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第112話 オリアーナ

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「邪魔くせえもん持ちやがって。そいつは夜は役立たずだな」
 
 すぐ前を歩くネルが後方を振り返って忌々いまいましげにそう言った。
 オリアーナはそれを無視して、周囲を布で目隠しした鳥籠とりかごを大事そうに抱える。
 日が暮れ落ちたので、連れて来たたかは眠る時間だった。
 そしてオリアーナが腰に巻き付けたなわつながれた黒熊狼ベアウルフは、彼女の後に付いておとなしく山道を登り続けている。

 この作戦に参加するとなった時、オリアーナは気乗りがしなかった。
 獣舎を離れることとなり、連れて来た黒熊狼ベアウルフのバラモンとたかのルドルフ以外のけものたちを置いてこなければならなかったからだ。
 物心ついた頃からオリアーナはけものたちが大好きだった。
 そしてけものたちもオリアーナにはよくなついてくれた。
 けものたちと過ごしている時は、他に何もいらないと思えるほど幸福に満たされるのだ。

 その反面、人は苦手だった。
 オリアーナは順序だてて言葉を並べることが不得意だ。
 何を言おうかと考えている内に相手からポンポンと言葉をかけられると、どう返答していいか分からなくなる。
 そして人が自分に向けてくる悪意や好奇の視線が苦手だった。
 人の持つ複雑な感情を向けられると、無性に居心地いごこちが悪くなるのだ。

(早く……帰りたい)

 ネルはけものくさいなどと言って揶揄やゆするが、オリアーナはあの獣舎のにおいが大好きだった。
 だが、それでもブリジットの招集とあらば従わねばならない。
 それにオリアーナの所属する獣使隊は、けものがダニアにとって役に立つ存在だと示さねばならないという課題を抱えていた。

 かつて戦の時代にはけものたちが戦いの役に立ったが、戦が少なくなった現在ではけものの存在意義も以前ほど強くはなくなっていた。
 何しろけものを飼い、育て、子を産ませて世代を継いでいくのは労力と費用がかかる。
 獣使隊の主力となっている黒熊狼ベアウルフ黒牙猿ファングエイプえさ代もかさむため、評議会では獣使隊の縮小も毎回議題に上がっていた。
 獣使隊が今も健在なのは、創設者であるブライズや現隊長のアデラのおかげでもあるが、この先はどうなるか分からない。

(獣使隊が無くなったら……アタシは居場所が無くなる)

 獣使隊の他の隊員たちとうまくいっているとは言えないオリアーナだが、それでもけものたちがいるあの場所こそが自分の居場所だと、大事に思っている。

(この作戦で何とか成果を上げてけものの有用性を評議会に認めさせたい)

 オリアーナを徐々にそういう気持ちが強くなっていた。
 だが本当に自分にそんなことが出来るのかという不安も同時に彼女の胸にくすぶっている。 
 そもそも何で自分がこの任務に指名されたのかオリアーナは理解していなかった。
 彼女はそんな自分の不安を紛らわす様に、振り返って黒熊狼ベアウルフバラモンの背中をでる。

 バラモンとはまだ彼が生まれたばかりの頃からの付き合いだった。
 ずっと一緒にいたから、バラモンが何を考えているのかよく分かる。
 彼女にとっては兄弟のような存在なのだ。
 今もこうしてバラモンの毛並みをでていると自然と心が落ち着いてくる。
 そしてバラモンもそんなオリアーナの不安を感じ取り、寄りってくれているのだ。

「オリアーナ。その子。おとなしいですね」

 そう言ったのはいつの間にとなりに来ていたアーシュラだ。
 オリアーナはハッとしてアーシュラを見て、次にバラモンに目を向けた。
 黒熊狼ベアウルフ黒牙猿ファングエイプは幼獣の頃からきちんと訓練をして人に慣れさせてはいるが、犬とは違って心から人に慣れることはない。
 オリアーナのようになつかせることが出来るのは稀有けうなことなのだ。

 故に獣使隊の隊員以外は、迂闊うかつにこれらのけものに近付いてはいけないという不文律がある。
 行きの馬車でもオリアーナと黒獣狼ベアウルフのバラモン及び、たかのルドルフだけは客室内には足を踏み入れず、天井上の荷台に座っていた。
 今もこうして歩いている中、プリシラたち他の面々はバラモンとは一定の距離を保っている。
 だが、アーシュラはバラモンに全く警戒させずにオリアーナの間合いに入って来たのだ。

