だって僕はNPCだから

枕崎 純之助

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第二章 光の聖女

第6話 ライフの重み

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 シスター・ジェネットは突如として僕に懲悪杖アストレアを突きつけた。

「ひえっ!」

 僕は思わず情けない声を漏らして後ずさった。
 ジェネットはその顔に笑みをたたえたまま、ゆっくりと口を開く。

「何を考えているのですか?」
「は、はい?」

 僕は彼女の静かな迫力に圧倒されて思わず腰が砕けそうになるのをこらえるのに精一杯で、彼女の質問の意味を考える余裕も無かった。

「怒りに我を忘れて他のNPCに対して敵対行動を示すなど一般NPCにあるまじき行為です。私の言っている意味が分かりますね?」

 ジェネットのその言葉がこの胸に突き刺さるのを感じて僕は思わずうつむいた。

「はい……分かります」

 原則として一般NPCは誰からも危害を加えられないし、同様に誰にも危害を加えることは出来ない。
 もしあのまま僕がリードに突っかかっていったとしても、ゲームシステム上の安全システムが作動し、僕は全ての動作を停止されて沈黙するしかなかっただろう。

「もう少しであなたにはペナルティーが科されるところだったのですよ」

 そう言うジェネットの顔から笑みが消え、代わりに厳しさをたたえた表情が表れる。
 彼女の言う通りだ。
 安全システムによって動作停止に追い込まれたNPCは、ゲームにとって危険な存在であるとしてペナルティーを受けることになる。
 そのペナルティーとは、ただ1つ。
 完全消去だ。
 NPCとしてのデータを完全に消され、葬り去られる。
 それはNPCとしての完全な死を意味した。

 そしてその状況に僕を追い込むことがリードの狙いだった。
 少し冷静になって考えればすぐに分かりそうなことなのに、僕は何て馬鹿なことをしでかすところだったんだ。
 ジェネットが止めてくれなければ僕は今頃……。
 我を見失った己の行動を今さらになって恐ろしく思い、同時に何でそんなことをしてしまったのかと僕は自らを省みた。

「あなたはライフゲージをお持ちでないようなのでお分かりではないでしょうけれど、ライフの持つ重みを知る者であれば、そのように自らを危険にさらすような暴挙は冒さないでしょう」
「ライフの重み……」

 ジェネットの言葉は僕の胸に鋭く刺さった。
 ライフゲージのない僕には決して実感することの出来ないことだからだ。
 ジェネットの言う通りだった。
 僕は自分の軽率さを恥じた。

「返す言葉もありません」

 ライフの重みか……。
 あれ?
 前にも誰かにそんなことを言われなかったっけか?
 僕はふとそんなことを考えたが、ジェネットの質問が僕の思考をさえぎった。

「何をそんなにお怒りだったのですか?」

 ジェネットはじっと僕の目の奥まで見透みすかすような視線を向けてくる。
 彼女の目は優しかったけど、全てのウソを見抜ける神の目のようであり、僕は心の中の言葉をそのまま吐き出さざるを得なかった。

「分かりません……」

 それは本当だ。
 先ほどの我を見失った自分自身のことを、僕はまるで理解できなかった。

「そうですか。でもあなたはここまで来る途中にプレイヤーらに何を言われても怒らなかった。なのにあのリードという方に対してはあれほどの怒りを見せた。何か個人的な恨みが?」

 ジェネットの言葉に僕は口を閉じたまま首を横に振り、これを否定した。
 リードに対してそんなものはない。

「あいつはいつもああです。口が悪いのも性根がねじ曲がっているのもいつも通りです」

 だというのに僕は……。
 僕の心情をはかったのか、ジェネットは僕の代わりに語った。

「今日に限っては許せなかった。それはきっとあなたが変わったということでしょう」
「僕が?」

 思わず目を丸くしてそう言う僕にジェネットはうなづいた。

「何があなたを変えたのか。私にはそれは見極める必要があります」

 そう言う彼女の真意が分からずに僕はジェネットをじっと見つめた。
 すると僕の視線を受けてジェネットは決然と自分の考えを僕に告げた。

「少しの間、あなたと行動を共にさせていただきます」

 ……え? 
 どういうこと?

