オニカノZERO!

枕崎 純之助

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第一幕 鬼ヶ崎雷奈

鬼ヶ崎雷奈の事情(後編)

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【我ヲ欲スル者。ソノ憤怒ふんぬコソガ我ガ至福しふく。破壊ノ欲望ヲはらミシなんじコソ共ニ歩ムニあたウ者】

 それは音ではなく思念として、耳ではなく肌と骨を通して雷奈らいなの脳に伝わった。
 彼女は驚きに心打たれて息を飲む。

「あ、悪路王あくろおう……?」

 呆然とした雷奈らいなの口からその名がれ出る。
 そんな彼女の目の前には化け物にかれた若い男が迫り、彼女の首にその手をかけようとしていた。
 だが、途端にまるで大地が裂けるかのような轟音と地響きが鳴り、彼女の背後の大岩が真ん中から真っ二つに割れた。
 すると急激に周囲の空気が変わる。

 重苦しいプレッシャーが辺りを支配した。
 雷奈らいなも彼女の目の前にいる男もビクッとして思わず身を潜めたほどだった。
 特に雷奈らいなの目の前にいる男の怯え様は尋常ではなかった。
 その男は雷奈らいなの首に手を伸ばした状態で固まったまま頭上を見上げていた。
 その視線の先には世にも恐ろしい異形いぎょうの存在が、その姿をこの世に顕現けんげんしていた。

「う、うそ……」

 頭上を見上げながら雷奈らいなうめくようにそう言った。
 割れた大岩から現れたのは、成人男性の二倍の身の丈はあろうかという漆黒の大鬼だった。
 筋骨隆々たるその体は炭色の肌に包まれ、頭部では灰色のたてがみが風になびいている。
 瞳のない目は赤く輝き、たてがみの間からは真紅に染まった二本の角が雄々しく天を突いていた。
 神社に残された資料でしか知らないその姿や様子に雷奈らいなは思わず目を奪われてしまう。

「あ、あれが……悪路王あくろおう

 だが、いつまでも呆然としている暇はなかった。
 悪路王あくろおう雷奈らいなの真横にズシンと重低音を響かせて降り立った。
 その巨体がかもし出す存在感に圧倒されて雷奈らいなは思わず身を震わせる。
 雷奈らいなの目の前の男はまるでへびにらまれたかえるのように身動きひとつとれなくなっていた。
 半端な妖魔では抵抗する意思すらも奪い去られてしまうだろう。
 それほど悪路王あくろおうの放つ重圧は計り知れないものだった。

 固まっている男に悪路王あくろおうは悠然と手を伸ばし、その頭にしがみついている異形いぎょうの頭骨妖魔を引きがした。
 人の頭ほどもある巨大な拳に鷲掴わしづかみにされた妖魔はジタバタともがくが、悪路王あくろおうはまるで意に介さず、握った手に力を込めた。
 途端に頭骨妖魔の体はまるで粘土細工のようにひしゃげてつぶれた。

「グィェェェッ!」

 断末魔の悲鳴はほんの数秒に満たず消えた。
 悪路王あくろおうに握りつぶされて妖魔は消滅したのだ。
 それは圧倒的な暴力であり、敵の存在を文字通り握りつぶしてしまう破壊の意思そのものだった。

「す、すごい……」

 雷奈らいなは驚きのあまり立ち尽くしたまま、目の前の光景を見つめることしか出来なかった。
 頭から妖魔を引きはがされた若い男は意識を失って地面に倒れ込んでいた。
 その顔からはまさしくき物が落ちたように険が消え、安らかな表情をしている。
 雷奈らいなはそれを見て安堵あんどのため息をらした。
 妖魔から解放された者の典型的な表情をしているからだ。

「これでもう大丈夫……」

 そう言いかけた雷奈らいな悪路王あくろおうが再び動き出したことに目を見張った。
 彼女の目の前で悪路王あくろおうが今度は倒れている男をつかみ上げたのだ。
 それを見た雷奈らいな戦慄せんりつを覚えて声を上げた。

「待ちなさい悪路王あくろおう! その男は被害者よ!」

 だが、悪路王あくろおうは男をつかんだまま放さずに赤く輝く目で雷奈らいなを睨みつける。
 そしてすぐに顔を背けると、男をつかんだ手を頭上に掲げた。
 
(まずい!)

