6 / 70
本編
4
しおりを挟む翌日、私はこのエリンスフィールへと本店を移すために準備をしていました。
そんな時、ルアンが焦ったような表情で、勢いよくは私の部屋へと駆け込んで来ました。
「エリス!
ごめん、今すぐ逃げ……。
あぁ、もう間に合わない!」
ルアンの表情とその焦ったような様子に何事か、と身構えたその時です。
今度は下からお爺様の声が聞こえてきました。
『で、殿下……!?
なぜ……!
い、いえ、孫は今部屋から出られる状態ではなく……!?』
どうやら殿下が訪問して来てしまったようですね。
興味を失われたと思ったのですが、私の読みが甘かったようです。
それとも、また別の要件でもあったのでしょうか?
とりあえず、元凶であろうルアンを追い出し着替えた方が良さそうですね。
「ルアン、後で詳しいことを聞かせてもらいます。
支度をしますので、退室を」
「うっ……。
ご、ごめん、エリス姉さん……」
ルアンがエリス姉さんと私を呼んだのは六年前以来です。
それまで私のことをエリス姉さんと呼び、慕ってくれていたというのに突然エリス、と呼ばれ少なからずショックを受けたのを覚えています。
この場でそう呼んだということは、余程取り乱しているのでしょう。
「ルアンは殿下のお相手をしていてください」
「分かった……」
面倒なことを押し付けるような形になってしまいましたが、もとはと言えばルアンが原因でしょうし、このくらいはしてもらいましょう。
ルアンが退出した後、私は急ぎ着替えると、殿下の待つ部屋へと向かいます。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません殿下。
本日はどのようなご要件でしょうか?」
「あ、あぁ……。
その、突然来てしまい申し訳ない。
もうすぐ母上の誕生日なのだが、その時に贈るものを、と思ったのだ。
母上はフィーリン商会のものが好きでな。
エリス嬢の商会に良い物は置いていないか?」
どうやら、ルアンが原因なわけではなかったようです。
申し訳ないことをしてしまいました。
ルアンの日頃の行いが悪いからなのですが。
一応、後で謝っておいた方が良いかもしれませんね。
殿下の目的は私の商会で取り扱っている商品の方だったようです。
それでしたら、準備中の本店へ行くよりも会頭である私の方へいらっしゃるのは当然ですね。
とはいえ、事前に連絡はしていただきたかったですが。
「どのようなものをご希望でしょうか?
私の商会では、お菓子や娯楽品といったものを中心に取り扱っているのですが」
「母上はチーズケーキとクッキーが好きなんだが……」
チーズケーキとクッキーですか……。
確か、一度本店限定でチーズタルトを販売したことがあったような気がしますね。
タルトでしたらクッキーの食感とチーズが味わえますし、お気に召されるでしょう。
ですが、一度販売している以上、あまり相応しいとは言えないかもしれません。
「いつお届けすればよろしいでしょうか?」
「再来週に頼む」
「承知致しました」
話はここで終わり、私はそう思っていたのですが、殿下はまだ帰る気が無いようです。
私としてはさっさと帰っていただきたいのですが。
商会のことを考えたいですし、先程の殿下からの依頼についても頼みたいですから。
それに、王族の方との関わりは最小限に抑えたいですし。
「エリス嬢、済まないが母上へ贈るものを一緒に選んで貰えないだろうか?
女性の意見が聞きたいのだが……」
「私の、ですか?
承知いたしました。
私でよろしければ喜んで」
ついでに本店となる場所も見たいですし。
本来は一人で行く予定だったのですが、『王妃殿下のため』などと言われてしまえば断れませんから。
それに、後日にしてもらえればケーキの試食という形で最終確認もしてもらえますし。
「ありがとう、エリス嬢」
その殿下の柔らかな笑顔に、これは、他の令嬢から人気があるわけですね、と思ってしまいました。
あのバカ王子とは違って。
バカ王子とは比べ物になりません。
あの方はもっと鳥肌の経つような、気持ちの悪い笑みを浮かべますから。
あれはある一種の才能だと思うのです。
そんな才能いりませんが。
「殿下、そろそろ戻らなければならないのでは?」
「ん……?
そうだな。
ではエリス嬢、また明日くる」
「承知致しましたわ」
ルアンが珍しく良い仕事をしてくれました。
それにしても、明日とは……。
王子ともあろうお方が余程暇なのでしょうか?
殿下がお帰りになった後で、ルアンが苦笑しつつ、私の問いに答えてくれました。
……質問はしていないのですが、従弟には分かってしまうようです。
「殿下は、エリスと友人になりたいんだよ。
エリスは殿下の周りにはいないタイプだし」
「……私は、あまり王族と関わりを持ちたくないのですが」
「殿下はかなり執拗いから早々に諦めた方がいいと思うけど。
それに、エリスだって殿下自身のことを嫌ってるわけでもないでしょ」
面倒ですね。
執拗い、というのは王族の方に多いので仕方ないかもしれませんが。
私とバカ王子の婚約を結ぶ際も王妃殿下と国王陛下があの方のために何度も頭を下げにきたくらいですもの。
今思えば、私はあのお二人の誠意と懇願に負け、婚約を受けたようなもの。
今頃、あのバカ王子はお二人に叱られている頃でしょうね。
「キースって王子のことは分かるけど、殿下とは違う。
だから、殿下のことをちゃんと見てあげて欲しいんだ」
「えぇ、わかっています。
私が王族の方を避けるのはあの方との婚約だけが原因なわけではありません。
私はただ、王族の方と関わって面倒事に巻き込まれるのが嫌なだけです」
私が王族と関わりを持ちたくない本当の理由を話すのは初めてかもしれませんね。
その相手がルアンというのもアレですけれど。
「そっか。
でも今回僕は、殿下に協力するよ」
「……お好きにどうぞ」
面倒が嫌だから避ける、というのはダメだと分かっているので、ルアンの言葉にはそう口にするしかありません。
本当ならば、お断りしたいのですが、ルアンが許してはくれないでしょうし。
……友人くらいでしたらいいでしょう。
0
お気に入りに追加
4,319
あなたにおすすめの小説
モブに転生したので前世の好みで選んだモブに求婚しても良いよね?
