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第1章

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馬車の速度が落ち、窓から見える景色の移ろいも少しずつ緩んでいく。止まった馬車のドアが開かれると、ライカーはロカリエをエスコートした。恭しくその手を差し伸べ、ロカリエが降りるのを助ける。憧れの人物からエスコートされて、ロカリエはとても嬉しかった。

 これから二人が住む城は、カルロ王が住むそれよりも少し広い。高さや豪華さはないものの、幼い二人が暮らしていくには、十分すぎるほどの城だった。カルロ王の城にあったような入口の橋はないものの、なだらかな坂道が城内を突っ切るように伸びていた。

 城の入口にはシャンデリアがつり下がっており、それだけで部屋の豪華さが分かる。赤い絨毯は毛足が長く、ロカリエの靴を包み込んでしまうほどだった。並ぶ肖像画も、骨董品の数々も、どれも妥協なく仕上げられたものであることが分かる。シャンデリアの輝きを見つめながら、自分がいかに素晴らしい場所へ来てしまったのかということを認識する。
「わー! とっても綺麗ね」
「喜んでくれてよかった。さぁ、ロカリエ嬢のお部屋はこっちだよ」

 ライカーの後を着いていく。その途中にある窓にも細かい装飾が施されており、ロカリエは思わず目を奪われた。扉を示したライカーは、ひとつロカリエに笑みを浮かべる。

「僕は隣の部屋だから、いつでも来てね」
 「ありがとうございます、ライカー殿」

 自室は白を基調とした広々とした空間で、ベランダまで付いていた。調度品は可愛らしさを残しつつも美しさが目立つものばかりで、大人になるまで使うことを想定されて作られているようだ。ここでずっと、ライカーと一緒に暮らすことができる。そう思うだけでロカリエの胸はときめいた。

 ロカリエはどきどきとした気持ちを抑えることができず、部屋の中をあちこち散策して回った。天蓋つきのベッドはロカリエの体の何倍も大きい。ゆったりとした寝心地だ。クローゼットには雰囲気の異なるドレスが何着も備え付けられている。アンティーク調の机にソファー、暖炉まであり、ロカリエは絵物語でしか見たことのない世界に目を輝かせる。

 ――本当にここ、一人で使っていいのかしら。


 ベランダに出てみると、長い髪とドレスを強い風が揺らす。城下町が小さいながらも見えて、双眼鏡があればよく見えそうだなんてことを思った。隣にもベランダがあるのが分かる。これがライカーの部屋のものなのだろう。まさか、ライカーの部屋と隣同士になれるだなんて思ってもみなかった。

 扉を叩く音が聞こえ、ロカリエは振り返る。部屋の中に戻り「入って」と告げると、静かに扉が開いた。長い茶髪をまとめ上げた女性が、恭しく頭を下げて立っている。こげ茶色の瞳は優しい色をしており、ロカリエは緊張の糸を解いた。

「あ、あの」
「初めまして。わたくしはエミリアと申します。本日より、ロカリエ様専属の使用人としてお仕え致します」
「せ、専属……」
「どうかなさいましたか?」
「い、いいえ! あの、よろしくお願いします」

 彼女に負けないように丁寧に頭を下げると、エミリアは少し驚いたような顔をした。エミリアが事前に小耳にはさんでいたロカリエの様子と、少し違和感があったためだ。しかし、主の前でそのような態度を出すわけにもいかない。エミリアは紅茶を用意することを伝えてから部屋を出ていった。

「有事の際にはベルでお呼びください」
「分かったわ。よろしくね」

 隣の部屋に遊びに行って見ようか。かといってそんなことばかりしていては、なおのことライカーに嫌われてしまうのではなかろうか。
どうしようか悩んで部屋の中をうろついたり、ベランダに出てみたり部屋に戻って歩き回ったり。
異世界だしお城ということで何となく落ち着かない気分のロカリエは目的もなく視線をあちこちに投げかける。
そして目に止まったのは部屋に作り付けの本棚に収められたたくさんの本。
ロカリエは一抹の不安を感じた。


――言葉は通じるけど、そういえばこの世界の文字って読めるのかな……貴族の令嬢が文字が読めないとやっぱりおかしく思われそう。


異世界転生小説の類は元の世界にいたころに時折読んだが、言葉と文字が分かるパターンと言葉は通じるが文字は読めないパターン、珍しいものだととても短いフリーゲームで言葉も文字も通じない、などバリエーションが豊かだったが自分がどうなのか確かめる機会がいままでなかったのだ。
試しに一冊の本を手に取りページをめくると見知らぬ文字のはずなのに内容は頭に入ってくる。

