご主人様。おいら待ちくたびれちゃったよ。でも思ったより全然早くてビックリしてるよ。やっぱり帰らされたのかな。
「よーしよしよし。今日は頑張ったよ!残業にならないように、昼休み返上で仕事終わらせたからね!」
 ご主人様の言葉に驚いて、前足をご主人様の足に寄りかけたままの体勢で固まる。あのご主人様が、定時で、それもちゃんと仕事をした上で、帰ってきた?そんな事があり得るのか。今夜は嵐になるかもしれない。
「よし!とりあえずダッシュでお風呂入ってくるね!」
 持っていたエコバッグの中身や白い箱を手早く冷蔵庫に入れると、ご主人様は流れるような動きでお風呂場に消えていった。え、あれご主人様だよね?ご主人様の皮を被った忍者とかじゃないよね?今日は一体どうしたっていうんだ。
 ご主人様が早く帰ってきてくれて嬉しい筈なのに、おいらはわけのわからない戸惑いで部屋中をウロウロする事になってしまった。



 ご主人様がお風呂から出てくる。いつもなら真っ先にビールを出すところだけど、今日はなぜか座椅子に座ってテレビを見始めた。ご飯は食べないの?おいらお腹減ったよ?膝に乗ったおいらを見て、ご主人様はニコニコ笑いながら言った。
「お腹空いたねぇ。早く食べたいねぇ」
 え、ご主人様どうしちゃったの?お腹空いてるのにご飯の用意をしようとしないなんて。もしかして、やらかし過ぎてついに壊れちゃった?残業はないって言ってたけど、本当は会社をクビになっちゃったとか?いつもと同じ筈の笑顔が意味深に見えてきてさらに怖いよ。
 鼻歌まで歌い始めたご主人様からそっと離れる。病院に連れていった方がいいのかな。でも、人間の病院においらは入る事ができない。誰かに連れていってもらう?いや、そもそもその誰かにこの状況を説明する方法がない。ああ、どうしておいらは人間の言葉がしゃべれないんだ。
 そうして頭を抱えていると、突然インターホンが鳴った。え、こんな時に誰?
「あ!来た来た!」
 ご主人様が興奮した様子で玄関に走る。おいらは状況が読み込めなくて、いつもより激しめに吠えた。
「キャンキャン!キャン!キャンキャン!ううううう!」
「とむ、そんなに吠えないの!すいません、お疲れ様です」
 どうやら、宅配便らしい。ご主人様はサインをすると、発泡スチロールの箱を受け取った。ちょっとだけ見えた配達員のお兄さんは、赤い帽子を被っていた。
「来ったよ~、来ったよ~、プ~レゼ~ント~♪」
 謎の歌を歌いながらご主人様はフタを開ける。おいらもそーっと近づいて中を覗くと、そこに入っていたのは…
「?」
「ふっふ~ん。さてさて、とむ君。これは一体何でしょう?」
 ドヤ顔でご主人様が見せてきたのは、ビニールでできたぶ厚めの袋に入ったお肉…なのかな?初めて見る見た目にふんふんと匂いを嗅いでみるけど、密閉されているからよくわからない。
 はてなマークがブンブン飛んでいるおいらを見て、ご主人様はニマーッと笑って言った。
「これはねぇ、有名な高級レストランが特別に作った犬用クリスマスディナーだよ!クリスマスチキンだよ~!」
「キャン⁉」
「そしてそして~」
 お肉の袋を横に置くと、ご主人様はもう一つ入っていた白い紙の箱を取り出した。
「じゃーん!これはとむのためだけに作ってもらった、オーダーメイドのお芋ケーキでーす!」
「キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン‼」
 まさかの展開に、おいらのバイブスはブチ上がった。え?お芋の、え?ケーキ⁉オーダーメイドってどういう事⁉
 おいらは満面の笑顔で飛び回り、状況を整理しようとウロウロして、またはしゃぎまくった。今のおいらの状態を一言で表すなら、カオスだ。
「へへへへへ、実は前に大金の奥さんからマロンちゃんの誕生日パーティーの事を聞いてね」
─ウチはいつもマロンちゃん御用達ごようたしのレストランで専用のコース料理を作ってもらっているのよ。ケーキはもちろんオーダーメイドでね、今年は王道のイチゴを使ったケーキにしてみたの
─うわ、可愛いですね
─矢尾さん、良かったら今年のクリスマスはここのケーキをとむちゃんにプレゼントするのはどうかしら?
「本当は会員じゃない人の注文は受け付けてないけど、大金の奥さんが口利きしてくれるって言ってくれてね。さすがにコース料理までは手が出なかったんだけど、チキンとケーキは何とか買えたんだ~。配達の時間までに帰ってこれて良かったよ~」
 ご主人様の言葉に、おいらはふと思い当たる事があった。
─どうしよう………お金がない!
─ハアァ…お腹空いたよぉ…晩酌したいよぉ…
─貯まったよ!これで買える!
 そう、ご主人様が苦しみながら何かを買うために節約していた事を。もしかして、おいらにこのご馳走を食べさせるために…?今日も、荷物を受け取るために必死で仕事を終わらせてくれたの?
「ほら、見てごらん。このケーキ、すっごく可愛いでしょ⁉」
 白い箱を開けて中を見せてくれる。お芋のいい香りが鼻をくすぐる。
「お芋を練り込んだスポンジケーキに、お芋のクリーム。上にはスイートポテトを乗っけてもらったんだ~。あとこれ!」
 すごいでしょ!とご主人様が指差しているのは、スイートポテトの横。灰色のモンブランみたいな細長いクリームで立体的に作られたおいらの似顔絵だった。匂いからしてこれはゴマ、かな?香ばしくて、お芋との相性抜群だね。
 こっちを見て笑ってる自分の顔を見るのは、何だか変な気分だ。そして思う。やっぱりおいら可愛いな。
「ささ、乾杯しよ!犬用ジュースも出してあげるからね!」
「キャンキャン!」
 何だ、この贅沢。ご主人様は冷蔵庫からちょっといいビールと、フライドチキンを持ってくる。あのエコバッグの中身はそれだったのか。って事は、白い箱はご主人様のクリスマスケーキだな。
 おいらの前に、お皿に盛られたチキンとケーキが置かれる。待てだよー?と言いながら、ご主人様はビールの缶をプシュッと開けた。
「よーし、それじゃあ…メリークリスマス!」
「キャン!」
 二人でご馳走を食べながら、楽しい時間を過ごす。いつの間にか、外では嵐じゃなくきれいな雪が静かに降っていた。
 メリークリスマス、ご主人様。

にっこり笑顔で迎える聖夜。
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