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第10話 痛いのは嫌いです
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ペダグラルファ大陸の水の国に召喚されて6日目。
美澪は、東の空がうっすらと白む明け方に叩き起こされた。そして、あっという間に衣服を剥ぎ取られ、バスルームへ押し込まれた。
(さすがメアリー。見事な手さばきだったわ……)
神女になる前は、名門の伯爵令嬢だったというメアリーは、侍女の仕事をそつなくこなしてみせた。
(あたしが『お嬢様みたいに品がある』って言った言葉は間違ってなかったわね……)
そのメアリーはいま、美澪の髪の毛を熱心に洗ってくれている。少しだけ頭を傾けて、メアリーをチラ見すると、やわらかく微笑みかけられた。
「どこか痒いところはございませんか?」
「ううん、大丈夫。とっても気持ちいいよ」
「それはようございました」
美澪は湯船に視線を戻した。
怒涛の3日間の中で、メアリーとの仲は急速に縮まった。いまでは違和感なくタメ口で話すことができる。そしてそれはヴァルも同じだった。
ヴァルのことを心から信用しているわけではないが、ヴァルが美澪に向けるのは好意のみ。もともと押しに弱い美澪はついに気を許してしまったのだった。
美澪は小さく息を吐いて湯をかき混ぜる。
湯船には真紅のバラの花びらが浮かび、その甘く芳醇な香りに、蓄積した疲労と凝り固まった身体がほぐれていく。
美澪はおもむろに両手をお椀状にすると、バラの花弁ごと湯をすくった。手のひらに花弁だけを残し、指の隙間からこぼれていく湯を見ながら、美澪はふと昨夜のことを思い出した。
*
「ついに明日が儀式当日だね」
ヴァルに言われた美澪は、ヘトヘトになった身体をベッドにダイブした時の姿のまま、
「儀式?」
と言って、ヴァルを一瞥した。
美澪の護衛として扉のそば近くに控えていたヴァルは、美澪のそば近くまで移動すると、ベッドの端に腰掛けた。スプリングがぎしりと音を立てベッドが沈む。
美澪は億劫に感じながら上体を起こし、手近なクッションを抱き寄せると、ベッドのヘッドボードに背中を預けた。
「そう、儀式。明後日が結婚式なのにボクたちはまだ神殿にいる。たった数時間で、王都からエクリオの国境をまたぐことが可能だと思う?」
ヴァルの言葉に美澪は目を見開いた。
(そんなこと、考えもしなかった)
美澪が首を横に振ると、ヴァルは「まぁ、忙しすぎて、そんなことを考える余裕もなかったか」と苦笑した。
クッションを抱え直し、肌触りの良いクッションカバーに左頬を当てた美澪は、
「わざわざそんな質問をするってことは、なにか特別な手段があるってことですか?」
と言ってヴァルの横顔を眺めた。ヴァルは「その通り」と、にこりとほほ笑んだ。
「その特別な手段というのが、明日執り行われる『合わせ鏡の儀式』だよ」
「合わせ鏡……?」
キョトンと目を丸くした美澪に、ヴァルは「その顔、かわいいね」と言って、唐突に頭をなでてきた。
自慢の髪をくしゃくしゃにされた美澪は、
「ちょっ、やめてくださいっ」
と言ってヴァルの手から逃れ、ボサボサになった髪を手櫛で整える。
「……鏡と鏡を合わせれば、瞬間移動ができるとかですか?」
不機嫌な顔で言った美澪に、「合わせるのは鏡じゃなくて、泉だけどね」と、次はウィンク攻撃を仕掛けてきた。
美澪は、飛んできたハートを容赦なく手で払い落とし、
「泉って。もしかして、あたしが召喚された?」
と言った。
「そうだよ。ボクたちが再会した、あの聖なる泉のことだよ」と、わざわざセリフを言い直されたが、何も聞かなかったことにして、
「あれって『聖なる泉』って言うんですね」
とクッションから顔を上げた。興味がある分野の話に前のめりになった美澪に、自分の隣へ座るように促したヴァルは、
「あの泉は、水の女神ヴァートゥルナが人間に与えた枯れることのない泉でね。ヒュドゥーテルの民たちには、御神体として崇められているんだ」
ヴァルの隣――といっても2人分の間をあけて――で大人しく耳を傾けていた美澪は、「へぇ~、そうなんだ。水が枯れないなんてすごいですね」と驚いた。
