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最終章 月下の死闘
第21話 黒狼牙・獄
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【黒狼牙・獄】
ライフ0で動き続ける異常な状態のアナリンの頭上に、そうコマンド・ウインドウが表示された。
獄……?
刀の力を開放する黒狼牙・烈とは違う……。
黒狼牙・烈の際、アナリンは角や牙が生えてまるで鬼のような容姿に変わり、常に泰然としたその在り様は好戦的なそれへと変貌する。
だけどその状態でもアナリンには確たる意思があり、黒狼牙の力を制御下に置いていた。
だけど今は明らかに違う。
アナリンの目には意思の光がなく、まるで死人のそれだ。
「ど、どうなってるんだ……」
僕らが困惑している間にも、アナリンの手首からはドクドクと血が溢れ出し、それが黒狼牙の刀身を伝うたびにその刃は赤みを増していく。
その様子に僕は怖気と強い危機感を覚えた。
アナリンの姿から感じられるのは殺意を超えた破壊の脈動だ。
腹切丸を投げつけてミランダを瀕死の状態に追い込んだのは、間違いなくアナリンだ。
命ある者としての僕の生存本能が、これ以上ないくらいの危険信号を発している。
まずい……このままここにいたら絶対にまずいことになる。
今すぐここから逃げ出さなきゃ!
だけど、この城内にはまだ王女様とエマさんが隠れている。
2人を置いて逃げるわけにはいかない。
でもこのままじゃミランダを治療することも出来ない。
逡巡している間にもアナリンは一歩ずつこちらに近付いてくる。
深く考える余裕のない僕は唇を噛む。
そして即座に次の行動を起こした。
「ブレイディー。ミランダをお願い。懺悔主党の人に救援要請してこの場から逃げてほしい」
そう言うと僕は嵐龍槍斧を手に立ち上がる。
この場で武器を持ってアナリンと戦えるのはもう僕しかいない。
他に選択肢はないんだ。
ブレイディーが何かを言いたげにこちらを見上げてくる。
そんな彼女に僕は言った。
「エマさんにも連絡してあげて。王女様を連れて逃げてほしいって」
「君……死ぬ気かい」
「死ぬ気はないよ。でももし僕が倒れてもブレイディーは自分とミランダが無事に逃げることを優先してほしい。お願いだから」
「アルフレッド君……」
「頼んだよ。ブレイディー」
そう言うと僕は中庭から飛び上がり、バルコニーに着地する。
そんな僕のわずか数メートル先にアナリンの姿があった。
アナリンの頭から生える赤い角は、黒狼牙・烈の時よりも数段長く鋭い。
そして彼女の肌は全身が異様なほどに赤く変色している。
そんな彼女を目の前にしていると、しっかりと歯を食いしばっていないと恐怖で震えてしまいそうになる。
だけど僕がここでアナリンを食い止めないと、中庭のミランダとブレイディーも危ない。
引くわけにはいかない。
僕は腰を落として両足をしっかりと踏ん張り、嵐龍槍斧を構えた。
「アナリン! ここは通さない!」
先手必勝だ!
