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第10話 母の懸念

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「2人は何か妙な事態に巻き込まれたようだな」

 ブリジットは思わずそうぼやかずにはいられなかった。
 プリシラとエミルが入っていったという目撃情報があった曲芸団サーカスの天幕。
 それがあった場所に行ってみると、そこはすでに更地さらちになっていた。
 そして周囲で聞き込みをしていた小姓こしょうらの報告によれば、曲芸団サーカスは当初の予定よりも演目を大幅に減らし、その分の代金は客に返金対応してまで大急ぎで撤収していったという。

「そんなにまでしてあわてて帰るってのは妙だな」

 首をかしげるベラにブリジットは眉根まゆねを寄せる。

「こんな時にボルドがいてくれれば……」 

 彼女の夫であるボルドは黒髪術者ダークネスであり、彼がいればエミルを探し出すことは容易だっただろう。
 父の黒髪を受け継いだエミルは、黒髪術者ダークネスとしての力をも受け継いでいる。
 そして黒髪術者ダークネス同士は多少離れた場所にいてもたがいを感じ合い、その位置を察知することが出来るのだ。
 迷子になったエミルをいとも容易たやすくボルドが見つけ出したことは今まで幾度いくどもあった。
 だがボルドは数日前から体調をくずしてダニアで療養中であり、今回の視察には同行していない。

「おい……これを見てくれ」

 そう言うベラは地面に片ひざをつき、土の上を指差す。
 そこには何者かが争ったような足跡が残り、さらには人のそれとおぼしき血痕けっこんが残されていた。

「まだ新しいぜ。お姫様がひと暴れしたんじゃないかとアタシは思うんだが、母上殿はいかがかな?」

 少々おどけてそう言うベラの頭をソニアが軽く小突く。
 ブリジットは地面にしゃがみ込むと、土にくっきりと刻み込まれた特徴的なへこみに注目した。

「この踏み込みの強さは間違いなくプリシラだな。あいつは自分の下半身の強さに自信を持っている。だからこうして思い切り地面を掘るように踏み込むくせがあるんだ。ここにプリシラがいたことは間違いないだろう」
「で、その踏み込みの強さで誰かをぶっ飛ばして、ぶっ飛ばされたその誰かは鼻血でも噴いたってことか」 

 地面に残る血痕けっこんを見ながらそう言うベラに、ブリジットはうなづいた。

「どうやら何らかの厄介事やっかいごとに巻き込まれたことは間違いないようだ。2人がここにいないってことは、その曲芸団サーカスの連中とモメて連れ去られたのかもしれんな」
「あのプリシラを押さえ込める男がそうそういるのか?」

 ソニアの問いにブリジットは嘆息たんそくした。

「あいつは確かに成長はめざましいが、まだ経験も浅く幼さが残る。たとえばエミルを人質に取られたりしたら、どうしていいか分からなくなるかもしれん。とにかく情報集めだ。曲芸団サーカスの連中はこの街で食糧などを買い込んでいるだろうから、その線で聞き込みをしよう。あと実際にここで曲芸団サーカスの出し物を見物していた客から情報を聞きたい。プリシラたちを見た者がいるかもしれん」

 そう言うとブリジットは周囲で待機する小姓こしょうや衛兵らに告げた。

「これだけの人数では情報収集も骨が折れるな。娘たちのことで迷惑をかけるが皆、急いで事に当たってくれ。ベラ、ソニア、悪いが頼む」

 そう言うブリジットにベラとソニアは神妙な面持おももちでうなづくのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 馬車のほろで周囲をおおわれて外の様子は見えなかったが、わずかな隙間すきまから差し込む赤い光で、プリシラはすでに夕暮れ時なのだと理解した。
 しかし自分があのビバルデの街からどの方角に連れて来られたのかが分からない。
 プリシラは頭の中で大陸の地図を思い描く。
 だが、方角と移動時間が分からない以上、自分たちの現在地は分からない。

 先ほど、同乗している女たちにこの馬車の向かう先をたずねてみたが皆、首を横に振るばかりだ。
 気力のない彼女たちと話していると、自分まで弱気になりそうだったので、プリシラはとにかく頭の中でこの先の自分の行動をいくつもの選択肢に分けて思い描く。

(この馬車から降ろされる瞬間をねらうか……だけどエミルは人質に取られたままだし、この手足のまま戦うのは難しい。もう! エミルさえ捕まっていなければ……)

 プリシラは内心の苛立いらだちを必死に抑え、努めて冷静さを保とうとする。
 父のボルドが言っていた。
 状況が悪い中ではあせって思考を乱さないことが必要だと。
 プリシラは父の顔を思い浮かべながらいくつもの考えをめぐらせ、反撃の好機を待ち続けるのだった。
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