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お風呂をこさえるわよ

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 王国歴二六七年、初夏、王立魔術学院、六号館。
 赤みを帯びた金髪を縦に巻き、アイラは傲然と立つ。
 吊りあがった赤い瞳に西陽が映りこむ。
 立てば芍薬、座れば牡丹、喋る姿は曼陀羅華アルラウネと謳われる成金令嬢である。
 むろん、ほめことばではない。

 栗色の髪の少年が、暮れなずむ教室に駆けこんでくる。
 着くずした王立魔術学院の制服に、背嚢と魔導銃を背負っている。
 少年の名をマリクと云う。
 おっぱい魔人と仇名され、女子生徒一般から疎まれている。

「遅くなりました」
「桐の葉も踏みわけがたくなりにけりよ、莫迦マリク」

 アイラは柳眉を逆立てる。

「ごめん、部長。待っていてくれてありがとう」
「部室のそとじゃ、名前で呼びなさいよね」

 アイラは魔法薬研究部の第十三代部長である。
 マリクは副部長を務めている。
 かつて隆盛を誇った魔法薬研究部も、現役部員は二名と零落はなはだしい。

「ごめん、アイラ」
「わかればいいのよ、わかれば」

 教壇に突っ伏した教官がうめくように告げる。

「痴話喧嘩はいいから、とっとと野外演習の計画書を提出してくれるかな」

 王立魔術学院は軍学校の側面を持ち、三年次から野外演習が必修科目となる。
 学生同士で班を組んで、行軍と野営、討伐に採集を実践するのである。

「そんなんじゃありません。これは、そう、これは謀略戦のてほどきにございます」

 頬を染めて否定するアイラのかたわら、マリクは手早く書面をしたためる。
 王国西部、麦州はヴァラクの森で魔物討伐と薬草採集の実施。
 延慮のアイラ。
 唯銃のマリク。
 ふたり、ふたつ名とともに署名する。

「ヴァラクの御料林か。あれを採るのは良いが、外に流すのはやめておきなさい」
「重々承知しておりますわ」
「君たちは鑑札持ちアドベンチャラーだから、学院から付き添いは出さない。報告書に討伐証明を添えて提出してほしい」
「それって、こいつとふたりっきりってことですか」

 アイラは肩を抱いて、怯えたようにぶるぶるふるえてみせる。

「し、しないよ、そんなこと。僕は紳士だからね」
「ふん、どうだか」
「清純だろうが不純だろうが、君たちが異性交友を行うことに学院は関知しない。つづきはふたりきりでやってくれ」

 書類をそろえ、教官は教室を辞する。
 振りかえって、つけくわえた。

「期待しているよ、おふたりさん。あまり見せつけてくれるなよ。貴族の子弟が妬み嫉む」
「はーい、気をつけまーす」

 アイラはおざなりに返事する。
 マリクはぺこり、頭をさげる。
 大鐘楼の聖鐘が、澄んだ音を響かせる。
 連れだって、ふたりは学舎をあとにした。

◇◇◇

 帰宅したアイラを、銀髪のメイドが出迎える。
 目付役のエリザである。
 豊満な肢体を露出のすくないメイド服に押しこめている。

「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま、エリザ」
「今日は野外演習の班決めでしたっけ。いかがでしたか、首尾は」
「聞いてよ。あの莫迦、やっぱり遅れてきたのよ」
「彼ピッピがいないとお嬢様は深刻なぼっちですものね」
「ぼっちって言うな、この乳牛メイド」
「なんてはしたない言葉づかいを。私の教育がいたらないばっかりに、よよよ」
有財うざっ」
「あらまあ、反抗期かしら。奥方様に報告しなきゃ」
「やめて」

 あわててアイラはエリザを押しとどめる。
 アイラの母タヴィアは、商会の最高諜報責任者CIOである。
 彼女が組織した信用調査班は、帝都探偵社に次ぐ大陸有数の民間情報機関とされる。

「とは言い条、資金のながれから読まれますよ」
「ううぅ、なんとかならない?」
「半月なら誤魔化せます。そのあいだに落としてください」
「無理よぉ。あいつ、むっつり助平のくせに、ぜんぜん手を出してこないんだもん」
「ファリ錬金工房から新作が届いております」
有難あざっ」

◇◇◇

 野外演習一日め、川をはさんでヴァラクの森を望む小高い丘に設営する。
 古くは渾沌山と呼ばれたグンルーン火山の裾野に森が広がる。
 森の深奥に泉が湧き、川をなして流れだしている。

「マリク、あんた、野戦築城の授業は?」
「うん、寝てた」
「あたしが縄張りするから、あんたは穴掘りしなさい」
「拝承」

 身体強化して、マリクは円匙シャベルで地面を掘りすすめる。
 丘の頂上を空堀で囲む構えである。

「手慣れたものね」
「当世じゃ、掘るのが兵の仕事だからね」
「ふん、あんたに兵隊は勤まらないわよ」

 魔物避けを混ぜこみながら、アイラは土魔術で胸壁を築いていく。
 外から見れば、人の身長ほどに切り立った壁に囲まれた防御陣地である。

「ちょっとした砦ができちゃったね」
「委細漏らさず報告書に記しなさい」
「優とれちゃうね、部長」
「最優をとるのよ。あと名前で呼びなさいってば」
「不肖の身ながら粉骨砕身力を尽くすよ、アイラ」

