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道場

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「せいっ!」
「うわあっ!?」

詩音の前蹴りが相手の胴当てにヒットし、大柄な男がよろける。

「それまで!」
澄んだ声が道場内に響く。
正座して試合を見守っていた練習生達から、感嘆のため息が漏れる。
年少組の子達に至っては、飛び上がって喜んでいた。

互いに礼をして分かれ、正座して防具を外す詩音に人だかりができた。

「詩音先生、すごーい!」
「先生のって、速すぎて参考にならないよー」
「リーチとか相手の方が全然長いのに、直ぐ目の前までよっちゃうんだもん、恐くないのー?」
「・・・せんせぇ、なんか、嫌なことあった?」

詩音はハッとして、子供達に笑顔を向けた。
「ううん、な、なにもないよ、あはははははははは( ゚∀゚)ははは」

相手方にも人が群がり、技の感想なとを聞いていた。男の方も敗れはしたが爽やかな表情だ。

やがて、二人にもう一度声がかかる。
試合の流れを一つ一つ検証する感想戦だ。二人の傍らにもう一人女性が立ち、試合開始からの二人の動きを再現させながら解説する。
この道場の師範、茅島理香子5段だ。
固く引き締まったスレンダーな身体は鍛え上げた筋肉を纏い、鋼のバネを思わせる精悍さだ。
細面に強い意思を感じさせるきりり、と引かれた眉、切れ長の瞳は眼光鋭く、それでいて練習生達に解説する声は熱心さと共に大きな包容力をも感じさせる。
ポニーテールに結い上げた濡れた黒髪が蛍光灯の光を吸い込んで舞うように揺れていた。


総勢で30数人と言う大きな道場の中、熱のこもった解説が続く。
一際小さな体躯の詩音だが3段の腕前を持ち、年少組と初心者組の指導を担当している。
子供たちはみな目を輝かせ、ゆっくりと、しかし、舞うように動く詩音を見つめていた。

最後に親御さんの車に乗った年少組の子に手を振り、師範の理香子と詩音の二人だけが最後に残った。
思わず出そうになった溜め息を飲み込んで振り向いた詩音に、呆れ顔の理香子が腕を組んでいるのが見えた。

「やれやれ、これで試合の時は別人の様になるのだから大したものだ。原因は光一君か?」

「し~しょ~!」

涙を浮かべながら、詩音は理香子の胸に飛び込んだ。

「・・・ふむ、彼の台詞から察すると、そのほど落ち込むほどのものでは無いと思うのだが・・」

一言一句憶えている光一の言葉をしゃくりあげながら理香子に話す詩音。

「だっでぇ~、私なんが、ひどりで生ぎでいげるってぇ・・」

「全く・・」
こうなってしまっては、落ち着くまで待つ他はない。

天才空手少女と謳われた彼女なのだが、事、光一の事となると冷静さを失い、むしろ同年代の女子より幼い印象だ。

理香子は苦笑しながら詩音の頭を撫でてやった。

十年前、詩音達が通う幼稚園に刃物を持った暴漢が侵入し、たまたま通りかかった理香子がそれを撃退した。
引っ込み思案だった詩音は、その時命懸けで自分を守ってくれた光一の勇気に打たれ、自らも強くなるべく日を置かずに理香子の道場に入門してきたのだ。

泣いてばかりだったちっぽけな女の子は、今や天才と謳われるまでになった。

天才。

だが、理香子は知っている。

断言するが、詩音に格闘技の才能はない。それは長い時間をかけ、血の滲むような努力を行った賜物なのだ。
全ては、自分を助けたくれた男の子のため・・・。

この一途なで熱心な少女の事を、今は天涯孤独の理香子は実の妹のように思っていた。



「スミマ~セ~ン」
暫くそうしていると、閉めた道場の入り口から、野太い声が響いた。

詩音と理香子は顔を見合わせて、改めて入り口を見る。
すると、木製の引き戸がガタガタと鳴り、その向こうで何かしゃべっている声が聞こえる。
どうも日本語のイントネーションではないようだが・・・。

