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本当の名前を忘れた男

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 生まれはドイツ。髪の毛が黒いのは母に日本人の血が流れているからで、それ以外は父に似たらしい。
 十五年前は「K」と呼ばれていた。勿論それは本名ではない。本名がなんだったのか思い出せなくなったが、名前は人を識別するだけの記号のようなものなので、何の問題もない。

(Kって素敵な響きよね。でも、ここは日本だから、あなたのことはケイって呼ぶわ)

 日本に来て、Kはケイになった。シラサカアカネという女性との出会いによって、ケイはそれまでとは違う感情を持つようになった。

(大好きよ、ケイ。あなたは、生きて……)

 そして新しい名前、シラサカを手にして、歩み出す。

【僕、待ってるから、Kのこと、ずっと待ってるからね!】

 そういえば、自分がKであった頃、兄のように慕ってくれた仲間がいた。Kもまた彼を弟のように思っていた。

 どうしてっかな、あいつ。

 ずっと忘れていたのに、なぜ思い出したのだろう。

「……さん、起きて、時間だよ」

 そうか、似ているんだ、あいつに。

「ねえ、サカさんってば!?」

 目を開けると、同居人であり、右目だけが灰色という少年マキが不服そうに頬を膨らませていた。
「うん、やっぱ似てる」
「なに寝ぼけてんのさ、時間だよ」
 シラサカは大きな欠伸をして、ゆっくりと起き上がった。
「早く支度してよね。今日は久しぶりにレイと会える日なんだから」
 シラサカが目を覚ましたことで満足したのか、マキは鼻歌混じりで部屋を後にする。高校三年だというのに、最近は年を追うごとに幼さが増していくような気がした。

 それだけ、気を許してもらってるってことかな。

 表向き、シラサカはハナムラコーポレーションという会社に所属し、営業部のリーダーという立場にある。だが会社の実態は殺しを専門とする犯罪行為の分業システムで、それぞれ担当が異なる。
 営業部=始末屋。依頼を受けて人を殺すのが仕事。
 経理部=掃除屋。始末屋の後始末(死体を片づける等)が仕事。
 情報企画部=情報屋。標的の下調べから死亡後の戸籍改ざんといった情報操作が仕事。
 三つの仕事が重なり合って、死んだ人間は闇に葬られる。殺人が発覚することは決してないのだ。
 シラサカを起こしにきたマキは、社長であり裏社会を取り仕切るボスの花村謙三はなむらけんぞうの依頼で、始末屋として育成中である。身長は一六五センチで止まり、可愛らしい外見となっているが、仕事になると人が変わる。このギャップはマキの武器となっていた。
 ぼんやりしながら着替えていると、インターホンが鳴った。もうそんな時間なのかと思って時計を見れば、待ち合わせの時間ぴったりである。シラサカは彼らの顔を思い浮かべてほくそ笑んだ後、自室を出た。

「おはよう、レイ、久しぶり、会いたかった!」
「おい、いきなり抱きついてくんなよ」
 耳をすまさなくても丸聞こえである。シラサカは洗面所で顔を洗い、歯を磨きながら、彼らの会話に耳を傾けた。
「だって急に予定が延びたし。レイ、すごく痩せたよね? なんかあった? 大丈夫? てゆーか、そこの人、誰?」
 後の言葉は急にトーンダウンするマキ。
「俺は医者だ。少年の付き添いとして、無理矢理連れて来られただけ」
「嘘、レイはこんなオジサンが趣味なの?」
「話を聞け。医者だと言っただろ」
「なんでドクター同行なの? 怪我したの? 病気なの?」
「知らねえ。ヤッサンが無理矢理呼んだんだよ」

 マキの幼なじみであり、情報屋のヤスオカの元に預けられているのが、今訪ねてきたレイという少年である。彼にはマキのような可愛らしさが欠片もなく、我慢強いを自負するシラサカですら、何度かバラしたい(殺したい)と思わせた生意気具合である。
 だが、レイは天才だった。大人達が舌を巻く程の、本物の天才だったのだ。こんな世界に堕ちなければ、華々しい活躍をしていたことだろう。
「サカさん、どういうことか説明して!?」
 住まいは高級マンションで、防音はしっかりしているが、マキがこれ以上騒ぎ出すと面倒である。やれやれと思いながら、シラサカは玄関へと向かった。
「うるさいぞ、マキ。先生、お久しぶりです。今日はつきあわせてしまってすみません」
「出掛けるのに保護者がふたり必要とは、面倒な話だな、全く」
 レイの隣で大きな溜息をついたのは、悪人面全開だが堅気である医師の松田だ。先日レイが怪我をした際、偶然その場に居合わせたことから、その後もなんだかんだで世話になりっぱなしになっていた。花村とヤスオカとは旧知の仲だというから、本当に堅気なのか疑わしいところではあるのだが。
「サカさん、説明!」
「後で話す。時間もないことだし、とりあえず出掛けんぞ」
 出掛けるという言葉を聞いて、レイの表情が曇った。
「なあ、マジで行くのかよ。有り得ねえだろ、男四人で遊園地とか」
「行くったら行くの! レイ、調子悪いなら手繋ぐ?」
 レイを心配してか、マキは平然と右手を差し出してきた。一瞬唖然とした後、レイはすぐさま怒りをシラサカにぶつけてきた。
「シラサカ、マキに変なこと吹き込んでんじゃねえだろうな!?」
「何も言ってねえよ。心配されてんだから、素直に行為は受けとけ」 
「野郎同士で手繋ぐとか気持ち悪いっつーの!」
「だって、レイすごく痩せたし、心配なんだもん。先に駐車場行ってるね」
 マキは手を繋ぐことはせず、レイの腕を取り、玄関を開けて出て行った。
「離せよ、マキ、俺は元気だっつーの!?」
「レイ、静かにしなきゃ、迷惑だよ」
 パタンと扉が閉まると室内に静けさが訪れ、大人達は大きな息をついた。
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