蛮族女王の娘 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第120話 打ち砕かれた自信

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(自信が揺らいでいるんだ)

 木の上から若い部下たちの戦いを見守るアーシュラは、失敗したネルの射撃を見てそう思った。
 一撃で背紅狼レッド・ウルフを仕留められず、歯噛はがみする悔しそうなネルの表情がそれを物語っている。
 その身に矢を受けた背紅狼レッド・ウルフらは痛みと恐怖で戦意を失って逃げ出していった。

 そういうけものたちはこの現場には戻って来ないだろうから、戦局的には殺したのと一緒だ。
 だが、この先のことを考えると、このままでいいはずがない。
 ネルの自信を打ち壊した張本人であるアーシュラだが、その先にあるネルのさらなる成長を見越している。

(もっと強くなりなさい。本当の自信を身に着けられれば、きっとあなたはダニアを代表するような優れた武人になる)

 アーシュラは次に視線を木の下に移す。
 プリシラたち4人が背中合わせになって背紅狼レッド・ウルフらを寄せ付けない防御的な陣形を敷いている中、オリアーナはただ1人、相棒である黒熊狼ベアウルフのバラモンを引き連れて、むちを振るいながら背紅狼レッド・ウルフに向かって行く。
 大陸最大の狼である黒熊狼ベアウルフのバラモンが背紅狼レッド・ウルフたちに向かっていこうとするのを左手のなわで上手く御しながら、右手のむちで鋭い攻撃を加えて背紅狼レッド・ウルフらを寄せ付けない。
 長身のオリアーナは細身に見えるが、その膂力りょりょくはかなりのものだった。

(彼女は腕力だけじゃなく体幹がしっかりしていて長身の割に重心が低い。実戦向きの体つきをしている。だけど……)

 オリアーナには積極的な攻撃性が足りなかった。
 性格なのだろう。
 バラモンが傷付かぬよう配慮している行動が彼女の攻撃性を薄めてしまっていた。

 敵の数が多い戦いにおいては時には狂戦士のような振る舞いで敵陣に切り込む役目の人物が必要だ。
 アーシュラはオリアーナにそういう役目を期待していた。
 なぜならば温厚に見えるオリアーナの内に激しい気性が垣間見えるのをアーシュラは感じていたからだ。

(オリアーナ。もっと自分を開放しなさい。あなたは怒れる戦士になれるはず)

 実戦でしか感じられないことがある。
 今の仲間たちと共に行動することでしか感じられないことがある。
 アーシュラはそれが若い彼女たちを刺激して成長をうながしてくれることを期待しながら、状況を見守るのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 プリシラは迷っていた。
 背紅狼レッド・ウルフは恐らく20頭以上はいるだろうが、頭上からネルが矢で射て数頭を退散させていたから、徐々にその数は減り続けている。
 そして今、プリシラはエリカやハリエット、そしてエステルと4人で背中を合わせて互いに守り合いながら、周囲を取り囲む背紅狼レッド・ウルフたちを牽制けんせいしていた。
 
 しかしそんな4人から離れてオリアーナは黒熊狼ベアウルフのバラモンと共に単独で背紅狼レッド・ウルフらと戦っている。
 周囲を数頭の背紅狼レッド・ウルフに囲まれながらも、オリアーナは鋭いむちさばきで敵を寄せ付けない。
 そして黒熊狼ベアウルフのバラモンがうなり声を上げると、背紅狼レッド・ウルフらは警戒して下がっていく。
 
 状況は膠着こうちゃくしていた。
 こうなると攻撃はネル任せとなり、しばらくは防戦が続くことになるだろう。
 だが、ここに来てなぜだかネルの射撃精度がいちじるしく下がっており、矢が背紅狼レッド・ウルフに当たらないことが増えてきた。
 それを見てエステルが舌打ちをする。

「チッ。大きな口を叩いていた割には大したことありませんね」

 ハリエットもたまらずに声を上げた。

「何やってんのよ! ネル! ちゃんと当てなさいよ!」

 仲間たちの声に明らかにネルは苛立いらだって木の幹に拳を叩きつけた。

(くそっ! 落ち着け! あんなクソ上官のことなんざ忘れろ。アタシはダニアで一番の弓兵になるんだ)

 ネルは自分の弓を見て、そして矢筒に残る十数本の矢を見る。
 彼女が信じるのは自分の腕とこの弓矢だけだ。
 ネルは震える指先を前歯でひとみすると、再び弓に矢をつがえる。
 そしてやじりを下にいる背紅狼レッド・ウルフに向けた。

 だが……いつも頭の中に描き出される命中のイメージがどうしてもいてこない。
 このまま撃っても外れると分かる。
 そしてアーシュラが自分を見ている視線が突き刺さった。
 ネルは地面を縦横無尽に駆け回る背紅狼レッド・ウルフたちを見て怒りに声を荒げる。

「ああああ! ちくしょうめ!」

 敵を殺せないことへの苛立いらだちが腹の底から突き上げてくる。
 それは危機感となってネルの全身を駆けめぐった。
 矢を当てられない弓兵。
 それは敵を殺せないダニアの女ということだ。
 そんな生き恥をさらしてたまるかという思いが、沸騰ふっとうしそうなほどの怒りとなってネルの脳髄のうずいを刺激した。

「くそったれ!」

 ネルはそう吐き捨てると木の枝から身をおどらせて飛び降りる。
 そして着地すると弓に矢をつがえ直した。
 そんな彼女に背後から背紅狼レッド・ウルフが襲い掛かる。
 だが……ネルはそれを察知して即座に振り返った。

「この距離なら当たるだろ! くたばりやがれ!」
 
 向かって来る背紅狼レッド・ウルフにわずか3メートルほどの至近距離から矢を放つ。
 放たれた矢は背紅狼レッド・ウルフ眉間みけんを貫いた。
 背紅狼レッド・ウルフは短い悲鳴を漏らして倒れ込んだままピクピクと体を痙攣けいれんさせ、すぐに動かなくなった。
 息絶えたのだ。

「どうだオラァ!」

 ネルはそうえると弓と矢を持ったまま走り出す。
 弓兵は本来、いかに遠くからの射撃を命中させるかを重視され、それを成し遂げる者ほど称賛を浴びるのだ。
 当たらないからといって自分から的に近付いていくなんて恥ずべき行為だった。
 ネルとてそう思っている。
 だが、敵を殺せないことへの怒りが彼女を突き動かしたのだ。

 一頭の背紅狼レッド・ウルフに数メートルの距離まで近付くと、ネルは走りながらの射撃で矢を放つ。
 その矢は背紅狼レッド・ウルフの首をれたが、それでもその脇腹に深々と突き刺さった。
 背紅狼レッド・ウルフは白目をいてその場に倒れると、苦しげにあえいですぐに絶命する。

「当たらねえなら当たるようにするまでだ!」

 ネルはそう息巻くと、次の獲物を見定めて矢を弓につがえるのだった。
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