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その男、天才につき
①
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額に冷たい金属の感触がした。後頭部から鈍い痛みが発せられると、頭上からこんな声が降りかかってきた。
「そろそろ起きてよ、刑事さん」
はっとして目を見開けば、世間でもてはやされそうな顔立ちの男がいた。年の頃は二十代半ば位か、やけに可愛らしい顔をしているが、なぜか右目だけが灰色である。
「夢中になると寝るのも忘れるから、爆睡してもらって助かったけど、さすがに寝すぎでしょ」
そう言って男は笑うが、彼の右手に握られているものは人の命を奪う金属の塊、つまり拳銃だった。桜井は慌てて飛び起きたが、後頭部の鈍い痛みは相変わらずだった。
「どう、目が覚めた?」
「ああ」
ベッドしかない狭い部屋。大きな窓にレースのカーテンがかけられているが、照明は蛍光灯の光のみであることからして、既に夜となっているようだ。
「まずは自己紹介ね。僕はマキ、ハナムラの始末屋だよ」
「始末屋ってまさか」
マキは自信たっぷりに笑った後、銃口を下げた。
「そう、殺し屋だよ」
情報屋だといったレイという男同様、全身からピリピリとした空気を発している。ふたりが桜井に気を許していないことは明らかだった。
「刑事さんの自己紹介はいらないから。全部知ってるし」
「だったら、今すぐ殺せ」
レイに踊らされ、弾丸の入っていない拳銃の引き金を弾いた。理由はどうあれ、桜井はレイを殺害しようとしたのだから。
「刑事さんをバラすのは僕の仕事だけど、それは今じゃないんだよね」
桜井の後頭部を殴打したのはこのマキという男だろう。倒れた後、ふたりで何か話していたことは記憶にあった。
「人にはそれぞれ役回りってものがあるんだ。刑事さんはね、まず切り裂きジャック事件の犯人と対面しなくちゃならない」
「何回言わせんだ、おまえらなんかと捜査はやらねえ。さっさと殺せ」
どちらにせよ、殺されるのだ。得体の知れない奴らの駒にされるのなら、今ここで死んだ方がマシである。
「それとも殺し屋っていうのは名ばかりで、その拳銃の弾もBB弾とかいうオチか」
BB弾とはモデルガンで使用する弾丸のことである。主にサバイバルゲームなどで使用されることが多い。マキの右手に握られている拳銃は、オーストリアの銃器メーカーグロック社のもので、モデルガンとしても世に出ているものだった。
「刑事ってさあ、みんな死にたがりなの?」
マキは大きく息を吐き出すと、哀れむように桜井を見た後、再び銃口を向けた。
「コウのときは我慢したけど、今度は何も言われてないし、何より刑事さん、レイを殺そうとしたじゃん」
のらりくらりと話しながらも、マキの醸し出す空気がガラリと変わった。
「そんなに死にたいなら、望み通りにしてあげる」
クスクスと笑いながら、マキは引き金に指をかけた。グロックには手動の安全装置がなく、引き金に指をかけさえすれば解除となるトリガーセーフティを採用としている。どうやら本気で桜井を殺すつもりらしい。
「そこまでだ」
ピンとした空気が弾ける瞬間、扉が開かれ、初対面のときと変わりない黒いスーツを着たレイが現れた。
「起こしてこいとは言ったが、バラせとは言ってないぞ」
「だって、殺せ殺せってうるさいんだもん」
レイが入ってきた途端、マキは空気を一変させた。彼が銃口を下げると、桜井は安堵の息をついた。
「適当に流せよ。悪かったな、刑事さん。お詫びに夕食を奢る」
「いらねえ」
「朝から何も食ってねえだろ。俺も昨日から食ってなくて腹が減ってんだ、付き合え」
「ちょっと、寝てないだけじゃなく、食事も取ってなかったの、ダメじゃん!」
レイと桜井の会話に、マキが割って入る。彼はレイをひどく心配しているようだ。
「おまえに言われたくねえよ。マキは留守番な」
「えー!? レイひとりじゃ心配だよ」
「暇人に見張らせるように依頼してある」
