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第三章 天地をあざむく者たち

第7話 雨上がりの心

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「ヴィクトリアァァァァ!」

 僕は思わず叫んでいた。
 せ悪魔を抑え込もうとした力自慢のヴィクトリアだったけれど、相手の思わぬ反撃を浴びてしまった。
 せ悪魔の全身の毛が逆立ち、それが四方八方に飛び散ったんだ。
 それは長さ20センチほどの黒い針で、毒液と思しき緑色の液体で濡れていた。

 あのせ悪魔があんな切り札を持っていたなんて……。
 戦慄を覚える僕だったけれど、せ悪魔の表情を見て違和感を感じた。
 うまいことヴィクトリアにだまし討ちを浴びせたはずの悪魔の顔が驚愕きょうがくゆがんでいる。
 そこで僕は気が付いた。
 毒針を浴びたヴィクトリアが微動だにしないことと、そんな彼女の全身が灰色に染まっていることに。

 な、何だあれ?
 そして彼女のすぐ横には折れた黒い針が何本も落ちている。
 事態を飲み込めずに目を見開いている僕の前でヴィクトリアが大きく息を吐いた。

「っぷはぁっ!」

 途端に彼女の体の色が元に戻る。
 そしてヴィクトリアは間髪入れずにせ悪魔の上にのしかかり、両腕でその頭にヘッドロックをかけた。
 体重を預けるようにしてせ悪魔の身動きを封じながら、ヴィクトリアは不敵な笑みを浮かべる。

「不意打ち成功だと思ったかマヌケ野郎。残念だったな。アタシの新スキルの前にはこんな毒針まったくの無意味なんだよ」

 そ、そうか。
 ヴィクトリアはここに来る前に新しいスキルを実装していたのか。
 あの感じだと体を硬化させて防御力を高めるタイプのスキルだと思う。

「そんでもって、この距離でアタシに捕まるとどういうことになるのか、その体で覚えておけよ。ふんぬぁぁぁぁぁ!」

 ヴィクトリアは声を上げて力いっぱいせ悪魔の頭を締め上げる。

「ギェアアア!」

 せ悪魔はくぐもった悲鳴を上げながら必死にこれから逃れようと暴れるけれど、ヴィクトリアの腕はまるで万力のようにせ悪魔の頭を押し潰そうとする。
 すぐにせ悪魔は抵抗力を失い、その手足がガクガクと痙攣けいれんし始めた。
 そしてそのライフゲージからライフがどんどん減っていく。

 もはや勝負ありだった。
 完全に動かなくなった悪魔のライフが残りわずかになったところで、ようやくヴィクトリアは手を放して悪魔を解放した。
 強烈な力で締め上げられ、急激にライフが低下したことによって悪魔は失神していた。
 す、すごい腕力だ。

「よし。殺さずに済んだし、上出来だろ」

 そう言うとヴィクトリアは捕縛用のロープを取り出して手際よくせ悪魔を縛り上げる。
 僕は思わず歓喜の声を上げながらヴィクトリアの元へと駆け寄った。

「ヴィクトリア!」
「元気そうだな。アルフレッド」
「うん。君も。助けてくれてありがとう」

 僕がそう言うとヴィクトリアは少し照れくさそうに笑った。

「礼なんてよせよ。おまえには世話になったからな」
「まさかヴィクトリアがここに来てくれるなんて思いもしなかったよ。無事にNPCになれたんだね」
「ああ。プレイヤーと競い合うライバルNPCだ。気ままにやりたいアタシにピッタリだろ」
「うん。おめでとう。ヴィクトリア」

 背の高い彼女はそう言う僕を見下ろして快活な笑顔を見せた。

「実はおまえが困ってるから助けてやってくれないかって、神様とかいう奴に頼まれてな」
「神様が?」
「ああ。NPC化した途端、アタシのところにやってきたんだ。変なオッサンだったけど、おまえのためならアタシも一肌脱ごうと思ってよ。んで、こっちの世界に送り込まれた途端、鳥になる変な薬を飲んでここまで来たってわけさ。あっちこっち迷っちまって遅くなったけどな」

 そういうことだったのか。
 変なオッサン呼ばわりされてるけど、あの人はやることをやってくれる。
 僕は神様の根回しに感謝した。

「今のおまえが抱えている事情はその神様って奴から一通り説明されたんだが、正直アタシにはピンとこねえな。けど、とにかくおまえを守るってことならアタシにも出来そうだ。だから今日はおまえの用心棒として行動するよ。その方がやりやすい」
「助かるよ。ヴィクトリア。でもさっきの毒針は平気だったの?」

 彼女はせ悪魔の毒針を思い切り体に浴びたはずなのに、ピンピンしている。
 僕が問いにヴィクトリアは甲冑かっちゅう隙間すきまから見える肌をなでながら答えた。

「ああ。この通りだ。NPC化した時に新しいスキルを中位として実装したんだ」
「防御系のスキルだよね?」
「そうだ。瞬間効果インスタント・キュアリングっつってな。見ての通り、硬化系のスキルだ」

