どうせ俺はNPCだから

枕崎 純之助

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第三章 絶海の孤島

第9話 最後の晩餐

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「いつの間にかこんな時間ですか」

 西の果てに沈んでいった夕陽の名残をながめながら、ティナは吹きつける海風に暴れる髪の毛を手で押さえた。
 地下道から地上に戻ると辺りは薄暗く、すでに空を夕闇ゆうやみの青さがおおい始めている。
 海風に吹きさらしになっている浜辺ではき火も満足におこせないため、俺たちは崩れた城塞の壁を風除けにして火をおこし、そこを今夜の寝床に定めた。
 俺とティナは互いに自分の持っている携行食をかじりながら火を囲む。
 ティナの奴は俺が森トカゲの干物ひものんでいる様子を見て苦笑を浮かべた。

「相変わらず森トカゲですか。初めて見た時は仰天しましたよ。悪魔がどんな食事をするのか知りませんでしたから」
「これはあくまでも携行食だ。いつもこんなもんばかり食ってるわけじゃない。悪魔にも集落があって、そこじゃ牛、豚、鳥の肉や野菜で作った料理を出す店なんかもある。ま、俺はたいてい自炊じすいだからそういう店にはほとんど顔を出さないがな」
「え? バレットさん料理されるんですか?」

 ティナの奴が心底驚いたように目を丸くした。

「料理なんてたいそうなもんじゃねえよ。ただ肉や野菜を焼いて軽く味付けするだけだ」

 そう言うと俺はさっき海で炎足環ペレを使った新技、噴熱間欠泉ヒート・ガイザーを試した時に偶然獲れた数匹の魚をアイテム・ストックの中から取り出した。
 さらにナイフとまな板、それから数本の串と塩を取り出す。
 そしてまな板の上に乗せた魚のうろこをナイフでぎ落としてから内蔵を取り出すと、串に魚を刺して塩をまぶし、それをき火のそばの砂に突き立てた。
 俺の作業する姿を見てティナは感心したように息を吐く。

「はぁ~。手慣れてますね」

 大袈裟おおげさなチビめ。
 俺はジリジリと魚が火であぶられるのを見ながら昔のことを思い返した。

「ゾーラン隊にいた頃、俺は単独任務が多かった。当然、食糧は現地調達だから、こうやって自分の飯を用意する必要があったんだ。だから自然と覚えた」
「そうですか。やっぱり温かい物をお腹に入れると気分が違ってきますよね。特に1人で心細い夜には」
「いや、別に俺は1人で心細いと思ったことはねえよ」
「本当ですか? 私は……ここに来てからいつも心細いです」

 そう言うとティナはひざを抱え込み、背中を丸めてき火の炎を見つめる。
 き火に照らされた瞳が頼りなく揺らいでいた。

「見知らぬ土地で夜、1人で食事をするのも眠るのも本当は心細いんです。世界でたった1人になってしまったみたいで」

 ティナは静かに目を閉じてき火の熱から逃れるように顔を横に背けた。
 こいつの今までの言動を見てきた俺は、何となく今のティナの心持ちが想像できた。

「ここに来てからじゃなく、天使長がいなくなってからだろ」

 そう言う俺の言葉にティナはハッとして顔を上げる。
 図星を突かれた奴の顔だ。
 分かりやすいガキだぜ。

「見てりゃ分かる。おまえは天使長がいなくなったことをまだ心の奥底じゃ受け入れられてねえんだよ」

 まるで母親が突然いなくなってしまった幼子おさなごのようにな。
 俺たちNPCにも親子の概念はある。
 もちろんそれは人によりけりだ。
 俺みたいな下級悪魔のNPCには親兄弟の設定なんか付与されていないから、親だの子だのといった感覚はまったく分からない。
 だが、ティナはそうじゃないんだろう。

「……バレットさんのおっしゃる通りです。頭では分かっているんです。天使長さまがお隠れになった理由を。ですが私の胸の中にある子供っぽい部分がそれを認めたがらない。情けないです」