「もう、また僕を仲間外れにするー!」
そう言って、マキはリスのように両頬を膨らませた。桜井に銃口を向けたときは別人である。
「俺の見てないところでバラそうとした罰だ。ついてくんなよ」
マキの膨れっ面は更に増した。まるで幼い子供のようだった。
「ちゃんと謝れ。今回はおまえが悪い」
慣れているのか気に止めることもなく、レイは扉を開けたまま、部屋を出て行った。
「ごめんなさい、刑事さん」
不服そうにしながらも、マキはそう言って頭を下げた。
「いや、殺せっていったの、俺の方だから。喧嘩させて悪かったな」
よくよく考えてみれば、桜井の行動も大人げなかった。今更ながら反省し、桜井も頭を下げた。
「コウが言った通りだ」
クスリと笑う声に反応して、頭を上げれば、マキが笑っていた。
「そんなことで謝らなくていいのに」
柳がマキに何を言ったのか気になったが、ここで彼の名を出すのは躊躇われた。
「刑事さん、レイのこと、ちゃんと見ててよね」
マキはすぐ厳しい顔つきになっていた。何か思うことがあるらしかった。
「さっきまでと態度が違う。刑事さんには死なれちゃ困るって感じだった」
余程殺したいのか、結構な言われ具合である。しかも、本人を目の前にしてだ。
「今朝会ったばかりだから、あいつのことはわかんねえよ」
そう言って、桜井は立ち上がる。食欲なんてないのだが、断っても聞き入れてくれそうにないだろう。
「僕らより事件のこと知ってるじゃん。昨日まで捜査してたんだし」
「そりゃあ、まあ、確かに」
「レイのことだから、犯人の目星はついてるはずなんだよ。刑事さんとは、その答え合わせをするだけだって言ってたのに」
「犯人がわかったって、そんなわけねえだろ」
捜査員達は寝食を削って手掛かりをひとつひとつ当たっている。それなのに、得体の知れない人間が既に辿り着いているなんて。
「レイに解けない謎なんてないよ。あいつは天才だからね」
そういえば今朝、柳も同じようなことを言っていた。
「それほどの天才が、なぜこんなところにいる?」
「そうしなければ、生きられなかったから」
そう言うと、マキは少しだけ寂しそうな顔になった。
「そろそろ起きてよ、刑事さん」
はっとして目を見開けば、世間でもてはやされそうな顔立ちの男がいた。年の頃は二十代半ば位か、やけに可愛らしい顔をしているが、なぜか右目だけが灰色である。
「夢中になると寝るのも忘れるから、爆睡してもらって助かったけど、さすがに寝すぎでしょ」
そう言って男は笑うが、彼の右手に握られているものは人の命を奪う金属の塊、つまり拳銃だった。桜井は慌てて飛び起きたが、後頭部の鈍い痛みは相変わらずだった。
「どう、目が覚めた?」
「ああ」
ベッドしかない狭い部屋。大きな窓にレースのカーテンがかけられているが、照明は蛍光灯の光のみであることからして、既に夜となっているようだ。
「まずは自己紹介ね。僕はマキ、ハナムラの始末屋だよ」
「始末屋ってまさか」
マキは自信たっぷりに笑った後、銃口を下げた。
「そう、殺し屋だよ」
情報屋だといったレイという男同様、全身からピリピリとした空気を発している。ふたりが桜井に気を許していないことは明らかだった。
「刑事さんの自己紹介はいらないから。全部知ってるし」
「だったら、今すぐ殺せ」
レイに踊らされ、弾丸の入っていない拳銃の引き金を弾いた。理由はどうあれ、桜井はレイを殺害しようとしたのだから。
「刑事さんをバラすのは僕の仕事だけど、それは今じゃないんだよね」
桜井の後頭部を殴打したのはこのマキという男だろう。倒れた後、ふたりで何か話していたことは記憶にあった。
「人にはそれぞれ役回りってものがあるんだ。刑事さんはね、まず切り裂きジャック事件の犯人と対面しなくちゃならない」
「何回言わせんだ、おまえらなんかと捜査はやらねえ。さっさと殺せ」
どちらにせよ、殺されるのだ。得体の知れない奴らの駒にされるのなら、今ここで死んだ方がマシである。
「それとも殺し屋っていうのは名ばかりで、その拳銃の弾もBB弾とかいうオチか」
