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山下町ライフはじめました
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きょろきょろ視線をさまよわせつつ反応を待つ。真剣なまなざしは私と真反対、微動だにしない。刻一刻、鼓動が早まる。彼の答えで天秤が傾くことよりも、なにを言われるかが気になって。できれば私の傷つかない範囲内で断ってもらえれば、と願うのは贅沢だろうか。
「なんとなく、ですけど」
ほどよい厚みの唇がひらく。審判がくだされる緊張の瞬間だ。
「大丈夫だと思います。たぶん」
自身の雰囲気と同じく、ふわっとした回答。高まっていた心拍数が、すんと下がる。今しがたの真剣みはなんだったのか。
肩すかしをくったのは、私だけでなく朔くんも。おまけに納得もいっていないようだ。
「そんなわけない、八雲だって人とかかわるの避けてるくせに!」
そうなのだ。彼の言うとおり八雲さんは、どれだ人あたりがよくても一定の距離を保っているのが感じとれるのだ。朔くんみたくストレートに態度にだすのではく、大人な対応ではあれども。
「人づきあいは得意じゃないですが、日和さんは平気です。どうしてでしょうね」
八雲さんは私に目をそそいだまま首をひねり、まもなく「あ!」と声をあげる。
「子どものころ持ってた、タヌキのぬいぐるみに似てます」
ばしーん、と後頭部を叩かれたような衝撃。
タヌ、キ? 私が……?
輪郭をふくめ顔の全パーツが丸っこくて凹凸感がないのは自覚していたけれど、まさかデフォルメされたタヌキだったとは!
予想外のことで茫然とする視界に、和颯さんが入りこむ。
「なるほど。たしかに、かわいげのある顔だ。そういうところも気に入った!」
善良な笑顔でのフォローが『かわいい』でなく『かわいげ』なのは引っかかるが、真摯に頭を垂れられてしまい、それどころじゃなくなる。
「ひよちゃん頼む、このとおり。一年、いや、半年でもいい。どうか俺たちに時間をわけてくれないか」
八雲さんも同じく、つむじが見えるほどにして、「僕からもお願いします。日和さんとなら、うまくやっていけそうな気がします」
こんなふうに頼まれごとをされるのは人生初で、おろおろするばかり。しかも、さらに追いうち、朔くんまでもがプレッシャーをかけてきた。
「和颯と八雲が頭さげてるのに、なんとも思わないのかよ! ケーキ食べたくせに、恩知らず!」
さっきと真逆の主張。とんだ手のひら返しだけれど、自分の気持ちをかなぐり捨てられるほど二人のことが大切なのだろう。
パニックでまっ白になっていく頭の中、おばあちゃんの教えが反響する。大事なのは、正直、誠実、感謝と思いやり。だとするならば、答えは――。
「よ、よろしくお願いします……」
この状況で突っぱねるなんて所業、小心者の私にはできませんでした。
以降は、スムーズにことが運んだ。立役者は和颯さん。一番頭を悩ませていた不用品の処分と引越し業者への依頼を、いともたやすく片づけてくれたのだ。
私の相談を聞いたその日のうち、知りあいの業者さんに話をとおし、見積もりに立ちあい、お友達価格にしてもらえるよう交渉。おまけに、自分のわがままをきいてくれたお礼とお詫びに費用をもつと言いだした。
そこまで甘えてしまうわけにはいかず、どうにか説得して自分で払うことにしたら、なおのこと琴線にふれたらしく、和颯さんはいよいよ私を「気に入った!」と引っ越し当日もがっつり手伝ってくれた。
「ひよちゃん、弘明寺に住んでたんだな。地下鉄できてたのか?」
新居に荷物を運びおえた日の夕食どき。一階のソファー席で、隣に座った和颯さんが話をふってくる。