 肩を落としてそうつぶやきをらすティナの顔はひどく頼りなく見えた。
 まったく……何でこんなガキの悩みを聞かされてんだ俺は。
 馬鹿馬鹿しい。
 俺はフゥ~ッと息を吐き、頭の中にあるわずらわしさをとりあえずわきに置いて言った。

「天使長イザベラは自分が退しりぞいた後、おまえがどういう状況になるか想像しなかったと思うか?」
「えっ?」

 うつむいていたティナはほうけたように顔を上げる。
 天使長イザベラは息子である堕天使だてんしキャメロンを封じ込めるために道連れとなって自らも凍結隔離されたという話だった。
 だが、天使長という重責をにないながらそのようなことをすれば、残された者がどのような状況におちいるのか、それを想像できないマヌケではねえだろ。
 俺はイザベラがどんな人物であるのかまったく知らないが、まがりなりにも天使たちのトップを張る女だ。
 おろか者であるはずがねえ。

「自分がいなくなった後、おまえがどんな思いをするのか。それを想像すらしなかった。俺はよく知らんが、天使長イザベラはそういう人物か?」

 俺の言葉にティナは強く首を横に振った。

「そのようなことはありません。天使長さまは聡明そうめい慈愛じあいに満ちた温かいお心をお持ちなんです。ですから私がこうした思いをするであろうことも見抜いていらっしゃったでしょう」

 だろうな。
 それでもなお、そうせざるを得なかったんだろう。

「天使長さまは……私が自分の力で乗り越えられると期待して下さったんだと思います。でも、私には天使長さまの存在が大き過ぎて……」

 震える声でそう言うとティナは言葉を詰まらせた。
 期待、か。
 それもあるだろう。
 だが、その期待だけでこの未熟な小娘を1人この地獄の谷ヘル・バレーへ放り込むとは思えねえ。
 イザベラには何か算段があったはずだ。
 いざというときにティナを助ける力……。
 そこで俺は思わず舌打ちをした。

「チッ。そういうことかよ」

 俺は昨夜の出来事を思い返した。
 失神したティナに何者かが乗り移ったかのような出来事。
 あれは……天使長イザベラだったんだ。
 もちろんたましいが乗り移るなどという馬鹿げた話をするつもりはない。

 だが、ティナを作ったのが天使長イザベラだとすれば、ティナの体内に緊急発動用のプログラムを内在させたとしてもおかしくはない。
 そのプログラムに自分の擬似ぎじ的な人格を付与することだってそう難しくはないんじゃねえだろうか。
 そうすることでティナを守ろうとしたんだろう。

 ま、それをご親切にこいつに教えてやるほど俺はお人好しじゃねえ。
 気の済むまでメソメソしてりゃいいさ。
 泣こうがわめこうが俺にとっちゃどうでもいいことだ。
 明日の首輪解除が終わればコイツともいよいよオサラバだしな。

 そう思ったその時、き火のそばに突き刺していた魚の串からうまそうなにおいが漂ってきた。
 いい具合に焼けたようだ。
 すると途端とたんにティナの奴が顔を上げて鼻をヒクつかせる。

「メソメソしてても腹は減るのか。図々ずうずうしい小娘だぜ」

 俺の言葉にティナはバツが悪そうにほほをかく。

「そんないいニオイをさせてたら誰だってこうなりますよ」

 そう言ってむくれるティナに俺は魚の串を一本取って手渡した。

「食って寝ろ。明日は大事な仕事が控えてるんだからな」

 そう言う俺にティナは意外そうな顔で魚を受け取った。

「バレットさん。もしかして私をなぐさめようとしてくれてます?」
「いいや。ちっとも」
「……でしょうね」

 ティナはむくれた顔を自分の膝頭ひざがしらにくっつけるようにうつむく。
 俺はそんなティナに構わず、昔のことを思い出しながら話をした。

「ゾーラン隊にいた頃、戦の間の夜営の時に同僚が今のおまえみたいに落ち込んだツラしてやがることがよくあった。理由は様々だ。思うような功績を挙げられなかったり、作戦をしくじったりな。けど、そういう奴らも飯を食うと少し落ち着くんだ。結局、寝ていようが起きていようが朝はまた来るし、笑っていようが泣いていようが腹は減る。ならサッサと腹に食い物を詰め込んで、朝になったら立ち上がって歩き出すしかねえ。しょせん俺たちはNPCだ。他にやることなんざ何もねえのさ」

