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第零章 リビングドール
小さな従者
しおりを挟む部屋の壁越しに。
馴染みの靴音が淡く聞こえてくる。
それを察知するや否や。
「あ、テスタ。私が運んできてあげるから待ってて」
それまで主と戯れていた人形が、走って扉へ向かう。
扉の取っ手にジャンプしてぶら下がると。
その自重で器用に扉を開けて廊下へ出て行った。
メイドの短い悲鳴。
走り去る靴音。
暫くすると、夕食の乗ったトレイを頭に掲げて人形――、
セニアは戻ってきた。
ベッドに座るテスタは、その様子を微笑ましく見ていた。
「最近気が利くわね」
「せっかく体が動くんだもの、動かないと損だわ。それに、手間も省けていいでしょう?」
「確かに」
テスタはセニアからトレイを受け取ると。
サイドテーブルに乗せ換える。
そして、セニアを抱っこしてテーブルの縁に座らせた。
「今日はお肉だね、テスタ」
「うん。たぶん在庫処分でしょうけどね。さっき配達の荷馬車の音がしていたもの」
テスタの住む村は、田畑も牧場もある。
屋敷は食料を定期配達の馬車に頼んでおり、そういう時は古くて余った食材がテスタの料理に使われているようだった。
とはいえ、それでもこの屋敷は名家だ。
食事のメニューは、パン、バター、ラム肉のソテー、野菜の煮込みスープ等。
さほど豪華でもないけれども、この村、ひいては都市部の人間の平均よりも。
遥かに良質な食事だった。
テスタは簡単な祈りを済ませてから。
パンを手でちぎってナイフでバターを乗せ、口に入れる。
その様子を、セニアは見ていた。
「美味しくないの?」
何処か心配そうにも見えるセニア。
「そんなことないわ。お義父様が雇っている料理人は優秀だもの」
パンもバターも料理人の自家製だ。
不味いということは決してない。
「そう?」
「ええ」
――そんな最近のセニアは、食事の時にずっとテスタの様子を見つめている。
今も、サイドテーブルの縁に座り、脚をプラプラさせながら、テスタが食事を終えるのを待っている。
そして突然。
テスタが咳き込んだ。
「けほっ、けほっ……!」
「大丈夫テスタ!?」
そしてセニアは、いつにもましてテスタを心配する。
人形だからできることはそんなになくても。
セニアはすぐさま駆け寄って、椅子の背に飛び乗って、テスタの背中をバンバンと叩く。
「出して、テスタ! 今すぐ!」
「だ、大丈夫よ。少し変な所に入っただけだわ」
「ホントに??」
セニアが、サイドテーブルに飛び移り、テスタの顔色をうかがう。
テスタは水を飲み。
微笑を向けながら。
「ほんとよ。最近、セニアは心配性過ぎないかしら?」
「そんなことないわ。むしろテスタが……」
「私が……?」
「なんでもない」
セニアが食事を運び出したのは約一か月ほど前からだ。
少しの事で心配し始めたのも。
箱の中で眠らずに、1日中起きているようになったのも。
ここ一か月の間、セニアは明らかに行動が変わっていた。
セニアは、サイドテーブルから飛び降りる。
飛び降りた先の床には、1か月前、セニアがサイドテーブルを倒したせいで
床に散らばってしまった夕食の染みが今も残っている。
セニアは、その染みを、小さな靴で踏みつけた。
人形の表情は変わらない。
だが。
可動式のまぶたを閉じ。
宿った意思には、紅い感情が滲んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
ある日。
テスタは小用のために部屋を出た。
そうして、いつも食事を運んでくるメイドとすれ違う。
その時は、食事ではなく、ハタキを手にしていたが。
掃除中なのだろう。
すれ違う時、メイドは掃除の手を止めてテスタの顔を目で追って、じっと見つめていた。
そうして、弱弱しく呼び止める。
「あ、あの……お嬢様……?」
「……? どうかした?」
「い、いえ……」
メイドは、テスタの顔や、手や、脚や、衣服からさらされている肌を観察する。
一点の染みも曇りもない、変わらず美しいその四肢を――つぶさに。
そんな時。
「テスタの顔色が、気になるみたいね?」
その声は、テスタの胸元から。
顔を出した人形から発せられた。
ひっ、とメイドは悲鳴を上げる。
「――顔色? なにかミスでもしたのかしら?」
今度はテスタがメイドを気に掛ける。
しかし。
「い、いえ! なんでもありません、失礼しました」
メイドは慌てて走り去っていった。
「なんだったのかしら?」
「さぁ? 何か、やましい事でもあるんじゃない?」
「やましい? そうなの?」
食事を運ぶ時か、たまたますれ違う時か。
限られたタイミングでしか遭遇しないメイドだ。
そもそも全ての家人とそんなにコミニケーションが無いテスタだから。
顔色を気にされる覚えは、何もなかった。
すくなくとも、テスタには――。
そうして暫くして。
屋敷に双子の2人組が尋ねてきた。
「――よく来た、二人とも」
それは、屋敷の主が呼んだ、魔術師と神官だった。
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