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ひとつめの国

2.魔女

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 真っ白な美しい髪に、輝くような青い瞳の、高貴な雰囲気の老婆。彼女は優美で隙のない佇まいで、優しげに微笑んでいた。

「魔女……」

 突然の転移に警戒心を高めていた訳ありは、わたしの言葉で老婆の正体を知る。

「なんだその姿は。ちょっと合わない間に随分老けたな」
「うふふ。歳をとったワタクシはもう魅力的ではなくなった?」
「いや、十分美しいぞ。シワがあってもお前は美人だ」
「まあ!嬉しいわ。アナタも素敵よ」

 傍から見ると恋人同士のような会話だが、わたしと彼女は嘘を言わない。故に、美しいと思えば、照れもなく美しいと言い合う。

「で、も、ヒドイじゃない。薬売りちゃん」
「酷い?なにが酷い」
「彼よ彼!訳ありくんと言ったかしら?いつ私に紹介してくれるのかと、ずっと楽しみに待っていたのに、いつまでたっても来ないんだもの!待ちきれなくて呼んじゃったわよ」

 そう言われて、薬売りはこてんと首を傾げた。森に住むことになったからと言って、住民はわざわざ新人を魔女に挨拶に行かせたり紹介しに行ったりしない。
 そんなことをせずとも、森で暮らすうちに自然に魔女存在を確信し、逆らっては行けないと悟る。
 だから、紹介する必要も、挨拶に行く必要もないのだ。故に、首を傾げた。

「なぜいちいち紹介しなければならない?」
「なぜって!彼はあなたのお婿さんなんでしょう?そんな特別な人を紹介してくれないなんて、薬売りちゃんったら冷たいわ」
「ッ!?」

 ぽかんと固まるわたしの横で、訳ありが珍しいほど分かりやすくうろたえている。
 おそらく、突然わたしのような貧相なモブ女を掴まされそうになって内心穏やかでは無いのだろう。しかし、魔女は圧倒的強者。下手に訂正することもできない。非常に哀れである。
 ちなみに彼は、水浴び中に鉢合わせるまで、わたしのことを男だと思っていたようで、わたしの身体を見てよほどショックだったのか、一目散に走り去って行った。このエピソードからもわかるように、どこがとは言わないが非常に貧相であり、街に行っても未だに坊やと言われる。特に気にしてはいないが、女だと言うと何故か哀れみの目で見られるので、もう訂正しないことにしている。

「魔女。いくら選択肢が少ないとはいえ、訳ありにだって好みはある。わたしの婿だなんて冗談でも可哀想だぞ」
「ええ~!薬売りちゃんの婿になれるなんて幸せに決まってるわ!薬売りちゃんは自覚ないみたいだけど、実はすっごい美少年なんだから」
「いや、美少年は男だろう……」

 わたし達の会話に訳ありがソワソワおろおろしている。思ったより魔女の押しが強く、何も言い返せず、途方に暮れているのだろう。非常に哀れである。

「とにかく、わたしは夫や恋人を作る予定は無いし、変な勘違いはやめてくれ」
「もう、つまらないわぁ……」

 魔女は溜息を吐くとするりと消え、訳ありの背後から瑞々しい腕が肩に回る。

「じゃあ、彼、ワタクシの夫にしてしまおうかしら」

 あまりにもあっさりと背後を取られ、訳ありは全身が凍りつくような恐怖に晒される。何とかその強ばりを振りほどくと、咄嗟にわたしの腕を引いて魔女から距離を取った。

「ふふっやっぱりアナタ……」

 わたしを抱き寄せ、魔女を警戒する訳ありを見て、魔女は愉しそうに笑う。
 先程まで老婆の姿をしていた彼女は、妖艶な体つきの若々しい美女に変わっていて、白く輝く美しい髪が、動く度にさらりと流れる。
 余程怖かったのか、わたしにしがみついて少し震えている訳ありの腕を、ぽんぽんと軽く叩いてやった。

「大丈夫、怖くない」
「薬売り……」

 あやされたのが恥ずかしかったのか、少し赤らんだ顔を隠すように、訳ありはさらに腕に力を込め、頭を肩に押し付けた。
 そんな彼を情けないとは思わない。誰だって絶対的強者は怖いものだ。怖くない者がいるなら、それはどこかが壊れている。わたしだって魔女と初めて会った時は怖かった。それ以上に美しさに見蕩れたが。

「魔女、あまりからかってやるな」
「ハァーイ。ま、ワタクシ優しいから、今日はこのくらいにしてあげる」
「ハイハイ、魔女は優しくて美人だよ」

 お世辞でなく、魔女は美しい。何度見ても、目を奪われるほどに、強烈な魅力がある。白くきめ細やかな肌に、真っ白な長い髪。理想的なバランスの妖艶な肢体とぽってりした紅い唇。そして、どんな宝石よりも美しい、青く、どこまでも青く燃える星の瞳。その奥から僅かに覗く、魂の輝き。
 わたしは、彼女より美しいものを見たことがない。その美貌に思わず見蕩れていると、突然、訳ありに頬を引っ張られる。