今夜のメニューは煮込みハンバーグ。トマトベースのソースがじっくりしみて、ひと噛みごとにジューシーな肉汁とまざりあう。これから毎日このクオリティーの食事にありつけるなんて、ここは天国ですかしら。
ごはんタイムは、在宅もしくは体調不良でないかぎり全員集合がルール。朔くんも例外なく、私の斜めに着席している。
初めてまともに対面した彼は、黒いジャージ上下に雪駄。引きこもっているせいか、ルームウェアの延長のようなリラックス度の高い格好をしていた。これまで右目しか知らなかった顔だちは、勝気な目つきを幼さの残る輪郭と鼻口がうまく中和していて、なかなかのもの。
学校でもモテてそうだなぁ、などと下世話なことを考えながら和颯さんに相槌をうつ。
「そうですね、お散歩がてら」
私が山下公園を訪れる際は、弘明寺から関内へ市営地下鉄で一本。もっと最寄りにみなとみらい線の元町・中華街駅があるけれど、横浜で乗りかえて戻ってくることになる。しかも定期の範囲外。関内駅から歩いてしまったほうがお安くすむのだ。
それに道中も、見ごたえのあるところばかり。たとえば横浜スタジアムに隣接する、和を感じさせる我彼公園の池では亀がひなたぼっこをしていたり、季節によってはアメンボやトンボを見ることもできる。
通りをはさんだむかいには中華街。一歩足を踏みいれれば海外旅行気分。飛びかう言語が理解できないのも異国情緒あふれてオツだ。
日本大通りのほうにいけば、開港時を彷彿とさせるレトロな建物が点在。ヨーロッパあたりの小都市を散策しているような錯覚におちいる。
和洋中、新しいもの古いもの、それらが絶妙なバランスで街を構成している。地方都市のベッドタウンで生まれ育った私にとっては、どこもかしこも絵になる、うっとりしてしまう場所だ。
「俺も毎年、あのあたりで花見してるんだ。もしかしたら、すれ違ったことくらいあったかもな」
以前の住まいがあった弘明寺には、弘明寺観音と、そこから地下鉄の駅までのびる商店街が有名だ。その真ん中付近、垂直にまじわる大岡川沿いは桜の名所でもある。
「三人でですか?」
だとしたら気づいていそうなもの。みなさん、こんなにも人目をひくビジュアルなのだから。
「二人は留守番。俺の誘いに応じたためしがない」
「僕らじゃなくても、和颯さんには友達たくさんいるじゃないですか」
八雲さんの横槍。和颯さんは肩をすくめ、忘れかけていた約束事を口にした。
「頼むぞ、ひよちゃん。こいつらに外出の習慣をつけてやってくれ」
そうだった。私には果たすべき使命があったのだった。来年の花見が楽しみだ、と一緒に行く気まんまんの和颯さんを落胆させるのも忍びない。できるかぎり頑張ろうとは思うけど……八雲さんも朔くんも、めちゃくちゃ手強そうなんだよなぁ。
「なんとなく、ですけど」
ほどよい厚みの唇がひらく。審判がくだされる緊張の瞬間だ。
「大丈夫だと思います。たぶん」
自身の雰囲気と同じく、ふわっとした回答。高まっていた心拍数が、すんと下がる。今しがたの真剣みはなんだったのか。
肩すかしをくったのは、私だけでなく朔くんも。おまけに納得もいっていないようだ。
「そんなわけない、八雲だって人とかかわるの避けてるくせに!」
そうなのだ。彼の言うとおり八雲さんは、どれだ人あたりがよくても一定の距離を保っているのが感じとれるのだ。朔くんみたくストレートに態度にだすのではく、大人な対応ではあれども。
「人づきあいは得意じゃないですが、日和さんは平気です。どうしてでしょうね」
八雲さんは私に目をそそいだまま首をひねり、まもなく「あ!」と声をあげる。
「子どものころ持ってた、タヌキのぬいぐるみに似てます」
ばしーん、と後頭部を叩かれたような衝撃。
タヌ、キ? 私が……?
輪郭をふくめ顔の全パーツが丸っこくて凹凸感がないのは自覚していたけれど、まさかデフォルメされたタヌキだったとは!