 雷奈らいなは焦燥感を募らせて上擦った声を発した。

「やめなさい! もう妖魔は滅びたのよ!」

 だが悪路王あくろおうはそんな雷奈らいなを一顧だにしようとない。

【契約ヲ交ワサヌ者ノ言葉ハ我二届カヌ】

 悪路王あくろおうの明確な意思が雷奈らいなに伝わると、彼女は弾かれたように声を上げた。

「契約するわ! 私の鬼になりなさい!」

 決然とそう言い放つ雷奈らいなの顔にためらいはなかった。
 それこそ彼女の望むところだったからだ。

悪路王あくろおう! 私はあなたを欲する。あなたが私を鬼巫女みことして認めるなら、この身を捧げるわ!」

 神社の宮司ぐうじである父や重役の母、そして最高責任者である祖母、それに他の候補者である姉や従姉妹いとこに一切の了解を得ていないことは雷奈らいなも重々承知だった。
 だが鬼巫女みこを選ぶのはあくまでも悪路王あくろおうなのだ。
 雷奈らいなは覚悟をもって漆黒の大鬼に対峙した。

 悪路王あくろおうはじっと雷奈らいなを見定めるように立っている。
 やがて悪路王あくろおうは若い男の体を放し、雷奈らいなの目の前に立つと赤く輝く目を大きく見開いた。
 その視線を雷奈らいなは真っ向から受け止める。
 巨大な鬼とのにらみ合いは恐ろしかったが、雷奈らいなは心を奮い立たせて逃げなかった。
 ほどなくして悪路王あくろおうが下した決断はあっけなかった。

【ナラバちぎリヲ交ワソウ。新タナル鬼巫女みこトナル娘ヨ】

 悪路王あくろおうがそう言うと雷奈らいなの額に【鬼】の文字が浮かび上がった。
 雷奈らいなはすぐに悪路王あくろおうの力を体感できるものと、あふれんばかりの期待で胸をいっぱいにする。
 だが……。

「がっ!」

 彼女の身に訪れたのは全身をさいなむ耐え難い激痛と、内臓が凍りつくかのような底なしの悪寒だった。
 力で満ちあふれるはずだった体からは、精気が失われていく。
 そんな状態であるにもかかわらず雷奈らいなの頭の中は悪路王あくろおうの持つ破壊への欲望が流れ込んできて埋め尽くされそうになる。

 体がほとんど動かなくなりつつあるというのに、雷奈らいなは目の前に倒れている男に手を伸ばそうとしていた。
 助けたはずのその男を殺したくてたまらない。
 そんな欲望が己の中に涌き上がるのを知り、雷奈らいな愕然がくぜんとした。
 手にした力はあまりにも大きく凶暴で、自分ではとても制御できそうになかったのだ。 
 
「そ、そんな……」

 雷奈らいなはついに立っていられなくなり、その場に倒れ伏したまま体を痙攣けいれんさせて動かなくなってしまった。
 彼女はあらためて思い知らされた。
 先祖代々の鬼巫女みこたちは自らの強大な霊力で悪路王あくろおうを支配下に置いてきた。
 だが自分の微々たる霊力では、すぐに悪路王あくろおうに吸い上げられ枯渇こかつしてしまう。
 悪路王あくろおうを支配下に置くどころか、その力を扱いきれずに自分が押し潰されてしまうだろう。
 そのことが雷奈らいなの心を打ちのめした。

 うつ伏せに横たわる彼女の耳に遠くから自分の名を叫ぶ声が聞こえてきた。
 それが家族の声だということまでは分かったが彼女の意識が保たれたのはそこまでだった。
 
(せっかく……せっかく鬼巫女みこになれたのに……)

 失意に沈む雷奈らいなの意識はそこで途絶えた。
 漆黒の大鬼・悪路王あくろおうが鬼巫女みことして選んだのは落ちこぼれの霊能力者、鬼ヶ崎おにがさき雷奈らいなだった。
 だが、彼女の行く先にはどこまでも見通せぬ濃い闇が続いていたのだった。
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