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第129話 姉の知らない弟の姿

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 き火がパチパチとぜる音を立ててやみの中に揺れている。
 その周囲には7人の赤毛の女たちが思い思いの格好で体を休めていた。
 アーシュラひきいるエミル捜索そうさく隊は夜間の強行軍が功を奏し、目的地である谷に辿たどり着いていた。
 だが、まだ辺りはやみに包まれており捜索そうさくできる状況ではない。

 さすがに隊員らが疲れているため、隊長であるアーシュラの判断で夜が明けるまで休息と仮眠を取ることになった。
 すでに食事も終え、数人の女たちは寝息を立てている。
 起きているのは先ほどネル、エステル、オリアーナの3人と見張りを交代したアーシュラとプリシラだけだ。

 エリカとハリエットは静かに眠り、ネルは仰向けのままイビキをかいている。
 そしてオリアーナはたかのルドルフが眠る鳥籠とりかごを胸に抱えて座ったまま眠っていた。
 彼女のすぐ背後にはピッタリと寄り添うように黒熊狼ベアウルフのバラモンが眠っている。
 エステルは地面にいた敷物の上で身を丸くして眠っていたが、時折うなされていた。

(またすぐここに来ることになるなんてね……)

 き火に照らされながらプリシラは前方に目を向け、やみの中にたたずむ谷とそこにかかる岩橋を見る。
 先んじてここに派遣されていたダニアの先遣隊は、すでにこの周辺の草刈りを終えたようで、おそらくは谷の向こう側の山奥深くに入っているのだろう。
 かなり離れた山肌にいくつものき火の明かりが見える。

「ここでエミル様と離れ離れになったのですね」

 アーシュラの言葉にプリシラはし目がちにうなづいた。
 エミルとはこの場で生き別れになったのだ。
 その時のことを思うとプリシラは暗澹あんたんたる気分になる。
 だが、ここで起きたことはそれだけではなかった。

 追って来た白髪の戦士らとの交戦。
 そしてプリシラはチェルシーとの戦いでは完全に後れを取った。
 エミルが不思議ふしぎな強さを発揮はっきして共に戦ってくれなければプリシラは完全に敗北して、姉弟ともども捕縛されていただろう。
 そして……共に戦ってくれたジャスティーナは敵の銃撃を受けて谷底へと落ちてしまった。

(ジュードは……ジャスティーナを見つけられたのかな)

 そのことを思うとプリシラは暗い気持ちになる。
 ジャスティーナに生きていて欲しい。
 だがその望みは限りなくゼロに近いことも分かっていた。
 ジュードが相棒であるジャスティーナの遺体を発見する残酷な場面を想像すると、プリシラは胸が張り裂けそうになる。

(ジャスティーナに……会いたい)

 そんな思いをみしめていると、アーシュラが不意に声をかけてきた。

「エミル様が……戦ったそうですね」

 プリシラはわずかにおどろいてアーシュラを見やる。

「隊長……父様から聞いたんですね」
「ええ。おどろいたでしょう? あのおとなしいエミル様が見せた蛮勇ばんゆうに」
 
 蛮勇ばんゆう
 確かにそうだった。
 自分の弟とは思えないほど、エミルは躊躇ちゅうちょなく敵をほうむっていた。
 剣さえまともに握ったこともないのに。

「隊長は……話を聞いておどろかなかったんですか?」   

 プリシラはアーシュラのいつもと変わらぬ冷静な表情を見てそう言う。
 アーシュラは赤毛だが黒髪術者ダークネスだ。
 彼女の母であるアビゲイルは黒髪で黒髪術者ダークネスだった。
 娘であるアーシュラはその黒髪こそ受け継がず、父親譲りの赤毛だったが、能力は受け継いだのだ。
 そのため赤毛の黒髪術者ダークネスという稀有けうな人材になった。

「ワタシは……来る時が来てしまったかと思いました。エミル様は……力を秘めていたので」

 その言葉で、アーシュラは自分に見えない何かをエミルの中に見ていたのだとプリシラは理解した。
 そして弟が見せた変貌へんぼうを思い返しながらプリシラは苦しげに声をしぼり出す。

「あの時のエミルは……とても怖かった。アタシの知るエミルじゃなかった。まるで……殺戮さつりくを楽しんでいるようだったから」

 自分の目で見たはずの光景が今だにプリシラは信じられなかった。
 そんなプリシラの様子にもアーシュラは落ち着いた表情で話を続ける。

「エミル様は……初代のブリジットが産んだ男児・エルメリオ以来、実に250年ぶりに生まれた男児です」

 当代の金の女王である第7代ブリジット。
 彼女は一女一男を産んでいる。
 男児を産んだのは初代ブリジット以来のことで、2~6代目までのブリジットは誰1人として男児を産まなかった。
 第2代目以降、ブリジットの家系は代々、娘1人のみを産み、その子に次代のブリジットを継承させていったのだ。
 その慣習を破ったのがプリシラの母である当代のブリジットだ。
 もちろん弟が生まれた当時は、幼いプリシラはただただ嬉しくて、それがどんな意味を持つかなど考えもしなかった。