「スミ~マセン、スミ~マセン」

「はい、少々お待ち・・」

理香子が立ち上がり声をあげた瞬間、バキャッと音をたてて扉が真ん中からへし折れ、道場の中に破片が散った。

「な・・・!」

その向こうには、数人の人影が見える。

一人は二メートル近くある大男で、アフロヘアーのアフリカ系外国人。
もう一人は角ばったアジア系の顔立ちで、背こそ黒人に及ばないが筋肉の塊と言った風情の堂々とした体躯だ。

その後ろ、三人の子供達が見えるが、その顔には見覚えがあった。

先頭に立つ杜剛太はもりごうた未だ小学五年生ながら髪を金髪に染め、耳には数ヵ所のピアスを開けている。スマートで顔も悪くないが地元ヤクザ幹部の息子であり、誰も手をつけられない。

その後ろでスマホを持って撮影しているのが中学一年生の金田博かねだひろしで、こちらは地元から始まって今や全国規模となった企業の社長の息子で、いつも杜たちとつるんでいる。でっぷりと太り、暗いニヤケ顔を崩さない何を考えているか解らない少年だ。

もう一人は張本哲はりもとてつ。小学六年生で所謂ガキ大将的な存在だったのだが、先の二人と馬が合い杜の権力と金田の金を後ろ楯にしてからは好き放題の悪さをしているらしい。

三人とも親から言われて無理矢理この道場に通わされているが、殆ど顔を出さない連中だ。

「杜、金田、張本・・・お前達、これはなんだ!」

理香子の良く張った声が道場に響く。
悪童連はにやにやと顔を見合わせると、杜が一歩前に出る。

「何ッて理香子ちゃん、道場破りってやつだよ。コイツら俺の知り合いなんだけどさ、スげぇ強ェ女が居るって言ったら是非ヤり合ってミテェ、なんつーもんだから連れてきたてやったんだ。いっちょ腕前見せてくんね?」

「ま~さか、負けないよね理香子せんせぇ。この人ら、格闘技は習ったことないらしいからね。素人相手に道場の師範が負けちゃあ看板下ろさないとね!その後は、俺達が師匠やってやるから心配しないでよ。でも、そうなったらせんせぇ達はオレらの弟子だから、言うこと聞いてもらわないとねー!」

子供らしさを感じるはしゃいだ声で張本が声をあげる。
金本はニヤニヤしながらスマホを向け、この場を録画している様だ。

外人二人は腕を組んで、ニタニタと理香子と詩音の身体を舐め回すように見ている。

理香子は全員を見返し、腰にてを当ててため息をついた。

「・・・この現代に道場破りとはな。悪いが、相手をする気はない」

「オイオイ逃げンのか?それで良く子供らに精神論語ッてんなぁ?なんだ、尻尾巻いて逃げるのも練習の成果かよ!」

「語弊はあるが、そうとも言える。無駄に力を振るう事は、それこそ弱さの現れだ。力を見せつけ、吹聴し、周りを威圧していないと安心できない小心者の行いなのだ。それこそ杜、お前のその格好のようにな」

「・・・ンだと?」

「本当に必要なときに発揮するのが、真の実力だ。普段は弱虫の謗りを受けようといっこうに構わん。最も、しっかりと力をつけた者なら、普段の立ち振舞いから人に侮られることなど無いものだ。自信のないものがそれをやる。覚えておけ」