 背嚢から桐箱を取りだしてマリクに渡す。

「竜牙弾よ。一発だけだから大事に使いなさい」
「さすがグルナ先輩だ。真鋼に捻子を切れるのは、王都じゃあのひとだけだからね」

 真鋼と飛竜ワイバーンの牙を接合した弾頭である。
 金に糸目をつけず、ファリ錬金工房に発註した逸品であった。

「あとこれ。乙女の、その、あれよ」

 恥じらうように顔を伏せて、アイラは小袋を渡す。
 縮れた金色の毛が入っている。
 古来より、女性の体毛は魔力を宿すとされる。
 魔力代謝に優れるアイラの陰毛は霊験あらたかな魔導媒体である。

「匂い嗅いだりしたら、殴るからね」
「も、もちろんさ」
「身体強化して真剣がちで殴るから」
「嗅ぎません! この銃にかけて!」

 マリクは愛銃をかかげる。

「これだけ投資させておいて無様は許さないわよ。あたしのおこづかい、もうすっからかんなんだから」
「まかせてくれ。こいつで学費を稼いでるんだぜ、僕は」
「あたしは警戒線を敷くわ。銃の整備をすませておいて」
「拝承」

 アイラは丘の周囲に鳴子の魔道具を設置し、六芒星様に警戒陣を敷いた。

◇◇◇

 ふたりは森に踏みいる。
 御料林であるが、深層は満足に管理されているとは言いがたい。
 魔猪ボアの群れが棲みついて以降、管理の役人も立ち入らないという。

 大木に擦りつけられた泥を見て、マリクが手まねきする。

「どうしたの?」
「これを見て」

 泥に混じって金色の毛が残されている。
 マリクが指し示したのは魔猪ボアの抜け毛である。
 こすりつけられた泥の位置から、体高がアイラの身長より高いと知れる。
 通常個体の倍以上の巨躯と推定された。

黄金魔猪ゴールデンボアだ。変異個体にしてもでかいな」
「ということは、ここがそこなのね。周囲を警戒して」
「拝承」

 マリクは魔力視による警戒を厳にする。
 立てた人差指と中指のあいだから森を見通すその技は、名を『銃眼』という。
 男女問わず、のべつまくなし胸を見てまわり、ついた仇名がおっぱい魔人である。
 当人は敵対に備えて魔力量を測っていると釈明したが、不躾に変わりはない。

 アイラは木に絡みついた葛を仔細に観察する。
 ひとつうなずいて、円匙シャベルを手に地面を掘りはじめる。
 塊根を掘りだして莞爾と笑う。

「アイラ、それは?」
「部活中は部長って呼びなさい」
「……部長、それはなに?」
「イクトゥスの葛根、魔法薬の原料よ」
「それって王国史上もっともパイオツカイデーだった王女様の御名だよね」
「くわしいわね、おっぱい魔人」
「その仇名、やめてほしいんだけど」
「なによ、巨乳好きなくせに」
「誤解だよ、部長。それで、なんの薬ができるの?」
「まったくもう。想像はついてるんでしょ、育乳薬よ」

 マリクはアイラの控えめな胸をちらりと一瞥して、神妙にうなずいた。

「一儲けできるね」
「売ったら御法度で梟首よ。授業の一環として、実験用に採集するって建て付けなんだから」
「なにか抜け道ハックがあるんだね」
「御料林から持ちだすのを禁じられているのは植物だけ。関係ないけど、猪って穴を掘って根を食べるのよね」
「悪辣だなあ」
「おーほっほっ、そんなに褒めないでくださいまし」

 ふたりは笑みを交わしあい、野営地に撤収した。

◇◇◇

「魔力が余っているから、お風呂をこさえるわよ」

 マリクは円匙シャベルで川原を掘り、湯船をしつらえる。
 アイラは魔法で石を熱している。
 川から引きこんだ水に焼石をぽんぽん放りこんでいく。

「お先にいただくわ」
「僕が見張っているから、ゆるりとどうぞ」
「周囲一里でもっとも危険な男に言われてもね」

 ためらわず、アイラは裸になって身体を洗いはじめる。
 泡立てた石鹸でくまなく洗う。
 胸をとりわけ念入りに洗った。

黄金魔猪ゴールデンボアより危ない男ってか。褒め言葉と受け取っておくぜ」
「前向きね。でも、あれ、きっと雌よ」
「やれやれ、そういうことか」

 マリクは肩をすくめる。

「良い匂いがする」
「うちで扱ってる迷迭香ローズマリーの石鹸よ」

 アイラは湯で泡を流し、髪をくしけずる。
 背中にマリクの視線を感じる。
 気づかぬ素振りで湯船に浸かる。

「綺麗だなあ」

 マリクの唇からうっかり言葉がまろび落ちる。
 アイラはふりかえり、らんらんと輝く瞳で射すくめる。
 唇をにやけさせている。

「なにがぁ?」
「えっと、いや、そう、水の面に照る月なみが、さ」

 マリクはしどろもどろに言い訳する。
 待宵月が川の水面に揺れていた。
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