「エミルはダニアの男なのに……」

 ダニアは女のほうが体が大きく力も強い。
 逆に男は小さく細く、力も弱いという稀有けうな民族だ。
 だがアーシュラはプリシラの言葉にかぶりを振る。

「エミル様はあの通り、細身で背も低い。しかし女王の血を引いています。プリシラのように目に見えて体が成長せずとも、その体には力が隠されているのです」
「で、でも隊長。エミルはいきなり熟練の戦士みたいに戦ったんですよ。戦い方なんて習ったことないエミルが、いくら力が強くなったからってあんなふうに戦えるはずが……」

 プリシラの言いたいことはアーシュラにも分かる。
 身体能力があるだけでは戦えない。
 きちんと戦いの技術を学んで身に着ける必要がある。
 エミルがいきなり激しい戦闘行為を見せたことは普通ならば説明がつかないことだった。

 しかしアーシュラは思い返す。
 生まれたばかりのエミルの体を取り巻く、黒いうずのようなきりを見た日の衝撃を。
 それは普通の者の目には映らないだろう。
 黒髪術者ダークネスならではの感覚を持たなければ。
 そしてすでにブリジットの妊娠中からボルドが黒い力を感じ取っていたらしく、ブリジットら夫婦はアーシュラの反応にもおどろかなかった。

「黒き魔女……アメーリア」
「えっ?」

 唐突にアーシュラが口にしたその名前にプリシラは思わず目をいた。
 黒き魔女アメーリア。
 ダニアの民でその名を知らぬ者はいない。
 かつて南ダニア軍をひきいて新都ダニアに攻め込んだ恐ろしい女の名だ。

 その強さは人間離れしていて、ブリジットやクローディアですら1対1では分が悪く、2人がかりでようやく倒せたという恐ろしく強い女だった。
 プリシラは自分の生まれる前の話なのでもちろんその姿を見たことはないが、アメーリアは黒髪の美しい女だったという。
 あの母ですら1人では勝てなかった相手というのは、プリシラの想像を超えていた。

 一方、アーシュラはアメーリアの恐ろしさを誰よりも知っている。
 アーシュラの母であるアビゲイルは、アメーリアの姉だったのだ。
 つまりアーシュラにとって黒き魔女は叔母おばなのだ。
 だからといって親愛の情などない。
 アメーリアはアーシュラの父を殺し、故郷の民をしいたげた憎い敵だったからだ。

「黒き魔女アメーリアは、常にその体から恐ろしい波動を発していました。うらみ、憎しみ、ねたみ、怒り、そして悲しみ。そうした負の感情が燃え盛る溶鉱炉ようこうろのように渦巻うずまき、ワタシやあなたの御父上のような黒髪術者ダークネスにはひどく恐ろしく伝わってきました。その波動の一端を……エミル様から感じたのです。ワタシも。あなたの御父上も」
「そ、それってどういうことなんですか? エミルと黒き魔女に何か関係が?」

 戸惑うプリシラにアーシュラは首を横に振る。
 確信のないことを若者に、それもエミルの姉であるプリシラに伝えるわけにいかない。

「……詳しいことは分かりません。ただあなたが見たエミル様の蛮勇ばんゆうが、この先再び起きる恐れがあるということです」
「そ、そんな……」

 プリシラは愕然がくぜんと肩を落とした。 
 あの時のエミルは自分の弟とは思えないほど怖い存在だった。
 あれがエミルだなどと信じたくないほどに。

「プリシラ。エミル様を救出したらワタシとあなたの御父上、それにイライアス大統領のお力をお借りしてエミル様に治療をほどこしたいと思います」
「治療? エミルは病気なんですか?」
「病気……ではないと思いますが、他に良い言い方が見つからないので。黒髪術者ダークネスとしてエミル様の心の奥底に潜む何かに接触してみるという意味です」

 プリシラにはもちろん黒髪術者ダークネスとしての感覚は分からない。
 だがアーシュラの言っていることが恐ろしく危険なことなのではないかという懸念けねんは消えなかった。
 それほどエミルの変貌へんぼうした姿は恐ろしかったのだ。
 しかし青ざめるプリシラにアーシュラは言った。

「プリシラ。エミル様はあなたを傷つけようとしなかった。それどころかあなたを助けるためにチェルシーと戦った。どんな姿になろうともエミル様はエミル様なのですよ」
「隊長……」
「すべてはエミル様を無事に救出してからです。今はそれだけに集中しましょう。きっとエミル様は待っていますよ。姉のあなたが助けに来てくれることを」

 そう言うとアーシュラはふくろの中から一本の線香を取り出した。
 そしてき火でその線香に火を着けると、受け皿の上に置く。
 その線香はダニアでよくかれる紅茶の香りのするもので、プリシラも幼い頃よりぎ慣れたものだった。
 眠れない夜などに母や父がよくいてくれた馴染なじみ深い香りがただよい始める。

「さあ、もうすぐ見張りの交代です。すみやかに眠れるようにしておきなさい。寝るべき時に寝ることもこういう任務には大事なことですから」

 そう言うとアーシュラはエリカとハリエットを起こし、見張りの交代を告げた。
 仲間たちがモゾモゾと動き出すのを見ながら、ただよう香りにプリシラは少しずつ微睡まどろみ始めるのだった。

(エミル……)
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