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第9話 幼き記憶
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「母様……もうみんなと遊びたくない」
8歳になったばかりの頃、プリシラはふくれっ面で家に帰ってきたことがあった。
そんな娘を出迎えたブリジットは、彼女の頭にポンと手を置く。
「どうした? ケンカでもしたのか?」
プリシラはブリジットが幼かった頃に似て、活発な女の子だった。
野山を駆け回り、街の市壁によじ登るような子だ。
そんな彼女には幼い頃からの仲の良い友達が何人もいた。
「ケンカ……してない。みんなアタシのこと急にプリシラ様って呼んで、前みたいに遊んでくれなくなった」
そう言って悔しそうに拳をギュッと握るプリシラを見てブリジットは思った。
(そういう日が来たか)
ブリジットの胸に幼き日の苦い思い出が浮かぶ。
今は女王の彼女も、かつては女王の娘だった。
まだ物事の分からない幼い時分には分け隔てなく遊んでくれていた友たちが、分別を身につけ始める年齢に差し掛かるにつれて、徐々に自分と距離を取り始めるのだ。
なぜなら自分は女王の娘だから。
相手からすれば「女王の娘には敬意を持って接しなければならない」との思いから、気楽に遊べる相手ではなくなるのだ。
ある日を境に、それまで慣れ親しんでいた友達に敬語を使われた時の悲しみや寂しさは、今も苦い記憶としてブリジットの胸に残っている。
今度は娘のプリシラがそういう時期を迎えているのだ。
「プリシラ。アタシにもそういう時があった。仕方のないことなんだ」
「でも母様にはベラさんやソニアさんがいるじゃない。アタシには……プリシラって呼んでくれる友達がいなくなっちゃったの」
そう言うプリシラの目に見る見るうちに涙がたまっていく。
ブリジットは娘の頭をやさしく撫でてやった。
確かにブリジットにはベラとソニアという幼馴染がいる。
2人とは物心ついた頃からの付き合いだった。
女王の娘であることに気後れした他の友が離れていく中で、ベラとソニアだけは変わらずに傍にいてくれた。
今も友として接してくれる得難い存在だ。
「大丈夫だ。プリシラ。おまえにもきっと出来る。おまえの本当の友と呼べる相手が」
そう言うとブリジットは、堪え切れずに泣き出すプリシラの体を優しく抱きしめるのだった。
☆☆☆☆☆☆
(まったく……体ばかり大きくなって中身はあの頃と大して変わらないな)
ブリジットは幼い頃の娘の姿を思い浮かべながら、行方の分からなくなっている我が子たちの身を案じる。
「ブリジット。こいつは本腰入れて探さねえとマズイぜ」
そう言うベラの言葉にブリジットは神妙な面持ちで頷いた。
見張りの兵を振り切ってプリシラは弟のエミルを連れて街中に消えた。
そのこと自体は別に良くあることなのでブリジットは驚かなかった。
プリシラは幼い頃からとにかく活発で、一ヶ所に落ち着いていない性格だ。
そんな娘が初めて訪れる街でおとなしくしているはずはない。
プリシラももう13歳となり、ダニアの女王の系譜の中では例に漏れず筋力を初めとする運動能力は相当に成長している。
そして武術の訓練などもブリジットが主体となって取り組み、娘をしっかり鍛えていた。
たとえば街でゴロツキなどに絡まれたりしても、プリシラならば平然と返り討ちに出来るだろう。
その点は心配していなかった。
エミルは体も強くなく武術の心得もないが、プリシラが付いていてくれれば問題ないだろう。
そもそも今回の視察に子供たちを連れて来たのは、見知らぬ街の中を見学してしっかり世の中のことを勉強させるためだ。
多少のトラブル程度ならむしろ貴重な経験になるとブリジットは思っていた。
だが、これだけ街中を探しても見つからないとなると話は違って来る。
「ビバルデはそれほど広い街じゃない。金髪と黒髪の子供らが歩いていれば目立つはずだ。ブリジット」
「ああ……あのじゃじゃ馬娘。一体どこにいるんだ」
その時、ブリジットとベラの元に向こうの方からソニアが駆け寄って来た。
寡黙なソニアが何かを言う前にベラが声をかける。
「どうだった?」
「2人の目撃情報があった。曲芸団だ」
「曲芸団? そんな連中、この街にいたか?」
訝しむベラにソニアは言った。
「この街の住人ではない。出し物や見世物を生業にして各地を興行しながら回る流れ者の集団だ」
その曲芸団の天幕に金髪の娘と黒髪の男児が入っていくのを見た者がいる。
ソニアはそう言った。
「なるほど。プリシラは珍しいものや新しいものに目がないからな。とにかくその天幕に向かうか。説教してやらんと」
ブリジットはそう言うと呆れた表情を浮かべるが、行方が掴めたことで少しばかり安堵《あんど》する。
だが、そこに1人の若い小姓が焦った顔で駆け寄ってきた。
その小姓はブリジットの前で背筋を伸ばして報告する。
「ソニアさんのご指示で曲芸団の天幕の場所を特定しましたが……すでに撤収した後でした」