 俺がそう言うとティナは赤い目をしばたかせた。

「バレットさん……何の話かよく分かりません。分かりませんけど……魚いただきます」

 そう言うとティナはよく焼けた魚におずおずと口をつけ、モソモソと食べ始めた。
 初めはにぶかった口の動きが、一口食べるごとに活発になり、ティナはあっという間に魚を一匹たいらげた。

「おいしい……」

 ホッとした吐息とともにそうつぶやきをらすティナを見ながら、俺も魚を手にとってガツガツと食う。
 塩ふって焼いて食うだけだってのに、その魚のうまさは思わず言葉を忘れるほどだった。
 そんな俺を見てティナは微笑みを浮かべる。

「ようやく共通のおいしいものが出来ましたね」
「別にこんなもん誰が食ってもウマイだろ」
「そうですけど。森トカゲやら岩ヤモリやらをウマイぞって言われても共感できませんから。バレットさんもこの魚のおいしさを感じているんだなと思うと何か嬉しいんですよ。もう一本いただいても?」

 嬉しそうにそう言うとティナはもう一本の串に手を伸ばす。

「最後の晩餐ばんさんだ。好きなだけ食え」
「いや、焼き魚でそんな最後の晩餐ばんさんだから好きなだけ食べろとか胸を張られても」

 苦笑するティナを見ながら俺は無意識に自分の首をさすっていた。
 首輪を隠すためにティナから手渡された赤い布は、たび重なる俺の炎にさらされてすでにボロボロだった。

「もうその布も限界ですね。新しいものに取り換えましょうか」
「別にいらねえよ。どうせ明日になりゃ首輪も解除されてお役御免だ」
「そうですけど、今後もいかがですか? 似合ってましたよ。赤いの」
「うるせえな。いいからそれ食って早く寝ろ」

 そう言って俺はき火の横で寝転がり目を閉じた。
 風除けの壁を背にして波の音に耳を傾ける。
 するとティナかポツリと言葉をらした。

「明日でお別れですね」

 き火のぜる音が潮騒しおさいの中にもハッキリと響くのとは対照的に、ティナのその言葉は風に吹かれて消えていく。
 しばしの沈黙ちんもくの後、俺は口を開いた。

「まあ、おまえも清々するだろ。今後は悪魔とつるまなくて済むからな」

 そう言う俺にティナは黙り込んだ。
 俺は構わずに目を閉じたまま、壁を伝って吹き込んでくる潮風を肌で感じていた。
 き火がパチパチと何度目かの音を立てた後、ティナは静かに言った。

「バレットさん。色々とありがとうございました。慣れない土地に来てうまくやれるか不安でしたけど、おかげで自分の使命の一端を果たすことが出来ました」
「悪魔に礼なんて言ってんじゃねえ。おまえはもう少し警戒心を持つべきだ。相手を信用させてから裏切るのが悪魔だからな」
「はい。ご忠告、確かに受けとりました」

 分かっているのかいないのか、ティナはニコリと微笑んでそう言うと、魚をうまそうに食べ終えた。
 その夜は念のため交代で見張りをしながら眠ることにした。
 先に仮眠をとっていたティナと見張りを交代し、俺はちかけた壁際に身を横たえる。
 俺が横になっている間、ティナの奴がカチャカチャと何やら作業をする音が聞こえたが、今夜の俺は重い疲労感を抱えていたこともあって気にせずにすっかり眠り込んでいた。
 ティナに朝の訪れを告げられるまで気付かなかったほどだ。