僕は思い切り鋭い踏み込みで、最上段に振り上げた嵐龍槍斧をアナリンに叩きつけた。
だけど僕の全力の一撃をアナリンは軽々と黒狼牙で受け止める。
「シャアッ!」
そしてアナリンはまるで獣のような唸り声を上げて、そのまま力任せに黒狼牙を振り抜いた。
「ぐぅっ!」
僕は大きく後方に飛ばされ、バルコニーを越えて中庭の花壇の中に落下した。
「くっ!」
慌てて起き上がった僕は、嵐龍槍斧を持つ手が痺れていることに気が付いて愕然とした。
アナリンの一撃は途方もなく重く強い。
その衝撃に僕は驚愕を覚えずにはいられなかった。
まともに食らったら致命傷は避けられない。
それでも僕はすぐさま飛び上がり、再びバルコニーに着地する。
ミランダ達のいる中庭から少しでも遠ざけるために、アナリンをバルコニーの奥に押し込まなきゃならない。
両手の痺れはまだ取れないけれど、僕の左手首には今も4つのアザが光っている。
今持っている力を全て使うんだ。
「清光霧」
そう唱えると僕の左手から白く光り輝く霧が放射されてアナリンに直撃する。
だけどアナリンはそれをものともせず黒狼牙で簡単に斬り払った。
「カアッ!」
「うわっ!」
そこから繰り出される斬撃は清光霧を斬り払うのみならず、赤い光の刃となってバルコニーの床を削り、僕のすぐ脇を通って背後の城壁を吹き飛ばした。
と、とんでもない威力だ。
少しずれて僕に直撃していたら、ただじゃ済まなかっただろう。
そして相変わらず黒狼牙は魔法攻撃も斬り裂いて無効化してしまう。
僕は必死に頭を働かせて事態の打開を目指すけれど、そもそもライフ0でも動いている状態で不死者でもない相手をどう倒したらいいんだろうか。
いや、倒せなくてもいい。
せめて皆が逃げる時間を稼ぐことが出来れば、あとは僕1人ならどうとでも脱出できる。
アナリンは飛んで敵を追うことが出来ないんだ。
時間さえ稼げれば……。
そう考えた僕は左手から今度は別の魔法を放射した。
アナリンの胴ではなく足元をねらって。
「氷槍刃!」
アリアナの力を借りて放った氷の礫は、アナリンの足元を凍りつかせる。
さっきアナリンに浴びせた凍結剤よりも遥かに厚い氷の塊が一瞬でアナリンを足止めする。
だけどさっきアナリンはこの状態から鬼嵐刃を放って見せた。
だから今度は足だけじゃだめだ。
「ふぁぁぁぁぁっ!」
僕は気合いの声と共に氷槍刃を放出し続け、アナリンの足に続いて腕を凍り付かせる。
アナリンの腕がその胴と氷結し、動かなくなっていく。
僕はそのままアナリンの体の大部分を凍り付かせた。
「よし!」
手ごたえを感じ取った僕は即座に踵を返す。
一時的とはいえアナリンの身動きを封じることが出来た。
今のうちにミランダとブレイディーを城の外に……。
そう思った僕だけど背後から不気味なバキッという音が聞こえてきて反射的に振り返った。
すると凍りついていたはずのアナリンの右手が、氷を引き裂くように動き出したんだ。
黒狼牙を握っている右手がブルブルと激しく震えながら、氷を破壊して無理やり動き出そうとしている。
「ア、アナリン……」
アナリンの身に着けている胴着の右腕部分が破れ、氷の破片によってその肌に裂傷が生じて血が溢れ出す。
その痛々しい様子に僕は息を飲んだ。
こ、黒狼牙だ。
アナリンの右手に握られている黒狼牙が、まるで自らの意思を持っているかのように彼女の腕を動かしているんだ。
彼女の腕が傷つくのもお構いなしに無理やりに……そうか。
今のアナリンの体を動かしているのは彼女自身の意思じゃない。
「黒狼牙が……アナリンを操っているんだ」
黒狼牙は意志を持つ刀なんだ。
僕の持つ蛇剣も蛇たちの意思が宿る剣だから、そのことは理解できる。
だけど、ライフ0で意識のない状態の主を武器が操るという状態が、あまりにも不自然かつ不気味で、僕は戦慄を禁じ得なかった。
唇を噛む僕の眼前で、アナリンの右腕は筋肉がねじ切れそうなほど膨張し、無理やりに氷を突き破って頭上に黒狼牙を振り上げる。
その構えに僕はゾッとした。
き、鬼嵐刃だ!
僕は咄嗟に息を止めて瞬間硬化を発動した。
「カアッ!」
もはや人の言葉も忘れてしまったかのように怒鳴りながらアナリンが鬼嵐刃を放った。
するといくつも繰り出される真っ赤な光刃がバルコニーの欄干や床、さらには外階段や内壁を次々と破壊して吹き飛ばしていく。
黒狼牙・烈の時よりもさらに威力を増したそれは、もはや速度や破壊力ともに対処不能の災害のようなものだった。
バルコニーに置かれているミランダの玉座も刃の嵐によって粉々に破壊されて吹き飛ばされていく。
赤い刃の嵐が、瞬間硬化中の僕の肌を次々と叩く。
ダメージこそないものの、とてつもない衝撃に僕は仰向けに倒されてしまった。
それでも僕は息を止めたまま必死に瞬間硬化を継続する。
この状態で効果が切れたら、一瞬で斬り裂かれてしまうだろう。
そこで仰向けの状態の僕は自分が目にしている光景に愕然とした。
ようやく鬼嵐刃の赤い刃の嵐が止んだその時、僕の見つめる先で轟音が鳴り響いたんだ。
なっ……。
アナリンの放つ無数の赤い光刃は頭上にも舞い上がり、ミランダ城の最も高層階に位置する円塔がスッパリと切断されてしまった。
先ほどエマさんから預かった城内図で見たから僕は知っている。
あ、あそこは確かミランダの寝室だ。
王女様とエマさんが隠れている場所だった。
強固な石造りのその建物が斬り裂かれて、無惨にも空中に崩れ落ちていく。
ここからあそこまで20メートル以上あるのに、今のアナリンの鬼嵐刃はあそこまで届くってのか?
