上 下
18 / 19
病棟を彷徨う亡霊

痛みは所詮

しおりを挟む




ぐぅ~

憂鬱な気分とは裏腹に、元気な腹の虫が鳴り響く午前11時。同室の皆に見送られ、いよいよ迫る手術に息を飲む。

「ふふっ」

「笑わないでよ~」

昨日の惨事をぼんやりと思い出しながら流れる廊下の天井を見つめた。少しの緊張が乾いた空気を震わせる。埃を引きずったキャスターがガラガラと派手な音を響かせ、床の継ぎ目に掬われる。

「·····ぐっ」

その度に自由のきかない身体が小さく跳ね骨を揺らす。寝転びながら、ナースのお姉様とすれ違う度「頑張れ」と声援を贈られた。こんな時に限っては『白衣の天使』なんて言葉もあながち嘘ではないと感じてしまう。

「頑張ってくれるのは三上先生なんだけど」

「ぶっ」

「だってそうでしょ?」

「三上先生、プレッシャーね」

マスク越しに少しくぐもった声が降ってくる。視線が合うと、お姉様は目を優しく細め、俺に笑いかけた。

「いよいよだ」

ここ数日、歩けない身体でどうやって手術室まで行けばいいのか地味に悩んでいた俺。そんな悩みを知ってか知らずか、お姉様方はいとも簡単に解決してくれた。

「もう痛いの嫌だなぁ」

お姉様は軽快にキャスターのロックを外すと、ベッドに寝転んだままの俺を手術室へと容易く運ぶ。そのなすがままの様は、まるで王様にでもなったかのような錯覚をさせる。

「これからが本番よ~」

「げげげっ」

お姉様方にベッドを押され、無機質な廊下を進む。数歩先には父と母が心配そうにこちらを見つめ、よくよく目を凝らすと母の紺色のワンピースの端から見慣れた黒い毛がわさわさと揺れていた。

「はぁ」

期待を吐き出し、諦めを肺いっぱいに思い切り吸い込む。

「友誠っ!!バレてんだぞっ!!練習さぼんなっ!!」

「·······ッ!!!···」

久しぶりに腹から声を出すと骨がギシギシと軋み、途端に痛みが走る。あぁもう。少し動くだけで気が滅入る。俺の身体はもう数日、こんな事を繰り返していた。

「愛くん静かにっ」

何事かと皆がこちらを振り返り、病室から顔を覗かせる人さえ居た。父と母は苦そうな笑顔を浮かべ、気まずそうに会釈する。カッと目を見開いたお姉様が、顔を歪める俺を見つめた。方々から笑い声が聞こえてくるも、不思議と心地がいい。

「母さんも父さんも待ってるからな···」

「···········俺も」

遠慮がちにボソッと消え入りそうな声で呟く友誠。母のワンピースと同じ色の練習着を着ているからか、並んでると本当の家族のようにも見える。

「お前は絶対帰れ。帰らなかったら絶対許さないからな絶対だぞ」

目を細め警告すると、視線を泳がせながら、友誠は気まずそうに父の背に隠れ、不服そうな声を微かに響かせた。

「········わかった」

父と母とお姉様の無言の会話が数回、頭上で飛び交うと二人の握りあった手がぎゅっと強ばった。

「「よろしくお願い致します」」

「愛を治してください」

父と母が頭を下げれば、数刻遅れて友誠も見様見真似で頭を下る。その様はあまりにも不格好で、思わず笑ってしまった。なんだか救われた気さえする。

「ははっ、治してもらってくるな」


途端に静まり返った廊下。手術中の文字に灯りがつき、複数の祈るような視線が一点に重なった。





午後4時。無機質にその身を主張していたランプの点灯が消えた。約5時間にも及んだ手術がようやく終了したのだ。

「お疲れ様でした」

「ありがとう」

玉のような汗を拭い、手馴れた手つきで医療用ゴム手袋とマスクを外す三上。緊張の糸が切れ、途端にふわふわとした浮遊感が全身を包む。酸素と糖が足りなくなった脳が普段は決して飲まない、身体に悪そうないちごミルクを欲す。

「無事に終了しましたっ」

長時間していたマスクで火照った頬を手の甲で冷やしながら三上は父、文義に力強く呟いた。

「·····あぁ」

床を見つめていた母、沙希が溢れる涙を抑えながら文義に近寄る。

「ありがとうございますっ先生っ」

大きな深呼吸と共に安堵の声が廊下に響き、淀んだ空気が一気に晴れた。

「あら?」

「いとしとまたバスケ出来るっ??」

緊張の糸が切れ、若干やつれた文義から威勢のいい子供の声が響く。

「あぁ、いや」

悪戯がバレた子供のようにバツの悪そうな表情を浮かべる文義。

「バスケ出来るか!!」

声は益々大きくなる。

「あらあら?」

すると若干の涙を浮かべた友誠が、文義と沙希の間をくぐり抜け、三上の手術着を切に掴む。

「えぇ、出来るわよ」

「先生っ俺に出来る事あるかな?」

「えぇ、勿論」

「何!?」

「まずは愛くんが起きるまでにお家に帰ること」

「!?」

「で、今日サボった分を取り戻すこと」

全てを見透かした三上。途端に真ん丸の琥珀色の瞳がキラリと輝いた。

「そうね」

「きっとバレたら怖いぞ~。暗いからもう少ししたら車で送ってあげよう」

まるで怪談話でもするかのように、携帯の液晶を顎に当て、友誠に語りかける文義。その演出は、常に明るい病院ではまるで意味をなさず、滑稽にさえ見える。皮脂で曇った画面には、友誠の母の番号が映し出されていた。