「なんら?わへあり」
「……別に」

 何故か訳ありは急に不機嫌になり、ぺいっとわたしを放り出した。さっきまでべそかいてしがみついていたくせに。解せない。

「あら、ワタクシに妬くなんて千年は早くてよ?」
「何の話だ?わたしは魔女に嫉妬したことはないぞ」
「うふ、知ってるわ。アナタのそんなところが好きよ」
「それはどうも」

 どうも魔女と話していると口説きあいのようになってしまう。全く、魔性の美女とは罪なものだ。気づけば賞賛の言葉が口をついて出てしまうのだから。

「そうだ。魔女はもう知っているだろうが、旅に出ることにした。五十年程で帰ってくる予定だ」
「五十年ならほんのひと時ね。お土産、楽しみにしているわ。新しいお菓子なんかだと嬉しいわね」
「いいのがあったらね」

 二人でくすくすと笑い合う。

「どこか行ってみたい所はあるの?」
「ああ、とりあえずは海の向こうの大陸にある秘境を目指すよ」
「そう……まあ、あなた達なら大丈夫でしょう…」

 それは以前、魔女から聞いて一度行ってみたいと思っていた所だ。三つの国と海を越えた先にあるもう一つの大陸。そこには手つかずの自然が広がる秘境と呼ばれる場所があり、そこにしかない独自の生態系が確立しているらしい。

「お土産はついででいいから、楽しんでいらっしゃい」
「ああ。じゃあ、またな」
「ええ、また。訳ありくんも狼くんも、薬売りちゃんのことよろしくね」
「ワフン!」
「言われるまでもない」
「ふふっ。全く天邪鬼ね」

 魔女の優しい笑い声を聞いていると、いつの間にか診療所の執務室に戻っていた。時刻はもうすっかりお昼時だ。

「どこかで昼食を食べてから、挨拶に行くか」
「うん」
「ワフッ」

 そんなことを話しながら診療所を出た途端。

「薬売りさん!今までありがとう!!」

 通りにいた人々が声を揃えてそう言った。よく見ると通り全体にテーブルが並べられ、作りたての料理がどんどん並べられていく。

「薬売りさん!今まで本当に世話になったな!」
「急ごしらえだけど、送別会を用意したからさ。好きなだけ食べて行っておくれ」
「つってもあるのは料理と酒ぐらいだけどな」
「なら俺が楽器でも弾こうか」
「じゃあわたしは歌うわ」
「剣舞なら少しできるぞ」
「いやいや、お前ら合わせられるのか?」
「ハハハッ!細けーことはいいじゃねえか!思い思いに楽しめばよ!」

 集落の人達がわらわらと集まってきて、我先にと言いたいことを言っていく。そのままわたし達は両脇を固められ、あれよあれよと主賓席に座らされた。するとアダルジーザがニヤニヤと近付いてきて、取り分けられた山盛りの料理を机に置いた。

「旅に出ることみんなに伝えたら、送別会したいって。愛されてるわね」
「はは、ありがたいね」
「ほら、料理取ってきてあげたわよ。たんとお食べ」
「いやぁ、こんなに食べられるかな」
「余裕余裕」

 何故か大幅に大きく見積もられている自分の胃袋を心配しつつ、いざとなったら狼の影に保存してちょっとずつ食べようと決心し、料理を食べ始める。

「おお。美味い」

 料理上手の奥様方が腕を奮った料理は非常に美味だった。訳ありの料理もプロ顔負けに美味いが、こちらは家庭の味という感じでなんだかホッとする。

「たまにはこういうのもいいな」

 大勢の女性に囲まれながらも一心不乱に食べ続ける訳ありと、子供たちに手ずから料理を食べさせてもらっている狼を横目に、代わり代わりにやってくる住民達と思い出話に花を咲かせた。

「あの時アイツ毒キノコに当たってさぁ」
「ああ、あったな」
「そんで薬売りさんのおかげで治ったと思ったら、腹が減りすぎて近くにあったキノコを食べちまって、そいつがまた毒キノコでさあ」
「あはは、あれは焦ったなぁ。毒が混じりあって、解毒が大変だった」
「それ以来アイツは大のキノコ嫌いになっちまったよ」
「その方が安心だ」
「ハハハッ!違ぇねえ」

 失敗談や苦労話、どれも今では笑い話だ。とりとめのない、くだらない話を言い合い、料理を食べ、楽器の音や歌声に耳を傾け、思い思いに踊る人々を眺めた。
 わたしがこの集落にいた時間は短く、ほとんど一人で生きてきたつもりでいたが、いつの間にかこんなにも、ここに馴染んでいたようだ。
 五十年後。ここにいる人のどれだけと生きて再会できるだろう。人間の寿命はそう長くないし、長命なエルフやドワーフとて、病や怪我で急死しないとは限らない。いったいどれだけの人がわたしを覚えていてくれるだろうか。そう思うと、この暖かな光景を手放すのが少し惜しい。
 けれど、決意は変わらない。ならば、できるだけ彼らのことを長く思い出せるよう、しっかりとこの目に焼き付けよう。
 前髪の隙間から、わたしはじっと目を凝らした。
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