――言葉と同じように頭のなかで勝手に翻訳されてる?
どういう原理かは分からないけど助かった……!
これで怪しまれずにすみそう。


ゆっくりと時間は過ぎていった。夕暮れ時になり、空が赤くなり始めてくる。結局ベルを鳴らすことは一度もなかったが、時刻が16時きっかりになったときに、エミリアが再び部屋にやってくる。彼女はタオルや着替えをまとめて抱えながらロカリエに尋ねた。

「ロカリエ様、お風呂はどうなさいますか?」
「お風呂……ええ! お願いするわ!」



 エミリアに着替えを手伝われるのは少し気恥ずかしさもあったが、それを終えて入った風呂もロカリエを驚かせた。大理石の使われた浴室は広く、一人で入ることに寂しささえ覚えるほどだった。ほの赤い照明は魔法が使われているのか、柔らかい色を壁に映し出していた。自分の影が映る。その姿が小さな少女であることに、まだ慣れることはできなさそうだ。
 現代でも薔薇風呂なんていうものがあるが、ここまでふんだんに花びらを浮かせた風呂をロカリエは見たことがなかった。恐らく、歓迎の意味も込められているのだろう。手で掬い上げた花びらに鼻を寄せて、香りのよさを楽しむ。体にまで花の香りがなじんでいくような気がして、ロカリエはゆったりと入浴を楽しんだ。

 ――一日、なんだか疲れたな

 元のロカリエにとっては、当たり前どころか、最低の一日だったのかもしれない。原作のロカリエはライカーとの婚約を嫌がっていたから。しかし、今のロカリエにとっては、憧れの人に出会えた上に、その人と友情の種を育むことができた。これからの毎日が、この花びらのように、華やかなものであってほしいと思った。

「ロカリエ様、お召し物のお手伝いを」
「は、はい」

 これだけはどうにも慣れることができなさそうだ。自分でもできるのになあと思いつつも、エミリアにとっては仕事でもある。無碍にはできない。風呂から上がったロカリエは、ベランダに出て風を浴びた。涼しいそれが頬を撫でて、体温を下げてくれる。ライカーに出会えた興奮もほどよく冷ましてくれる気がした。息を吐いて心を落ち着ける。このあと夕食があるのだから、そのときまた興奮して彼を困らせてしまうことのないように。ちらりと隣のベランダを見ると、扉はぴったりと閉じられているが、カーテン越しに光が透けている。
 突然ノックの音が響き、エミリアが夕食の準備ができたことを伝えてくれた。ロカリエはベランダへの扉を閉め、彼女についていった。夕食会場に用意されていた食事は一人分だけ。ロカリエはぱちくりを目を瞬かせた。ライカーを責めたくはないが、今日は婚約初日という、とても大切な日であることに間違いない。それにも関わらず、夕食を共にしないなんて……ロカリエはしばらく考え込ん、エミリアに声を掛けた。

「あの、ライカーは?」
「ライカー様はリアム様がいらっしゃらないので、いつも通り、お部屋で召し上がるとのことで……」
「そう……」

 それを聞いて思い出した。ライカーが食事を一人で摂ろうとする理由。彼の黒い髪は呪いの象徴ともされており、それを怖がっている使用人たちも少なからずいる。ライカーは彼らに恐れられることを嫌がっていた。そしてそれ以上に、不必要に使用人たちを恐れあがらせることも、嫌がっていたのだ。リアムがいないとき、ライカーは一人だった。彼は本当に優しい人。ますますライカーのことが愛しくなる。それと同時に、そんな人物が一人で食事をしている切なさに、胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。


「エミリア、ちょっと……」

 ライカーの部屋はまだ灯りがついていた。間違いなく彼は自分の部屋にいる。そういえば、ライカーの部屋も気になる。純粋な興味と、彼への不安と。それが重なったロカリエは、エミリアには申し訳ないと思いつつ会場を後にした。できれば、ライカーを誘いたいと思ったのだ。

 一体彼の部屋はどんな部屋なのだろう。小説の中にもあまり記述がなかった。彼の人となりも出ているだろうし、気になりながらノックする。

 ライカーの部屋の前でそわそわしていると、ガチャっと音がして片手に本を持ったライカーが出てきた。

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