まるでアニヒレートのような人智を超えた力が今のアナリンには備わっているんだ。
慄然とする僕の視線の先では、落下する円塔の窓から人影が飛び出してきた。
それは王女様を抱えて宙を舞うエマさんだった。
僕は瞬間硬化を解いて即座に起き上がると声を上げた。
「エマさん!」
よかった。
2人は咄嗟に脱出することが出来たんだ。
だけど安心したのも束の間、アナリンが鞘の無い状態で居合いの構えから鬼速刃を放った。
空中で王女様を抱えるエマさんに向けて。
放たれた赤い光刃は咄嗟に半身の体勢になったエマさんの肩を掠める。
ギリギリでかわした……いや。
「きゃあっ!」
「あああっ!」
僕は思わず叫び声を上げた。
赤い光刃をかわしたと思ったエマさんの左肩から大量の出血が迸る。
避け切れなかったんだ。
それでもエマさんは抱えている王女様を放すまいとするけど、空中でバランスを崩してそのまま落下してくる。
危ない!
僕は即座に飛び上がり、空中でエマさんを抱きかかえた。
途端に彼女の左肩から溢れる血の臭いが鼻を突く。
出血がひどい。
「エマさん!」
「オ、オニーサン……」
エマさんは出血のショックで意識が混濁としながらも必死に王女様を抱えている。
その王女様は今も意識がないもののエマさんのおかげでケガはしていないみたいだ。
とにかくエマさんを安全な場所に……そう思ったその時、僕の右足に何かが絡みついた。
そして僕は強い力で空中から一気に地上へと引きずり降ろされたんだ。
「うわっ!」
そのまま僕はエマさんと王女様を抱えた状態で背中からバルコニーの床に上に叩きつけられた。
「ぐふっ……」
肺に強い衝撃が加わって息が詰まる。
だけど僕は痛みと苦しさをガマンして跳ね起きた。
エマさんと王女様は落下の弾みで僕の体の上から投げ出されて、床に横たわっている。
2人とも意識が無く、ピクリとも動かない。
そして僕の右足に絡みついていたのは、またしても金色の鎖だった。
前方に目を向けると、いつの間にかアナリンの手元に黒狼牙の鞘が握られている。
さっきまで中庭に落ちていたその鞘をどうやってアナリンが手に入れたのかは分からないけれど、鞘から伸びている金鎖が先ほどのミランダと同様に僕の足に絡みついていた。
「くっ!」
アナリンは強烈な力で金鎖を引っ張り、僕を引き寄せようとする。
僕はすぐさま嵐龍槍斧で金鎖を断ち切って事無きを得たけれど、そこで何かが裂けるようなメキメキッという音が聞こえてきた。
不吉なその音に視線を巡らせると、それは中庭から響く音だった。
見ると、中庭の中で最も背が高く、バルコニーの高さを越えて生えている大きな木が今にも倒れようとしていた。
その木は上部3分の1辺りの高さの幹が、その直径の半分ほどまで切断されていたんだ。
さっきアナリンが放った鬼嵐刃によって斬り裂かれたんだ。
そしてその致命的な亀裂のせいで自らの重みに耐え切れず、木はとうとうへし折れて、上部3分の1が中庭に落下した。
途端に中庭からブレイディーのものと思しき悲鳴が聞こえて来たんだ。
慌てて駆け寄った僕がバルコニーの端から中庭を見下ろすと、あろうことか中庭でミランダを治療中だったブレイディーが、倒れてきた木の下敷きになってしまっていたんだ。
ライフ0で動き続ける異常な状態のアナリンの頭上に、そうコマンド・ウインドウが表示された。
獄……?