BB弾とはモデルガンで使用する弾丸のことである。主にサバイバルゲームなどで使用されることが多い。マキの右手に握られている拳銃は、オーストリアの銃器メーカーグロック社のもので、モデルガンとしても世に出ているものだった。
「刑事ってさあ、みんな死にたがりなの?」
マキは大きく息を吐き出すと、哀れむように桜井を見た後、再び銃口を向けた。
「コウのときは我慢したけど、今度は何も言われてないし、何より刑事さん、レイを殺そうとしたじゃん」
のらりくらりと話しながらも、マキの醸し出す空気がガラリと変わった。
「そんなに死にたいなら、望み通りにしてあげる」
クスクスと笑いながら、マキは引き金に指をかけた。グロックには手動の安全装置がなく、引き金に指をかけさえすれば解除となるトリガーセーフティを採用としている。どうやら本気で桜井を殺すつもりらしい。
「そこまでだ」
ピンとした空気が弾ける瞬間、扉が開かれ、初対面のときと変わりない黒いスーツを着たレイが現れた。
「起こしてこいとは言ったが、バラせとは言ってないぞ」
「だって、殺せ殺せってうるさいんだもん」
レイが入ってきた途端、マキは空気を一変させた。彼が銃口を下げると、桜井は安堵の息をついた。
「適当に流せよ。悪かったな、刑事さん。お詫びに夕食を奢る」
「いらねえ」
「朝から何も食ってねえだろ。俺も昨日から食ってなくて腹が減ってんだ、付き合え」
「ちょっと、寝てないだけじゃなく、食事も取ってなかったの、ダメじゃん!」
レイと桜井の会話に、マキが割って入る。彼はレイをひどく心配しているようだ。
「おまえに言われたくねえよ。マキは留守番な」
「えー!? レイひとりじゃ心配だよ」
「暇人に見張らせるように依頼してある」
「もう、また僕を仲間外れにするー!」
そう言って、マキはリスのように両頬を膨らませた。桜井に銃口を向けたときは別人である。
「俺の見てないところでバラそうとした罰だ。ついてくんなよ」
マキの膨れっ面は更に増した。まるで幼い子供のようだった。
「ちゃんと謝れ。今回はおまえが悪い」
慣れているのか気に止めることもなく、レイは扉を開けたまま、部屋を出て行った。
「ごめんなさい、刑事さん」
不服そうにしながらも、マキはそう言って頭を下げた。
「いや、殺せっていったの、俺の方だから。喧嘩させて悪かったな」
よくよく考えてみれば、桜井の行動も大人げなかった。今更ながら反省し、桜井も頭を下げた。
「コウが言った通りだ」
クスリと笑う声に反応して、頭を上げれば、マキが笑っていた。
「そんなことで謝らなくていいのに」
柳がマキに何を言ったのか気になったが、ここで彼の名を出すのは躊躇われた。
「刑事さん、レイのこと、ちゃんと見ててよね」
マキはすぐ厳しい顔つきになっていた。何か思うことがあるらしかった。
「さっきまでと態度が違う。刑事さんには死なれちゃ困るって感じだった」
余程殺したいのか、結構な言われ具合である。しかも、本人を目の前にしてだ。
「今朝会ったばかりだから、あいつのことはわかんねえよ」
そう言って、桜井は立ち上がる。食欲なんてないのだが、断っても聞き入れてくれそうにないだろう。
「僕らより事件のこと知ってるじゃん。昨日まで捜査してたんだし」
「そりゃあ、まあ、確かに」
「レイのことだから、犯人の目星はついてるはずなんだよ。刑事さんとは、その答え合わせをするだけだって言ってたのに」
「犯人がわかったって、そんなわけねえだろ」
捜査員達は寝食を削って手掛かりをひとつひとつ当たっている。それなのに、得体の知れない人間が既に辿り着いているなんて。
「レイに解けない謎なんてないよ。あいつは天才だからね」
そういえば今朝、柳も同じようなことを言っていた。
「それほどの天才が、なぜこんなところにいる?」
「そうしなければ、生きられなかったから」
そう言うと、マキは少しだけ寂しそうな顔になった。
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