「そのすごい泉はエクリオにも在ってね。あらかじめ決められた日時に、ヴァートゥルナの血とゼスフォティーウの血を捧げることで二国間に道をつなぐことができるんだよ」
「血!?」
急に血生臭くなった話に、美澪は自身を抱きしめた。それを見たヴァルは忍び笑いをして、
「血って言っても数滴だけだよ。だから、そんなに怖がらなくてもだいじょーぶ」
と言った。がしかし、美澪は首を横に振って、断固拒否の姿勢を構えた。
「わざと出血させるんだから、痛いのは痛いでしょう! あたし、痛いの無理なんですけど……」
ヴァルは、本気で怖がる美澪に苦笑して、
「でも、今代のヴァートゥルナの血は、美澪しか捧げられないから耐えてもらわないと。それに、何日も馬車に揺られて、乗り物酔いと全身筋肉痛になるよりは百倍マシでしょ?」
「……うぅ……それはそうですけど……」
「怖いものは怖いんです!」と言って、美澪はシーツにくるまった。そして、ひょこっと顔だけ出すと、
「ねぇ、ヴァル。あたし、貧血になるかも。だから大事をとって、横になった状態で、採血してもらってもいいですか?」
そう真摯に提案してきた美澪に、さすがのヴァルも呆れてしまった様子で。
「……歴代のエフィーリアの中で、そんな提案してきたのは美澪だけだよ……」
と言って、「血を捧げるときは、指先を針で刺して数滴を泉に捧げればいいだけだから。……美澪だけじゃなくて、エクリオの王太子も血を捧げるんだから、が・ん・ば・って!」
「…………はぃ」
「本当に大丈夫かなぁ~」と眉尻を下げたヴァルだったが、
「ま、そういうことで。合わせ鏡の儀式を執り行えば、美澪とボクたちは、この聖なる水脈を通じて、短時間――肉体的には一瞬の感覚――でエクリオに到着できるってこと」
「はい、おしまい!」と手のひらをパン! と合わせたヴァルは、
「じゃあ、痛いのが嫌いな美澪ちゃんは、貧血にならないよう、明日に備えて寝ましょうね~」
と言って、シーツをキレイに整え、室内の明かりを消して、部屋を出ていったのだった。
*
美澪は今日、これから待ち受ける最大の難関を思って、「……寝てる時にやってもらえないかなぁ?」などど、往生際が悪いことを考えていた。
美澪は、東の空がうっすらと白む明け方に叩き起こされた。そして、あっという間に衣服を剥ぎ取られ、バスルームへ押し込まれた。
(さすがメアリー。見事な手さばきだったわ……)
神女になる前は、名門の伯爵令嬢だったというメアリーは、侍女の仕事をそつなくこなしてみせた。
(あたしが『お嬢様みたいに品がある』って言った言葉は間違ってなかったわね……)
そのメアリーはいま、美澪の髪の毛を熱心に洗ってくれている。少しだけ頭を傾けて、メアリーをチラ見すると、やわらかく微笑みかけられた。
「どこか痒いところはございませんか?」
「ううん、大丈夫。とっても気持ちいいよ」
「それはようございました」
美澪は湯船に視線を戻した。
怒涛の3日間の中で、メアリーとの仲は急速に縮まった。いまでは違和感なくタメ口で話すことができる。そしてそれはヴァルも同じだった。
ヴァルのことを心から信用しているわけではないが、ヴァルが美澪に向けるのは好意のみ。もともと押しに弱い美澪はついに気を許してしまったのだった。
美澪は小さく息を吐いて湯をかき混ぜる。
湯船には真紅のバラの花びらが浮かび、その甘く芳醇な香りに、蓄積した疲労と凝り固まった身体がほぐれていく。
美澪はおもむろに両手をお椀状にすると、バラの花弁ごと湯をすくった。手のひらに花弁だけを残し、指の隙間からこぼれていく湯を見ながら、美澪はふと昨夜のことを思い出した。
*
「ついに明日が儀式当日だね」
ヴァルに言われた美澪は、ヘトヘトになった身体をベッドにダイブした時の姿のまま、
「儀式?」
と言って、ヴァルを一瞥した。
美澪の護衛として扉のそば近くに控えていたヴァルは、美澪のそば近くまで移動すると、ベッドの端に腰掛けた。スプリングがぎしりと音を立てベッドが沈む。
美澪は億劫に感じながら上体を起こし、手近なクッションを抱き寄せると、ベッドのヘッドボードに背中を預けた。