刀の力を開放する黒狼牙・烈とは違う……。
黒狼牙・烈の際、アナリンは角や牙が生えてまるで鬼のような容姿に変わり、常に泰然としたその在り様は好戦的なそれへと変貌する。
だけどその状態でもアナリンには確たる意思があり、黒狼牙の力を制御下に置いていた。
だけど今は明らかに違う。
アナリンの目には意思の光がなく、まるで死人のそれだ。
「ど、どうなってるんだ……」
僕らが困惑している間にも、アナリンの手首からはドクドクと血が溢れ出し、それが黒狼牙の刀身を伝うたびにその刃は赤みを増していく。
その様子に僕は怖気と強い危機感を覚えた。
アナリンの姿から感じられるのは殺意を超えた破壊の脈動だ。
腹切丸を投げつけてミランダを瀕死の状態に追い込んだのは、間違いなくアナリンだ。
命ある者としての僕の生存本能が、これ以上ないくらいの危険信号を発している。
まずい……このままここにいたら絶対にまずいことになる。
今すぐここから逃げ出さなきゃ!
だけど、この城内にはまだ王女様とエマさんが隠れている。
2人を置いて逃げるわけにはいかない。
でもこのままじゃミランダを治療することも出来ない。
逡巡している間にもアナリンは一歩ずつこちらに近付いてくる。
深く考える余裕のない僕は唇を噛む。
そして即座に次の行動を起こした。
「ブレイディー。ミランダをお願い。懺悔主党の人に救援要請してこの場から逃げてほしい」
そう言うと僕は嵐龍槍斧を手に立ち上がる。
この場で武器を持ってアナリンと戦えるのはもう僕しかいない。
他に選択肢はないんだ。
ブレイディーが何かを言いたげにこちらを見上げてくる。
そんな彼女に僕は言った。
「エマさんにも連絡してあげて。王女様を連れて逃げてほしいって」
「君……死ぬ気かい」
「死ぬ気はないよ。でももし僕が倒れてもブレイディーは自分とミランダが無事に逃げることを優先してほしい。お願いだから」
「アルフレッド君……」
「頼んだよ。ブレイディー」
そう言うと僕は中庭から飛び上がり、バルコニーに着地する。
そんな僕のわずか数メートル先にアナリンの姿があった。
アナリンの頭から生える赤い角は、黒狼牙・烈の時よりも数段長く鋭い。
そして彼女の肌は全身が異様なほどに赤く変色している。
そんな彼女を目の前にしていると、しっかりと歯を食いしばっていないと恐怖で震えてしまいそうになる。
だけど僕がここでアナリンを食い止めないと、中庭のミランダとブレイディーも危ない。
引くわけにはいかない。
僕は腰を落として両足をしっかりと踏ん張り、嵐龍槍斧を構えた。
「アナリン! ここは通さない!」
先手必勝だ!