「こ、行動を共にって?」
「言葉の通りですよ。今からあなたについていきます」

 ジェネットは何でもないことのようにそう言った。
 思いも寄らない彼女の提案に僕は思わず首をひねる。

「そ、それはシスターにとって何か得るものがあるんですか?」

 僕がそう言うとジェネットはすぐさま僕に向き直り、ガシッと僕の両手を取った。

「ほえっ! な、何を……」

 驚いて振り払おうとしたがジェネットの力はものすごく強く、僕は逃れることは出来ない。
 そりゃそうだ。
 彼女はあのミランダを倒すほど身体ステータスが高いんだ。
 僕なんかの力で抗うことは出来ない。
 僕はドキドキしながら必死に平静さを保とうとした。
 そんな僕にジェネットは切実な表情で訴えてくる。

「私は我が神の教えに従い、正義のために行動しています。闇の魔女ミランダを討つことは私にとって間違いなく正義の行いでした。ですが……」

 そう言うとジェネットは少しだけ伏し目がちになってその表情を曇らせた。

「あなたは泣いていました。私が正義と信じた行いの結果があなたの涙です。それは私にとって突き詰めなければならないことなのです。正義と信じて行ったことの先には人々の笑顔があってほしいですから」

 ジェネットはそれから、ふところに手を入れて一枚の写真を取り出した。
 それはこの廊下に飾られるであろうジェネットの勝利の瞬間を写した一枚だった。
 倒れているミランダを背後に、ジェネットが中央に写されている。
 そして一番端に小さく映っているのは僕だった。

 その顔は遠めにも分かるほどハッキリと涙に濡れていた。
 ずいぶんと情けない顔で泣いてるなぁ。
 あまりにもミジメな自分の姿だったけど、僕自身そのことをまるで覚えていない。

「……確かに泣いていますね」

 信じ難い自分の有様ありさまに呆然とそうつぶやく僕にジェネットはうなづいた。

「ええ。王様は歓喜の涙だとおっしゃっていましたが、そうではないことはあの場にいた私が一番よく分かっていますから」

 まさに写真が動かぬ証拠だった。
 僕は泣いていたんだ。
 理由は分からないけれど。
 そんな僕の心情を読み取ったのか、ジェネットは静かに口を開いた。

「混乱しているのですね。でも安心して下さい。私があなたの涙の理由を読み解いてみせます。私自身の正義のために。そしてあなたのためにも」

 そう言うとジェネットは優しく微笑み、ふいに僕をギュッと抱きしめてくれた。
 僕はそれを振りほどくことは出来なかった。
 彼女の力が強いせいじゃない。
 彼女のそのせた体は意外なほどに柔らかく、驚くくらいにいい匂いがした。
 そしてほんのりと温かい。
 そんな彼女に抱きしめられると、僕の身体は今まで感じたことのない幸福感に包まれていく。
 振りほどくことなんて出来るわけがないよ。
 やがて彼女は僕をそっと放すと、少しだけほほを赤く染めながら言った。

「NPC同士でも二人寄り添えば温かいものですね」

 そう言う彼女の顔はとても美しく、もしこんな人物画があれば何時間でも見入ってしまうだろうと思えるほどだったけれど、この時の僕は彼女の言葉が胸に引っかかり、何度もその言葉を頭の中で反芻はんすうしていた。
 二人寄り添えば温かい……。
 僕は確かにその温もりを知っている。
 以前にもそれを感じたことがあるんだ。
 それがいつのことだかは分からない。
 でもこの身体の中に、それは確かな残り火となってくすぶり続けていた。
 僕はその残り火が口から吐息とともにあふれ出てしまわないよう小さく口を開いて言った。

「でも僕と一緒に来るって言っても、あの洞窟に戻るだけですよ? その後はあの場所でまた延々と見張り番です」

 そんな僕の言葉などまるで意に介した様子もなく、ジェネットは僕の隣を歩き出した。

「かまいませんよ。私の気の済むまでお付き合いさせてもらいます。お邪魔でなければね」

 そう言うと彼女はやわらかく微笑むのだった。
 しかしちょっと待てよ。
 そろそろミランダも再配置されている頃合だろうし、そこにジェネットを連れて行くのってどうなんだろうか。
 ジェネットも無駄な戦いはしないだろうけど、ジェネットの姿を見たミランダがどんな反応を見せるのかは何となく想像がつく。
 それを考えると少し胃が痛いなぁ。

 もちろんミランダは記憶がリセットされているけど、ジェネットの戦績にはミランダ攻略の功績が記録されている。
 それを見ればジェネットが自分を倒したことはミランダもすぐに知るだろうし、その時にその場がどんな空気になるのかを想像すると暗澹あんたんたる気持ちになる。
 今までこんなケースなかったから、どうなるか分からないぞ。
 しかし今さら引くようなジェネットじゃないだろうし、連れていくしかないか。

 僕は内心で覚悟を決めつつ、洞窟への帰路についた。
 だけど僕のその覚悟が試される機会はなかった。
 王城から洞窟までの距離はそれほど遠くなく、僕とジェネットはほどなくして洞窟の入口へとたどり着いた。
 NPCである僕が所定の位置に戻るまで、この洞窟はゲーム中断状態となるため、本来ならばウヨウヨと湧いて出てくる魔物らの姿も無く、僕たちは誰もいない洞窟の一番奥まで難なくたどり着いた。
 だけど問題は最後に発生した。
 何の前触れもなく唐突に。

 誰もいない闇の洞窟は最後まで誰もいなかった。

 そう。
 最深部で闇の玉座に鎮座しているはずのミランダの姿がどこにもなかったんだ。
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