「おはようございます。バレットさん。めずらしくよく眠っていましたね」
「ん……そうか」

 気がゆるんでいるんだろうか。
 すぐそばに天使がいるってのに俺は随分ずいぶんと深く眠り込んじまっていた。
 何だか気に食わねえな。
 何が気に食わねえって、ティナに対する警戒心が薄れ、この状況を当たり前のように思っている俺自身が気に食わねえんだ。

 そんな俺の内心をつゆとも知らず、ティナは俺の右の太ももを指差した。
 見ると俺の右太ももに赤と黒のツートンカラーで織られた布が巻かれていた。

「何だこりゃ? いつの間に……」
「私が作りました。手織りです。とりでで私が渡した光属性式閃光弾ホーリー・フラッシュバンをバレットさんが使った時に破れた胴着をそのままにされていたので。せめて破れた箇所かしょを隠そうと思って……勝手にやりました」

 またこいつは余計なことをしやがって。
 確かに俺の胴着の右太もも部分は、ディエゴらに目眩めくらましを食らわせるために忍ばせておいたアイテムを使ったせいで、破れて肌が露出していた。
 ただ、こんなもんは定期メンテナンスの際に直るから、放っておけばいい。
 それにしても俺は寝ている間に足にこんなもんを結ばれても目覚めなかったってのか。
 こりゃ重症だな。

「首の赤い布はもう必要なくなるので、代わりにと思いまして。私からの最後の贈り物です。後で使わなくなったら捨ててしまっても構いませんので。でもやっぱりバレットさんには赤と黒がよく似合いますよ。バレットさんの炎の色ですから」

 俺は足に巻かれたその邪魔な布を外そうと手を伸ばしかけて、その手を止めた。
 俺の炎の色……か。

「ゆうべ何やら作業をしてやがったのは、これだったのか」
「すみません。うるさかったですか?」
「フンッ。余計な気を回すな」
「はい。あ、そうだ。あらかじめ言っておきますが、それは本当にただの布ですから。ドレイクの腕章のようにステータスがアップしたり、炎足環ペレのように特殊能力が付いたりはしませんが、首輪のように外れなくなることもありませんので」
「ただの飾りなら、なおさら必要ねえよ」
「そんなこと言わないで下さい。せっかく作ったんですから……。それにこれから天使の一団がここにやってくるんですよ。みすぼらしい格好ではナメられてしまいます。バレットさんは立派な戦士なんですから、それなりの格好をしないと」
「はぁ? 別にどうでもいいぜ。ナメられたらぶんなぐってやればいいだけだ」

 俺が憤然とそう言うと、ティナの奴も負けじと詰め寄ってくる。

「私は嫌ですよ。たとえ相手が我が同胞の天使であろうとも、バレットさんが笑われるのはいい気がしません」

 いきなり何を言ってんだこいつは。

「それに気に入らなければなぐるというその考えも改めて下さい。それじゃ安っぽいゴロツキですよ。相手をなぐらずとも威圧感だけで圧倒するような、そんな悪魔になれるはずです。バレットさんなら。たった数日のお付き合いですけど、私はそう感じます」

 ティナは決然とそう言うと、朝日を背に浴びて立ち上がる。
 そして海風になびく桃色の髪の毛を手で押さえながら笑った。

「バレットさん。すごい悪魔になって下さい。誰にも負けない、どんな苦境にも屈しない、そんなすごい悪魔に」

 ティナのその言葉に俺はじっと自分の右腕を見つめた。
 そこには炎の紋章が描かれたドレイクの腕章が装備されている。
 誰にも負けない不屈ふくつの悪魔。
 それは俺が思い描く理想の自分の姿だ。
 俺はずっとそうなりたくて悪あがきを続けてきたんだ。

「へっ。そりゃまるで魔王だな」

 そう言う俺にティナは鼻の穴を広げて不敵に笑った。

「いいじゃないですか。気高き悪魔の王になれば。魔王バレット。いい響きです。その足のレッグ・カバーをちかいのしるしにしましょう」

 そう言うティナのはるか後方、朝焼けに染まる水平線上に多くの人影が浮かび上がる。
 天使の集団が島を訪れたのはそれから十数分後のことだった。
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