「そう、儀式。明後日が結婚式なのにボクたちはまだ神殿にいる。たった数時間で、王都からエクリオの国境をまたぐことが可能だと思う?」
ヴァルの言葉に美澪は目を見開いた。
(そんなこと、考えもしなかった)
美澪が首を横に振ると、ヴァルは「まぁ、忙しすぎて、そんなことを考える余裕もなかったか」と苦笑した。
クッションを抱え直し、肌触りの良いクッションカバーに左頬を当てた美澪は、
「わざわざそんな質問をするってことは、なにか特別な手段があるってことですか?」
と言ってヴァルの横顔を眺めた。ヴァルは「その通り」と、にこりとほほ笑んだ。
「その特別な手段というのが、明日執り行われる『合わせ鏡の儀式』だよ」
「合わせ鏡……?」
キョトンと目を丸くした美澪に、ヴァルは「その顔、かわいいね」と言って、唐突に頭をなでてきた。
自慢の髪をくしゃくしゃにされた美澪は、
「ちょっ、やめてくださいっ」
と言ってヴァルの手から逃れ、ボサボサになった髪を手櫛で整える。
「……鏡と鏡を合わせれば、瞬間移動ができるとかですか?」
不機嫌な顔で言った美澪に、「合わせるのは鏡じゃなくて、泉だけどね」と、次はウィンク攻撃を仕掛けてきた。
美澪は、飛んできたハートを容赦なく手で払い落とし、
「泉って。もしかして、あたしが召喚された?」
と言った。
「そうだよ。ボクたちが再会した、あの聖なる泉のことだよ」と、わざわざセリフを言い直されたが、何も聞かなかったことにして、
「あれって『聖なる泉』って言うんですね」
とクッションから顔を上げた。興味がある分野の話に前のめりになった美澪に、自分の隣へ座るように促したヴァルは、
「あの泉は、水の女神ヴァートゥルナが人間に与えた枯れることのない泉でね。ヒュドゥーテルの民たちには、御神体として崇められているんだ」
ヴァルの隣――といっても2人分の間をあけて――で大人しく耳を傾けていた美澪は、「へぇ~、そうなんだ。水が枯れないなんてすごいですね」と驚いた。
「そのすごい泉はエクリオにも在ってね。あらかじめ決められた日時に、ヴァートゥルナの血とゼスフォティーウの血を捧げることで二国間に道をつなぐことができるんだよ」
「血!?」
急に血生臭くなった話に、美澪は自身を抱きしめた。それを見たヴァルは忍び笑いをして、
「血って言っても数滴だけだよ。だから、そんなに怖がらなくてもだいじょーぶ」
と言った。がしかし、美澪は首を横に振って、断固拒否の姿勢を構えた。
「わざと出血させるんだから、痛いのは痛いでしょう! あたし、痛いの無理なんですけど……」
ヴァルは、本気で怖がる美澪に苦笑して、
「でも、今代のヴァートゥルナの血は、美澪しか捧げられないから耐えてもらわないと。それに、何日も馬車に揺られて、乗り物酔いと全身筋肉痛になるよりは百倍マシでしょ?」
「……うぅ……それはそうですけど……」
「怖いものは怖いんです!」と言って、美澪はシーツにくるまった。そして、ひょこっと顔だけ出すと、
「ねぇ、ヴァル。あたし、貧血になるかも。だから大事をとって、横になった状態で、採血してもらってもいいですか?」
そう真摯に提案してきた美澪に、さすがのヴァルも呆れてしまった様子で。
「……歴代のエフィーリアの中で、そんな提案してきたのは美澪だけだよ……」
と言って、「血を捧げるときは、指先を針で刺して数滴を泉に捧げればいいだけだから。……美澪だけじゃなくて、エクリオの王太子も血を捧げるんだから、が・ん・ば・って!」
「…………はぃ」
「本当に大丈夫かなぁ~」と眉尻を下げたヴァルだったが、
「ま、そういうことで。合わせ鏡の儀式を執り行えば、美澪とボクたちは、この聖なる水脈を通じて、短時間――肉体的には一瞬の感覚――でエクリオに到着できるってこと」
「はい、おしまい!」と手のひらをパン! と合わせたヴァルは、
「じゃあ、痛いのが嫌いな美澪ちゃんは、貧血にならないよう、明日に備えて寝ましょうね~」
と言って、シーツをキレイに整え、室内の明かりを消して、部屋を出ていったのだった。
*
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