「うん」

「まだ大丈夫よ。麻酔が切れるまであと1時間は掛かると思います」

飲まず食わずで待ち続けた三者を察し、三上が語りかけた。

「下の食堂でも行くか?」

腹を緩く擦りながら、文義は沙希に同意を求めた。

「そうね、友誠くん何食べたい?」

「········」

「愛は、下のプリンが好きなのよ~」

「愛がっ?」

床目と友になりかけていた友誠が勢いよく顔を上げた。

「もう、好きすぎてお母さんのプリンまで食べちゃうんだからっ」

過分に誇張された誘惑に揺らぎ始める小さな身体。今日はまだ役目を果たせていないバッシュが床を鳴らす。

「でも、俺····」

渋る友誠を見かねて、大きく伸びをする沙希。事実、友誠の腹の虫は愛よりも活発で、ぐぅぐぅと鳴り続けていた。

「私、たらこスパゲティ食べたくなってきちゃった~」

目配せをする沙希に脇腹を突かれた文義がゴホンと一つ咳払いをして、役者になりきる。

「ぼ、僕はナポ、ミートソースが、良、いなー」

しかし、聞こえてくる声は何処かたどたどしく、ぎこちない。普段、食べたいとも思わない子供が好みそうな食べ物が文義の頭の中を埋めつくし、言葉を濁す。すると笑いを堪えていた三上が、普段使わない一人称を使う文義に合いの手を入れた。

「先生もいちごミルク飲みに行かなくちゃ~」

三者の視線は下へと向かい、静かに琥珀色の瞳を見つめた。眉間には深い溝が刻まれ 目を瞑り、唸り続けている。

「········じゃあ俺、タコわさ食いたい···」

「「「···渋いね」」」

友誠の希望はきっと叶わない。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

3人の弟に逆らえない

ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。 主人公:高校2年生の瑠璃 長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。 次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。 三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい? 3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。 しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか? そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。 調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m

部室強制監獄

裕光
BL
 夜8時に毎日更新します!  高校2年生サッカー部所属の祐介。  先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。  ある日の夜。  剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう  気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた  現れたのは蓮ともう1人。  1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。  そして大野は裕介に向かって言った。  大野「お前も肉便器に改造してやる」  大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…  

愛されなかった俺の転生先は激重執着ヤンデレ兄達のもと

糖 溺病
BL
目が覚めると、そこは異世界。 前世で何度も夢に見た異世界生活、今度こそエンジョイしてみせる!ってあれ?なんか俺、転生早々監禁されてね!? 「俺は異世界でエンジョイライフを送るんだぁー!」 激重執着ヤンデレ兄達にトロトロのベタベタに溺愛されるファンタジー物語。 注※微エロ、エロエロ ・初めはそんなエロくないです。 ・初心者注意 ・ちょいちょい細かな訂正入ります。

病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!

松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。 ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。 ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。 プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。 一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。 ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。 両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。 設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。 「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」 そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?

尻で卵育てて産む

高久 千(たかひさ せん)
BL
異世界転移、前立腺フルボッコ。 スパダリが快楽に負けるお。♡、濁点、汚喘ぎ。

竜騎士の秘密の訓練所(雌穴調教)

haaaaaaaaa
BL
王都で人気の竜騎士はエリート中のエリート集団だ。リュウトは子供のころからの憧れの竜騎士を目指し、厳しい試験をクリアし、念願の新人として訓練に励む。誰も知らない訓練内容には、ドラゴンに乗るためと言われなぜか毎日浣腸をしないといけない。段々訓練内容は厳しくなり、前立腺を覚えさせられメスイキを強いられる。リュウトはなぜこんな訓練が必要なのか疑問に感じるが、その真相は。

メインキャラ達の様子がおかしい件について

白鳩 唯斗
BL
 前世で遊んでいた乙女ゲームの世界に転生した。  サポートキャラとして、攻略対象キャラたちと過ごしていたフィンレーだが・・・・・・。  どうも攻略対象キャラ達の様子がおかしい。  ヒロインが登場しても、興味を示されないのだ。  世界を救うためにも、僕としては皆さん仲良くされて欲しいのですが・・・。  どうして僕の周りにメインキャラ達が集まるんですかっ!!  主人公が老若男女問わず好かれる話です。  登場キャラは全員闇を抱えています。  精神的に重めの描写、残酷な描写などがあります。  BL作品ですが、舞台が乙女ゲームなので、女性キャラも登場します。  恋愛というよりも、執着や依存といった重めの感情を主人公が向けられる作品となっております。

兄弟がイケメンな件について。

どらやき
BL
平凡な俺とは違い、周りからの視線を集めまくる兄弟達。 「関わりたくないな」なんて、俺が一方的に思っても"一緒に居る"という選択肢しかない。 イケメン兄弟達に俺は今日も翻弄されます。

処理中です...