僕は思い切り鋭い踏み込みで、最上段に振り上げた嵐龍槍斧をアナリンに叩きつけた。
だけど僕の全力の一撃をアナリンは軽々と黒狼牙で受け止める。
「シャアッ!」
そしてアナリンはまるで獣のような唸り声を上げて、そのまま力任せに黒狼牙を振り抜いた。
「ぐぅっ!」
僕は大きく後方に飛ばされ、バルコニーを越えて中庭の花壇の中に落下した。
「くっ!」
慌てて起き上がった僕は、嵐龍槍斧を持つ手が痺れていることに気が付いて愕然とした。
アナリンの一撃は途方もなく重く強い。
その衝撃に僕は驚愕を覚えずにはいられなかった。
まともに食らったら致命傷は避けられない。
それでも僕はすぐさま飛び上がり、再びバルコニーに着地する。
ミランダ達のいる中庭から少しでも遠ざけるために、アナリンをバルコニーの奥に押し込まなきゃならない。
両手の痺れはまだ取れないけれど、僕の左手首には今も4つのアザが光っている。
今持っている力を全て使うんだ。
「清光霧」
そう唱えると僕の左手から白く光り輝く霧が放射されてアナリンに直撃する。
だけどアナリンはそれをものともせず黒狼牙で簡単に斬り払った。
「カアッ!」
「うわっ!」
そこから繰り出される斬撃は清光霧を斬り払うのみならず、赤い光の刃となってバルコニーの床を削り、僕のすぐ脇を通って背後の城壁を吹き飛ばした。
と、とんでもない威力だ。
少しずれて僕に直撃していたら、ただじゃ済まなかっただろう。
そして相変わらず黒狼牙は魔法攻撃も斬り裂いて無効化してしまう。
僕は必死に頭を働かせて事態の打開を目指すけれど、そもそもライフ0でも動いている状態で不死者でもない相手をどう倒したらいいんだろうか。
いや、倒せなくてもいい。
せめて皆が逃げる時間を稼ぐことが出来れば、あとは僕1人ならどうとでも脱出できる。
アナリンは飛んで敵を追うことが出来ないんだ。
時間さえ稼げれば……。
そう考えた僕は左手から今度は別の魔法を放射した。
アナリンの胴ではなく足元をねらって。
「氷槍刃!」
アリアナの力を借りて放った氷の礫は、アナリンの足元を凍りつかせる。
さっきアナリンに浴びせた凍結剤よりも遥かに厚い氷の塊が一瞬でアナリンを足止めする。
だけどさっきアナリンはこの状態から鬼嵐刃を放って見せた。
だから今度は足だけじゃだめだ。
「ふぁぁぁぁぁっ!」
僕は気合いの声と共に氷槍刃を放出し続け、アナリンの足に続いて腕を凍り付かせる。
アナリンの腕がその胴と氷結し、動かなくなっていく。
僕はそのままアナリンの体の大部分を凍り付かせた。
「よし!」
手ごたえを感じ取った僕は即座に踵を返す。
一時的とはいえアナリンの身動きを封じることが出来た。
今のうちにミランダとブレイディーを城の外に……。
そう思った僕だけど背後から不気味なバキッという音が聞こえてきて反射的に振り返った。
すると凍りついていたはずのアナリンの右手が、氷を引き裂くように動き出したんだ。
黒狼牙を握っている右手がブルブルと激しく震えながら、氷を破壊して無理やり動き出そうとしている。
「ア、アナリン……」
アナリンの身に着けている胴着の右腕部分が破れ、氷の破片によってその肌に裂傷が生じて血が溢れ出す。
その痛々しい様子に僕は息を飲んだ。
こ、黒狼牙だ。
アナリンの右手に握られている黒狼牙が、まるで自らの意思を持っているかのように彼女の腕を動かしているんだ。
彼女の腕が傷つくのもお構いなしに無理やりに……そうか。
今のアナリンの体を動かしているのは彼女自身の意思じゃない。
「黒狼牙が……アナリンを操っているんだ」
黒狼牙は意志を持つ刀なんだ。
僕の持つ蛇剣も蛇たちの意思が宿る剣だから、そのことは理解できる。
だけど、ライフ0で意識のない状態の主を武器が操るという状態が、あまりにも不自然かつ不気味で、僕は戦慄を禁じ得なかった。
唇を噛む僕の眼前で、アナリンの右腕は筋肉がねじ切れそうなほど膨張し、無理やりに氷を突き破って頭上に黒狼牙を振り上げる。
その構えに僕はゾッとした。
き、鬼嵐刃だ!
僕は咄嗟に息を止めて瞬間硬化を発動した。
「カアッ!」
もはや人の言葉も忘れてしまったかのように怒鳴りながらアナリンが鬼嵐刃を放った。
するといくつも繰り出される真っ赤な光刃がバルコニーの欄干や床、さらには外階段や内壁を次々と破壊して吹き飛ばしていく。
黒狼牙・烈の時よりもさらに威力を増したそれは、もはや速度や破壊力ともに対処不能の災害のようなものだった。
バルコニーに置かれているミランダの玉座も刃の嵐によって粉々に破壊されて吹き飛ばされていく。
赤い刃の嵐が、瞬間硬化中の僕の肌を次々と叩く。
ダメージこそないものの、とてつもない衝撃に僕は仰向けに倒されてしまった。
それでも僕は息を止めたまま必死に瞬間硬化を継続する。
この状態で効果が切れたら、一瞬で斬り裂かれてしまうだろう。
そこで仰向けの状態の僕は自分が目にしている光景に愕然とした。
ようやく鬼嵐刃の赤い刃の嵐が止んだその時、僕の見つめる先で轟音が鳴り響いたんだ。
なっ……。
アナリンの放つ無数の赤い光刃は頭上にも舞い上がり、ミランダ城の最も高層階に位置する円塔がスッパリと切断されてしまった。
先ほどエマさんから預かった城内図で見たから僕は知っている。
あ、あそこは確かミランダの寝室だ。
王女様とエマさんが隠れている場所だった。
強固な石造りのその建物が斬り裂かれて、無惨にも空中に崩れ落ちていく。
ここからあそこまで20メートル以上あるのに、今のアナリンの鬼嵐刃はあそこまで届くってのか?