 そのことはオリアーナをたいそうおどろかせた。
 バラモンは彼女の前ではこうしておとなしくしているが、それでも黒熊狼ベアウルフである。
 同じダニアの女であっても、見知らぬ者には決して慣れず、下手に近付けば牙をき出しにして威嚇いかくするだろう。
 だがバラモンはアーシュラにまったく反応していない。
 まるで誰もそこにいないかのように、ただ静かにオリアーナを見つめて歩き続けている。

(これが……アーシュラ……さん)

 アーシュラがかつて暗殺を含めた密偵行為を手がけていたことは誰もが知っている。
 まるで影のように音もなく近寄り、静かに相手の息の根を止める技術が今もその身に宿っているのだと思うと、オリアーナはわずかに怖くなった。
 そのおびえに反応したのか、バラモンがクーンと主を気遣きづかう子犬のような声をらす。
 オリアーナはそんなバラモンの頭を優しくでて、大丈夫だと伝えた。
 その様子を見たアーシュラはかつて共に戦った仲間の名を口にする。

「あなたはアデラさんに似ていますね。けものをただの戦力としてではなく、愛する対象として見ている。そういう人が獣使隊には必要です」
「えっ……?」

 アーシュラは静かにバラモンを見下ろした。

「今後、獣使隊は徐々に衰退すいたいしていくでしょう。今はブライズ様の庇護ひごがありますが、いつまでもそういうわけにはいきません。戦が減れば武力にいていた費用や人員は自然とけずられ、増え続けるダニアの民を養う方策に回されます。それが人の営みであり、国を運営するということなので仕方ありません」

 その話にオリアーナは落胆してうつむく。
 だが、そんな彼女の様子を見ながらアーシュラは話を続けた。

「しかし……けものを使った戦闘はダニアの伝統でもあります。他国にそんな部隊はありませんから。この優位性を手放すわけにはいかない。だから獣使隊は無くしてはいけないのです。オリアーナ。獣使隊を守るためにはどうすべきだと思いますか?」

 アーシュラの話におどろきつつ、だがその問いには答えることが出来ずにオリアーナは首を横に振る。
 アーシュラはそんなオリアーナから視線を外し、前方に広がるやみを見つめながら言った。

「考えることを放棄してはダメです。そうやってだまっていればそれ以上、追及されずに済む。そういう考えは何も生み出しません。オリアーナ。答えなさい。獣使隊を守るためにあなたは何をしますか?」

 オリアーナは思わずビクッとするが、アーシュラからの圧は変わらない。
 仕方なくオリアーナは必死に口を開いて声をしぼり出した。

「こ、この任務で……けものが役に立つことを……証明します」
「なるほど。良い考えですね。ですがそれだけではダメです。それでは獣使隊は救えません」

 アーシュラにそう言われ、オリアーナは目を白黒させる。
 それ以上は何も思い付かないからだ。
 そんなオリアーナにアーシュラは落ち着いた口調で言う。

けものは確かに使えるかもしれない。だが、今後あるかも分からない戦のために多くのけものを飼育するのは効率が悪い。けものでなくとも武力は他の手段で補える。そう指摘を受けたらあなたはどうするのですか? だまってそれを受け入れるのですか?」

 アーシュラの話すの内容が、近い将来本当に起き得ることなのだと感じて、オリアーナは思わずくちびるを震わせた。
 そんな状況になったらもう自分に出来ることは何も無い。
 オリアーナは絶望が胸に広がっていくのを感じて肩を落とす。
 そんな彼女を見てアーシュラは静かに言った。

「受け入れられないことは受け入れられないと言うのです。態度と言葉で自分の意思をハッキリと主張しなさい。人が言葉をしゃべるのは自身の思いを相手に明確に伝えるためです」

 アーシュラは泰然たいぜんとそう言う。
 オリアーナもそれは理解できるが、自分の意思をハッキリと伝えるために言葉を尽くすというのは彼女にとって何よりも難しいことだった。
 オリアーナはうつむきながら消え入りそうな声をしぼり出す。

「アタシには無理……です」
「……けものたちは自分の意思を議会に伝えることは出来ません。自分たちの居場所が無くなるのをだまって見ているしかないのです」

 アーシュラの言葉にオリアーナはハッとして顔を上げる。
 その双眸そうぼうが大きく見開かれていた。
 そんな彼女にアーシュラは淡々たんたんと告げた。

「オリアーナ。あなたには相手に意思を伝える言葉がありますよね。けものたちには出来ないことがあなたには出来る。それをこの作戦中に身に着けなさい。やるかやらないかはあなた次第ですが、それによってけものたちの子孫の運命が決まることを忘れないように」

 そう言ってバラモンに優しい視線を向けたアーシュラに、オリアーナは呆然ぼうぜんとした顔でうなづくのだった。

(アタシが……この子たちの居場所を……)
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