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第一章
第五話
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千鶴は自室に戻らず、診察室で父が行っていた診察具の消毒の続きを行う。
急ぎの仕事ではないが、今は何か手を動かしておきたかった。
作業に没頭しながらも頭をよぎるのは、先ほど父が見せた顔。
いつも優しく、笑顔を絶やさない父のつらそうな表情。
その顔の意味を考えながら、千鶴が作業を続けていると、玄関先で音がした。
土を強く踏みしめたような音。
窓から玄関の方を見ると、南山の車が表につけられたところだった。
今しがたの音は車の停止音だろう。
――そういえば・・・
父の様子があからさまに変わったのは、南山の名前を聞いてから。
千鶴は診察室を飛び出し、玄関へと向かった。
*
運転手が開けたドアから、今にも車に乗り込もうとする南山を、千鶴は遠くから声を張り上げ、呼び止める。
「南山様」
南山はその声に振り返る。
千鶴の姿を見とがめると、車に乗り込むのをやめ、駆けてくる千鶴を待っていてくれた。
千鶴が南山の元につくと、南山は千鶴の息が整うのを待って、どうしたのか、と尋ねる。
「お忙しいところをお止めして申し訳ございません。
いきなりで大変恐れ入りますが、父と何の話をなさったのでしょうか」
予想だにしなかった千鶴の言葉に、南山は驚いた表情を浮かべる。
それにもかまわず、千鶴は矢継ぎ早に告げる。
「失礼を承知で申し上げます。
いつも柔和な表情を浮かべております父が、南山様がこちらにいらしたときから、とても苦しそうな顔をしております。
一体、南山様はどういったご用件で、本日こちらをお尋ねになられたのでしょうか」
南山は千鶴の言葉に少し眉間にしわを寄せながら、難しい顔をする。
怒っているのではない、何かを考えているような表情だ。
そのまま下を向き、黙る南山に千鶴はなおも続ける。
「父と南山様の個人的な事情で、娘の私には関係のない話かもしれません。
それでも私は、父があのような表情を浮かべていることが心配なのです」
父を想う娘のまっすぐな言葉。
南山も思わず声を漏らす。
「いや、君に関係ないことではないが」
「では、なおのこと教えていただけませんか」
迫る千鶴に、南山が顔を上げると、千鶴の真剣なまなざしと交わる。
一切濁りのない透明な瞳は、口を噤むことを許さないとばかりに訴えかけていた。
大の大人である南山もたじろぎそうなほど強い目だ。
それに元来の目的で言えば、南山は千鶴に関わる話で西野にお願いに来た。
本人に話さない理由はない。
ただ、父親である西野に断られたので、持ち帰ろうと思っていたところだった。
南山は西野に対する後ろめたい気持ちを抱えながらも、千鶴の直と己を見つめる眼には逆らえず、ここを訪れた用向きを語り始めた。
急ぎの仕事ではないが、今は何か手を動かしておきたかった。
作業に没頭しながらも頭をよぎるのは、先ほど父が見せた顔。
いつも優しく、笑顔を絶やさない父のつらそうな表情。
その顔の意味を考えながら、千鶴が作業を続けていると、玄関先で音がした。
土を強く踏みしめたような音。
窓から玄関の方を見ると、南山の車が表につけられたところだった。
今しがたの音は車の停止音だろう。
――そういえば・・・
父の様子があからさまに変わったのは、南山の名前を聞いてから。
千鶴は診察室を飛び出し、玄関へと向かった。
*
運転手が開けたドアから、今にも車に乗り込もうとする南山を、千鶴は遠くから声を張り上げ、呼び止める。
「南山様」
南山はその声に振り返る。
千鶴の姿を見とがめると、車に乗り込むのをやめ、駆けてくる千鶴を待っていてくれた。
千鶴が南山の元につくと、南山は千鶴の息が整うのを待って、どうしたのか、と尋ねる。
「お忙しいところをお止めして申し訳ございません。
いきなりで大変恐れ入りますが、父と何の話をなさったのでしょうか」
予想だにしなかった千鶴の言葉に、南山は驚いた表情を浮かべる。
それにもかまわず、千鶴は矢継ぎ早に告げる。
「失礼を承知で申し上げます。
いつも柔和な表情を浮かべております父が、南山様がこちらにいらしたときから、とても苦しそうな顔をしております。
一体、南山様はどういったご用件で、本日こちらをお尋ねになられたのでしょうか」
南山は千鶴の言葉に少し眉間にしわを寄せながら、難しい顔をする。
怒っているのではない、何かを考えているような表情だ。
そのまま下を向き、黙る南山に千鶴はなおも続ける。
「父と南山様の個人的な事情で、娘の私には関係のない話かもしれません。
それでも私は、父があのような表情を浮かべていることが心配なのです」
父を想う娘のまっすぐな言葉。
南山も思わず声を漏らす。
「いや、君に関係ないことではないが」
「では、なおのこと教えていただけませんか」
迫る千鶴に、南山が顔を上げると、千鶴の真剣なまなざしと交わる。
一切濁りのない透明な瞳は、口を噤むことを許さないとばかりに訴えかけていた。
大の大人である南山もたじろぎそうなほど強い目だ。
それに元来の目的で言えば、南山は千鶴に関わる話で西野にお願いに来た。
本人に話さない理由はない。
ただ、父親である西野に断られたので、持ち帰ろうと思っていたところだった。
南山は西野に対する後ろめたい気持ちを抱えながらも、千鶴の直と己を見つめる眼には逆らえず、ここを訪れた用向きを語り始めた。
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