まるでアニヒレートのような人智を超えた力が今のアナリンには備わっているんだ。
慄然とする僕の視線の先では、落下する円塔の窓から人影が飛び出してきた。
それは王女様を抱えて宙を舞うエマさんだった。
僕は瞬間硬化を解いて即座に起き上がると声を上げた。
「エマさん!」
よかった。
2人は咄嗟に脱出することが出来たんだ。
だけど安心したのも束の間、アナリンが鞘の無い状態で居合いの構えから鬼速刃を放った。
空中で王女様を抱えるエマさんに向けて。
放たれた赤い光刃は咄嗟に半身の体勢になったエマさんの肩を掠める。
ギリギリでかわした……いや。
「きゃあっ!」
「あああっ!」
僕は思わず叫び声を上げた。
赤い光刃をかわしたと思ったエマさんの左肩から大量の出血が迸る。
避け切れなかったんだ。
それでもエマさんは抱えている王女様を放すまいとするけど、空中でバランスを崩してそのまま落下してくる。
危ない!
僕は即座に飛び上がり、空中でエマさんを抱きかかえた。
途端に彼女の左肩から溢れる血の臭いが鼻を突く。
出血がひどい。
「エマさん!」
「オ、オニーサン……」
エマさんは出血のショックで意識が混濁としながらも必死に王女様を抱えている。
その王女様は今も意識がないもののエマさんのおかげでケガはしていないみたいだ。
とにかくエマさんを安全な場所に……そう思ったその時、僕の右足に何かが絡みついた。
そして僕は強い力で空中から一気に地上へと引きずり降ろされたんだ。
「うわっ!」
そのまま僕はエマさんと王女様を抱えた状態で背中からバルコニーの床に上に叩きつけられた。
「ぐふっ……」
肺に強い衝撃が加わって息が詰まる。
だけど僕は痛みと苦しさをガマンして跳ね起きた。
エマさんと王女様は落下の弾みで僕の体の上から投げ出されて、床に横たわっている。
2人とも意識が無く、ピクリとも動かない。
そして僕の右足に絡みついていたのは、またしても金色の鎖だった。
前方に目を向けると、いつの間にかアナリンの手元に黒狼牙の鞘が握られている。
さっきまで中庭に落ちていたその鞘をどうやってアナリンが手に入れたのかは分からないけれど、鞘から伸びている金鎖が先ほどのミランダと同様に僕の足に絡みついていた。
「くっ!」
アナリンは強烈な力で金鎖を引っ張り、僕を引き寄せようとする。
僕はすぐさま嵐龍槍斧で金鎖を断ち切って事無きを得たけれど、そこで何かが裂けるようなメキメキッという音が聞こえてきた。
不吉なその音に視線を巡らせると、それは中庭から響く音だった。
見ると、中庭の中で最も背が高く、バルコニーの高さを越えて生えている大きな木が今にも倒れようとしていた。
その木は上部3分の1辺りの高さの幹が、その直径の半分ほどまで切断されていたんだ。
さっきアナリンが放った鬼嵐刃によって斬り裂かれたんだ。
そしてその致命的な亀裂のせいで自らの重みに耐え切れず、木はとうとうへし折れて、上部3分の1が中庭に落下した。
途端に中庭からブレイディーのものと思しき悲鳴が聞こえて来たんだ。
慌てて駆け寄った僕がバルコニーの端から中庭を見下ろすと、あろうことか中庭でミランダを治療中だったブレイディーが、倒れてきた木の下敷きになってしまっていたんだ。
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騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
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