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少年が生きる場所

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 日本へ来て二週間、ハナムラを迎えに行くため、ケイはアカネと共に再び成田空港へやってきた。

「俺は、これからどうなるんだ?」
 先のことは知らされていなかったし、アカネも何も言わなかった。
「私とこのまま暮らすか、ハナムラさんのところへ行くか。あなたが決めていいのよ」
「俺が?」
「ハナムラさんとは話がついているの。ドイツでのことを忘れてもらうために、敢えて何も言わなかっただけで」
 当初は父からもらった左手用の拳銃を返してもらうことしか考えていなかったが、今はあまり重要性を感じなくなっていた。
「本当に、俺が決めていいのか?」
 拳銃を手にして闇の世界へ戻るのか、アカネと共にこの光の中で生きるのか。
「そうよ。あなたはKじゃなく、ケイなんだから」
 ケイはもうコードネームではなく、名前だった。
「シラサカアカネさん、お久しぶりです」
 そのとき、アカネの姿を見つけて、ひとりの男が駆け寄ってきた。
「ヤスオカさん、あなたもいらしていたんですね」
「ハナムラに呼ばれましてね」
 ヤスオカと呼ばれた男は、アカネの隣にいたケイに視線をやると、すぐに微笑んだ。
「ケイ君、だね。初めまして、ヤスオカといいます」
 ハナムラに呼ばれたというのだから親しい間柄なのだろうが、彼とは正反対の見た目で温和そうな男であった。挨拶された以上、何もしないわけにはいかず、ケイはぎこちなく頭を下げた後、アカネに聞いた。
「この人、ハナムラの知り合いなのか?」
「ケイ、ちゃんとハナムラさんって呼ばなきゃダメ」
「かまいませんよ、そんなことを気にする奴ではありませんから」
 ヤスオカが言うように、ドイツでケイが横柄な態度を取っても、ハナムラは気にすることなく、むしろ抑えつけてきたぐらいだった。
「この様子だと、賭けはあなたの勝ちですね」
「賭け?」
 ヤスオカの言葉を受け、ケイはアカネを不安そうに見つめた。
「乱暴な言い方をしてすまないね。ハナムラのところか、シラサカさんのところへ行くか。君の意思に任せようという話になっていただけだよ。シラサカさんと日本で生活するには、君の戸籍が必要となる。その辺りの手続きは私が担当することになっているから」
「コセキ?」
「ドイツでいうところの家族簿だよ。君の名前はシラサカケイでいいよね」
 ケイはこくりと頷いた。
 これからはシラサカケイという名前で日本で生きるのだ、アカネと一緒に。
「ケイ、もう拳銃なんて持たなくていいの。あなたは……!?」
 そのとき、背後から男が近づいてきて、アカネに派手にぶつかった。
 余程強い衝撃だったのか、アカネは言葉に詰まる。まもなく男は逃げるように去っていった。
「なんだ、あいつ、謝りもしないなんて」
 ケイが文句を言った途端、アカネの体がぐらりと揺れ、その場に崩れ落ちた。
「大丈夫か、アカネ?」
 駆け寄って体を起こそうとすれば、ケイの手にぬるりとした感触が満ちる。それがなんであるか、ケイはよく知っていた。
「おい、アカネ、しっかりしろ!?」
 ケイはアカネの体を支え、必死に呼びかける。溢れ出る血液が止まらず、真っ青な顔色のアカネは、苦しげな息でこんな言葉を漏らした。
「大好きよ、ケイ。あなたは、生きて……」
 すぐさま目は閉じられ、呼吸が弱くなっていく。
「何言ってやがる、しっかりしろ! おい、あんた、早く病院に──」
 側にいるヤスオカに言ったつもりが、いつのまにか見知らぬ男達に囲まれていた。呼びかけたヤスオカは、連絡しようとして取り出したらしい携帯を取り上げられ、両手を挙げていた。

【捜したよ、エーデルシュタインのK。まさか日本に潜伏していたとは】
 サングラスをかけたスーツ姿の男は、ケイの正面から銃口を突きつけ、ドイツ語を話した。
 エーデルシュタインのKと言ったことからして、事情を知っている人間だろう。GSG-9か、それともエーデルシュタインの幹部か。
【グスタフともあろう者が、息子可愛さに命を差し出すとは。所詮はGSG-9、ドイツ警察の人間ということか】
 父の死を意味する言葉を聞いて、ケイは愕然とした。話からして、男はエーデルシュタインの関係者のようだった。
【エーデルシュタインを知る者は皆、闇に葬る】
【俺を殺したければ好きにしろ、だが、アカネとこいつは関係ない!】
【女はもたない。こいつもここで殺す。そしてK、おまえもだ!】
 更に別の男がヤスオカの側頭部に銃口を突きつけた。
 この光景を見た者が声を上げ、周囲が騒然としたとき、派手に窓ガラスが割れる音がした。気を取られているうちに、どこからともなく白煙が噴き出した。
【なんだ、この煙は!?】
 誰かが発煙筒を投げたようだ。煙が立ち込める中、黒いスーツを着た男がケイからアカネを奪い取った。
【おい、アカネを返せ!?】
 ドイツ語で叫んだ途端、ケイの右手にずしりと重い感触がのしかかった。

「こいつらを片づけるのが先だ」
 ハナムラの声だった。ケイの手の中にあるものは冷たい金属の塊、拳銃だった。
「出来ないとは言わせないぞ、さっさとやれ」
 確かにこの状況では彼らを始末するしかないだろう。ケイは感覚だけで気配を察知し、何人かに銃口を向けて引き金を弾いた。
 呻き声はしたが、銃声はしない。サイレンサーが装着してあったようだ。
「後始末はこちらでする。ヤスオカ、そいつを連れて走れ」
「ケイ君、銃を仕舞って、走るよ!」
 ヤスオカの声がして、まもなくケイの腕を引っ張り、駆け出す。
 煙に躊躇する人々の間をすり抜けるように走って、煙が晴れた場所までたどり着いた。
「アカネは!?」
「ああなる前に保護している。こっちだ」
 人々は煙にまみれた空港内の様子に騒然としており、ヤスオカとケイが現場から逃げてきたことに気づいていない。
 ターミナル近くの駐車場まで更に走って、全面スモークフィルムが貼られた黒のワゴン車の前で立ち止まる。ヤスオカが後部座席の扉を開ければ、先程アカネを抱えて逃げた男の姿があった。
「彼は敵じゃないよ」
 咄嗟に拳銃を構えようとしたケイの前に、ヤスオカが立ちはだかった。
「どうだ?」
「残念ですが、間に合いませんでした」
 ヤスオカの問いかけに男は冷静に答えると、車を降りて場所を譲った。ケイはすぐアカネの側に駆け寄った。
「アカネ、おい、アカネ!?」
 目を閉じられたままで、アカネは息をしていなかった。
「嘘だろ、目開けろよ、アカネ!?」
 もう二度と頭を撫でられることもなければ、ケイと優しく呼ばれることもない。
「側にいるって、いったくせに、なんでいなくなるんだよ!?」
 溢れ出る涙を拭うこともせず、ケイは亡骸にすがって泣き続けた。
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