 彼女の説明によれば限られた時間の間、体を特殊な金属と化して、物理攻撃や魔法攻撃を一切受け付けない状態にしてくれるらしい。

「硬化している間は動けなくなっちまうし、呼吸すらできなくなっちまうっていう弱点もあるんだが、それでも毒針に傷一つつかなかったぜ。なかなかのもんだろ?」
「うん。一瞬ヒヤッとしたけど、相手に接近して戦うヴィクトリア向きだね」

 再会を喜び合う僕らだけど、そこで突如としてブレイディが声を上げて突進してきた。

「危ない!」

 そう言うとブレイディは慌てて僕らを押し退けるようにして、ロープで縛られたまま横たわっているせ悪魔の元にしゃがみ込んだ。
 いきなり何かと思った僕はせ悪魔を見て目をく。
 ヴィクトリアも驚きの声を上げた。

「な、何だ?」
「ああっ!」

 捕縛されたまま失神して横たわっているせ悪魔の体がいきなり内側からホコボコとふくれ始めたんだ。
 あ、あれって……。
 即座に僕の脳裏に昨日の出来事が鮮明に浮かぶ。
 天樹に忍び込んできた子供の堕天使が最後あんなふうになって……。

「じ、自爆だぁぁぁ!」
「なにっ?」

 僕の声に反応したヴィクトリアは咄嗟とっさに僕の頭をつかんでその場に押し倒すと、僕の上に覆いかぶさった。

硬化キュアリング!」

 そう叫んだヴィクトリアの体が硬化して固くなっていくのが分かる。
 彼女は咄嗟とっさに僕を爆発から守ろうとしてくれているんだ。
 でも僕はこれで助かるかもしれないけれどブレイディが……。
 そのブレイディはふくれ上がっていくせ悪魔のそばからなぜか離れようとしない。
 細身だったせ悪魔はもう体が2倍以上に大きく膨張ぼうちょうしていて、今すぐにも爆発しそうだ。

「ブレイディも早く逃げて!」

 僕はそう叫んだけれど、ヴィクトリアの体と地面の隙間すきまから見える彼女はふところから何かを取り出している。
 それは注射器のようだった。
 それをブレイディはせ悪魔の体にブスリと突き刺した。
 い、一体何を……。

 僕がそう思った途端だった。
 今にも破裂しそうだったせ悪魔の膨張がストップし、その体が急に青白く凍り付き始めたんだ。
 
「な、何だ?」

 見る見るうちに悪魔の体は氷漬けにされた魚のように真っ白になって沈黙した。
 
「よし。成功。ふぅ~。さすがに肝が冷えたよ」

 ブレイディはホッと安堵あんどすると額に浮かぶ汗を拭った。
 極度の緊張から解放されたような表情のブレイディは、硬化したヴィクトリアの体の下でワケが分からずに目を白黒させる僕に言った。

「っぷはあっ!」

 そこでヴィクトリアの硬化が解けて僕たちは起き上がった。
 そんな僕らの目の前で、空っぽになった注射器を手にブレイディが得意げな笑みを浮かべて言う。

「昨日の堕天使の一件はジェネットから我が主に報告があったからね。同じような事態が起きても対処できるようシステム凍結薬を用意しておいたんだ。これでコイツはもう自爆して証拠隠滅することは出来ない。ザマーミロだね」

 そんな彼女の姿を見て、僕は自分の頭の中に凝り固まっていたある思いがほぐれていくのを感じていた。
 三人寄れば文殊もんじゅの知恵、というのとは少し意味が異なるけれど、こうして個性の違う人が3人集まると、大ピンチを切り抜けられるほどの力が生まれるんだ。

 僕なんかでは到底かなわない相手を力でねじ伏せるヴィクトリア。
 僕なんかでは到底作れないほどの数々の薬液で相手を翻弄ほんろうするブレイディ。
 そして僕は……何かよく分からないけど他の人には無い変な力があるみたいだし。

 僕は自分の左手首に刻みつけられた5つのアザを見つめた。
 少し前まで自分の力の無さを嘆いていた僕だけど、そんな必要はちっともなかったんだ。
 アリアナが言ってくれたように僕は僕が持ちうる強さを探せばいい。
 たとえそれが人より劣っていたとしたって、僕じゃない誰かと力を合わせれば目の前の困難を乗り越えていけるはずだ。

 他力本願と人は言うかもしれない。
 だけど日頃、僕の周りにミランダやジェネットやアリアナがいてくれること。
 そして今、目の前にヴィクトリアとブレイディがいてくれること。
 それは今まで僕が必死に辿たどって来た道の先にある結果なんだ。
 こういうえにしを作って来れたのは僕が不器用なりに歯を食いしばってやってきたからだと、少しは胸を張れる。

 一本の矢で駄目なら三本の矢。
 それでもだめならもっと多くの矢。
 そうして人とのつながりを大切にしていけば、僕の周りにはいつもこうして誰かがいてくれるだろう。
 そう信じて歩いていこう。
 僕は随分ずいぶんとスッキリした気持ちになって空を見上げた。
 いつの間にか雨は上がっていた。
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