狗沙萌稚
恋愛
乙女ゲーム大好き!漫画大好き!な普通の平凡の女子大生、水野幸子はなんと大好きだった乙女ゲームの世界に転生?!
悪役令嬢だったらどうしよう〜!!
……あっ、ただのモブですか。
いや、良いんですけどね…婚約破棄とか断罪されたりとか嫌だから……。
じゃあヒロインでも悪役令嬢でもないなら
乙女ゲームのキャラとは関係無いモブ君にアタックしても良いですよね?
婚約破棄された悪役令嬢は【幼女】になって、第二王子に溺愛されています
匿名希望ショタ
恋愛
パーティーの日に公爵令嬢であるロアナ・エンザリアは無実の罪をきせられ婚約破棄をされる。
それによって自暴自棄となり昔見つけた魔法書の禁忌の魔法に手を出してしまった。
一時は生死をさまようが回復すると幼女になってしまっていた!
そして王太子となった第二王子が現れ...
乙女ゲームで唯一悲惨な過去を持つモブ令嬢に転生しました
雨夜 零
恋愛
ある日...スファルニア公爵家で大事件が起きた
スファルニア公爵家長女のシエル・スファルニア(0歳)が何者かに誘拐されたのだ
この事は、王都でも話題となり公爵家が賞金を賭け大捜索が行われたが一向に見つからなかった...
その12年後彼女は......転生した記憶を取り戻しゆったりスローライフをしていた!?
たまたまその光景を見た兄に連れていかれ学園に入ったことで気づく
ここが...
乙女ゲームの世界だと
これは、乙女ゲームに転生したモブ令嬢と彼女に恋した攻略対象の話
[復讐・ざまぁ・ラブコメ短編集]気弱な王妃の逆行転生 ~王に捨てられた王妃は10代の令嬢に戻り運命をやり直す~ 他
小豆このか@大人の女性向け連載
恋愛
女性向けの異世界・現代恋愛等の短編集です。稀に男主人公もありますし、ファンタジー・コメディ作品もあります。
妹の身代わりとされた姉は向かった先で大切にされる
桜月雪兎
恋愛
アイリスとアイリーンは人族であるナーシェル子爵家の姉妹として産まれた。
だが、妹のアイリーンは両親や屋敷の者に愛され、可愛がられて育った。
姉のアイリスは両親や屋敷の者から疎まれ、召し使いのように扱われた。
そんなある日、アイリスはアイリーンの身代わりとしてある場所に送られた。
それは獣人族であるヴァルファス公爵家で、アイリーンが令息である狼のカイルに怪我を負わせてしまったからだ。
身代わりとしてやった来たアイリスは何故か大切にされる厚待遇を受ける。
これは身代わりとしてやって来たアイリスに会ってすぐに『生涯の番』とわかったカイルを始めとしたヴァルファス家の人たちがアイリスを大切にする話。
完璧な姉とその親友より劣る私は、出来損ないだと蔑まれた世界に長居し過ぎたようです。運命の人との幸せは、来世に持ち越します
珠宮さくら
恋愛
エウフェシア・メルクーリは誰もが羨む世界で、もっとも人々が羨む国で公爵令嬢として生きていた。そこにいるのは完璧な令嬢と言われる姉とその親友と見知った人たちばかり。
そこでエウフェシアは、ずっと出来損ないと蔑まれながら生きていた。心優しい完璧な姉だけが、唯一の味方だと思っていたが、それも違っていたようだ。
それどころか。その世界が、そもそも現実とは違うことをエウフェシアはすっかり忘れてしまったまま、何度もやり直し続けることになった。
さらに人の歪んだ想いに巻き込まれて、疲れ切ってしまって、運命の人との幸せな人生を満喫するなんて考えられなくなってしまい、先送りにすることを選択する日が来るとは思いもしなかった。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
転生したら死亡エンドしかない悪役令嬢だったので、王子との婚約を全力で回避します
真理亜
恋愛
気合いを入れて臨んだ憧れの第二王子とのお茶会。婚約者に選ばれようと我先にと飛び出した私は、将棋倒しに巻き込まれて意識を失う。目が覚めた時には前世の記憶が蘇っていた。そしてこの世界が自分が好きだった小説の世界だと知る。どうやら転生したらしい。しかも死亡エンドしかない悪役令嬢に! これは是が非でも王子との婚約を回避せねば! だけどなんだか知らないけど、いくら断っても王子の方から近寄って来るわ、ヒロインはヒロインで全然攻略しないわでもう大変! 一体なにがどーなってんの!? 長くなって来たんで短編から長編に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる