山下町は福楽日和

真山マロウ

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誰しも事情はある

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 八雲さんの話を聞きおえたころには体中の筋肉が凍りついたように、ぴくりとも動けなくなっていた。露ほども気づかなかった、そんな悲劇にみまわれていたなんて。しかも、たった三か月前。七星くんもショックだったらしく表情がかたい。

「わかりました。無理するなと朔に伝えてください」
 ようやく言葉を発することができたかと思ったら、席をたち外にでていく。心もとない足どりが気がかりで、すぐさまあとを追う。
「七星くん!」
 ふり返った蒼白の顔が、晴れやかな午後の日ざしに亡霊みたく浮かびあがる。
「すみません、僕なにも知らなくて。そんなことがあったなんて思ってもみなかったから……」

 瞳が揺らぎ、声もわななく。朔くんの異変を重大視していなかったのを悔やんでいるようだ。動転を自認する七星くんは「朔をよろしくお願いします」とだけ残し、去ろうとする。

「待って。駅まで送るよ」
「……大丈夫です。一人で頭の中を整理したいんで」

 足早に路地をまがるのを、立ちつくして見送る。あんな調子で大丈夫だろうか。無事に帰宅してくれればいいけど。

 念のため連絡先を交換しておけばよかったかも、と後悔しながらヒヅキヤに戻ると、八雲さんは自作おやつに舌鼓のまっ最中だった。シリアス空気が充満しているのに「上手にできてます」と満足げなのは、あっぱれな胆力。かねてよりマイペースだとは思っていたが半端ないな、この人。

 私も座り、飲みかけだったチャイをすする。完全にさめてしまったのが臓腑にしみて、せつなさがつのる。
「七星くん、自分を責めていました。なにも知らなかったのを」

 みずからの思いと重ねあわせて、深くため息をつく。多少の慰めてもらいたい下心。八雲さんは、その期待にナチュラルにこたえてくれた。が、「聞いてなかったんだからしかたないです」だけで終わるとは思ってもみなかった。

 私や七星くんと違って実際に時雨さんと交流があったはずなのに、そうとは思えないくらいさっぱりとしている。血縁者じゃないと、そんなに引きずらないものだろうか。とすると逆に、新たな憂慮が生じる。
「和颯さんは大丈夫なんでしょうか」

 出会ってこのかた疲れたところを見たことはあっても、悲嘆にくれる場面には一度だって遭遇していない。悲しみが強すぎて感情がマヒしているのだろうか。それとも、身近だったからこそ実感がわかなかったりするのか。

「どうでしょう。ああいう人なので表だって落ちこんだりしませんが、あまり大丈夫じゃないかもしれません」
 なにくわぬ顔でもぐもぐ口を動かすあいま、八雲さんは重い話を投下していく。
「和颯さん、時雨さんに育てられたんです。母親は幼いころに亡くなったそうです。父親については詳しいことを知らないみたいです。母子家庭と言っていました」
 想像以上のこみいった内容。これは、私なんかが関わっていい領域じゃない。

「そういえば朔くんの様子どうでしたか」
 不自然に話題をかえる。八雲さんは、それを聞きとがめるでもなく、
「悪くないと思います。七星くんが来たのを伝えたときも、感謝しているようなことを言っていました」

 荒ぶっていた感情の波は、かなり凪いだようだ。そろそろ頃あいだろう。先日の失態と嘘をきちんと謝りたい。

「今日の晩ごはん、私が持っていってもいいですか」
「もちろん。朔も喜びます。僕が行くたびに日和さんのこと尋ねるんです」

 八雲さんが、ちぎりパンの最後のかけらをぱくつく。普段どおり非のうちどころがない笑顔でも、人を拒むときとは違い、朔くんをいたわるように見えたのが……私の気のせいでなければいいなぁ。

 日暮れあたりから雲が広がり、肌にうっすらと湿気を感じる。琥珀色のライトがともるなか、夕食の時間が刻々と近づく。

 和颯さんは今夜も不在。これまでは連日の出歩きを内心あまり好ましく思っていなかったが、おばあさんが亡くなったのを知った今、そんな目で見ていたのが申し訳ない。ここにいれば思い出にさいなまれ、つらかったのかもしれないのに。

 しんみり反省。大きくため息。しかし薄情なことに、食欲を刺激する香りが漂いはじめると、そんな気持ちもかき消されてしまう。

 今夜はアクアパッツァ。お店で食べるものという固定観念だったけれど、よく考えたら家でも作れるものだ。自分では絶対に無理でも。

 この先なにがあろうと、八雲さんの手料理を食べられる生活は維持していきたいな。そのためには、ここに住みつづける必要がある。和颯さんとの交渉は不可欠。どこかに再就職したとしても、朔くんと八雲さんをコンスタントに外出させることができれば、あるいは……。

「日和さん、お願いします」
 ビーズのれん越しの呼びかけに画策ストップ。キッチンに行くと、朔くんのぶんがトレイに用意されていた。毎度の食事は自分たちが食べるより先、朔くんに持っていくようにしている。そのほうが片づけなどの面でも都合がいいし、こちらも時間を気にせず食事ができる。

「気をつけてくださいね。熱いし重いですよ。二階まで僕が持ちましょうか」
「平気です、このくらいなら」

 ずっしり二人分くらいありそうな量でも、甘くみてもらっちゃ困る。親元を離れて暮らし、頼れる友人や彼氏がいないと、なんだって一人でやるしかない。必然、心身ともにタフさが育つ。それよりも、朔くんとの対面のほうが緊張する。追い返されたりしないといいけど。

 不安とトレイをかかえ、裏の鉄骨階段をのぼる。インターホンを鳴らすと、すぐ「開いてる」と応答があった。ノブに手をかけるべくトレイを持ちなおすのにまごついていると、
「なにしてんだよ」

 むこうからドアがひらき、二人して瞠目どうもく。ほぼ同時に、わっと声がでた。数日ぶりの朔くんはこもりっきなだけあって、くたくたのスウェット上下に伸びっぱなしの前髪をクリップでとめておでこ丸だしという、いつものジャージ姿よりもずっと、くつろぎスタイル。

「ごめん、うまくドアあけれなくて」
「……いや、八雲だと思ってたから」

 もごもご口の中で言葉を転がしながらも朔くんは、さりげなくトレイを持ってくれる。しみじみ、めっちゃいい子だ。
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