予想外のことで茫然とする視界に、和颯さんが入りこむ。
「なるほど。たしかに、かわいげのある顔だ。そういうところも気に入った!」
善良な笑顔でのフォローが『かわいい』でなく『かわいげ』なのは引っかかるが、真摯に頭を垂れられてしまい、それどころじゃなくなる。
「ひよちゃん頼む、このとおり。一年、いや、半年でもいい。どうか俺たちに時間をわけてくれないか」
八雲さんも同じく、つむじが見えるほどにして、「僕からもお願いします。日和さんとなら、うまくやっていけそうな気がします」
こんなふうに頼まれごとをされるのは人生初で、おろおろするばかり。しかも、さらに追いうち、朔くんまでもがプレッシャーをかけてきた。
「和颯と八雲が頭さげてるのに、なんとも思わないのかよ! ケーキ食べたくせに、恩知らず!」
さっきと真逆の主張。とんだ手のひら返しだけれど、自分の気持ちをかなぐり捨てられるほど二人のことが大切なのだろう。
パニックでまっ白になっていく頭の中、おばあちゃんの教えが反響する。大事なのは、正直、誠実、感謝と思いやり。だとするならば、答えは――。
「よ、よろしくお願いします……」
この状況で突っぱねるなんて所業、小心者の私にはできませんでした。
以降は、スムーズにことが運んだ。立役者は和颯さん。一番頭を悩ませていた不用品の処分と引越し業者への依頼を、いともたやすく片づけてくれたのだ。
私の相談を聞いたその日のうち、知りあいの業者さんに話をとおし、見積もりに立ちあい、お友達価格にしてもらえるよう交渉。おまけに、自分のわがままをきいてくれたお礼とお詫びに費用をもつと言いだした。
そこまで甘えてしまうわけにはいかず、どうにか説得して自分で払うことにしたら、なおのこと琴線にふれたらしく、和颯さんはいよいよ私を「気に入った!」と引っ越し当日もがっつり手伝ってくれた。
「ひよちゃん、弘明寺に住んでたんだな。地下鉄できてたのか?」
新居に荷物を運びおえた日の夕食どき。一階のソファー席で、隣に座った和颯さんが話をふってくる。
今夜のメニューは煮込みハンバーグ。トマトベースのソースがじっくりしみて、ひと噛みごとにジューシーな肉汁とまざりあう。これから毎日このクオリティーの食事にありつけるなんて、ここは天国ですかしら。
ごはんタイムは、在宅もしくは体調不良でないかぎり全員集合がルール。朔くんも例外なく、私の斜めに着席している。
初めてまともに対面した彼は、黒いジャージ上下に雪駄。引きこもっているせいか、ルームウェアの延長のようなリラックス度の高い格好をしていた。これまで右目しか知らなかった顔だちは、勝気な目つきを幼さの残る輪郭と鼻口がうまく中和していて、なかなかのもの。
学校でもモテてそうだなぁ、などと下世話なことを考えながら和颯さんに相槌をうつ。
「そうですね、お散歩がてら」
私が山下公園を訪れる際は、弘明寺から関内へ市営地下鉄で一本。もっと最寄りにみなとみらい線の元町・中華街駅があるけれど、横浜で乗りかえて戻ってくることになる。しかも定期の範囲外。関内駅から歩いてしまったほうがお安くすむのだ。
それに道中も、見ごたえのあるところばかり。たとえば横浜スタジアムに隣接する、和を感じさせる我彼公園の池では亀がひなたぼっこをしていたり、季節によってはアメンボやトンボを見ることもできる。
通りをはさんだむかいには中華街。一歩足を踏みいれれば海外旅行気分。飛びかう言語が理解できないのも異国情緒あふれてオツだ。
日本大通りのほうにいけば、開港時を彷彿とさせるレトロな建物が点在。ヨーロッパあたりの小都市を散策しているような錯覚におちいる。
和洋中、新しいもの古いもの、それらが絶妙なバランスで街を構成している。地方都市のベッドタウンで生まれ育った私にとっては、どこもかしこも絵になる、うっとりしてしまう場所だ。
「俺も毎年、あのあたりで花見してるんだ。もしかしたら、すれ違ったことくらいあったかもな」
以前の住まいがあった弘明寺には、弘明寺観音と、そこから地下鉄の駅までのびる商店街が有名だ。その真ん中付近、垂直にまじわる大岡川沿いは桜の名所でもある。
「三人でですか?」
だとしたら気づいていそうなもの。みなさん、こんなにも人目をひくビジュアルなのだから。
「二人は留守番。俺の誘いに応じたためしがない」
「僕らじゃなくても、和颯さんには友達たくさんいるじゃないですか」
八雲さんの横槍。和颯さんは肩をすくめ、忘れかけていた約束事を口にした。
「頼むぞ、ひよちゃん。こいつらに外出の習慣をつけてやってくれ」
そうだった。私には果たすべき使命があったのだった。来年の花見が楽しみだ、と一緒に行く気まんまんの和颯さんを落胆させるのも忍びない。できるかぎり頑張ろうとは思うけど……八雲さんも朔くんも、めちゃくちゃ手強そうなんだよなぁ。
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