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第56話 国境への旅路

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 夜明け。
 太陽が地平線から顔を出し、先ほどまで白みがかっていた空を赤く染め上げていく。
 夜中の見張りの後、もう一度ジュードと交代して仮眠を取っていたジャスティーナが目を覚ますと、朝からプリシラが元気に小川の中に入っていた。
 まだ朝は冷える時期だというのに何をしているのかと思ったジャスティーナは目を見張る。

 ジュードの持ち物である川漁用の漁服に身を包み、プリシラは中腰になって水中に手を差し入れた。
 次の瞬間、プリシラの手がパッとひらめき、弾き出された川魚が宙を舞って川辺に打ち上げられた。
 岸辺でそれを見ていたジュードがおどろきと感心の入り混じった声を上げる。

「おおっ!」

 プリシラは次々と手をひらめかせ、結局8匹の立派なニジマスをあっという間に獲って見せた。

「見事なもんだな」

 そう言いながらジュードは藁編わらあみのかごを持ってきてニジマスを拾い上げていく。
 小川から上がってきたプリシラは得意げな顔で手拭てぬぐいを取り出し、水飛沫みすしぶきれた顔をぬぐった。

「子供の頃から狩りは仕込まれてきたの。魚獲りだけじゃなくて、山で野ウサギやイノシシを狩ることだって出来るわ。あなたとジャスティーナに世話になりっぱなしだから、このくらいさせて。あ、もちろんこれが代金代わりなんて言うつもりはないから」
「いやいや。食費が助かる分は差し引かせてもらうよ。ありがとう。プリシラ。ニジマスは早速焼いて食べよう」
「朝ご飯なんて食べているひまあるの? すぐに出発したほうがいいんじゃ……」

 そう心配するプリシラだが、ジュードは首を横に振った。

「徒歩の旅だからな。飯をしっかり食べておかないと足が動かなくなる。体を動かすためにも食事はおろそかにしてはいけないんだ。旅暮らしには大事なことさ」

 それから3人はまだ寝ていたエミルを起こし、朝食を済ませると手早く支度したくを整えた。

「ジャスティーナ。あなたの剣だけど……旅の間、借りていてもいい?」

 腰帯に差した長剣のさやに触れながら、プリシラはそう言った。
 何だかとても手に馴染なじむ長剣で、プリシラにも使いやすかったのだ。
 ジャスティーナは傭兵ようへいとの戦いで手に入れた新たな剣を持っていたので、それを腰帯に差している。
 彼女は事もなげに言葉を返した。

「別に構わないさ。特段の業物わざものってわけじゃない。あんたにやるよ」

 昨夜、人を殺す覚悟と戦士の誇りという話を2人でしてから、プリシラは考えていた。
 自分が剣を振るって敵の命を奪うことが出来るのかと。
 怖いという気持ちはある。
 だが自分が躊躇ちゅうちょしたせいで仲間や弟が殺されてしまうようなことがあれば、プリシラは自分自身のことを許せなくなるだろう。

 そう考えるとプリシラの腹の底にゆっくりと覚悟がわっていく。
 自分が仲間、そして弟を守るためと考えれば、きっとこの剣を振るえる。
 プリシラがジャスティーナの剣を使いたかったのは手に馴染なじむからというだけではなく、彼女の誇りと覚悟を少しでも分けてもらいたかったからだ。

「さて、じゃあここから共和国への国境を目指そう。国境までは徒歩だと丸2日くらいだ」

 そう言って皆を先導するジュードにプリシラは問いかけた。

「共和国との国境は今も通行可能かしら? とりでが封鎖されていないといいんだけど……」
「まともに国境のとりでを通るつもりはないよ。国境越え自体は山の中を通ればそう難しくはない。山に入る前に知り合いのいる村で一泊しよう。そこで物資も調達できると思う」

 プリシラはジュードの旅慣れた様子を頼もしく思うと同時に、やはり机の上で勉強するばかりではなく実際に自分の足で歩き、自分の目で見なければ世の中のことは分からないのだと実感していた。
 そう考えると、この旅の間に自分の知らないことを出来る限り吸収したいと思う。
 ダニアにいたのでは身に着かないことばかりだ。

「さあ。行くわよ。エミル」
 
 となりで緊張気味な表情を見せているエミルの手を取ろうとしたが、プリシラはそこで思い留まった。
 いつも弟の手を引くことがくせになっていた。
 だがそのせいでエミルは手を引かれるまま姉任せで歩き続ける子になってしまっている。
 それでは駄目だめなのだ。
 今回のことはいい機会だった。

「エミル。無事に帰るまで元気でいるのよ。しっかり自分の足で歩きなさい。エミルが強くなって帰ったら、きっと父様も母様もおどろいて喜ぶわよ」 

 楽しげにそう言う姉の姿にエミルは少しだけ心が軽くなるのを感じた。
 いつも通りの姉の様子を見ていると元の生活に戻れる日が近いのだと感じられるからだ。
 この道を歩いていけばようやく大好きな両親に会える。
 そう感じることが出来て、エミルの顔には自然と安堵あんどの色がにじんでいた。
 ゆうべ見た黒髪の女の夢のことは、彼の頭からすっかり消え去っていた。

 ☆☆☆☆☆☆

「シジマ様。ショーナ様。お疲れ様でございます」

 そう言ってした手拭てぬぐいを手渡すのは、白い髪の少女だった。
 シジマの部下の1人だ。
 まだ11歳になったばかりの見習いだった。
 彼女はチェルシーからの命令をシジマとショーナに伝えるためにやってきたのだ。

 アリアドの市壁から東に1キロほど進んだ草原の中、チェルシー将軍の副官であるシジマと黒帯隊ダーク・ベルトの隊長であるショーナは交代で仮眠を取りながら見張りを続けていた。
 本来ならば上役である2人のやる仕事ではない。
 だが監視対象が特別な相手であるため、そうせざるを得ないのだ。
 ダニアの女王の子女であるプリシラとエミル。
 そしてその他にダニアの女戦士と……もう1人。

 それはかつて黒帯隊ダーク・ベルトに訓練兵として所属していた黒髪術者ダークネスのジュードだ。
 ショーナが教官として指導していた男だった。
 そうした面々を相手にしているため、他の者に任せずにこの2人による対処が必要だった。

「ヤブラン。チェルシー将軍閣下かっかのご指示は?」

 ヤブランと呼ばれた少女は背負っているふくろの中からパンと干し肉、果実を取り出し、それから茶の入った竹筒を2人に手渡しながらそれに答える。

「明日には駐留軍が到着するので、その時点で将軍閣下かっかとシジマ様が交代されるということです。ショーナ様はそのまま閣下かっかにご同行下さい。連絡役は2時間ごとにうかがいますので」

 そう言うとヤブランは必要物資をまとめた2人分のふくろをシジマとショーナに手渡し、その場を去っていった。
 シジマはそれを見送りながら、食料をむさぼる。

「ショーナ。おまえも食べておけ。俺は明日で御役御免だが、おまえはしばらく続くだろうからな」

 そう言うシジマにだまってうなづき、ショーナはパンをかじる。
 頭の中ではまったく別のことを考えながら。

(チェルシー様。ジュードを見つけたらどうなさるかしら)

 ジュードのことはまだ完全にそれと確定したわけではないが、もし今、追っている相手がかつて脱走した彼本人だと確定したら、その処分はチェルシーに一任することになる。
 そのことを考えるとショーナは胸の内がざわつくのだ。

 そしてジュードのことが気になっているせいか、彼女はまったく気付いていなかった。
 自分たち以外にもプリシラたちを見張る存在がいることに。
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