山下町は福楽日和

真山マロウ

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山下町ライフはじめました

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「おかわりが必要なら言ってくださいね」
 めくるめく多幸感で夢心地になっていると、店員さんがキッチンからお鍋を持ってきた。こっくり赤い鋳物ホーロー。人気ブランドのものだ。
「僕もお腹すいてきました。ご一緒してもいいですか」
「どうぞどうぞ。このケーキめちゃめちゃ美味しいです」
「ありがとうございます。うまくできてよかったです」

 カウンターを挟み、向かいあう。スツールに腰をかけた店員さんは、大口を開けたりなんかもせずお行儀よく召しあがり、必要以上に話しかけたりもしてこない。こんなシチュエーション初めてで変なかんじだけど、なぜか嫌じゃない。異性、とくにお綺麗なかたが相手だと萎縮してしまいがちなのに。

 ちろり、視線を手元から正面に動かす。あらためて近くで見た店員さんは、本当に整った顔をしている。たまご型の輪郭。毛穴が存在するのか疑いたくなるような、つるつるのお肌。そこに形のいい目鼻口が黄金比で収まっているだけじゃなく、立ち居振る舞いにもどことなく品がある。物腰も穏やか。いいとこのご子息だったりするんだろうか。

 がちゃがちゃうるさい私の思考に反して、時間は静かにゆったり流れる。その一番の要因は、店員さん自身に思えた。彼の持つ柔らかな雰囲気。まるでこの紅茶のシフォンケーキみたく、ほんのり甘く、ふわふわの。

 不思議な人だな。しみじみ思っていると、ばちんと目あった。慌ててそらそうとする前に店員さんが微笑。つられて私もへらり。気まずさよりも安心感。やっぱり不思議な人だ。

 で、ピンときた。ここってもしかして、いわゆるアレな場所じゃないだろうか。わけありのお客さんが、いいかんじのお店で美味しいもの食べて、優しげな店員さんに話を聞いてもらって、癒されたり励まされたりで再起するっていう、ほっこり人情系な。

 山下町やましたちょう。裏路地の隠れ家的お店。やたら美形な店員さん。美味なるカフェスイーツ。無職で実家も頼れない私。材料は揃っている。これはもう涙ながらに心情とか吐露っちゃう展開でしょうよ。

 こういうお店ってリアルにあるんだぁ、とミラクルな巡りあわせを神に感謝。さて、それじゃあ話を聞いてもらおうじゃないの、とすっかりその気になったところでキッチンからガタンと大きな音がした。

「少し失礼します。ごゆっくり」
 ばつが悪そうに眉をさげ、店員さんが離席。一人になったところで、さらにシフォンケーキをほおばる。血の気で膨れあがっていた浅慮が噛むごとにしぼんでいく。危なかった。舞いあがって、うっかりいろいろ喋るところだったよ……。

 冷静になって考えてみれば、事情を尋ねられたわけでも、そういうお店って確定したわけでもないのに、ぺらぺらと身の上話をするのはリスクが高い。プライバシー云々もだけど、聞き流されたり自分語り勘弁って対応されたら、確実にメンタルにくる。それこそ再起不能になってしまいそうだ。

 カモミールティーを飲みくだし、細く長く息を吐く。音楽などもかかっていない空間。キッチンのほうで会話しているのが伝わってくる。私以外に誰もいないとはいえ、あからさまに聞き耳をたてるのは気がひける。小声ってことは知られたくない話をしているんだろうし。

 どうにか意識をそらせようと視線をさまよわせていたらカウンター越し、蓋のずれたお鍋が目にはいった。中身はシフォンケーキ。本当にこれでできちゃうんだ。どうやったんだろ。自分で作る気はないけど、レシピちょっと知りたいかも。

 店員さんの戻るのを待たずスマホで調べようとしていたら今度はバンッと、なにかを叩いただか蹴っただかしたような音がした。
「みんなのおやつ、勝手に食べさせやがって!」
 それから、男の子らしき声。たぶん十代半ばくらい。さっきの物音も彼のしわざだろう。今のせりふも、わざと私に聞こえるように荒げたようだ。

「そんなに怒らなくても、まだケーキはあります。それに、そういう言いかたはよくないです」
 続いて、あの店員さんの声。男の子よりは小さめの音量だが、困っている雰囲気ははっきりと感じとれる。

 たしかに、お鍋にはケーキが残っている。が、これはとても居心地わるい。私のせいで少年が怒っているのは間違いないのだ。さっさと食べて、さっさと帰ろう。そう決意したとき、またもや怒号が。
「さっさと追いだせよな!」
 よほど腹にすえかねているんだろう、声のボリュームがどんどん大きくなる。とはいえ、ご安心を。お望みどおり私はさっさとおいとましますんで。

「すみません。気にせず、ゆっくり召しあがってください」
 目の前の塊をがしがし口に放りこんでいると、血相を変えて店員さんが戻ってきた。暴言が聞こえたのを心配し、すっ飛んできたようだ。
「いえ、もうちょいで食べおわりますから」
「だったら、お茶のおかわりを。せっかくだから今度は別のにしましょうか」
「でも……」
「遠慮しないでください。喉つまったら大変ですよ」

 店員さんの目線が、からになったカップに落ちる。シフォンケーキに口内の水分を持っていかれるのを防ごうとすると、どうしても潤す頻度がふえてしまう。つまるところ配分しくじった。先にカモミールティーが尽きたのだ。
 痛恨のミス。これではさっさと帰れない。かといって、ケーキだけで頑張ったら窒息するかもしれない。わりと死活問題。ごめん少年、もうちょい待ってください。
「おかわり、お願いします……」

 キッチンに消える店員さんを見送り、そういえば、と一抹の不安がよぎる。なりゆきまかせにオーダーしてきたけど、お会計どのくらいだ。ケーキとお茶二種なら、ぼったくりじゃないかぎり高額にならないだろうけど、現金払いだったらどうしよう。持ちあわせあったかな。

 こっそりお財布の中身を確認していると、レモングラスとジンジャーの香りをひき連れて店員さんが戻ってきた。
「反抗期というわけではないんですか、どうにも強情というか」
 新しいカップを置きつつ苦くほころんで……って、まさかの流れ。そっちが愚痴ってくんのかい。お客さんのよもやま話をお店の人が聞いてくれるのが、よくある普通の流れだと思っていたのですが。

 けどまあ、考えてみれば絶対そうしなきゃならない決まりもないし、それほどまでに店員さんも悩んでるってことだろう。聞くだけなら私にもできる。どうせ、ほかにすることもない。それに……。
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