「・・・おい金田、出番だぜ。この女に立場を教えてやんな。」

杜は憤怒の表情を浮かべ、理香子から視線を外さずに金田に声をかける。

「うひょっ、もう?(゚∀゚)」

金田がスマホから顔をあげ、ニヤついた笑顔を理香子達に向けた。

「オチはわかってるんだからさぁ、もう少し楽しませてくれても良いのになぁ┐( ̄ヘ ̄)┌」

小声で呟くようにそう言うと、録画中のスマホを張本に渡して、背中のリュックから大型のタブレットを取り出す。

「ばえ?」

そう言って理香子に画面を向ける。
そこには、胴着の前をはだけ、サラシを巻いた胸を見せて汗を拭く理香子の姿があった。

「・・・盗撮か、犯罪行為だな。貴様は破門だ。その上でご両親と警察に通報する」

「まあまあ、これからなんだって」

金田はそう言って画面を指で弾く。
次の画面は、サラシをほどいて見事な爆乳が飛び出すgif画像だ。

「へへ、すげェな理香子ちゃん!サラシで押さえ込むなんてもったいねぇ、こいつをプルンプルンさせてりゃ、男なんざパンチ当て放題だろうによ」
画面を覗き込んだ杜が口笛を吹く。

「ちょっと、杜君!小学生が何言ってるの!?ちょっとおかしいんじゃない!」
詩音が声を上げる。
滅多に来ないとは言え、年少組は詩音の担当だ。

金田は張本らと顔を見合わせ、不気味な笑みを浮かべる。
指を動かし、さらに画面を送った。

別アングルで、胴着の履き物を下ろして清楚な白いパンティに包まれた臀部が覗いている後ろからの画像だ。

次。

引き締まった筋肉質の身体に不釣り合いな豊満な胸がセクシーだ。
そんな見事な肢体が引きの画像で写る。
だが、その身体のあちこちに青や紫の痣があり、激しい稽古や試合の後が伺えた。

「・・おい」
理香子が何かに気づいたようだ。

金田は無視して画面をフリックする。
次は動画だった。

画面の理香子は身体に付いた痣の痕を撫でるように手を滑らせる。

「おい、これは・・やめろ!」

「どうしたの、理香子先生?(^w^)顔色悪いよ?」

金田はそう言うと、タブレットの音量を一気にあげる。
青く変色した胸に付いた痣に手を当て、ぐっと指で押さえ込む。

「・・あ!・・は、あぁ・・ン・・」

画面の中でびくりと背を丸め、眉間にシワを寄せる理香子。
男ならずとも身震いするほどの艶のあるため息がタブレットから流れた。

「やめてくれ!」

「何ですか、これからが良いところなのに~(* ̄ー ̄)」

金田が画面を一時停止する。
理香子は顔面蒼白となって額に汗を浮かべていた。

「ククク、どうした理香子ちゃん、顔色悪いじゃねェか。いやぁ、こんな最高の『着替え』が撮れるなんて、あちこちカメラを仕掛けた甲斐があったぜ」

杜が理香子の前に立って見上げる。
理香子は歯噛みをして視線をそらせた。
この子供達は、道場で理香子が熱心に指導を行っている間、こそこそと道場に繋がる自宅に忍び込み、カメラを仕掛けて回っていたのだ。

「・・・卑劣な・・!」

「卑劣?結構じゃねぇか。お前ェらの言う正義だナンかより、卑怯なヤツの方が世の中よっぽど強ェんだよ。オレら子供だけどよ、もう、とっくにそんな事理解してるんだ。夢見る大人と違ってな」

「こんなものは強さではない!断じて・・・」

「試合、やるのかヤらねぇのか、どっちだ!」

「くっ・・・わかった、やる・・」

「ほらな。結局、言うこと聞くんじゃねェかよ、笑わせるぜ」

「師匠・・」

詩音が不安そうな顔で理香子を見上げる。

「詩音、貴女はもう帰れ」

「でも・・」

「頼む、帰ってくれ。また連絡する。・・・この事は、誰にも言わないでくれ」

「・・わかりました」

詩音はそう言うと、後ろ髪を引かれる思いでロッカー室へ向かった。
心臓が早鐘を打つ。

突然の異常事態にも驚いたが、師匠の余りにも女らしい、あのため息が耳を離れなかった。

背後では、声を落としたやり取りが続いているようだが、理香子が帰れと言った以上、そうするしかない。

着替えようかと思ったが早く帰った方が良いだろうし、もしかしたら、此処にもカメラが仕掛けられているかもしれない。

詩音は自分の荷物を抱え、胴着のまま裏口から出て、街灯の下を小走りに家へと向かった。
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