思いもよらぬその報告に、ブリジットは再び表情を曇らせるのだった。
8歳になったばかりの頃、プリシラはふくれっ面で家に帰ってきたことがあった。
そんな娘を出迎えたブリジットは、彼女の頭にポンと手を置く。
「どうした? ケンカでもしたのか?」
プリシラはブリジットが幼かった頃に似て、活発な女の子だった。
野山を駆け回り、街の市壁によじ登るような子だ。
そんな彼女には幼い頃からの仲の良い友達が何人もいた。
「ケンカ……してない。みんなアタシのこと急にプリシラ様って呼んで、前みたいに遊んでくれなくなった」
そう言って悔しそうに拳をギュッと握るプリシラを見てブリジットは思った。
(そういう日が来たか)
ブリジットの胸に幼き日の苦い思い出が浮かぶ。
今は女王の彼女も、かつては女王の娘だった。
まだ物事の分からない幼い時分には分け隔てなく遊んでくれていた友たちが、分別を身につけ始める年齢に差し掛かるにつれて、徐々に自分と距離を取り始めるのだ。
なぜなら自分は女王の娘だから。
相手からすれば「女王の娘には敬意を持って接しなければならない」との思いから、気楽に遊べる相手ではなくなるのだ。
ある日を境に、それまで慣れ親しんでいた友達に敬語を使われた時の悲しみや寂しさは、今も苦い記憶としてブリジットの胸に残っている。
今度は娘のプリシラがそういう時期を迎えているのだ。
「プリシラ。アタシにもそういう時があった。仕方のないことなんだ」
「でも母様にはベラさんやソニアさんがいるじゃない。アタシには……プリシラって呼んでくれる友達がいなくなっちゃったの」
そう言うプリシラの目に見る見るうちに涙がたまっていく。
ブリジットは娘の頭をやさしく撫でてやった。
確かにブリジットにはベラとソニアという幼馴染がいる。
2人とは物心ついた頃からの付き合いだった。
女王の娘であることに気後れした他の友が離れていく中で、ベラとソニアだけは変わらずに傍にいてくれた。
今も友として接してくれる得難い存在だ。
「大丈夫だ。プリシラ。おまえにもきっと出来る。おまえの本当の友と呼べる相手が」
そう言うとブリジットは、堪え切れずに泣き出すプリシラの体を優しく抱きしめるのだった。
☆☆☆☆☆☆
(まったく……体ばかり大きくなって中身はあの頃と大して変わらないな)
ブリジットは幼い頃の娘の姿を思い浮かべながら、行方の分からなくなっている我が子たちの身を案じる。
「ブリジット。こいつは本腰入れて探さねえとマズイぜ」
そう言うベラの言葉にブリジットは神妙な面持ちで頷いた。
見張りの兵を振り切ってプリシラは弟のエミルを連れて街中に消えた。
そのこと自体は別に良くあることなのでブリジットは驚かなかった。
プリシラは幼い頃からとにかく活発で、一ヶ所に落ち着いていない性格だ。
そんな娘が初めて訪れる街でおとなしくしているはずはない。
プリシラももう13歳となり、ダニアの女王の系譜の中では例に漏れず筋力を初めとする運動能力は相当に成長している。
そして武術の訓練などもブリジットが主体となって取り組み、娘をしっかり鍛えていた。
たとえば街でゴロツキなどに絡まれたりしても、プリシラならば平然と返り討ちに出来るだろう。
その点は心配していなかった。
エミルは体も強くなく武術の心得もないが、プリシラが付いていてくれれば問題ないだろう。
そもそも今回の視察に子供たちを連れて来たのは、見知らぬ街の中を見学してしっかり世の中のことを勉強させるためだ。
多少のトラブル程度ならむしろ貴重な経験になるとブリジットは思っていた。
だが、これだけ街中を探しても見つからないとなると話は違って来る。
「ビバルデはそれほど広い街じゃない。金髪と黒髪の子供らが歩いていれば目立つはずだ。ブリジット」
「ああ……あのじゃじゃ馬娘。一体どこにいるんだ」
その時、ブリジットとベラの元に向こうの方からソニアが駆け寄って来た。
寡黙なソニアが何かを言う前にベラが声をかける。
「どうだった?」
「2人の目撃情報があった。曲芸団だ」
「曲芸団? そんな連中、この街にいたか?」
訝しむベラにソニアは言った。
「この街の住人ではない。出し物や見世物を生業にして各地を興行しながら回る流れ者の集団だ」
その曲芸団の天幕に金髪の娘と黒髪の男児が入っていくのを見た者がいる。
ソニアはそう言った。
「なるほど。プリシラは珍しいものや新しいものに目がないからな。とにかくその天幕に向かうか。説教してやらんと」
ブリジットはそう言うと呆れた表情を浮かべるが、行方が掴めたことで少しばかり安堵《あんど》する。
だが、そこに1人の若い小姓が焦った顔で駆け寄ってきた。
その小姓はブリジットの前で背筋を伸ばして報告する。
「ソニアさんのご指示で曲芸団の天幕の場所を特定しましたが……すでに撤収した後でした」
思いもよらぬその報告に、ブリジットは再び表情を曇らせるのだった。
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